第67話 テレビコマーシャルの季節性(2000. 6.15)

 ファッションショー、特に水着ファッションショーは季節性と全く別の次元で真冬に開催されたりする。これは市場関係者向けの内覧会のようなものだから、「はぁ、そうですか」という程度で特に不快感はないところ。

 しかし、いくら商業的にセオリーというかアプローチがあるとは言っても、季節に合わないテレビコマーシャルを流していい、という道理はないように思う。一足先に市場を掘り起こしたい、という気持ちはわからなくないが、市場関係者向けと同じような感覚で一般視聴者に働きかけてもらいたくない、というのが正直な感想である。

 外で雪が降るような時季に、桜舞い散る中でお茶を飲んでみたり、春浅い頃に、真夏の浜辺でビールの泡が飛んでみたり、はて今度は夏真っ盛りだというのに、紅葉と一緒に「秋味」?の飲料が出てきたり、秋の涼しさを体感している最中に、雪降る中をゴホゴホやって「はい、風邪薬」というのはどうもいただけない。

 見ていると、その季節でないと需要が喚起できない商品が前倒しで宣伝されているような傾向があるように思う。早めに宣伝することによって、人々の記憶に浸透させておけば、シーズンが到来し、本格的に店頭に並んだ時に、直感的に手を出してもらえる、という効果が期待できるからだろうか。それでも化粧品(特に紫外線予防の類)は、ちゃんと季節に合わせた展開をしているように思うし、ハンディビデオレコーダーに関しても、運動会シーズンに照準を合わせて流しているようだから、やはり前のめりの業種は一部に限られるようである。

 手の込んだ画像が簡単に(実際には多くの費用と時間がかかるのは言うまでもないが)作れる時代ゆえ、ちょっとしたロケなりセットなりで季節感が醸し出せてしまうのが何とも歯がゆい。CGにしてもそう。季節を描写する臨場感や迫力が大きくなっているからこそ、逆に現実の季節の感覚というものを大事にして欲しい、と思うのである。加えて残念なのは、季節に先行して流されるコマーシャルは、そのコマーシャルの「旬」になるとあまり見かけなくなってしまうこと。旅行関係のコマーシャルは致し方ないにしろ、そのままその季節・旬に乗じて放映してもらえたら、というコマーシャルは過去にもいろいろあった。ブラウン管を通して、今その季節に生きていることを実感できるのだから、こんな安上がりでいいものはない。たとえ15秒でも30秒でも、短い時間に凝縮されている分、そこに流れる季節景・季節感は鑑賞に堪えて余りある。「絵」が美しければなおさらである。

 夏のさなかにテレビを見ていて、ふと綺麗なリゾートが映る、青空と砂浜が広がる、熱帯魚が群泳する、渇いた街並に光が降り注ぐ、そんなシーンが現われると、何とはなしにスカっとする。寒い中を帰って来て、見遣ったテレビから暖炉、ガス燈、スープ皿、ポット、湯気等々、暖かみのある絵が出てくると、ホッとするし、心休まる、てな具合である。テレビコマーシャルが季節を演出する働きは大きい。季節感ばかりが印象に残ってしまって、肝心の商品を覚えていない、となるとスポンサーには気の毒なことだが、季節に合わないものを出して反感を買うよりははるかにマシだろうと思う筆者である。

 今、流れているコマーシャルの季節性はどうだろうか? このくらいの季節だとさすがに真夏モードになっていても違和感は覚えないが、逆に6月らしいものがどれだけあることか。テレビコマーシャルは、そんな見方で視てみるとまた違った面白さも出てきそうである。

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