随筆「東京モノローグ2010」(7−8月期)
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5月12日、京急蒲田を発車する「エアポート快特」(エアポート快特の京急蒲田通過は、この5日後から)第310話 列車種別と停車駅〜京急・京成の一大変化

聖橋からは絶妙な位置合いでスカイツリーが望める第311話 スカイツリーwatching

アキバで献血するのは今回が初!第308話 約8年ぶりの献血

この辺りから先が通行止めになった(北区堀船、明治通り)第309話 局地的豪雨〜北区堀船レポート

第311話 スカイツリーwatching(2010.8.15)

 正式には登録商標を付ける必要がある。「東京スカイツリー®」と表記すべきところだが、ここでは通称、「スカイツリー」で書くことにする。

 3月29日に東京タワーを超す338mに達した後、第一展望台部分ができ、7月30日に400mを超え、と着実にその高さを伸ばしているスカイツリー。8月14日現在、408m公式サイトでは、8月7日現在で408m)、東海道新幹線を走るN700系(16両)の全長が400m余りというから、正に新幹線をタテにしたくらいの高さになった、ということである。これはやはり快挙・快哉である。

 今後高さが増すにつれ、遠望可能なスポットもさらに増えてくる予感はあるが、ひとまず第一展望台の形が見えてきたくらいから筆者なりに調べてみた。「スカイツリー、どこから見えるか」である。

 世間は一応夏休み中でもあるので、今回は至って平易に、画像+コメント形式でお届けする。(伸長の過程が少しでもわかるように、撮影日順に掲載)


5月12日:押上から京成曳舟

 京急のダイヤ改正前の様子第310話参照)を見に行った帰り、地下の押上から地上の京成曳舟に出る途中で振り返るようにして撮影。スカイツリー最寄駅の隣駅付近だけあって、遠望でも何でもないのだが、車窓から見るにはそれなりの角度やタイミングがあることがこの時わかった。お隣の線路は東武伊勢崎線。


5月15日:曳舟駅

 その3日後、今度は東武線の曳舟駅から眺めてみた。業平橋を最寄中の最寄(押上と本所吾妻橋は最寄)とするなら、その隣の曳舟も十分近いと思えるが、この通り、少々距離を感じる。この時の高さ、368m。


7月3日:湯島に近い某イタリアンレストランから

 イタリアンだが、なぜかフランス語で「摩天楼」を意味する名前の店があって、そこの屋外席から御徒町方面を眺めたらこの通り。すでに第一展望台はできた後でその先に進んでいたことが今更ながらわかる。いずれ「摩天楼から摩天の塔を」というのがこの店のフレーズになって、客もまた増えることが予想される。スカイツリー効果は、広範である。


7月17日:木場公園

 S夫妻第25話他)に久方ぶりにお会いし、夕涼みに出かけた際に教えてもらったのが木場公園から見るスカイツリー。仙台堀川を跨ぐ公園大橋から北へ目を向ければこんな具合。遮るものがないので、もっと高くなれば一大ビュースポットになりそうだ。


7月19日:田端駅

 田端に来て、何気なく新幹線の高架を見ていたら、第一展望台が目に止まった。この高さになったからこその発見である。

 新幹線の車窓からはもっとよく見えるだろう。


7月21日:聖橋

 水道橋での所用の後、御茶ノ水まで来たら、「この際だ、秋葉原まで足を延ばそう」と思い至る。久々に聖橋に来たらこんな感じでひょっこりと第一展望台が見えた。御茶ノ水から帰ってしまっていたら、こうは行かなかった。思し召し、ということだろう。

 秋葉原のタイムズタワー(左)とUDX(右)の間は決して広々とはしていない。絶妙の見え方、これぞ「隙間ツリー」の図である。


8月3日:北とぴあ

 17階に展望ロビーがあるが、とりあえず14階でもこんな風に望める。(線路の先にあるように見えるが、実際の線路は右に曲がっていく。) 手前は王子駅、隣の緑は飛鳥山。


8月12日:

上野駅公園口から先

 公園口を出て線路沿いに鶯谷方向に歩く。駐車場になっているが、出入りは自由。岩倉高校の校舎の左隣、スカイツリーがよく見える。

不忍池

 この時期、不忍池はハスが大いに育ち、花を咲かせている。ハスを観ながら、野外ステージを回り込んだ先、そのステージ屋根の上に、スカイツリーの頭が見える。高さが増してくれば、今後はもっと見つけやすくなるだろう。

JR上野駅 3・4番線

 上野駅の北の端からは見えにくいが、南の端からは比較的見やすい。京浜東北線の南行が入ってくると、今はこのように頭だけになってしまうが、背が伸びれば関係なくなるだろう。(混雑時は、スカイツリービューどころではないだろうが)

 

 なお、上野の前後、鶯谷〜上野、上野〜御徒町も、建物の間からスカイツリーが瞬間的に現れる場所がある。鶯谷〜上野は、常磐線や地上ホーム発着の宇都宮・高崎線でも望めるが、上野〜御徒町は、車両がかぶらない京浜東北線の南行に限る。進行方向左側を見ていれば間違いなくお目にかかれる。

JR南千住駅

 京成関屋の高架ホームからもよく見えると思われるが、隅田川沿い(または台東区東浅草地区)に高い建物があまりないと仮定すると、南千住からもやはりよく見えるだろうと踏んで行ってみたら、的中! というのがこの写真。Bivi南千住の右側に位置する。

南千住から三河島

 日暮里〜三河島も見えなくはないが、眺められる時間が長いのは、この区間。南千住から三河島に向かう途中、ギリギリで収めることができた。三河島駅も高架なので、見えなくなさそうだが、厳しいようだ。


8月13日:JR錦糸町駅 総武快速線ホーム

 スカイツリーの北側の駅から見えるんだから、南側からも見えるだろう、ということで出勤時間を早めて錦糸町へ。1・2番線(総武・中央線各駅停車)からはよく見えないが、3・4番線(総武線快速)からはバッチリである。(スカイツリーを意識して、ということはないだろうが、錦糸町の駅名標はLEDに転換済み。見映えがよくなっている。)

 


8月14日:

  • 光が丘清掃工場

 水銀混入が発覚し、運転を止めざるを得なくなってしまった清掃工場の一つ、光が丘清掃工場の見学会に参加した。(→詳細:水銀混入ごみによる光が丘清掃工場1号及び2号炉の停止について[PDF])

 最近の焼却炉は極めて高温高熱なので、水銀も気化しきってしまうそうだが、濾過式集塵機にあるフィルター(ガラス繊維)が吸着してもなお、大気中に放出する分が出てしまった、それだけ多量の水銀が廃棄された、ということだった。(前日8月13日の午後に再開したそうだが、止まっていた間に溜まっていたゴミが処理しきれておらず、ごみバンカは大入り状態(写真)だった。何でも2,500トンとか...)

 そんな様子を見に行った清掃工場だった訳だが、思いがけず、ここでもスカイツリーを見ることができた。(見学のコースにスカイツリーが含まれていた、ということである。) かなり薄いが、2本見えるうちの左の1本がスカイツリーである。

 これぞ遠望スカイツリー。スカイツリーの展望台からもきっと光が丘は見えることだろう。

  • 隅田川テラス(厩橋〜駒形橋)

 光が丘へ行って来た、ということは然るべき乗車券を伴って、ということになる。この日、移動に使ったのは、都営地下鉄「夏」のワンデーパスである。大江戸線で一気に東へ向かい、さっき遠望だったツリーをぐっと引き寄せて観る。

 極めて近場なので見えて当たり前、ではあるが、大江戸線の蔵前に来ることがあれば、厩橋まで出て、隅田川テラスを歩く、というのがいいようだ。(浅草線の蔵前だと、ちょっと距離がある。)

 厩橋の手前、川岸(テラス)に出る階段がある

 岸には棒状のものがそこここにある。スカイツリーと並べて写すのがポイント。

 屋形船とのコラボ写真が撮れるのも隅田川テラスならでは

  • 押上駅A3出口

 せっかくワンデーパスがあるのだからツリーの足元へ行かない手はない。テラスを歩き、駒形橋まで来ればそこはもう浅草線の浅草駅。ここから2駅乗れば最寄の一つ、押上である。

 A3出口を出ると、こうである。東武の業平橋は大いに賑わっているようだが、押上はそうでもなく、穴場な感じがした。(電線が入ってしまうのが不人気の理由? それとも単に時節的に人出が少なかっただけ?)

 東武の車両と一緒に写すのには最適。ツリーの高さ表示(この日は408m)も撮れる。

 業平橋の方が確かに近いが、ここ押上A3出口も決して遠くはない


その他の足元シーン

 東京タワー超えが報じられた翌日、第303話のネタ旅のエクステンションで、業平橋へ出かけていた筆者である。この時は展望台が姿を現す前だったので、スッキリ&スクっとした印象を受ける。

 近くで撮った写真で青空だったのは実はこの時くらい

 「現在のタワーの高さ338m」

 建築物の名称のカッコ書きは、新タワー計画。完了予定は、2011年12月末。

  • 5月15日:業平橋駅

 「現在のタワーの高さ368m」

 特急りょうもう30号が通過

 ツリーの下でも工事は盛ん。いずれ商業施設がお目見えする。

 時間帯によるが、基本的にはこういうことなので、あまりホーム上で長居できないことになっている。

 高さが増すと、頂点を撮るのも大変になってくるだろう

 本来ならこれらのうちのどこかで定点観測ができればいいのだが、なかなかそういう訳にもいかない。せいぜい車窓からwatchingするとしよう。

 

 

第310話 列車種別と停車駅(2010.8.1)

 東京近郊での新駅・新線の話題は折に触れて紹介しているが、列車種別の変更、特に急行や特急などの優等列車の動向については、ここ何年かは落ち着いていたため、取り上げてこなかった。しかし2010年になり、予想通りの一大変化が起こり、放っておけない状況になった。専ら空港絡みではあるが、羽田空港を軸とした京急、成田空港を軸とした京成、そして両空港を結ぶネットワークとしての京急・都営・京成での一大事である。

 という訳で今回は、久々の優等列車ネタ(@東京の私鉄)。何がどうなったのかを筆者自身の頭の整理を兼ね、綴ろうと思う。(おそらく実際に通しで乗ろうとすると、間違える可能性は大)(^^;


【京急】 (→参考情報

 5月15日までは、普通・急行・特急・快特の4種類(通勤特急とウィング号は除く)だったが、16日にダイヤ改正され、普通・エアポート急行・特急・快特・エアポート快特の5種類に増えた。京急蒲田を通過するというので、大田区が猛抗議したエアポート快特は、この時に新たな種別として登場したもの。(これまでもなくはなかったが、快特でひとくくりになっていたので、かえってわかりにくかった。)

 空港利用者の便宜を図る上で、京急のこの設定は英断と言っていいと思うが、同じ区内にありながら空港利用者のことを重んじない大田区の姿勢は未だに解せない。京急蒲田駅立体化等工事費を負担したのは、羽田空港のさらなる利便性アップのため、と胸を張ってもよさそうだが、その逆。区全体の利を考えていないように見受けてしまうのである。

 とりあえず、エアポート快特はその名の通り、羽田空港直行なので悩むことはない。悩ましいのは、同類の「エアポート急行」である。昔々に遡るとまた違う急行が走っていたのだが、改正前の急行は、品川・青物横丁・立会川・平和島・京急蒲田と来ると、その先は全て空港線に入る、つまり正にエアポート急行のようになっていたのだが、改正後のエアポート急行は、それだけではなくなった。品川方面のみならず、新逗子から北上して空港線に入る急行ができたのである。別に間違いではないのだが、これも同じエアポート急行(以下、急行)なので、どうにもややこしい。

 単純な路線図を見ると、品川からの急行と新逗子からの急行の線は京急蒲田でぶつかって、いや、同じ青線なのでぶつかるも何もなく、単につながって見える。京急蒲田から羽田空港に伸びる青線が一本なので、余計にわかりにくい。つまり、品川からの急行は、羽田空港にも新逗子にも行くような見え方になってしまっているのである。(その逆、新逗子からの急行もまた然り)

 改正前は、品川から京急鶴見に行く場合、快特で川崎まで出て、待機中の普通に乗り換えるだけの話だった。今回、新逗子へ行く急行ができ(正しくは復活し)、これが鶴見に停車するため、単純路線図だけ見ていると、「品川から急行に乗れば鶴見へ直行できる」と勘違いしかねない。この見当で急行に乗ると、気付いた時は空港線に入っていた!ということも有り得るのである。急行に乗ったら、蒲田で降り、新逗子行きの急行に乗り換える、といった頭の切り替えが必要だ。(少々無理があるが、平日朝 品川 8:51発−京急蒲田 9:03着・ 9:12発−京急鶴見 9:20着 という急行つなぎの行き方はある。ただし、品川 9:00発の特急でも間に合う。)

 なお、京急蒲田〜新逗子に急行が復活したのは、およそ11年ぶりのこと。年月を空けてから復活させることで、停車駅既得権をリセットし、停めるべき駅に停める、というのを実現したのは大したものだと思う。(小田急線の屋上屋的発想=停めるべきは新設の快速急行で...とは大違い) 過去に常時停車駅だった生麦、子安、黄金町、京急富岡は憂き目、新たに停車駅となった仲木戸、井土ヶ谷、弘明寺、杉田、能見台は日の目、それぞれの目を見ることになった訳だが、今にして思えば、弘明寺や杉田が通過駅だったのが不思議なくらいである。(快特が新たに金沢八景に停車することになったのも気分としては同じ。)

 5/15までの路線図(抜粋)

 5/16からの路線図(抜粋)→原版

【京成】 (→参考情報 [PDF])

7/19、日暮里駅前イベント広場で開かれた「NN36 Festival in ARAKAWA」にて 京急のダイヤ改正から2カ月後、成田スカイアクセス線開業に伴い、大改正したのが京成である。(京急改正〜京成改正の2カ月間は、どうしのいでいたのかが不思議だが、詮索しないことにする。) 新線・新駅も大いに気になるところだが、注目すべきは、その種別・系統だろう。種別は、普通・快速・エアポート快速・急行・通勤特急・特急・アクセス特急・エアポートアクセス特急・快速特急の実に9つ(有料特急除く)。以前の路線図では、普通・急行・快速・エアポート快速・通勤特急・特急・快特の7つで、その順序も明確だったのだが、今回はどうもそれがなく、悩ましい限り。どうも急行は、北総線限定(京成高砂〜印旛日本医大)のようで、快速と並走することがない? 従ってあまり気にしなくていい、ということのようだ。(順序としては、快速・急行・特急と思うのだが、京成的には違うらしい。)

 7/16までの路線図…京成本線の軸が主。とにかく種別は多い。

 7/17からの路線図・・・有料特急を別枠にしたので、多少スッキリはしたが、主軸が2つになったので、全体的に太くなった。

 これまでは、上野と押上の2つのターミナルから、成田空港に向けて太くつなぐ、というのが主流だったが、北総線を使ったスカイアクセス線(正しくは、京成高砂〜印旛日本医大が北総、印旛日本医大〜空港第2ビルが京成)ができたことで、太くつなぐ線が2つになり、2つのターミナルとのタスキ掛け状態が深化。その分、系統が複雑になった、と見るのが妥当だろう。しかも種別はその太い2つそれぞれで異なる。全線京成電鉄一社!ということなら、種別をもっと絞れそうだが... 路線図は一枚でも種別は複数、これが今の京成の実情であり、特色である。

 成田<->羽田の空港間連絡(事実上、本数も区間も減)は、新線ができる前は京成本線経由だったので、例えば京急蒲田から京成八幡はストレートで行くことができた。今回の改正では、空港間連絡が見事復活(最短104分)したものの、こうした都市間移動には不向きになった。当のエアポート快特は蒲田通過、加えてその快特は京成線内に入ると、北総線+スカイアクセス線経由になるので、京成八幡は通らない。両駅間の移動はかつてのように速達では行かなくなった、という訳である。

 そのエアポート快特、京急線内・都営浅草線内では明確なのだが、京成線に入ると事情が変わる。押上から先は、「アクセス特急」と名称が変わるんだそうだ。(通しで乗ってみないことにはレポートしようがないが) 押上からは京成本線を経由する快速特急も出ている。おそらくこれとの混同を避ける(=スカイアクセス or 本線 を明確化する)ため、あえて「途中駅での種別変更」に至ったのだと思うが、どうにもわかりにくい。定着するのを待つか、早々に改称するか、今後の京成の対応の程も見どころになりそうだ。

 都営浅草線から先の京成線のこの分かれようは圧巻! エアポート快特がアクセス特急に転じる云々は、これでは到底わからない。

 ダイヤ改正関連のポイントは中吊りでも見ることができる。左側に目が行きがちだが、右側の(6)と(7)、停車駅変更に関する件も見逃せない。その駅の利用者からすれば「!!」だろう。

 京急ほどではないが、種別見直しとともに、停車する/しない の変更がいくつかあった。かつて京成本線には「急行」が走っていて、日暮里・町屋・千住大橋・堀切菖蒲園・青砥...と真っ当な停まり方をしていたのだが、急行が廃止され、すっかりメリハリがなくなってしまっていた。何とかならないものかと思っていたら、今回、「快速」が出てきて、千住大橋には停まる、という。町屋と堀切菖蒲園は?と思うが、京急の急行復活同様、既得権リセット(?)の了見でこうしたのだろう。ともあれ、普通の上が特急という不自然さは解消された。

 一方で、押上線を走っていた「急行」はなくなってしまった。代わりに快速になったようだが、なぜか工夫一つなく、普通以外は何に乗っても押上の次は青砥、になった。急行停車駅だった曳舟と立石の住民の心境やいかに?である。

 ちなみに北総線では、特急の上にアクセス特急ができたことで、停車駅にメリハリがついた。以前は新鎌ヶ谷から東は何に乗っても各駅停車だったが、今は違う。新鎌ヶ谷・千葉ニュータウン中央・印旛日本医大と飛ばしていく、それがアクセス特急である。これは早々に乗ってみたいものだと思うが、運賃の都合もあり、足が向かない。(印旛日本医大と空港第2ビルを結ぶ新線にできた新駅、成田湯川はこのアクセス特急しか停まらない(普通電車は印旛日本医大止まりなので通らない)。これも注意が要る。新型スカイライナーはこの新線区間を160km/hで快走し、新駅はハイスピードでの通過となる。)

 過去の優等列車の停車駅をなまじ覚えていたりすると痛い目に遭いそうだ。重々注意しようと思う。


【写真で見る京急・京成の変化】

 改正前までは、全ての列車が京急蒲田に停車(一応、エアポート快特と快特は色分けされていたのがわかる)

 5/12、青砥からひたすらエアポート快特に乗って京急蒲田へ。降車時に撮った、今となっては貴重な一枚。

 京急蒲田、地下改札口の行先表示。改正前なので、日中に「快特 羽田空港」がある。(今は、朝のみ→参考

 京急蒲田の高架部分、4番線ホームは、品川方面と羽田空港方面のどちらも来る。(5/18に再訪した際に撮影)

 高架化工事はまだ途中。羽田空港に直行する列車に乗っている場合はいいが、京急蒲田から改めて羽田空港をめざそうとすると、1番線が先か、4番線が先かで悩むことになる。

 品川に停車中のエアポート快特。次の停車駅は終点「羽田空港」。

 7/3、京成上野駅で撮った運賃表。紙を剥がすだけの状態になっているが、北総線が全面的に変更になるところがポイント。(少額だが、値下げされるためである)

 改正前に日暮里で撮った「停車駅ご案内」。北総線部分は、おまけのような扱い。

 日暮里駅での発車案内。改正前のスカイライナーは、ただ番号と行先が表示されるだけだった。

 こっちは改正後の発車案内(スカイアクセス線専用)。「成田スカイアクセス線」「北総線経由」と、くどいように表示されているが、かえって混乱する可能性もある。

 紙を剥がした後の運賃表(@京成上野)。新鎌ヶ谷は820→790円、印旛日本医大は1070→1030円に値下げされた。ただ、空港第2ビルと成田空港へ行くのに、本線経由と同額になるだけの値下げは叶わなかった。(スカイアクセス経由は200円増し!)

 日暮里からも運賃は同じ。この図を見て気になるのは、例えば佐倉から成田湯川はいくらになるんだろう?といった空港以外のルートの運賃である。この場合、空港第2ビルまで行って乗り換えることになるので、結構な値段になる。距離にして27km。810円だそうだ。(日暮里から成田に行くのより高い!)

 新橋駅で撮った新運賃表。地図的には全くデタラメなので、純粋に運賃を確認するだけに見るのがよろしい。驚くのは印旛日本医大までは1130円で、日暮里からと比べて100円しか違わないこと。新橋からの距離を考えると、もっと高くなりそうだが...

 7/21、都営浅草線三田駅で撮った新「エアポート快特」。成田空港を12:24に出て、85分かけて三田に到着。押上からは、浅草・東日本橋・日本橋と停車した後、新橋から品川までは各駅に停まり、その次が一気に羽田空港!という凄い設定。緩急を楽しむには良さそうだ。(羽田空港着は14:13)

【その他の私鉄】

 東急は、大井町線の急行運転(これも正しくは復活)が目玉だろう。停車駅(→参考については、至って順当なので、特にどうこう言う気はない。(中延と等々力をあえて停車駅にしなかったところが巧み?)
 大井町から二子玉川まで通しで乗った時の寸評は、ここに記載の通り。直近では、第288話で少々(二子玉川から自由が丘まで)。

 小田急線は、第177話に書いた通りで、その後、大きな変化はなし。ロマンスカーを使わずに新宿〜小田原を移動する時は、快速急行よりも急行の方がいいことはここ一年ほどで会得した。
 藤沢行きの快速急行で相模大野まで行き、そこから乗り換える急行は、新松田から先、各駅になることが多い。新宿から通しで急行に乗るのと大して変わらなかったのである。(相模大野での乗り換えは、決して悠長なものではなく、ダッシュ状態に近い。その面倒を考えれば、直通急行に分がある。)

例)土曜日 下り

新宿 9:56発→相模大野10:31着-(乗り換え)-32発→小田原11:29着 (快速急行〜急行:93分)

新宿10:11発→小田原11:48着 (急行のみ:97分)

 私鉄特急については、第109話で考察しているが、200話近く経っているので、随分と前の話になってしまった。

 ここ何年間かの変化でめぼしいのは、やはり東武で、第206話(後段)で紹介した「日光・鬼怒川 直通特急」だったり、東上線の「TJライナー」だったり。旅客獲得にそれだけ苦慮しているとも言えそうだが、努力は評したいと思う。(日光・鬼怒川の特急は、日常的に目にするものの、乗る機会はまずなく、可能性としてはTJライナーの方が高い・・・池袋発でない限り、着席整理券は要らない、つまり、ふじみ野〜川越市などは乗車券のみでいいんだから乗らない手はない) その昔、池袋・志木・川越・川越市...という停車パターンだった特急(本数少)は今はなく、代わりに快速急行ができていた。ただし、これまたかなり限られている(土休日に2本?)ので、乗るならやはりTJライナー!ということになる。

 忘れちゃいけないのが京成線だが、新型スカイライナー、シティライナーなど新しい有料特急(7/17〜)については、いずれ成田空港を利用するだろうからその時にでも、ということで、今回は見送る。

 成田空港に行く選択肢が増えた、という捉え方でいいとは思うのだが、その費用対効果は、と言うと...

スカイライナー:日暮里〜空港第2ビルを最短で36分、2,400円(運賃1,200円)
シティライナー:京成本線経由で65分?(かつてのスカイライナーは、同じルートで最短51分ではなかったか!) 1,920円(運賃1,000円)

 時間短縮に価値を見出そうとすると、スカイライナーに大いに分がある。同じ比率で計算すると、シティライナーは1,300円余りであれば、65分かかっても構わないことになる。1,920円はいかにも高い。(株主優待の全線乗車券を格安で手に入れたにしても、せいぜい1,700円?)


 10月21日には、羽田空港関連で新たな動きがある見込みだが、種別だ何だの大がかりな変化は、2010年でひと区切りだろうと思われる。考えられるのは、東武伊勢崎線〜半蔵門線〜東急田園都市線を直通する列車に何かある?とか、西武池袋線・東武東上線〜副都心線〜東急東横線がつながった暁(→参考に何が走る?といったところか。ともあれ、この手の話題はまたしばらく先になりそうである。

 

 

 

第309話 局地的豪雨(2010.7.15)

 大雨や台風で荒川が一大事になった時の話題は、第48話第241話に書いた通り。2007年は9月のこの台風9号の他に、10月27日にも台風20号が接近して、首都圏は大荒れになった。ただ、いわゆる「ゲリラ豪雨」で道路が水浸し、というのを目の当たりにすることはまずなく、通り雨で自分自身が水攻めに遭うくらいなものだった。

 あいにくの天候だったが、2007年10月27日は、品川清掃工場を見学(工場上階から首都高速湾岸線と新幹線引込線を撮影) →参考記事

 2008年8月5日、埼京線は「池袋駅付近での落雷による信号トラブルで」遅延

 2008年8月5日、豊島区雑司が谷で起きた事故(豪雨増水で下水道工事作業員が犠牲に)の時は、東池袋にある豊島区立中央図書館にいて、4階の高さから稲妻や雨粒を見ていたが、道路が冠水していて歩けない、といった事態には至らなかった。その前、7月27日の日曜日は、18時頃から大雨と落雷に見舞われたが、30分ほどで一転して夕焼け状態になり、やはり冠水とはならなかった。(この日は自宅で書き物などをしていたので、被害なし)

 2009年は、第286話の後段に書いたように、7月27日の夕方、豪雨→虹、というのがあった。気象統計情報の練馬アメダスによると、1時間最大雨量は、17:43の4mmとあるので、数字的にはそれほどではない。冠水に至らないのももっともではある。ただ、二重に虹が架かったことからして大気中にそれなりの水分があったことは確かだろう。

*2008年と2009年の「7月27日比較」は、この画像の通り。左下:2009年、虹が出る前の西の空。右上:2008年、雷雨後の紅い空。

 衝撃的だったのはそれから2週間後の2009年8月9日から10日にかけての雨である。この簡易記事でもレポートしたが、報道で見るのと同じような冠水がごく近所で起こったのである。(17時頃から滝のように降り、17時半には写真(左)のようにすっかり冠水) 練馬アメダスの1時間最大雨量は、9日が9mm(17:28)、10日が51mm(07:34)とある。9mmで冠水するとは思えないので、筆者地元ではこれとはまた大きく異なる数値だったのだろう。局地的、というのがよくわかる豪雨である。

 赤羽駅西口の商業ビルは地階が水浸しになり、負傷者も出た。エスカレーターは当然のように休止中。

 入口にはこうした貼り紙も

 8月10日も一部地域では大雨が続き、列車も運休


 2009年は、冠水もあれば台風もあった。象徴的だったのは、10月8日に直撃した台風18号(→参考だろう。

 台風一過で晴れ上がってはいるが、神田川はこの通り、かなりの水位に(御茶ノ水橋から聖橋方面を撮影)

 台風の影響で東京近郊のJRはどこも運休か遅延状態になった

 この日は朝からバスの振替乗車にお世話になったり、午後は「エコマーク20周年記念講演会」を聴講するため、御茶ノ水から渋谷に移動するも、これまた運休ばかりで思うに任せなかったり、散々だった。(辛うじて走っていた中央線快速で向かう途中に撮った動画がこれ。各駅停車が走っていない、ということは駅ホームに人はいない...撮ってみたらその通りだった!という一作。昼間に誰もいない駅を撮る、というのは封鎖でもしない限り、普通は無理だろう。)


7月13日 17:17の発令状況。無色なのは1都6県のみ。 さて、今年はどうかと言うと、台風がさっぱり来なくなった代わりに、前線停滞、湿舌、暖湿流、あとは気圧の空白域での急な雲の発達(というのをどこかで聞いた)などで、列島各地で水や土砂の被害が相次いでいる。今週も「大雨と雷及び突風に関する全般気象情報」(→が毎日のように出され、冠水や土砂崩れの様子が場所こそ違えど似たような光景として映し出されている。

 そんな7月に入ってからの冠水の一例として大いに注目を集めたのが何を隠そう東京都北区である。7月5日の20時半過ぎから、北区は大雨に。雨音からしてそれほどでもないと思っていたら、近所の製紙工場ではいつしか水かき作業に追われるなど、昨夏の冠水騒ぎに近い事態になっていた。道路が水没するには至らなかったので、タカを括っていたら、その夜の報道番組を見て仰天! 石神井川の定点カメラ(板橋区仲宿50番地付近)が怒涛の如き増水を記録していれば、北区堀船界隈の明治通りは400mにわたって通行止め、付近の集合住宅では住民が孤立、川に近い倉庫では従業員が缶詰状態、川からはコイが陸揚げ等々、凄まじいことになっていたのである。

 旧中山道の元祖「板橋」から撮った石神井川。普段はこんな具合。

 その板橋の近くに設置されている話題のライブカメラの画像(見本)

 こういうことがあると現場に向かうのが筆者の性分である。自転車で行けない距離ではないので、7月6日の朝(大雨から13時間後)、当の明治通りに行ってきた。

 沿道では、後片付けに追われる商店や会社を多く見かけ、集合住宅では拭き掃除やゴミ出しが続けられていた。歩道や公園は泥が生々しく残り、普段の姿に戻るにはまだ時間がかかることを思わせた。都市河川の急な増水は脅威。それを知らしめる実態がそこにはあった。

 以下、画像紹介形式で局地的豪雨後の様子を綴る。予防的な観点で参考にしていただければ幸いである。

 溝田橋から尾久方面を撮影。通行止めになったのは道を下った先。

 タクシーが動けなくなった映像は、信号の少し先(中古車販売店の前)に当たる。水は引いたが、路面にはまだ泥が残る。

 水圧のためか、ブロック塀が見事に倒れていた。ここも泥が生々しい。

 ブロック塀の隣のビルでは、窓ガラスが大破していて危険な状態。かつてはコンビニだったが、撤退後につき今はテナント募集中。稼動していなかったのは不幸中の幸いと言えそうだ。

 東王子公園も水に浸かった跡が見てとれる。報道陣も取材していた。

 町会会館事務所はひっそりとしていた。地図によっては「町会災害対策本部」と出ている。冠水時に出番があったかどうかは不明。

 どういう置き方になっていたのかはわからないが、仮に木製パレットの上に段ボール箱を載せた状態で水が来たとすると、結構な水位になっていたことがわかる。濡れた箱が痛々しい。

 都電荒川線が冠水で立ち往生したとは聞かなかったので、どうやらここまでは来なかったようだ。(梶原駅付近)

 溝田橋から400mほどに位置する北堀船郵便局は「浸水のため営業を停止しております」とのこと。この時はATMを点検していた。

 町会事務所の斜め向かいにあるポスト。収集時刻の紙を見て絶句してしまった。この高さまで水が来たとは思えないが、少なからず泥が付着したことがわかる。

 この交差点もどことなく泥々している。(東京書籍本社、堀船公園、堀船歩道橋のある辺り)

 引越しの途中のような光景が沿道各所で見られた。

 住民の身動きがとれなくなってしまった場面が報じられたマンションの前。冠水はすでになかったが、泥を洗い流す作業が続いていた。

 石神井川の蛇行部分と倒壊したフェンス。水の流れと勢いがわかる一枚である。右の駐車スペースは、被害額が大きかったとされる倉庫敷地の一部。

 溝田橋から倉庫側を望む。フェンスに張り付いた漂着物が水流の猛威を物語る。

 「北区洪水ハザードマップ」を引用し、アレンジしたのがこれ。被害があった場所が概ねわかると思う。青い線で囲まれた箇所は、かつて「内水氾濫」があったとされているが、避難場所がその周辺にないのが気に懸かる。(防災マップには載っているのだが...)

 7月5日豪雨の被害のまとめは、板橋区では、道路冠水:16件、浸水:189件(床下28件、床上123件、他38件)、土嚢要請:126件と発表されている。気になる北区はと言うと、これが不詳。速報値のようなものを見た覚えがあるのだが、区のホームページを見ても今はどうも見当たらない。こういうことは水に流してしまっては困るのだが...

 ちなみに7月の練馬アメダスは、12日までで以下のような概況になっている。

7月9日の雨はすぐに収まったが、水溜りはこの通り 当の5日は、1時間最大69mm/10分間最大19mm。2009年8月9日のそれを凌いでいる。7月9日も一時的に猛烈な雨が降ったが、1時間最大20mm/10分間最大6mm。5日よりは少ないものの、他の日と比べると際立っているのがわかる。降水量の詳細は、左下画面の通りだが、奇しくも5日と9日の10分間最大を記録した時刻が、19:56と19:54となっている点が興味深い。早めの帰宅を推奨するかのような時間である。

 練馬 2010年7月[詳細(降水量)]より

 こっちは所沢の降水量詳細

 参考までに所沢での同じ画面を出してみた。7月5日は17:55に16mm(10分間最大)。豪雨の雲が所沢から練馬に移動してきたことがわかる。ただし、移動の範囲は実に局地的だった。さいたまアメダスでは、17:49に4.5mm。所沢と同じ頃合だが、それほどは降らなかったのである。

 「主な要素」の中には、風向・風速もある。7月12日は未明から大風が吹いていたが、それをしっかり示す数値が出ている。最大瞬間12.9m(04:48)! だが、結局この日は一日中強い風に吹かれ通しだった。局地的豪雨に強風...5日から12日の1週間は晴れたり降ったり吹いたりで、人々に何かを問うような気象ウィークであった。(波乱含みという点で、選挙に通じるものを感じる。)

 台風は来なくとも、局地的豪雨は今や必然。雲が黒くなる、急に冷たい強風が吹き始める、今いる場所が都市河川に近く、しかも窪地、そんな時は速やかに移動(避難)するのが良さそうだ。水の涵養能力を失くすような形で都市化を進めてしまった以上、自衛するしか手はないだろう。無事に夏を乗り切りたいものだと思う。

  • こちらもどうぞ...⇒ 雨水に関する話題

第47話 豪雨と増水 / 第210話 べからず集「傘」 / 第218話 浸水想定深を探る / 第237話 07年07月07日〜川の日の過ごし方(文花、向島、浅草)

 

第308話 約8年ぶりの献血(2010.7.1)

 1988年の誕生日に行ったのが最初で、その後は年に3度ペースで200mlに協力させていただいた。趣味という訳ではなかったが、同じ会場で続けてということがなく、最初の新宿の次は、世田谷区民会館、大学の献血会、馬事公苑(リサイクルフェア)、羽根木公園(梅まつり)、再び大学と続き、常設の会場に戻ってきたのはこの次の新宿までない。8回目は、1990年の2/14、広尾の「赤十字血液中央センター」に出向き、いつものように200mlに協力し、日が日だったのでティラミスチョコをいただき、ご満悦だった(若かりし)筆者である。今でこそ、アイスクリームが当たり前になっていたりするが、当時は飲み物オンリー(しかも一杯?)だったので、回を重ねる中で学習し、こういうのに狙いをつけて献血するようになっていたのがわかる。同年2回目、通算9回目は、新宿東口に停まっていた献血バスで、初の400mlにチャレンジ。当時の「献血手帳」は、200mlで1回のカウントとなるため、回数の割には手帳が更新されるペースはゆっくりだった。が、400mlだと2回分である。この時、通算回数で10回となり、晴れて手帳更新。銀バッジと賞状などもいただいた。

 こういうのでハズミがつく場合もあるが、この頃から400ml献血が力説されるようになり、逆に引き気味に。1992年からは基本400mlで臨むには臨んだが、年3回から2回に減った。(それでも総量では上…200×3 < 400×2 である)

 11回目以降は、この記録の通り。

 真新しい都庁の献血ルームで400、職場(武蔵小杉)での献血会で400と経て、新しモノ好きの筆者は1992年10月に渋谷で血漿、1993年1月に有楽町で血小板と新ジャンル(成分献血)にもトライ。この新ジャンル、その負荷加減からか200ml3回分相当で、これで一気に通算20回を達成し、金バッジ等々をいただいたのだった。

 そして、21回目以降は、

1993年
新宿西口限定? Active Donor Card(400ml×3回で何かがもらえる)5/5 久々の新宿で「400mlキャンペーン」に乗じて協力、9/17 職場

1994年
1/15 出張明けで午前中は猊鼻渓を観光し、帰京後、池袋西武の献血ルームで400、7/7 午前休暇日、有楽町で献血してから出社

1995年
1/4 できたて(1994年12月開業)の練馬高野台駅を見に行くついでに、池袋西武で400。めでたく通算30回となり、金色特別バッジとテレホンカード等をいただく

 といった具合。東京モノローグを始める前は、ちょくちょく献血に行っていた訳だが、30回を達成し、ひと区切りついたこともあり、1994/8/25に職場での献血会に参加してからはブランク状態になる。この時すでに400で2回分というカウントはなくなっていたことから、協力意欲が少し萎えた、というのもあったようだ。

(参考:左から、銀章、金章、金色特別社員章)

 という訳で、この次は通算33回目ではなく、32回目となる。2002/8/12、実に久々に新宿西口を訪れるも、久々過ぎたのがよくなかったようで、筆者の献血手帳はここで二重登録状態に。かつての献血手帳の番号体系(献血者コード)が4−6−1の桁区切りだったのに対し、この時の手帳は、2−8の10桁。11桁時代の手帳を持参していれば問題なかったのだろうが、かつての献血歴を引き継ぎ損なってしまったのだった。

 そんなこんなでまたしても長期ブランク期間に入る。これまで献血話が出てこなかったのは、単にご縁がなくなってしまったから、ただそれだけのことである。

どうしても代々木アニメーション学院の方が目立ってしまうが、これも策のうち? とは言え、近年の献血ルームでのサービス向上は噂には聞いていたので、とにかく一度行ってみようとは思っていた。5月の日曜、ひょんなことから有楽町の献血ルームを見物する機会があり、事前シミュレーションができたこと、そして大事にしていた献血手帳一式が最近になって出てきたことから、一念発起して出かけることにした。めざすは比較的新しい一室、「アキバ献血ルーム」である。(今は予めイベント情報などがホームページで確認できるのでありがたい。木曜の午前中が良さそうだ、ということで、6/24にした。)

 有楽町で多少は頭に入れておいたつもりだったが、約8年ぶりの献血は、新鮮だったり手間だったり、思うところ多々だった。

 以下、かつての状況と比較しながら綴ってみようと思う。他の献血ルームでは多少違う点もあるかも知れないが、アキバではこうだった、ということでご参考まで。(ホームページでの案内は、この通り。アドレス中、'current'というのがあるが、これは「流れ」を直訳したせい。言わずもがな、こういう時の「流れ」は'flow'だろう。血液に関する話だけに、流れはよくしてもらいたいものである。)


1.受付

 献血手帳があれば、本人確認も何もなく、簡単なQ&Aの後、さっさと問診に移ったものだが、今はいい意味で厳重になっている。今回新たに「献血カード」を発行してもらったので、今後はカードを提示し、暗証番号を入れればそれですぐに手続きに移れるが、筆者のような久々献血者は、初期設定がいろいろと必要。献血手帳の履歴を移行し、暗証番号を設定し、各種郵送物の送付是非確認等があった。献血に際しての予備的な質問としては、重要事項関連の他、「朝食を摂った時間」「睡眠時間」もある。これらを経て、ようやく受付OKという感じ。意外と時間を要する。200ではなく400で、というのを強く推奨されるのもこの場面。自ずとやりとり(問答?)が多くなる。(とりあえず二重登録状態が解消されたのは何よりだった。11桁手帳からは履歴、10桁手帳からは住所等の最新情報、双方がリンクし、献血カードに取り込まれた格好である。)

2.ロッカー

 そう言えば、以前はロッカーとかなかったような... 美術館などと同じ、百円硬貨を入れて施錠し、使用後にまた硬貨が戻るロッカーがあり、この段階で荷物を預けることができる。

3.電子問診票

中央から右に3台並んでいるのが問診機(仮称) 受付後はすぐに医師による問診(兼「y/n」チェック)、というのが記憶している手順。今は受付をすると問診票が出力され、それをタッチパネル式の問診機(というのかどうか?)にセットしてから、パネル操作すると、yes or noがマーク(印字)&出力されるようになっている。これに署名し、医師の問診へと進む。

4.待機(飲み物+血圧)

 面接式問診の前に少々待機時間がある。かつては、この時点で飲み物をいただくことはなかったが、今は飲める。まずはアクエリアスで潤す。血圧はセルフ測定で、確かこの待ち時間に測った(と思う)。

5.医師による問診

 献血者が少ない場合は、すぐにお呼びがかかると思うが、この日は先客が少なからずいたので、何分か待ってからの問診となった。タッチパネルでうっかり「no」にしてしまったが、海外滞在とは、旅行を含んでいた(住んだことがある、しか見ていなかった)。そうした訂正を含め、問診が行われる。一人にかける時間が長くなるのは当然のことだろう。

6.血液比重等測定

 血圧はこの時の待ち時間だったかも知れないが、少し待ってからいよいよ適性検査とも言える採血による測定となる。8年ぶりというのを重々承知いただき、慎重にやってもらえた。測定採血用は利き腕、本番用は利き腕ではない方、というのは昔と同じ。これは正に「腕に覚えあり」だったので、スムーズだった。ただし、血液比重の結果(適否)が出るまで、また時間が生じる。

7.飲み物

今回は特に飲み物のお世話になった 「久々リスク」を緩和するためか、この待ち時間でも飲み物を勧めていただいた。これはかつてはなかったことである。2杯目は、CCレモンにした。

8.献血

 ここから先は大きな変更はないと思われる。消毒が念入りになったこと、目を通しておくべき注意事項(献血後のお願いetc.)が充実し、こと細かになったこと、くらいだろうか。それでもブランクの長さは誤魔化せず、うっかり肘を上げそうになり、注意喚起されたり、途中、顔色が悪くなっていたようで、余計な心配をさせてしまったり、すんなりとは行かなかった。目安としては10分だったが、腕時計で見た限り、10:38開始、10:50終了、といったところ。それなりに時間がかかっていた。(-_-)

 いま一つペースが上がらなかったのは、消毒していよいよ献血、という時にお隣の献血が終わり、間延び状態になった(要・再消毒)こと、注意書きの中に、献血後の電車を待つ場所の注意まで書いてあって恐々としてしまったこと、もありそうだ。太めの針と脅かされていた割には、全く痛みは感じず、吸引時の機械の振動が針に来ることもなかったのは、せめてもの救いである。

 経験者の割には初心者のような状態だったことは、献血終了後、その場で測った血圧の値にも表れた。手首での測定、というのもあるようだが、最低血圧90! 普段は70前後というのを考えると、どうにもおかしい。改めて測ったら平常値に戻っていたので、献血を終えた後も緊張状態が続いていたようだ。

 こうなると立って歩けるのかどうかが懸念されるが、何事もなく、むしろ拍子抜け〜となる。注意書きには、転倒リスクを避けるため、「すぐにしゃがむ可し」などとあったが、今回は要らぬ心配となった。この調子なら、また定期的に来れそうだ。

9.休憩(採血番号テープ回収、献血カード返却、飲み物)

 水分補給は入念に、とのことだったので、コーヒー系を飲み比べすることにした。まず「牛乳屋さんの珈琲」を美味しくいただいていると、係の人がやって来て、採血番号を打った紙テープを外してくれる。(このテープ、いつ巻いてくれたのかいま一つ覚えていない。)(^^; その採血番号のシールを貼った確認書とともに、「献血カード」もこの時に渡される。木曜午前中の献血者は、「A・MOKU協力者」ということで、プレゼント(この日はハンドソープ)もいただけるが、「次回は○月○日以降OK」といったご案内も漏れなくついてくる。「協力者は顧客」といった意識が昔よりもかなり向上していることを大いに実感した。

(献血手帳に比べ、献血カードは小さめ。カード裏面には、2−8桁の番号、氏名、回数、直近3回分の記録、次回献血可能日が印字。)

 今後はカード一枚あればいい、という説明とともに、「これまでの手帳は処分してもいい」とも仰る。わからないでもないが、筆者としては「そんな〜」である。「いえ、きちんととっておきます!」と断言させてもらった。これで少々強気になり、しばらく居座ることになるのだった。ありがた迷惑とはこのことか?

10.止血ベルト返却

 飲み物を合計4杯いただいたところで、利き腕でない方に巻きついていた止血ベルトを外す。これでロッカーから荷物を引き上げれば、通常はおしまい。だが、せっかくのイベントデーである。易々と帰る訳にはいかない。

11.木曜イベント

 アキバ献血ルームでは、木曜の10〜13時、「ハンドヒーリング」なるものを無料で受けることができる。献血をする前にこれを受けると検査値が良くなりそうだが、終わってから受けるのはそれはそれで理に適っている。時折、温度を感じたり、反射的(非自発的)な姿勢矯正があったり、少なからず効果を感じることができた。ありがたや×2である。

12.再休憩

 どうぞごゆっくり〜と言われていたので、お言葉に甘えて長々とくつろがせてもらった。ここアキバは、コミックなどが豊富なのが特長。ごゆっくりできる環境が整っているのである。あいにくコミック派ではないので、パラパラとやってたのは10分程度。それでも、かれこれ2時間近くが経っていた。過去との比較で言うと、「長時間滞在ができるようになった」というのが最たる変化かも知れない。


 かくして、新式の手順をクリアするとともに、長年のブランクは解消された。サービスの向上をあまり享受してこなかったという点ではもったいなかったが、今後はホームページ等チェックの上、せっせと出かけようと思う。

 さて、7月からの1カ月間は、献血キャンペーン「愛の血液助け合い運動」がある。こういうのに乗じると何かしらいいことがありそうだが、筆者は最短で8月下旬以降(成分献血)なので、さすがにNG。秋になったら、アキバにあるもう一つ「akiba:F献血ルーム」に行くか、リニューアル後の有楽町に行くか、になるだろう。大いなる発見があったら、またレポートしようと思う。

  • よもやま話

・指し示す方向が...

 秋葉原駅電気街口を出ると、工事中の壁の前で、献血ルームの案内板を持って立っている人がいる(いない時もある)。アキバ献血ルームは改札を出て右に進むのだが、この表示の通りだと、左に行くことになってしまう。よほど指摘して差し上げようと思ったが、ツッコミを期待してあえてそうしている可能性もあると思い、看過することにした。だが、よくよく考えたら「akiba:F」は左方向。決して間違いではなかったようだ。

・新しく血をつくる意義

 まとまった量の血液を体外に出す、というのは文字通り読むと怖い気もするが、新しい血液を作り出そうと体が動く(+血液がリフレッシュされる)、という点で意義は大。仮に輸血で使われるにも、同じ人物からのまとまった量、という方がリスクが抑えられるため、いいんだとか。400ml献血が推奨される所以である。(こういう話をもっとホームページ等でアピールすればいいのに、と思う。)

・正午前は待機ゼロ

 午前中に行くといい、というのが浸透しているせいか、正午前になったら、待機する人がいなくなってしまった。つまり待合の場には筆者がいるばかり。結果、帰り際には受付の方々、ヒーリングの先生、皆々に声をかけつつ、一礼して出ることに。変な気分だった。

 


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