第47話 豪雨と増水('99. 8.15)
熱帯低気圧が近づいていようなどつゆ知らず、ふだん通り自転車で夜道を走っていたら、さあ大変。8月の13日の金曜日というだけのことあって、不意の大雨に降られてしまい、さんざんだった。仕事が押していたため、致し方ないのだが、あと1時間、いや30分早く帰途に着いていれば、と悔やまれる。傘があっても、滝のように降られては役に立たない。明治公園近く、ホープ軒のあたりから新宿に抜ける「千駄ヶ谷グリーンモール」の坂道はすでに川のような状態となり、怒涛の雨水をタイヤでかきわけて上っていく様は、まるで鮭や鮎の遡上である。ペダルを漕ぐ、即ち接地していないため、靴が濡れずに済むのはよいのだが、新宿駅にたどり着いた時には背中と膝のあたりがぐっしょりだし、何とか傘でしのいだつもりのカバンも、さすがに前の方は湿りきってしまった。やれやれ。(x_x)
どうも一番激しい時間帯に自転車に乗っていたらしく、帰宅してしばらくしたら、すっかり雨脚が弱まったのには拍子抜けしてしまった。しかし、さすがは熱帯低気圧。何だかんだで、また断続的な豪雨が続き、寝しなには雷鳴と稲妻が覆う始末。一瞬明るくなるものだから、なかなか寝付けず、やれやれ続きである。雨脚があんまり強いので、マンション共同廊下から荒川・新河岸川を眺めると、すでに水嵩が増していて、スリリングなことこの上ない。稲光で一瞬明るくなると、川の濁流が見えて、ますます興趣?!をかきたてられるが、なにぶん深夜なので、ひとまず引き揚げる。明朝はどうなることやら...。
明くる日、8月14日。雨はまだまだ激しく、外出の予定を考え直す必要に迫られるも、ともかく出かけることにする。玄関から見る荒川・新河岸川は、上流からの雨水を集めて案の定の迫力である。だがまだまだ、堤防を超えるほどの緊迫度はないから、安穏と眺めるばかり。しかし、エレベーターを降り、地上に下り立つと、さすがに安穏としてはいられず、たたきつける雨粒、はけきらない道路上の水たまり、時折吹き付ける横殴りの風などに面食らう筆者であった。何とか最寄り駅まで着き、その後の日中の行動には大きな支障は出ず、何とか無事に帰宅できたので良かったが、池袋駅でのアナウンスでは、高崎線・宇都宮線が河川の増水で運転見合わせ。帰途に影響は出なかったが、筆者利用の埼京線も下りは大宮止まりで、大宮から川越まではやはり運転見合わせということだった。(指扇と南古谷の間は、荒川を跨ぐ長大な鉄橋があって、強風時や大雨時は必ずと言っていいほど、その区間を中心に不通になってしまう。昔はディーゼル列車が走る線区だったから、鉄橋と線路の路盤がまだ電車仕様になっていない(近代化していない)んじゃないか、と訝ってしまうのであるが、安全優先で考えるともっともだとは思う。)
高崎線と宇都宮線を止めてしまう、→ということは埼玉県以北の関東北部がまだまだ豪雨らしい、→となると埼玉に降った雨水を集めてくる荒川・新河岸川は今ごろいったい...? 自宅にまっすぐに帰らず、駅の下の橋から新河岸川をまず眺めに行ったところ、思わず立ち尽くしてしまった。仮設の船着き場も遊歩道も水没してしまっていて、堤防の上限まであと2~3メートルというところまで水位が増しているではないか。つまり、あと2~3メートル増えれば、水が溢れ出し、筆者の近所が水浸しになってしまう、ということになる。川の流れは比較的緩やかではあるが、タイヤや材木が流れているのを見るにつけ、上流ではどうやらとんでもないことになっているようだ。こうなると荒川の方も心配だ。暗くなっているので、詳しくはわからないが、今朝眺めていたのとは明らかに違う姿の荒川が横たわっていた。対岸の川口市街の灯りをほのかに反射して白光りしているので、雪が降り積もったような見え方になっているが、要するに川口側の河川敷は全面的に水没。手前の赤羽ゴルフ場や運動場も大半が水に浸かっている状態である。本稿を書きながら、途中経過を見に行っているのだが、荒川の方は刻々と浸水が進み、ゴルフ場を埋め尽くそうとしているんだから、おそろしい。不思議と流れが止まって見えるから、湖が出現したかのようである。新河岸川は少しずつではあるが水位が下がって来ているようなので、峠は越えたものと思われる。何はともあれ、雨はまだ続くようだから予断は許さない。明朝の状況をしかと見届けないといけなかろう。
ゴルフ場が水没したのは、3年前の台風の時以来のような気がする。新河岸川がこれほどになったのも、同様に3年前以来だろう。水位が下がった後に残るのは、さて何か? それは上流・中流から流れ込んできた塵芥や漂流物である。人為的なものではないので、どうしようもないが、例えば遊歩道の柵やロープに、枝葉やビニール片が絡まるのはもちろん、結構大きな板切れが打ち上げられることもあるから、厄介である。(筆者がかつて、等々力に住んでいた頃、嵐の後の等々力渓谷を見に行った時がそうだった。) 荒川クリーンエイドでは、ゴミの分析をする際、どんな場所でどんなゴミが落ちていたか、についても調べるが、どんな捨てられ方をしたのかについてもつきとめておくことになっている。多くはその場で意図的に捨てられるものとわかるのだが、このように大水があった場合などは別の場所から漂着することも有り得る訳である。川に運ばれて流れ着く塵芥の類は、いくらその場でゴミを捨てないよう啓発しても説得力に欠けるが、仮に上流・中流の河川敷などで捨てられたものが流れ着いたとするなら、その漂着物をきちんと分析すればいい。それが人為的に捨てられたものとわかれば、大いにアピールする価値もあると思う。
大水の後でクリーンアップをしていたら、二次的な大水が来て流されてしまった、なんてことになったら、美談では済まない。そうならないよう重々心せねばいけないが、とりあえず様子だけは見に行ってみようと思う筆者であった。
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