第73話 間伐作業(2000. 9.15)
☆おかげさまで「東京モノローグ」、4年目に突入です。
荒川クリーンエイド・フォーラムの委員をやっている都合上、やはり荒川の源流はこの目で見るなり、直に触れるなりしておく必要があろう、とわかっていながらも、正直なところなかなか行く機会がなかった筆者である。9月11日からは台風14号に刺激された前線の影響で東海地方を中心に記録的大雨となり、災禍をもたらしたが、その影響を受ける前の土曜・日曜に出かけられたのは、本当に幸運、というか何かの思し召しだったようにさえ思う。埼玉県にありながら、群馬・長野・山梨・東京に囲まれた県境の、そして川の道・山の道が行き交う村、大滝村をようやく訪ねる。荒川クリーンエイド・フォーラム主催、その名も「大滝村セミナー」である。ここで荒川の水源の話や三峰神社のことを書こうものなら、随筆にとどまらず、○○紀行のようになってしまうので、今回はグッとこらえて?!二日目午前中に作業体験した間伐について記すことにする。
宿泊したのは埼玉県立 大滝グリーンスクール。この裏手の山林がその間伐体験のフィールドである。わりとラクな作業のように聞いていたので、安直にも半ズボンで臨んだら、とんでもない話で、結構急峻な斜面、かつ枝葉の茂みがところどころ深くなっているような林地だったので、足場が安定せず、下りるのにのっけからひと苦労である。下りきってようやく一息つく。この日は朝から好天だったので、木漏れ日が差し込む感じが心地よい。ふと見上げるとどれもそれなりの高さの杉木である。その木の枝もそれなりの高さのところまで削ぎ落としてあるので、見上げない限り(通常の視線の範囲で)は柱に囲まれたような感じである。見渡す範囲では、さていったいどれが間伐材で、どれを切り倒すのか、皆目見当がつかなかったが、いやはやそのそれなりの高さの杉(直径20cm、樹齢40~50年!)が間伐対象、というから驚いた。筆者はこの時まで、さほど年数の経っていない低木を間引きする=間伐 と大きな勘違いしていたので思わず絶句、である。ヘルメットにナタ、そしてノコギリが各自にあてがわれたので、イヤな予感はしていたのだが、ここからは実に重労働である。初心者なのでちゃんとわかっている訳ではないが、この時教わった手順を記憶の限り書き出してみようと思う。
- 残す木と伐採する木を選別する。
これまでに何本も伐採された後なので、一から手をつける場合とは異なると思うが、それでも育てる木とそうでない木はあって、例えばちょっと幹が傾き気味なものは伐り、隣り合う木で比較して、より枝振りがいい方を残すといった感じで、間伐対象が決まっていく。 - 間伐する木の相応の高さにロープをかける。もう一方のロープの端は、上方でつなぎ止める。
予め長めのロープを用意し、大きめの輪をかけて幹にかける。長い枝や尺などでその輪を人の背丈よりもずっと高い位置に持っていったら輪を縛る。この時の輪の作り方・結び目の作り方は説明しにくい(というか呑み込めなかった)ので省くが、ともかくロープを括り付けておく。一方のロープの端は斜面の上の方でキープしておき、間伐する木が倒れそうになるまで、ひとまず手頃な木の幹に結わえておく。 - 「受け口」
倒れる方向に対し、地面から高さ20cm程のところに、まずはノコギリで3cmばかり水平に切り込んでいく(_で示す)。その切り込んだところの線を下辺にして45°角(/←この角度)で、今度はナタで削り込んでいく。_の3cmの切り込みに/が加わって、受け口/になる訳だが、ナタを扱い馴れていない筆者はえらい苦労して"/"が保てるよう作業を続けた。とにかく目標とするところにうまく入っていかないのである。ナタで削り出すと木片が生々しく、痛々しく、どうも心情的に引け目を感じて作業が捗らなかったのかも知れない。 - 「追い口」
受け口ができたら、今度は反対側(倒す力をかける方向)に切り込みを入れる。この時、受け口よりも15~20cm程高い位置から切り込みを入れるのがポイント。受け口と追い口は段違いになる。すでに伐採した後の切り株を見ると、確かに階段状になっているので合点がいった。
受け口の開く向きも重要だが、追い口も切り込む角度や水平度などによって、倒れる向きが微妙に変わってくるので、とっかかりから切り進むまで慎重さが要求される。ノコギリでギコギコやる訳だが、慎重を期してゆっくりやってもなかなかうまく進まない。一定速度でテンポよくやれればいいのだが、それは熟達した職人技が必要な領域だろう。しかし職人とてうまく進まない時がある。その状態を「渋い」と称するが、渋い時は、先に渡したロープの出番で、倒す方向に沿って上からロープを引くと、追い口にかかる木の重圧が軽くなって、円滑にノコギリが進むようになる。この渋さの原因は、例えば斜面が南向きの場合、木の上部の枝が南に偏って伸びていたりすると、追い口側に枝が集中する故、その重みが加わることも一つにあると言う。 - ロープで誘導しながら引き倒す。
追い口が順調に進むと、木自体の重さで傾き始める。その頃合いを見計らって、すぐさま上方でとめてあったロープの一端を何人かで支え、人為的に倒れる方向を誘導するのに備える。一度傾き出すとあとは加速度的に倒れてしまうので、予めロープをうまく手繰って、都合のよい位置に引き倒すようにしないといけない。(筆者が3本目を引き倒した際、受け口の角度の加減もあったが、狙い通りの場所に倒れず、ヒヤっとさせられた。ケガや事故にもつながるから、重々注意したい。) - 枝を払いながら、2m間隔で切り分ける。
倒れた根元の部分から、2m間隔になるよう尺棒で計りながら、ノコギリで印しを付けて切り分けていく。印しは他の人が見てもわかるように、実際に切る部分を中央線にして、その両脇に同じように線を付け、|||のようにする。一本線だけだと、何かのキズと見間違えることもあるから、3本線。「なるほど!」である。
根元の方はもともと枝がないから、単に切っていくだけだが、上の方はまだまだ枝が残っているので、枝を付け根からナタで刈り落としつつ、ノコギリで切断することになる。さて、この切断作業もノコギリがちゃんとまっすぐにいかなかったり、倒れた後だというのに、何となく渋かったりで、思うように進まない。仰向けの部分を切り進んだら、今度は反対側(うつ伏せの部分)から切っていって、途中で合流する、という方法で切っていって、やっとこさである。 - 担ぎ出す。
切断作業ですでにお疲れモードの身に追い討ちをかけるような搬出作業が待っていた。上の方の丸太が軽いことを知った時は後の祭り。根元の方は木の形状上、やや太くなっているせいもあって、とにかく重い。3人がかりで何とか運び出したが、そもそも丸太には取っ手なんてないから、運びにくいことこの上ない。抱きかかえるようにして、それなりの勾配の斜面を這い上がっていくのだから途方もない作業である(おまけに半ズボンだし、スニーカーも滑るし)。自身の体力のなさ、根性の乏しさを思い知らされた格好となった。トホホ...(-_-)
若手がこぞって作業したのも関わらず、わりと下の方の木を選んで、切って、運び出したものだから、2本間伐したところで皆ヘトヘトである。若者?!にもキツイ作業と言ったら怒られそうだが。(本稿を書いているうちに、腕やら手の痛みが呼び起こされてしまった。イテテ...)
3本目はチェンソーの力を借りて、一気の作業である。倒した後で、上の方を切断する際に試しに使わせてもらったが、いわゆるアクセルにあたる部分の加減が難しい。切り進む途中でどうしてもひっかかってしまうのだが、ムリにアクセルをかけたところで空回りするばかり。軽くふかせばいい、と言われても、ひっかかるとついムキになってしまうのが哀しい。ともあれ、3本目の切り出しを終えたところで、今回の体験作業はひとまずおしまいとなった。
切り出した丸太の樹皮は面白いように剥がれてゆく。ちょうど栗の渋皮がうまく剥けた時や、ゆで卵の殻が薄膜と一緒にきれいに剥けた時と同じような感覚である。この時期(彼岸が過ぎたあたりまで)は剥がしやすいのだそうだ。樹皮を剥ぐと、実に艶やかで美しい。樹液がしっとりと覆っていて、光沢がある。樹皮の方にも樹液がついていて、杉の匂いがほのかに香る。樹液を舐めたら、何となく甘いような渋いような... 五感を使って木を感じるっていうのはこういうことを言うのだろうか、なかなか得難い体験である。
最後に、間伐体験記念として手頃な厚さで丸太を自分で切って、持ち帰らせてもらった。四苦八苦しながらもチェンソーでバッサリやったので、ノコギリで切るのと違って断面が粗削りである。記念は記念だからまぁよしとして、あとは自分で磨けばいいや。年輪は日が当たっていた部分の間隔が広く、日陰の方ほど密になっている。理科の授業で習った通りだが、こうしてマジマジと見るのも初めてのような気がする。年輪の数を数えると確かに40以上はある。何とも歴史深く趣深い間伐材である。
東京近県にある山林でこの有様、というかここは体験林なので手入れが行き届いている方だと思うが、同じ大滝村でも手が回らない山林は数多ある。日本全体、特に過疎地の山林に目を向ければ、国有林・民有林問わず、手付かずのまま放置されているケースが大多数だろう。間伐を進め、山林を維持するには、間伐材市場を軌道に乗せることも大事だが、その山林の所有者が自覚を以って手塩にかける努力が欠かせない、とこれはセミナーに合流してくれた地元村会議員さんの言葉である。何しろ、30~40年放っておけば、山林がまるごと資金源になる、というバブルめいた幻想を持っている人がまだまだ多い、というあたり、問題の根は深そうだ。高度経済成長期には堅調な木材需要があったろうから当てはまった話である。今はどうか。仮に立派に育った木があったとしてもどれほどの値打ちがつくのか、疑わしい限りである。下草を刈り、適度に枝打ちし、間伐を着実に行い、間伐材の有効利用を確保し、本当に値打ちのある木を育て・残す。それがひいては森全体を守り、その山林に源を発する川を育み、土や水や空気を涵養することになるのだろう。
話は変わるが、日本の割り箸は安価な外材が全体の8~9割を占めると聞く。割り箸そのものに国産材しかも間伐材であることがわかる工夫があるなら、それを使うに超したことはない。しかし、間伐材で割り箸を作る生産性や収益性が高いならともかく、外材で出来た割り箸と価格競争を強いられるなら、分が悪いのは明らかだし、間伐材製品とわかったところで、割高なものを選択的に使ってもらうのは現実性に欠ける感じがする。(もちろん価格競争力がつくまで需要を喚起するのも肝要ではあるが。) 学生食堂では強いて割り箸を使うところが増えているようだが、それは果たして正真正銘の間伐材なのか、間伐材だったとしても、刹那的に使い捨てられてしまうなら、環境保護の精神性を損なうことにならないか、とついぞ案じてしまう。(せめて割り箸からパルプ化する運動(米子の王子製紙など)に協力するならまだわかるが...)
短時間の体験で話をするには僭越ながら、間伐作業は難儀の極みである。難儀したものを安易に使い捨て製品に変えて、使用・消費・廃棄を繰り返せばそれでいいのだろうか。どうせなら多少の労力を割いても集成材化して、家具や建材に変えるなどして、持続性・収益性の高い使途・需要を起こした方がいいのではないだろうか。コストはかかるが、使い捨てにはならないし、精神性も損なわなくて済むように思う。机やイス、床材などを買い替え・交換する機会があったら、間伐材使用のものを選びたいものである。(筆者は、割り箸を使わざるを得ない場面(大皿から取り分ける時・網で肉などを焼く時など)があったら、間伐材とわかればそれを使い、通常の箸を使用する場面では、自前の箸を使うのがベターと心得、ここ10年来実践している。)
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