「アースデイ・フェスティバル in こどもの国」
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「アースデイ・フェスティバル in こどもの国」における環境教育(1998.7.15)

  1. アースデイ・フェスティバルとは

  2. これまでの取り組み

  3. 「アースデイ・フェスティバル 1997 in こどもの国」

  4. 環境教育の意義と可能性


1.アースデイ・フェスティバルとは

 4月22日の「地球の日(アースデイ)」は、民族・国籍・思想・信条・政党・宗派を超えて、誰もが自由にその人の方法で、地球を守る意思表示をする国際連帯行動の日である。アースデイは1970年4月22日にアメリカで行われて以来、その後10年ごとに開催されてきた。1990年のアースデイでは90年代を“地球環境の10年”と位置づけ、毎年フェスティバルが開催されるようになり、1998年で9年目を迎えた。

 1990年、夢の島にて日本最初のアースデイ・フェスティバルが開催された。これに先だって提唱された
「地球を救う127の方法」(注1)によって高まった環境問題への関心を一堂に受け止め、記録的なイベントとなったことは今なお語り継がれるところである。環境団体相互のネットワーク作りのきっかけともなり、国内の環境保護運動に一大転機をもたらした。

 その後、1991年には日比谷で、1992年にはこどもの国と代々木公園でという具合に、フェスティバルは毎年盛り上がりを見せ、
ビーチクリーンアップキャンペーン(注2)等のアースデイを発端とした環境保護イベントも活発に展開されていく。アースデイは、日本における環境運動の一大ムーブメントとして定着が進み、数百カ所の会場で、数十万人単位の参加人員を集める規模となり、市民権を獲得しながら、政治的にも注目度を高めていくことになる。

 こうした流れを受け、1993年はこどもの国での開催の他、全国至る所でアースデイを冠する地域イベントが多数挙行された。1994年には、アースデイ国際交流会と
市民国会(注3)という新たな趣向の催しも登場し、フェスティバルの多様化が加速した。1995年は2000年を一区切りとするアースデイの折り返しとなることもあって、代々木公園を舞台に、震災とアジアをテーマに加え、大々的に繰り広げられた。1996年は再びアースデイ市民国会も開催され、市民運動に根ざした環境法案が数多く討議され、提出された。1997年は、地球温暖化防止京都会議をターゲットにした国内外の市民運動が活性化する。温暖化をテーマにしたフェスティバルが各地で行われ、特に会議開催期間中の京都では、市民団体と政府・自治体そして企業が共同して取り組むイベントも盛んに行われた。新しいパートナーシップが形成されつつあることを示すものだったと言える。

 1992年にこどもの国で始まったフェスティバルは、
環境教育(注4)のイベントとして独自色を打ち出してきた。2000年に向けた新たな展開を期して、こどもの国での恒例の開催に加え、アースデイ神奈川とも連携し、新境地をめざしているところである。

<図1>NEC 社会貢献推進室パンフレットでの紹介記事(抜粋)

(注1)地球を救う127の方法
アメリカの雑誌「UtneReader」での特集「地球を救う133の方法」を現アースデイ神奈川のグループが翻訳し、日本人のライフスタイルにアレンジしたもの。その後、日本版「地球を救う方法」が出版されている。

(注2)ビーチクリーンアップキャンペーン
国際的なクリーンアップキャンペーンを、クリーンアップ全国事務局が主催して日本で広めたもの。水辺のゴミ拾いだけでなく、ゴミの発生源調査も兼ねる。春と秋、年に2回開催される。

(注3)市民国会
最初の市民国会では、様々な立場を代表する方々の参加により、自然・地球市民・将来世代の権利確保のための地球への誓いがなされ、宣言書がまとめられた。1998年の市民国会では、温暖化防止に向けた具体的な行動提言がなされた。

(注4)環境教育
後述「
4.環境教育の意義と可能性」にて詳述。


2.これまでの取り組み

 こどもの国でのアースデイ・フェスティバルを概観すると、下表のようにまとめられる。尚、<図2>はその一部の年のPR用チラシである。

<図2>1995年〜1997年のフェスティバルのチラシ

年次
 @開催日、共催団体
 Aキャッチコピー
 B主なイベント

1992年
 @ 4月19日、アースデイ・かながわ’92 実行委員会
 A「みらいに地球を手渡そう〜こどもとおとなの大作戦」
 B環境教育プログラム、世界の環境破壊パネル写真展、こどもの環境ギャラリー、滅びゆく動物たちの写真展

1993年
 @ 4月18日、アースデイ・かながわ’93 実行委員会
 A「街にはぐくもう 風・土・みどりのあるくらし」
 B環境教育ワークショップ、環境テント、4月の森のコンサート

1994年
 @ 4月10日、エコ・コミュニケーションセンター
 A「環境教育の祭典」
 B環境教育リーダーズワークショップ、環境教育プログラム

1995年
 @ 4月15・16日
 A「地球はみんなでできている」
 B環境を考えるフォーラム、環境教育プログラム、環境テント広場、環境芸術祭

1996年
 @ 4月13・14日
 A「HEART to EARTH〜今、その足もとが地球です」
 B環境教育リーダー研修セミナー、環境教育ワークショップ、環境団体テント広場、エコロジカル芸術文化祭

1997年
 @ 4月13日、アースデイ・かながわ
 A「だれもが地球のこどもです ふせごう地球温暖化」
 B環境教育リーダー研修、環境教育ワークショップ、環境テント広場、エコロジカル芸術祭、環境映像・演劇祭

 次に、過去に行われたフェスティバルの中から、1997年に開催したフェスティバルについてのレポート文を記す。


3.「アースデイ・フェスティバル 1997 in こどもの国」

3.1 開催概要

 当日の来場者は、約11,000人。このうち約3割程度の方々に、何らかの形でフェスティバルへの参加を促すことができた。

 テーマは、東京近郊の他のアースデイイベント共通で、「地球温暖化について考える」とした。環境教育をメインテーマとして毎年開催してきたが、今回はこの温暖化に関するテーマを取り込むために、次の企画を用意した。

  1. 太陽光・風力発電のデモンストレーション

  2. 温暖化の脅威をモチーフにした劇団公演

  3. 気候フォーラム他の協力によるパネル展示

  4. 温暖化に伴う海水面の上昇をこどもたちに伝える環境教育ワークショップ

 「温暖化」を言葉として前面に掲げることはあえてしなかったが、地球環境問題の中で大きなウェイトを占める問題であることを来場者の方々に間接的ながら、伝えることはできた。

 「地球環境保護の意思表示と連帯行動が一層の重要性を増している。目に見える環境問題だけでなく、心の中の環境問題も問われている。」そして、未来の地球をよりよくするために必要なことを、身近なところから考え、そして広い意味での環境教育をより親しみやすく提案するのをテーマとした。

3.2 プログラム概要

1)環境教育ワークショップ

 園内の野草を採って料理したり<図3左>、環境問題を考えるゲームを楽しんだり、木に接し、木から何かを学びとる講座を開いたりと、こどもから大人まで広く参加できる「体感・体験ワークショップ」の数々を実施した。川の汚れる原因を水槽を使ってわかりやすく解説しつつ、温暖化による海水面の上昇を説くワークショップ(3.1[4])は、特に大勢の参加者を集めていた。自然を素材にした工作教室では、紙すきやペンダント作りが行われ、親子で遊び、楽しみながら、自然について考えてもらうことができた。


<図3>左から、野草料理教室、日本海重油事故の際使われたボディスーツ等の展示、ステージでのオカリナの演奏と動物写真パネル

2)環境テント広場

 太陽光や風力発電といった自然から受けるエネルギーのデモンストレーション(3.1[1])を通じて、地球温暖化を防ぐエネルギーのあり方について紹介した。デモと併せて、窒素酸化物(NOX)測定結果である環境監視マップ(3.3参照)を展示した。手作りエコグッズや自然食品販売も行った。

 パネル展示は、温暖化について解説したもの(3.1[3])や
坪田愛華さん(注5)原作「ちきゅうのひみつ」の他、動物たちの惨状をクローズアップした「絶滅しそうな動物たち」、「日本海重油流出事故」<図3中央>、「オーストラリアのこどもたちの紫外線対策」のパネル写真を併設した。こどもの国来場者の大半がここを通り、立ちどまり、親子連れを中心に真剣なまなざしが注がれていた。地域の、そして地球の環境問題について考えてもらえたものと思う。

3)エコロジカル芸術文化祭

 こどもたちの紫外線対策水着ショーや、オゾン層破壊による有害紫外線の怖さを伝えるレクチャーとゲームを用意した。その他には、人形劇、和太鼓やオカリナの演奏<図3右>など。オーストラリアで常識となっているボディスーツ状の紫外線対策水着ファッションショーは、出演者全員がこどもということもあって、盛り上がりを見せた。こども向けのアトラクションやゲームを前面に打ち出し、楽しんでもらうことを意図してイベント色を濃くしたステージは、新境地となり、好評を得た。

4)環境映像&演劇祭

 地球環境映像祭参加作品や、坪田愛華原作「ちきゅうのひみつ」をビデオ化したもの、リサイクルを考える環境教育ビデオを上映した他、2つの劇団による環境問題を考える演劇(3.1[2])を披露した。地球について家族や友達と、語り合う場を提供することができた。

5)特別企画「環境教育リーダー研修セミナー」

 合宿スタイルで十分な研修を行い、翌日のアースデイ・フェスティバルに受講生自身がリーダーとなって、オリジナルの環境教育プログラムを実践するというものである。

 この研修を通して、明日の環境教育をリードする有望な人材がさらに増えることになった。

3.3 窒素酸化物の測定作業

1)実施要領

 事前に神奈川県在住者を中心に協力者を募り、手軽に大気を集められる捕集管を配布した。4月9日〜10日の間で、24時間かけて屋外の大気を各自捕集し、フェスティバル当日に持参してもらった。測定は専用の装置を使い、会場にて即、行われ、結果を神奈川県の地図に貼り出す方法でアピールした。自宅の周囲の大気汚染度を目で見て把握してもらうことができ、成果・反響は上々だった。

2)結果概要

 測定状況はまちまちながら、一斉に測定できた点で一つの価値あるデータマップができた。<図4>に示す。

<図4>窒素酸化物(NOx)測定結果の一部(神奈川県東部)

 幹線道路の近所に住む人のデータが高い傾向がつかめた。全体的には、低傾向の結果となったが、0.040を超える比較的顕著なものも測定された。尚、数値の単位はppmである。

 NOとは、NO、NO、その他、NitrogenOxides=窒素酸化物の総称を指す。N(三酸化二窒素)、N(五酸化二窒素)といったものもあるが、一般的な環境に存在するのは、NO(一酸化窒素)とNO(二酸化窒素)である。

 この時、測定したNOは刺激性のガスで、職業上比較的高濃度の状況に晒されていると、咽喉頭・胸部の刺激痛を伴い、重症時には
肺水腫(注6)を起こす。水に溶けにくいので、気道で吸収されず、肺の奥まで達してしまうので危険とされる。低濃度の場合でも、気道感染症(肺炎・インフルエンザ)に対する抵抗力の低下を引き起こすことがある。

(注5)坪田愛華さん
島根県斐川町立西野小学校6年生の時、環境問題についての担任から与えられた課題を得意な漫画で書き上げたが、その直後、1991年暮れに他界した。「(環境問題について)「私一人くらいはいいだろう」という考え方を捨てて、みんなで協力し合って、美しい地球ができればいい」というメッセージが、遺作となった漫画「ちきゅうのひみつ」には込められている。国連環境計画(UNEP)が世界で環境問題に著しい貢献をした人に贈られる「UNEPグローバル500賞」を1993年に受賞した。

(注6)肺水腫
肺において、血管腔の外に異常に血液成分が貯留した状態を言う。


4.環境教育の意義と可能性

4.1 フェスティバルが考える環境教育

 フェスティバルは企画・運営に関わる実行委員、当日単にフェスティバルに参加するのみの一般来場者、その両者の出会いの場であり、又、環境教育に直に接し、共有する場と言える。それは未来の世代のこどものためのみならず、我々大人にとっても重要な教育の場になり得るのである。

 実行委員として関わるにしろ、当日フェスティバルに参加するのみにしろ、得られる何らかの教育効果とは何か。それはもちろん受け止める人により多様であり、例えば、生涯教育の一環としてであったり、人生観や価値観を考える・見直すためであったり、あるいは、純粋に環境教育を見聞するためであったり、一義ではないことは言うまでもないが、一つ、フェスティバルを通じて社会人、地球市民としての自覚を新たにできるということだけは言い得る。

<図5>環境教育のイメージ

 フェスティバルで考えている環境教育は、<図5>にあるような相互の連関を基本とし、全てを包含するような多様な教育観念を持つものと考える。加えて、環境問題の「環境」を広く捉え、あらゆる事象や領域に対して関心を向けられるようにしておく必要を念頭においている。これはこどものためのみならず、大人自身への教育面からも考えておきたい事柄である。又、環境問題をあらゆる関係性から生じる問題だとするなら、消費者問題、人権・平和問題、教育問題、労働問題、医療福祉問題、等ありとあらゆるジャンルとの関わりから考えることも望ましいと言える。

 全人的な教育とは、つまりお互いに学びあい、お互いを高めあうことから「共育」と称せるものとも言える。これは表面だって伝えるものではないものの、知らず心に残るような教育になっていることを期待するところでもある。

4.2 市民としての参加

 1992年にこのフェスティバルを「環境教育の祭典」として位置付けて開催した当初はかなり斬新かつ異色なものだったと思われる。今でこそ「環境教育」という言葉を耳にすることも増え、市民権を得てきた感があるが、それもこどもの国という場所柄を生かし、ご家族連れ、そしてこどもたちに未来の地球を考えてもらうための環境教育を主体としたイベント作りを毎年心がけてきた結果と言えなくもない。一つの会場全体を環境教育で仕立てるイベントは、今なお国内有数であり、ローカルな扱いながらもマスコミを通じて紹介されることも多いイベントである。1997年は、東京新聞、神奈川新聞、メトロポリタンテレビの取材を受けた他、各環境団体のニュースレター等でもとりあげられている。

 フェスティバルは地球環境に寄せる思いを形にする一つの手段と考えることができる。イベント自体が目的なのではなく、イベントを通じた環境保全意識の昂揚や啓発を自他ともに図ろうとするものである。そこへ市民として何らかの環境保全活動の手伝いをしたい、環境教育を体験したい、より深く学んでみたい、そうした会社員がいつしか募り、その年々のフェスティバルが形作られてゆくようになったとするのが本分である。きっかけは様々だが、寄せる思いは共通である。地球への思いやりを示したい、そして地球社会と調和した自己主体を模索・確立したい、ということなのである。

 企業協賛という形での協力関係が背景にあったこと、そしてフェスティバルへの参加が、社員による社会貢献活動として考えられるようになってきたこと、これはもちろん抜きにしては語れない。しかし、先述した環境教育の精神を学び、それをお互いに活かすイベントにしようと考えるのは、一市民としての活動が原点にあることだけは付言しておきたい。

4.3 各社の環境教育事例

 例えばある企業で社内の環境管理制度を教えるもの=環境教育、という考え方がある一方で、別の企業では、会社員としてよりも、地球市民として、大局的に環境を学び、考えるものを環境教育として捉える例もある。企業でも市民としての環境教育に取り組むようになってきたことを示す、下記はその一例である。

  1. 伊藤忠商事株式会社
     [1]若手社員がボランティアで指導員となり、小中学生向けに夏休み環境教室を開催。[2]全社的に自然保護や環境保全活動への参加を奨励・支援。[3]
    自然観察指導員資格(注7)の登録運動を展開。

  2. 株式会社荏原製作所
     環境貢献褒賞制度により、個人・グループレベルでのボランタリーな環境保全活動にもスポットを当てる。

  3. 株式会社フジタ
     通信教育による環境教育講座の受講を支援。マネジメント教育の一環として明確に位置付ける。

  4. 安田火災海上保険株式会社
    [1]
    環境家計簿(注8)を作成し、全社員に配布。[2]「市民のための環境公開講座」を開催。企業人・行政・市民団体・教育関係者・一般市民の別なく、幅広い受講対象を設定し、相互の交流拡大を図る。

4.4 環境教育がもたらす期待効果

 会社の事業運営や業務の取り組みにも有益な発想が環境教育から得られるとするなら、それは会社員としてではない立場や複眼的な思考を以て、グローバルな仕事を行うことができるようになること。そして仕事に対する考えが、自分自身のためになると同時に、会社のため、地球のためにもなることを念頭に措くという着想が得られる点が挙げられる。

 職場を離れたところで個々人やグループが出会い、交流が進むことで、力を合わせて何かを成し遂げられるのではないか。又、分化分断した社会の中で、横断的なネットワークを通したつながりを取り戻しつつ、社会や自然と調和した活動を自ら実践していけるのではないか。こうした思いや期待を担っている点も忘れたくないものである。

 その他にも、

  • 社員という立場を離れた社会貢献意識の醸成・社会貢献活動へのきっかけ作り

  • 職場環境の改善活動へのきっかけ作り

  • 環境保全活動に取り組むNGO(非政府組織)やNPO(非営利組織)との物的・人的な交流の拡大

  • ボランティア活動の実践という観点からの相互啓発

  • 実際の環境保全・環境測定活動へのきっかけ作り

 といった期待効果を挙げることができる。

(注7)自然観察指導員資格
自然観察会などを通じて、自然と人との橋渡しをするボランティア活動。(財)日本自然保護協会が主催する講習会を受講し、登録申請をする。

(注8)環境家計簿
日々の生活において環境に負荷を与える行動や、反対に環境によい影響を与える行動を記録し、必要に応じて点数化したり、収支決算の様に一定期間の集計を行ったりするための家計簿。


5.「アースデイ・フェスティバル 1998 in こどもの国」

※ホームページをご参照ください。《再掲載》


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