第48話 続・豪雨と増水('99. 9. 1)
前話では8月14日夜までのことを書いたが、今回はその続編、8月15日の朝からの話。
仮に14日のうちに雨が降り尽くした場合、翌朝になれば荒川の水位は前日のそれよりも下がるのが通例である。ところが早起きした15日の朝、筆者は異変を目の当たりにする。水位は下がるどころか、見事に増水していたのである。自宅から見下ろす河川敷一帯、全て水没し、ゴルフ場もサッカー場もない。高さのある木々が少し頭を出すばかりである。JR東北線・京浜東北線の橋脚は数メートル分、表出するのみ。つまりあと数メートル上昇すると、線路が水に浸かってしまうところまで来ている有様。本来の川の流れ(本流とでも言おうか)では上流から流れ漂う枝木の塊が遠くからでもよく見て取れる。これは一大事、と思い、自転車を駆ってひとまず新荒川大橋をめざした。
6時台ということもあって、パッと見は閑散とはしているものの、筆者同様、わざわざ川を眺めに出てきたらしい人がチラホラ。新荒川大橋の側道から荒川を覗き込む人、河川敷堤防の道路から浩々と流れる川を眺める人、それなりの人出である。こちらも早速、橋の中央部までこぎ着けて、川と大水の脅威を垣間見させてもらった。
遠くから目に付いた枝葉や木片の塊が涛々と、そして蛇行しながら流れてくる。それらに混じって、ペットボトル、空缶、食品トレイ、発泡スチロール片といった定番ゴミの数々、加えて、一升瓶、サッカーボール、塗料缶、灯油を入れるポリタンク、タイヤ、畳、ゴザ、トタンの扉などなど、珍品も多く流されており、実に壮観である。工事現場から流されてきたような特殊な工具や緩衝材なども見受けられ、上流・中流もただならぬ状況になっていることが推察される。視察(見物)すること約20分。そのあまりの漂流物の多さに唖然とする一方、このまま東京湾に直行してしまうのだろうか(- -)ムムムと思案にくれる筆者なのであった。(荒川クリーンエイド有志が緊急連絡網を使って出動し、網ですくうなり、流れの緩やかなところや水門で溜まっている分だけでも回収するなりできればいいのだが、この荒れ様ではただ見過ごすしかないのが何とも残念である。)
丸太や切り株、竹木などの自然物も散見されるが、それらはゴミとは言えないから自然の摂理に委ねるべきところ。だが、仮にそれらがどこかの河川敷などに漂着した時、その処理責任はどこが負うか、となると難しい問題である。そんなことも思わず実感してしまうのであった。
橋を後にし、次は堤防の上の道路を走る。堤防の草地やスタンド状になっている階段部分などにも容赦なく水が押し寄せてきていて、結構危なっかしい。防護柵もないから、水深がなければ親水公園のようでいいのだが、いやこれでは「浸水公園」ではないか、などと思ってしまう。泳ごうと思えば泳げてしまう訳だが、さすがにそういう不心得者はおらず、皆、おとなしく川の流れを見遣っているばかりである。
今来た新荒川大橋の橋脚をよくよく見れば、どこから流れ着いたのか、釣り船、いやレジャーボートが座礁しているし、おまけに目前の河川敷グランドの簡易トイレは、土台を失いひっくり返って浮いている始末。いやはやおそれいった。(ちなみに、この時点での岩淵(赤水門近く)の水位は6.3メートル。後で聞いたが、戸田方面の笹目橋では7メートルにもなっていたそうな。)
増水騒ぎから1週間経った21日夜、岩淵の赤水門では、毎年恒例の「ムーンライトコンサート」が開催された。道中、河川敷の水は捌けていたが、例のゴルフ場とサッカー場では、両者を隔てるフェンスが横倒しになった上、網には枯れ枝が絡み付いて、増水の爪痕を身を以って示していた。思えば、ここを歩く頭上を水が覆っていたのだから、相当な水量である。増水した川が一気呵成に襲ってきたらひとたまりもないことがよくわかった。その隣り、ふだんは散乱ゴミが目立つJR線橋脚下だが、見渡すとゴミが少ない。まさか水流がさらっていったとは思えないが、もしそうだとしたら、それこそ脅威かつ驚異である。
新荒川大橋を過ぎて、会場近くの岩淵緑地まで来ると、今度は土が層を成して河岸を覆っていて、旱魃の如くヒビ割れた状態になっている。土が露出した場所などもともとなかったから、これを見た時はまたまた驚かされた。(バーベキュー用の竈が並ぶ一帯もすっかり土が埋めてしまっていて、まるで遺跡の発掘現場のようになっているし...)
コンサート開演前、地元にある荒川下流工事事務所(コンサート主催者)の方から話があった。その昔、明治43年の大水では、流域の150万人が被災。それを受けて、(旧)荒川を隅田川に変える一方、放水路を設け、(現)荒川にする大工事が興されたが、この工事には、実にのべ310万人もの人々が関わったと言う。この工事があった故、先週の増水でも難を免れたことを力説されていたが、赤水門の隣にある青水門が隅田川への水流を抑え、岩淵(赤水門)の水位6.3メートルに対し、隅田川ではその半分の水位にとどめた、というのもあっぱれと感じた。荒川放水路ができて70年経ったのを機に始まったのが荒川クリーンエイド。クリーンエイドが5年目を迎えた今年はつまり、放水路ができてから75年目ということになる。その間、かつてのような水害は発生していない訳だが、こうした危険と隣り合わせであることには相違ない。先だっての豪雨による増水規模は戦後で3番目、という話を聞き、いよいよその思いを強くする筆者であった。記録はいつ塗り変わるかわからない。
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