随筆「東京モノローグ2014」(9−10月期)
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あと15分で皆既月食@御徒町界隈 (月は地球の影に隠れた後、再び元の姿に戻るが、筆者の「ツキ」の方は果たして?) 第411話 その月のツキ

今夏を象徴する掲示物の例・・・「蚊にご注意!」@上野公園 第410話 時事的掲示物

JR貨物の第一種鉄道事業区間だった「北王子支線」。線路を草が覆うようになって久しい。 第409話 北王子支線

今回は東銀座駅のさらに東、万年橋付近からスタート。地下を約3km歩いて、大手町・呉服橋へ。 第408話 地下歩道(東銀座・銀座・日比谷・大手町編)

第411話 その月のツキ(2014.10.13)

 日々を安穏と過ごしていても、月の廻りというか、ツキの流れというか、思いがけず運気が下がることがあるもので、しかも一時的なものではなく、割と長く続いてしまうことがある。今月は第一週はまぁまぁいつも通りだったが、台風18号が近づいてきた10/5(日)から何となく低調になってきて、関東を通過して行った10/6(月)は、身体的にグッタリ。あとはその下がった感じを引きずったまま第二週が過ぎ、週末を迎え、次に来る台風19号に備えているといった状況である。

 6日は、通勤時間帯に台風の影響(遅延・混雑など)を受けることはなく、概ね平均的な所要時間で出社できた。通勤に伴う負荷はかかっていなかった訳だが、午後から徐々に疲労感を覚え、ペースダウン。10月は、鉄道各社のリリースが兎角多い月である。週明けというのはもともと仕事量が多めだが、それに輪がかかった一日だった。台風に伴う気圧や気象の変化というのもあったのだろう。翌朝は普段通りの時間に起床できず、30分遅れの出社となった。(一応、所定の時間内での到着)

 10/6朝、台風による大雨は確かに凄まじいものがあったが、通勤への影響は少なかった。静岡県各所での被害状況は、この後で知ることになる。(8:40頃@赤羽駅)

 これが40分待ちの「豚カレー」。先にサラダやドリンクが出ていたのはまぁいいとしても、リードタイム的にはちょっとどうかと思う。お値段はセットで880円(この日はクーポン利用で830円)。

 その10/7(火)は、13時過ぎにランチへ。神保町駅(靖国通り)と御茶ノ水駅(明大通り)を結ぶショートカットの坂道「富士見坂」の上に位置する古びた建物の三階の某店に行くことにした。建物入口に出ている「豚バル」の看板に惹かれて行った訳だが、これがハズレ。注文した「黒ビール豚カレー」は、お味の方は悪くないながら、これが出てくるのに実に40分近く。先客は4人いたが、1人分作って出し、次を作って出し、という直列作業だったので、長時間待つことに。厨房の狭さからか、調理スタッフは実質1名だった。制約上、何人分かを並行して作れないのはわかるが、それにしてもである。(スローなランチを楽しみたい方にはいいだろう。) おかげで休み時間が少々押してしまったが、前日が昼休みをとったようなとらなかったような状態だったので、トントン(豚だけに?!)といったところ。この一件で、グッタリ感が増したのは確かだが、この程度で済んでよかった、と今は思う。

 水曜日は、前月に行き損なってしまった定期的な診察の予約を取り直すべく、地元の医療機関に寄ってからの出勤。予約が取れたのはいいとして、こうしたうっかりはやはりグッタリにつながる。日中は、相変わらずの仕事ラッシュ(その週のピーク?)で、疲弊度もアップ。そんな折、極めつけの一事が加わる。寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」の運転再開日長期化(予想)と、その関係での旅行会社からの連絡である。

 往路に「サンライズ瀬戸」を組み込んだ旅行プランを前々から準備し、二人用個室「サンライズツイン」も押さえてもらっていて、あとは10/15(水)夜の発車を待つばかりだったところ、件の台風18号のせいで、これがお流れに。記録的大雨により、東海道本線の由比と興津の間で線路に土砂が大量に流れ込み、列車が動かせなくなってしまったという例の話である。筆者は7日時点で、JR東海のホームページ中、「相当期間を要する」と出ていたのを、1週間程度とタカを括っていて、あまり案じていなかった。だが、旅行会社からの連絡に加え、「サンライズ瀬戸」の運行に関係するJR各社(東日本・東海・西日本・四国)の情報が楽観を許さない(または、どれも決め手を欠く)状態になっていたことから、一転。楽観説を取るなら、「10月8日〜13日(始発駅基準)で全区間運休」(「東海道本線 豊橋〜米原」の運行情報 by JR東海)だが、これを「14日以降(一部区間で)運転再開」と読み替えられるかというと、そんな道理は毛頭ない。「10/15も運休? 嗚呼・・・」、そんな落胆がグッタリに追い討ちをかけることになる。

 とりあえず、この日はまだ「サンライズ瀬戸」のキャンセルはせず、保留にしてもらった。翌日10/9時点での各社発表を見て、運休か否かがより明確になってから、という粘りの一手である。

 10/8(水)の夜は、期せずして秋葉原から御徒町までの約1kmを散策することになり、その道中で奇しくも皆既月食を観測することができた。この月食が終わり、「ツキ」が戻れば、サンライズも... そんな淡い期待を抱きながらの月見だったが、月は元の姿に戻っても、筆者のツキはむしろ「尽き」の方で、あえなく断念することに。ラッキーだったのは、月食をしかと見物できたことだろう。

 19:10頃、月の黄色い部分が徐々に減っていくのを撮った一枚

 その10分後(皆既月食5分前)。黄色は減り、月食の赤が覆う。コンパクトデジカメの夜景モード(+ズーム)で撮影(性能限界?)

 ズームを少し落とすとこんな感じ(自分としてはまぁまぁの出来)。このように月にカメラを向けると、通りすがりの人も立ち止まり、俄か見学会・撮影会が始まるのだった。

 木曜日は、旅行プランの最終決定日。通勤途中、駅のディスプレイでは、「13日まで全区間で運休」「14日以降の運転は未定」と出ていて、思いは揺らぐ。とりあえず、往路の代替プランの方は手配してもらったものの、「サンライズ瀬戸」もリミットの20時(旅行会社担当者談)まではキープし、その時間になったら、電話をもらうことに。運転再開に賭けるか、代替で行くかの二択である。10/10になると、どう転んでもキャンセル料がかかってしまうので、どちらかにしなければならない。結局、10/15(水)の夜に発ち、その日のうちに「のぞみ」で岡山へ、さらに「マリンライナー」で高松へ、ということにした。寝台でゆっくり行く時間分を高松での一泊に充てることになった次第である。かくして、「サンライズ瀬戸」の旅は台風18号とともに幻に。第18話で「サンライズ エクスプレス」の題で紹介してから、かれこれ16年余りが経つ。念願の初乗車は、お預けとなった。

「サンライズ瀬戸・出雲号」は(中略)14日以降の運転は未定です...何とも思わせぶりな10/9朝の電光表示

 何はともあれ、数日来のヤキモキはこれで晴れた。10/10(金)は、晴れの特異日でもある。これで少しは運気も変わる?と期待した筆者だったが、大して好転することはなく、仕事量も週明け同様、多め。疲れが抜けない感覚のまま、帰宅した。

※各社の運行情報をチェックするのも仕事のうち。合間を縫って、「サンライズ瀬戸」関連で、JR4社の当該サイトを見比べてみた。情報はなおマチマチだったが、JR西日本が出した運転取り止め期間「10月8日(始発駅基準)〜当分の間」の一文で意を強くした次第。最初からこんな感じで言い切ってくれれば、要らぬ希望を抱くことも、気疲れすることもなかったと思う。

 10/10、JR西日本「寝台列車 運行情報」(抜粋)

 10/10、JR東海が発表した「運行計画について」。ここでは「当面の間、全区間運休」。

 10/10、同じくJR東海の運行情報ページ。東海道本線(豊橋〜米原)では、「10月8日〜13日(始発駅基準)で全区間運休」と、まだ期間を区切った表記になっていた。

 10/10、JR東日本の「在来線特急等列車運行情報」。ここに「東海道方面夜行」というのが出ることはまずない。「始発駅13日発車まで」とやはり含みを持たせる書き方になっている。

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 10/13、同じくJR東の特急等列車運行情報。台風19号の影響が広がる中、「サンライズ瀬戸・出雲号」も末尾に引き続き載っていて、「始発駅19日発車まで」に。

 10/10、JR四国の「列車運行情報」情報。寝台列車という括りではなく、「瀬戸大橋線」としているのがポイント。8日〜13日まで取り止めとしつつ、「相当の日数を要する見込み」を併記する辺りが何とも...

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 10/13、JR四国の瀬戸大橋線情報。こちらも、19日出発まで運転取り止めになった。

 平日5日間がこんな具合だったので、良からぬ連鎖のようなものは断ち切ってから、週末に入りたいところ。だが、それができていなかったばかりに、土曜日はとんだアクシデントを招くことになった。今ここに、その一件を書くのは憚られるので、状況が落ち着くか、何らかの解決が得られるかしてから、必要に応じてお知らせしようと思う。

 10/11、東京駅にて。「東京鉄道祭」のポスター上、10/13開催の「ミニ新幹線乗車イベント」と「東京モノレールイベント」は、台風接近に伴い中止に。

 同じく10/11、その旅行会社に出向き、チケットを交換。幻となった往路、サンライズ関係のチケットなどを引き換える前に撮った。受付番号が「740」(ナシ・ゼロ)というのは皮肉と云うほかない。

10/11夜の時点では、台風19号の関東通過は10/14午前だった。 今のところは、台風19号が早々に去り、10/15からの旅に支障が出ないことを祈るばかりである。今月はまだ半分以上ある。ツキがない月だった・・・などと観念するのはまだ早い。

 

*という訳で、定期掲載日の10/15は旅の途中なので、前倒しにて掲載しました。(前日の10/14も、旅の支度だ何だであわただしくなりそうなので、さらに前倒しにしました。)

 


 

第410話 時事的掲示物(2014.10.1)

 日々の暮らしの中で目にする掲示物、標示物というのは数多くあれど、特に意識しない限り、それらは一過性のもので、記憶に留まることは少ない。それらが恒常的なもので、反復的にそこを通っていれば、記憶には残るかも知れないが、やはり自身に関係する何かがない限りは、強く意識することはない。

 表現に特異性があるとか、誤記や誤用を含めたインパクトがあるとか、個人的に少しでも「?」や「!」を感じる要素があるとか、そうした観点でのまとめは既出の通り。第279話「看板類の誤記・誤用・錯雑など(2009version)」、第315話「ひっかかる言い回し、気になる間違い」、第365話「表現は自由」など、折に触れて紹介してきた訳だが、今回はそれらとは少々異なるまとめになる。見過ごしてしまいそうなところ、何らかの意識が働き、記録として撮っておいた掲示・標示の類である。いずれも一時的、または期間限定で掲出される性格のものだが、それはつまり、何らかのニュース性を伴う点で、インパクトは大きい。一過性が普遍性を持つ・・・そんな逆説的な実例と言える。

 ここ一年ほどのコレクションから、過去→直近の順でご紹介する。

 日頃お世話になっているS大学の学食での掲示。台風26号の影響で、お昼は営業が見送られ、夕方から再開という珍しいパターン。(2013.10.16 13時頃)

 2013年10月は台風が多かった。尾久の「ふれあい鉄道フェスティバル」など、週末の鉄道イベントを中止に追い込んだのは台風28号。(実際は列島を直撃することはなかった。)

 年末年始にかけ、冷凍食品農薬混入事件が明るみに。スーパーではこうした掲示が出た。極めて異例である。

 「この物件は、道路法、道路交通法及び千代田区生活環境条例に違反し、歩行者や車両の円滑な通行の妨害となっています。」で始まる警告の貼り紙つき「物件」。交差点の角にこうしたものを置かれては確かに邪魔だが、警告が目を引くため、宣伝効果もなくはない。

 有楽町駅前のパチンコ店火災から1か月ほど。火災に巻き込まれた形の「モンタナ」と称する店の貼り紙には、「当店が火元ではない」とする一文とともに、1日も早く営業再開する旨、記されていた。印象には残るが、あまり好ましい印象は与えない掲示の例。

 第395話では、2週連続の大雪について書いた。その掲載後に撮ったのがこれ。大雪が続いたため、2/9付の貼り紙がそのまま継続。2/16になってもなおパンは品切れが続いていた。

 これは2/17に撮らせてもらった一枚。大雪の影響で、牛乳の入荷も途絶えた。

 雪と風で、「あけぼの」を含む夜行列車も運休。(2014.2.18@上野駅)

 今年はソチ五輪の年だった。卒業生が銅メダルを獲得したとなれば、こうした掲示は必定。大学としてもいいアピールになる。

 年度末工事の1シーン。環境にやさしいのはいいが、年度内駆け込みということであれば、そもそもその工事の必要性は?となりかねない。お財布にもやさしい舗装であってほしいと思う。

 「ひっかかる言い回し」に通じるものがあるが、ここまで大きく出されると、とやかく云う気も失せる。「熱中症対策」ではなく、「熱中対策」である。熱い中での対策ということかも知れない。

 キャンパス内では、こうした掲示に出くわす。IT化が進んでも、求人票というのはやはり紙&手書き。ただし、職種については時世を反映してか、多様になっている気もする。警備、経理のほか、社労士の補助に、毎日新聞社の編集編成局の事務補助というのまである。

 今年の8/15は金曜日。出勤日だったので、昼休みに靖国神社を訪ねてみた。報道関係者向けの掲示物が出るのは、当日当境内ならではと思う。

 以前は時々利用していた職場近所のさくら水産。行かないうちに閉店になっていて、この通りである。中段に「ご不便ですが、近隣にも〜」とあるが、それを書くなら「ご不便をおかけしますが」だろう。閉店やむなし、といったところか。(筆者が行かなくなったのは、店の出入口に喫煙スペースがあったことと、それが一向になくならなかったことによる。)

 都内から外れるが、吾妻線の川原湯温泉駅での掲示物もここに紹介する。9/24を最後に、この駅を通る列車はなくなり、駅窓口も9/30は休止(つまり最終日)。10/1からは新しい駅舎で営業再開となった。(→参考記事

 神保町の某ロシア料理店では、メッセージボードを店頭に出しているが、この日は錦織選手の労いversionに。ロシアで大会があったというならまだ脈絡はあるが、全米オープンとロシア料理である。「錦織選手とかけてロシア料理ととく、その心は・・・」というのがほしい。(苦しいところだが、「どちらも熱いでしょう」とか?)

 駿河台下交差点近くの某ラーメン店の貼り紙。一時休業のその理由は「人手不足」である。何があったのだろう、と詮索したくなる一枚。(「人出不足」もあったのでは?と)

 デング熱の一件は、上野公園でも。ただし、注意書きにはデングのデの字もなく、単に「蚊にご注意!」どまり。(→参考

 松屋では、イチ押しメニューが出ると「ライス大盛・特盛サービス」が付いてくる。これまで何度となく、このタイプの掲示を見ているが、試したことがない筆者である。

 JR東日本では、新幹線高架の耐震補強工事を展開中。赤羽駅周辺もご多分に漏れず、ブロックを分けつつ延々とやっていて、今は北口のアルカード生活提案館が覆われている状態。このお知らせは、工事が終わるまで貼り出される。

 その工事に翻弄されるように、店舗も閉じたり開いたり。どの店がどうなっているかの案内も含め、貼り紙天国の様相を呈している。

 同じくアルカードにある「てんや」では、「てんやの日」の案内が掲出中。毎月恒例18日に加え、「てん=10」と「や=8」で、10/8も「てんやの日」に指定。むしろ、そっちが本家のような気もする。


 第398話のように、その話題に沿った形で掲示の類を紹介することもあるが、そうした特定の話に結びつかないものを集めてみたらこうなった、というのが今回のまとめ。今後も鋭意蒐集し、時にご紹介しようと思う。

 


 

第409話 北王子支線(2014.9.15)

日本製紙の倉庫と有蓋貨車「ワム」 その存在を知ったのは、第153話よりも前、少なくとも2003年8月に遡る。王子界隈を自転車で走っていた際に通りがかったところ、折りよく踏切が鳴り出し、短い貨物列車が通過。廃線か何かと思っていた筆者は、その線路が現役であることを知り、大いに驚いた訳だが、その時も、その後の「北区踏切事情」(第153話)の実地調査の時も、まだ大した興味はなかった。路線名や正確な区間もろくにわかっておらず、その名称が「北王子支線」であることを知ったのは、しばらく経ってからで、当「東京モノローグ」に「北王子」の名が出てくるのは、やっと第388話第398話である。

 京浜東北線乗車中に北王子支線に停車中の貨物列車に遭遇!(2014.2.11)

 北王子支線の現役列車を見かけたのは、これがラストになった。非電化区間なので、機関車はディーゼル式。(2014.2.11)

 王子駅ホーム南端にて。廃止の正式発表が出る前に撮った一枚。手前は京浜東北線南行の線路、その左隣が北王子支線。(2014.3.9)

 王子駅の東側から撮った北王子支線。線路長は、田端信号場から日本製紙の倉庫まで約4km。(2014.3.9)

 貨物の専用線だが、あくまで東北本線の「支線」扱いのため、名称(通称)も「北王子支線」だった。東北本線から離れ、右にカーブし、王子の北に向かう。(2014.3.9)

 4か所ある踏切のうち、最も南側にある第一宮江町踏切から撮影。あるべき姿の遮断機は、これが撮り納めになった。(2014.3.9)

 残る3つの踏切は、この写真で手前から「第二宮江町」「第一北王子」「第二北王子」という名称。

第一北王子踏切にて(2004.1.8撮影)

 現役の時は、あって当たり前のような感覚から、積極的に見に行ったり、撮りに出かけたりということもないのだが、さすがに「廃止」の2文字を目にしたとなれば、安穏とはしていられない。第398話の中でも小枠で記したが、JR貨物が「東北線 田端信号場〜北王子間の列車運行終了について」のリリース(→PDFを出したのが、今年3/12のこと。運行終了日は3/14だったので、2日前の急な発表となった。もっとも、前々からその話は流れていたので、リリースは言わば確定稿のようなもの。それほど慌てるものでもなかったのだが、運行終了に加え、「廃止予定日 平成26年7月1日」というのも載っていたものだから、やはり穏やかではない。線路をはじめ、踏切など付帯する鉄道設備がそこから姿を消すことになる訳で、見納め&撮り納めを急ぐ必要が出てくる。3/14の貨物列車ラストランは、さすがに見に行けなかったが、運行終了後は可及的速やかに現地に行くのが鉄則。何とか3/23に、「日本製紙物流」(入口)〜桜田通り〜「北王子支線」(約300m分)の順に見て回ることができた。4か所の踏切(第二北王子・第一北王子・第二宮江町・第一宮江町)もしかと確認し、筆者的にはとりあえずひと区切りである。

 日本製紙の敷地に接する桜田通りからは、構内を見渡すことが可能。役目を終えた入換動車(スイッチャー)も撮ることができた。

 入換動車は、貨車の入れ換え専用に使われる機関車。本線で列車を牽引することはない。

 町域としては、王子五丁目に入る日本製紙の倉庫。この界隈のモニュメント的存在。

 最も倉庫寄りにある第二北王子踏切から構内を撮影。静けさを際立たせるように、暮色を帯びた光が射し込む。

第二北王子踏切にて

こちらは一つ飛んで、第二宮江町踏切

 第二北王子と第二宮江町の間、第一北王子踏切にて。遮断するのは道路ではなく、線路の方。

 タイミングよく業者が現われ、踏切の銘板を外す作業を見物することができた。取り外した後の行く末は不明とのことだった。

 第二北王子踏切と第一北王子踏切の間では、「ザ・パークハウス 東十条フレシア」の工事が始まっていた。

 王子駅ホームから見る北王子支線(奥)。ここを貨物列車が通ることはもうない。

 北王子の探訪を終えたところで、この際、東京都区内にはどれだけ貨物線(特に専用線)があって、どれほど使われているのかを調べようと思い立ち、予告として「都区内貨物線」の題で延々と出していたのだが、ひょんなことで区の中央図書館の講演会で、「須賀線・北王子線廃線跡と王子駅周辺」というのが開かれるのを知り、予定を変えることにした。(新金貨物線、小名木川支線など、都区内に限って調べるにしても、実はなかなかハードなこともあり...) 開催日は、9/13(土)。三連休の初日ゆえ、それほど聴講希望者は多くないと予想されるところだが、北区はこの手の講演会は結構人気があるので、油断ならない。幸い、細君ともども抽選に通り、二人して足を運ぶことができた。初期の頃は蓄電池機関車が使われたこと、先に開業した須賀線から分岐する形で北王子線ができたこと、須賀線は「都電赤羽線」(=北本通り)と平面交差していたことなど、初めて聞く話ばかりで大いに得るものがあった。(講師は、鉄道総合技術研究所 情報担当部長の小野田滋氏)

 せっかくイイ話を聞いたので、図書館からの帰りは、その現場へ。北王子線(廃線跡)、須賀線の分岐ポイントなどを訪ねつつ、東十条に出ることにした。以下、聴講内容を交えつつ、ご紹介する。

 第一宮江町踏切から倉庫側を撮影。草が伸び、ネコがくつろぐ場所に。

 第一宮江町踏切から王子駅方面を撮影。こちらはまだ線路が露わになっている。

 陸橋に続くスロープから第一宮江町踏切を見下ろす。北王子線と須賀線が分岐するのはこの奥。

 「第一宮江町踏切」は、王子貨物駅から0.882kmの位置。線名は「北王子線」になっている。

 第二宮江町踏切から王子駅方面を撮影。草は道路から離れた場所で繁茂しているのがわかる。

 第二宮江町踏切から倉庫側を撮影。ここから右にカーブする形でかつては須賀線が延びていた。(1971年廃止)

 須賀線のカーブ跡地は、王子四丁目公園に。「須賀」は昔の字名だったそうだが、現在の地図の上では、その名残は見られない。

 公園から先、須賀線の跡は道路になり、東に向け、豊島五丁目団地まで続く。団地はかつての日産化学工業(前身は大日本人造肥料)。

 公園の端は分離帯のようになっていて、線路の幅を想起させる。単線区間だったが、貨物需要は多く、1950年代には豊島地区と王子駅とを結ぶ旅客線としての活用計画も出たんだとか。

 王子四丁目公園に集うネコ。昔はこの辺りを国鉄や工場の機関車、手押しの貨車などが通っていた訳だが、ネコには知る由もない。

 第一北王子踏切からの眺め。マンション(東十条フレシア)が建ち上がり、3月と比べると様変わりしたのがわかる。草も伸び放題。

 第一北王子踏切から王子四丁目公園側を撮る。ここらもすっかりネコに気に入られている。

 三菱地所レジデンスとJR貨物が売り出す「ザ・パークハウス 東十条フレシア」。貨物線跡地に隣接するマンションというふれ込みも良さそうだが...

 第二北王子踏切周辺も、草が覆いつくさんばかり。倉庫はまだその姿をとどめている。

 第二北王子踏切から王子駅方面を撮影。線路はまだ健在。

 入換動車の姿もなく、ひっそりした感じの北王子駅構内。(日本製紙物流の北王子駅には、仙石線石巻港駅、東北本線岩沼駅から貨物列車で紙製品が運ばれていた。運行終了前の本数は1日3往復。)

 貨物専用鉄道が使う「専用線」の一覧表(抜粋)。1930年の鉄道省時代の一覧表では「北王子」は「下十條」で、「王子製紙會社」の専用線だったが、貨物の全盛期は、北王子線、須賀線とも、複数会社により運用。ピークは1960年代。

(参考)東十条駅南口から中央図書館に向かう途中には、日本製紙の倉庫がこのように見える場所がある。高架は東北新幹線。

「北王子線」「須賀線」ともに現役だった頃の地図。日本製紙は当時、王子製紙だった。


北王子支線跡と踏切の位置など(「東十条フレシア」の広告つき)


 正式に廃止になったのは7/1だが、この通り、線路はまだ残っている。これで線路が撤去されてしまうと、正しく廃線跡になってしまい、往時を偲ぶばかり。見ておくなら、今のうちである。

 当初考えていた「都区内貨物線」(まとめ)は、機会を見つけて各所を取材して、それがまとまってからということになるので、まだまだ先の話になりそう。ひとつ気長にお待ちいただきたく。

 


 

第408話 地下歩道(東銀座・銀座・日比谷・大手町編)(2014.9.1)

 第394話の続き、地下歩道「東銀座・銀座・日比谷・大手町」編をご紹介する。「上野・御徒町、新宿」編では、季節柄、寒さを凌げるかどうかの検証を兼ねてのレポートだったが、今回はその逆、「夏の暑さは地下で凌げるのか?」。ただし、8/23以降の東京は、日中の天気で「晴」がつくことはなく、最高気温についても8/25以降は30℃に届かない日が続いた。暑さをさほど感じない中では、地下での「避暑感」もなさそうだったが、8/30(土)は久々に陽光が出て、セミの声もまた聞こえ出したため、出かけることにした。

 所用ついでで、まずは有楽町へ。地下歩道のコースとしては、数寄屋橋交差点あたりから潜入し、銀座駅、東銀座駅を経由して、地下歩道の東端を確認後、折り返し。来た道をひたすら西に進み、日比谷駅まで来たら、千代田線と都営三田線に沿って、大手町まで北上。次は東西線沿いに行けるところまで、といった具合。予め大まかな距離は把握していたが、正直な感想としては、「地下の約3kmは長い!」ということに尽きる。暑さに関して言えば、この日は地上の方がむしろ涼しく、地下はただただ蒸し暑かった(空調が効いていた大手町駅周辺の一部を除く)。そんなこんなで、少々堪える行路となったが、いろいろな発見もあり、成果としてはまずまずといったところ。歌舞伎座、有楽町マリオンの映画館、帝国劇場を地下経由でハシゴすることも可能だし、丸の内オアゾ〜KITTE(東京中央郵便局)〜有楽町イトシア(丸井)〜銀座三越の移動も雨に濡れずに行ける。実際に歩いてみて、そうした地下散策ができることがとにかくわかった。これは大きい。

 以下、1.(銀座〜)東銀座〜銀座〜日比谷、2.日比谷〜二重橋前〜大手町、3.大手町〜呉服橋の3つに分けて、画像メインでお届けする。(全長3kmにもなると、撮影対象も多くなりがち。枚数が矢鱈多い点はご了承いただきたく。)


1.(銀座〜)東銀座〜銀座〜日比谷

構内図:東銀座駅銀座駅日比谷駅

 西銀座デパートの隣にある「C4」出入口。丸ノ内線銀座駅はここからすぐ。

 数寄屋橋交差点を渡り、並木通り口に来ると「B4」出入口が目に入る。ここから地下歩道へ。

 「B4」から銀座線銀座駅へ。地上の歩道は狭いが、地下歩道はこの通り広々している。

 銀座線銀座駅近くの一角には、ご存じ和光があり、地下には同店のこんなショーウィンドウが。(地下ならではの演出)

 銀座四丁目交差点の直下=銀座線銀座駅。スロープがあり歩き易いものの、その先の改札が地下歩道の直進を阻む。

 銀座駅改札を回り込むと、再び真っ直ぐな地下歩道(地下鉄連絡通路)に出る。奥(東)へ進めば東銀座駅。

 「B2出口」となっているが、B2階という訳ではない(フロア的にはB1階)。ここを上がると三越の東側に出る。

 「B2」の反対側の地上出口「A2」(2014.8.2撮影)

 銀座駅と東銀座駅の間の地下歩道には、ちょっとしたギャラリーが設けてある。この日は、デザイン面でも名作とされるLPジャケットの数々が展示されていた。(2014.8.2撮影)

 東銀座駅に近づいてきたところで、また少し下る。

 地下鉄連絡通路というだけあって、通路をそのまま進むと、東銀座駅の改札に直に出る。この改札は、押上方面。

 この案内図だと、タテの都営浅草線が、ヨコの地下歩道を分断しているように見受けるが、線路の下にはさらに通路(地下の地下)があり、地下つながりは継続。銀座駅から歩いてきて、泉岳寺・京急方面の改札に出るには、この地下通路を通る必要がある。

 歌舞伎座がリニューアルして、1年5か月ほど。ようやく(思いがけず)来ることができた。地下でちゃんとつながっているので、悪天候でも問題なし。

 地下鉄の案内標示も、歌舞伎座風?

 地下歩道は東銀座駅から先、まだまだ東へ延びる。

 地下歩道の東端出口の一つ「6」。地上に出ると、首都高速に架かる「万年橋」がすぐ。

 左に見えるは、歌舞伎座と歌舞伎座タワー。

 「6」の向かいは「5」。ここから再び晴海通りの下の歩道へ。来た道を戻る。(13:45スタート)

 東銀座駅と銀座駅の間のダウン&アップ。往路では東銀座方面を撮ったが、今度は銀座方面。

 ギャラリーが始まる辺り。「A1」は、かつては松坂屋に近い出口だったが、松坂屋がない今となっては、これは誤記。

 ギャラリーが続く先に銀座線銀座駅がある。

 「A1」「A2」「B1」「B2」の配置はこの通り。一つ気になるのは、地図上の「外国人観光案内所」。ここにも英文表記がほしいところ。

 さすがは銀座と思わせる出入口案内。この隣にもちろん地図もある訳だが、対応させるのがまた大変なのは言うまでもなく...

 「A1」から地上に出てひと息。万年橋の「5」から歩いてきて、途中あれこれやっていたら早くも15分が経過。和光の時計がちょうど14時を打っていたという一枚。

 「A1」から地下歩道に出ると、日比谷線のホームが目に入る。見えてはいてもここからは入場できない。(改札は後方にある)

 地下歩道には、この向かいの「B4」から入った。「B3」(アルマーニ口)に着いたところで、ほぼ往復。

 数寄屋橋交差点(不二家側)に出る「B10」に向かう人の流れ。

 ソニービル地下付近から、銀座駅方面(来た道)を撮影。やはり広い。

 ソニービルと来たら、「PLAZA GINZA」。地下の一等地的存在。

 数寄屋橋交差点の下からも日比谷線銀座駅のホームが見下ろせる。

 ここまでのおさらい・・・「B4」から地下歩道に入り、ひたすら左(東銀座方面)へ。で、再び右に進んで、「B5」辺りでひとまず往復。(その先は片道で日比谷駅〜大手町駅と続く)

 階段を下りて、日比谷駅方面へ。銀座駅付近の賑わった雰囲気はない。

 所変わって、こちらは新しい地下歩道(ルミネ2と有楽町イトシアの間)・・・雰囲気が随分と違うのがわかる。(2014.8.2撮影)

 上が南で、下が北。「A14」まで行くと日比谷公園に出られる。今回はその逆、大手町へ。

 日比谷線日比谷駅のコンコースにあたる歩道。突き当たり左が日比谷公園方面、右が二重橋前・大手町方面。

 ようやく、万年橋から続く東西の地下歩道の西端(日比谷駅改札)に到着。(14:25頃)

 日比谷線日比谷駅改札前。迷う人が多いためか、手書きの出口案内が充実。

 日比谷線の東銀座〜霞ヶ関は、1964年8月29日に開業。この日を以って日比谷線全線が開通した。開業50年記念日の翌日に、日比谷線沿いに歩いてきたというのは、ちょっとした記念行事のようなものである。


2.日比谷〜二重橋前〜大手町

構内図:日比谷駅二重橋前駅大手町駅

 ここからは、日比谷通りの地下歩道を北上。

 日比谷線・千代田線の日比谷駅から、都営三田線日比谷駅(または有楽町線有楽町駅)に行く途中にある「壁画アート」。記念撮影する姿も。

 同じ東京メトロでも日比谷駅と有楽町駅は、改札内では連絡していないので、乗り換えの時は「エキソト」に出ないといけない。外に出られるのを有効活用すれば、1枚の切符で、寄り道可能。(ただし、30分以内)

 有楽町駅改札の向かいは、都営三田線の日比谷駅改札。

 日比谷通りの下をひたすら北へ。都営三田線の日比谷〜大手町の距離(営業キロ)は、0.9km。

 「B4」は国際ビルと直結。地上に出て、日比谷交差点方面を望む。

 その「国際ビルヂング」の前では、なぜか女性が列を為して、何かを待っていた。

 再び地下歩道へ。この辺りからまた違った壁画アートが現われる。

 広めの地下歩道。これくらいゆとりがあると、開放感があっていいのだが...

 結構歩いた気でいたが、まだまだ東京會舘付近。二重橋前駅もまだ先。

 些か歩道が狭くなり、暑さも加わって、疲れが出始める。万年橋をスタートして、そろそろ1時間が経とうとしていた。

 という訳で、この辺から再度地上の空気を吸いに出ようと思ったが、ひたすら階段だったので断念。

 「B7」の道向かいにあたる出口が「1」。こちらは途中までエスカレーターで上がれるので、1も2もなく、ここから地上へ。(ちなみに「B7」では「東京中央郵便局」と出ているのに対し、「1」では「JPタワー」を筆頭に、郵便局はそれに付随した表記になっている。)

 「1」を出ると、そこは馬場先門の交差点だった。外は涼しくて快適だった。

 今回の驚きの一つ。馬場先門交差点下から二重橋前駅までの歩道のこの簡素さ!

 ようやく千代田線二重橋前駅、南側の改札に到着。

 二重橋前駅構内を北へ。ここは多少歪んでいるが、あとはただただ真っ直ぐ。

 「5a」の向かいに見える自動改札は、エレベーター専用。

 二重橋前駅北側の改札を過ぎた辺り。先を見ればまだまだ道程は遠く...

 景観の変化が乏しく、道も直線だと、段々と閉塞感が募ってくる。大手町駅の各線改札の距離もどうも頭に入らず、丸ノ内線の「670m」というのを見ても、この時はあまり驚かなかったような...

 都営三田線大手町駅の改札は3つある。まず最初に行き着いたのは「行幸通り方面改札」。

 続いて「丸の内方面改札」。土曜の午後は、このようにひっそり。

(参考)都営三田線大手町駅構内案内図

 大手町駅「大手町方面改札」。改札前に店舗があるのとないのとでは大違い、というのをここで実感した。


3.大手町〜呉服橋

構内図:大手町駅

 大手町駅周辺の地下歩道の充実ぶりは今も昔も変わらない。今回は最も距離が遠くなるルートを踏査することにしたので、三田線沿いではなく、東西線に沿って東へ。

 さらに北をめざす場合は、この先を進む。筆者はここで右方向(東西線大手町駅)へ。

 階段を下り、「現在地」に着く。この日のゴールは、ここからさらに右。

 「丸の内永楽ビルディング」の入口に出ていた案内図。新しい分、実にわかりやすくできていて、丸の内エリアの地下歩道の発展ぶりも一目瞭然。今回は実直にL字コースをとったが、先の「5a」から丸の内ビル〜東京駅と経由するのも一手である。

 丸の内永楽ビル、またの名を「iiyo!!」と呼ぶ。

 その「iiyo!!」の向かいは「OOTEMORI」。入口には、大手町駅改装工事の案内スポットがある。

 改装工事は、「RE:NOVATION OTEMACHI STATION」と銘打って進行中。

 すでに東西線大手町駅の「西改札」付近は、このようにリニューアル済み。二重橋前駅付近とは別世界である。空調も利いていて、頗る良好だった。

 さらに進むと工事エリアに入る。(それにしても、この案内のボリュームたるや。銀座といい勝負である。)

 時に出てくる地下階段。ここでは、左右に通路が分かれていて、日本橋方面は左側を歩く。

 やっとこさ「丸の内オアゾ」入口に着く。この辺りも工事中。(そのオアゾ、早いもので10周年だそうな)

 丸の内側を越えると、またまたガランとした地下空間に出る。ゴールの呉服橋はこの突き当たり。

 大手町駅の全面リニューアル、完成は何と2016年3月末!

 パッと見、判別がしにくい「B8b」。ここを入ると八重洲地下街。

 万年橋から歩くこと、かれこれ1時間45分。いよいよゴールが近づく。

 「B9」をもうすぐ出るところ。地上に出るのは久しぶりである。

 かくして、万年橋〜東銀座〜銀座〜日比谷〜大手町〜呉服橋の地下探索は終了。長い長い約3kmだった。


 都内有数の地下歩道シリーズ、これにて一旦終了、と行きたいところだが、新橋・汐留、春日・後楽園といった気になるエリアがまだ残っている。機会があればいずれと思うが、はてさて?!

 


 

 

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