随筆「東京モノローグ2003」(3−4月期)
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第135話 隣席の憂鬱〜「べからず集」part6 / 第134話 半蔵門線 / 第133話 宿泊先ひと工夫 / 第132話 立会川、ボラちゃんレポート

第135話 隣席の憂鬱(2003.4.15)

 15話ごとのマナーシリーズ。いささか大げさだが、今回は隣りの席に来てほしくない人を列挙してみた。(空いた席に着く時・着いた後はこうした点に配慮してほしい、というメッセージ集のつもり。)

*本稿をご覧の皆さんは大丈夫だと思うが、気を悪くされたらご勘弁願いたい。(おそらく、同様の被害、憂鬱に悩まされていることとお察しする。)

 隣りの席と言っても、一定の間隔がある場合は平気なことも多い。ここでは一定の時間、隣りの客とまさに隣接するケース(電車内のロングシート着席時、映画館などのホール席)を想定しての話。(喫煙者は想定外。未就学児童もリスクは大きいが、こどもについて書き出すとキリがないので、あくまで一般客ということで。)

※これまではランキング形式で紹介していたが、あまりに多様なので、項目50音順にしてみた。(不快度もランク付けも人それぞれ、ですしね。)

  • 足を投げ出す

 広々している時ならともかく、そこそこ混んでいるのに足を投げ出して平気な奴がいる。粗雑に足を組んで、靴裏がこっちの膝あたりに来ようものならもう... 許し難いこと、この上なし。 (-_-#)


  • 汗っかき

 窮屈な席に無理に分け入って座ってくる客と同一犯のことが多かったりする。走り込んできて、ハァハァやりながら、汗を拭き拭き。たまったものではない。


  • 異臭、におい

 これまでの「べからず集」でも上位に挙げてきたが、特に隣接する場合はひとたまりもない。さっさと席を移動する筆者であった。(第129話の冒頭に記した通り、長い風邪を患っていた筆者は、マスクで咳やノド痛が楽になることを覚えたが、隣の客人の匂い対策にも有効なことがわかった次第。マスクは常備品にすべきだろうか。)


  • 落ち着きがない

 ここに列挙する事例を複数兼ねる人に多く見られる。つまり携帯をカチャカチャやっていたかと思えば、カバンの中をガサガサ。周りをキョロキョロ見回しているかと思えば、ガムをクチャクチャやってたり。こういうのが隣りにいると、こっちはとても平静としてられない。どうすりゃいいんだか。 ┓(´_`)┏


  • カバンや袋の中をガサガサ

 何を取り出すでもなく、手持ちのカバンや袋の中をひたすらガサガサやる人に出くわすことがある。短時間ならいいのだが、延々とやっている場合など時折、肘がぶつかってくることがあるので、イヤな感じである。それに加えて、擦過音が激しかったりすると、もう居ても立ってもいられない。


  • クチャクチャ

 ガムに限らず、何やらモゴモゴ・クチャクチャやる人がいる。わざと音を立てている失礼な輩もいて、耳障りなことと言ったらありゃしない。筆者的には上位ランクケースである。


  • 携帯おしゃべり

 最近では少なくなったとは言え、まだまだ根強い携帯おしゃべり人。口に手を当てるなどの配慮があるならまだしも、そうした配慮がある人はヒソヒソ&手短かに済ませるので、同じ携帯通話でも大きなマナー差が生じる。非礼な連中はどこまでも非礼。全くお構いなしなので、始末が悪い訳である。声高&大笑い。唾が飛んできそうな勢い。この手に遭遇したら、とにかく離席するのが一番。 (/--)/


  • しゃっくり

 決して本人が悪い訳ではないが、やはり気になる。「ワッ」と驚かして差し上げたいところだが、効き目がなければ本人もこっちも恥ずかしいばかりなので、できない訳で。


  • 狭い

 区分された席なら問題ないが、ロングシート着席時では大いに憂鬱のタネ。どう見ても許容範囲を超えているのに、図体の大きい人が狭い空席に座りたがるのには参ってしまう。無理やり座って押し込まれて、たまらず席を外したことが2度や3度はある。当人は悪びれる様子はないが、そいつが筆者を押し出したことは自明なので、周囲の冷ややかな視線が注がれることになる。


  • 爆睡

 スゴイ音が聞こえてくるので、ふと隣りを見遣ると、大イビキ。轟音だけでたくさんなのに、そんな大の男によっかかって来られでもしたら...(-_-;)


  • 鼻をほじる

 ボーっとしている人に多いのが、このパターン。本を読むなど、他にすることがあればこうした所作は現われないんだろうけど、ヒマだとつい鼻に手が行ってしまうようである。ほじった後がつい気になって、こちとらいつまでも涼しい顔をしている訳にもいかず。


  • 非衛生系

 ガテン系職業の人は良しとするも、一見して清潔感に欠ける人が座り込んでくることがある。異臭と連動していることもあるので、要注意である。 (>_<)


  • 独り言

 いろいろ事情があってのこととは思うが、厭世的な顔をしながら、いつまでも独りでブツブツやっている人が時々来る。時に声を上げて、啖呵を切ったりするから、こっちも周りもビックリ。話を聞いてもらえないことの繰り返しで依怙地になって、余計に話を聞いてもらえず...の悪循環になってるんだろうな、と思う。


  • 貧乏ゆすり

 「落ち着きがない」の最たる動作である。本人にとっては何気ないクセかも知れないが、隣人には迷惑この上ない。


  • ヘッドホン騒音

 かつてはシャカシャカ系のステレオヘッドホン(両耳イヤホン)が多かったが、近年では見かけなくなった。シャカシャカしなくなったのは、その手の流行音楽が減ったためと、耳がスッポリ入るタイプのものが増えているせいだろう。でも耳が立つ筆者の場合、隣りでヘンテコなアップテンポナンバーが微音でも鳴り出すと、耳心地も居心地も悪くなってしまうのであった。 (+.+)


  • マスクレス&咳

 風邪をひいていて、明らかに咳をしているのに、手をかざすこともなく、平然とゴホゴホ。こんな人とはお近づきになりたくない。新聞を読んでいる時は、咳をブロックする角度で広げるようにしている。


  • 酔っ払い

 爆睡系とかならまだいいが、大声独り言&絡み系が来たら、さぁ大変。制止しても悪化するだけなので、放っておくに限るが、隣席に来てしまった場合はさっさとずらかって、降りた駅にたまたま駅員さんがいたら即刻通報。いなければ違うドアから乗り直す。そんなとこだろうか。


  • わき見

 筆者がW字折りで新聞をパサパサ読んでいると、W字の谷間を食い入るように横から覗き込んでくるオッサンに出くわすことがある。別に意地悪したくはないのだが、あんまり執拗な場合は睨み返すようにしている。すると、その直後はおとなしくしているのだが、程なくするとまた覗き込んでくる。そこで筆者も再度牽制。という訳で、いつしかこの繰り返しになり、結局、集中して読めない始末。さっさと片付けるか、移動するのが良さそうだ。(それにしても、この手のオッサンは何で自前で時間潰しネタを持たないんだろう、といつも思ってしまう。) (ノ-_-)ノ


 電車内では、コワイ顔か気難しい顔をしているせいか、筆者の隣りの席がポカンと空くことが多い。混雑しているのに、筆者の隣りが途中で空いても、その周りの人に座ってもらえないことも時々ある。そのままならまぁいいのだが、変に空いていると、なぜか上記事例のような変な客が座ってくることが多々あるので、さっさと普通の人に座ってもらいたいものだといつも思う。だいたい、駆け込み等で後から来る人ほど、厚かましかったり、モラルハザードだったりするので、発車直前まで隣りが空いていることほど恐々とするものはない。こうした隣席の憂鬱を防ぐには、最初から無難そうな人に挟まれている空席を狙って座るに限る。(それでも途中から、豹変する人もいるから注意してもしきれないのだが...) 始発列車の乗車待ちの際も、リスクがありそうな人の近くには並ばず、大丈夫そうな人が多い列に並ぶことで緩和している。何もそこまで、と思われるかも知れないが、逆を言うと不快な思いをしつつ、乗ったり、観たり、というケースがそれだけ増えていることの裏返しでもある。完全に防ぐことはできないのは百も承知。だが、少なからず緩和できるのであれば、自衛策を講じたに越したことはなかろう、そういうことである。(隣人を選ぶ権利があればいいのだが、それは過剰反応と言ったところか。)

第134話 半蔵門線(2003.4.1)

 7番目の営団地下鉄として、1978年8月に開業した半蔵門線。当初は、渋谷〜青山一丁目間、営業キロ数たったの2.7kmという短小路線だった。翌年1979年9月に隣りの永田町まで伸びたもののまだまだ短い。渋谷〜永田町を銀座線と並行して走ることにどれだけ意味があるのかと、当時10才の小生意気な少年は路線図を見ながら思っていたものだ。線名の由来である半蔵門に達したのは、1982年12月のこと。これで2回目の延伸。1989年(平成元年)1月には一気に三越前まで伸び、翌1990年11月にやっとこさ水天宮前にたどり着いた。実に4段階の延伸を経て、半蔵門線は形を現してきたのである。不思議な地下鉄だなぁ、という印象が小さい頃から強く、常に「伸び具合」が気になっていたこともあり、三越前の時も、水天宮前の時も、延長される度に記念乗車券などを買っては悦に入っていた筆者(この時は学生)だったが、利用面ではあまりご縁はなかった。そんな半蔵門線にご縁ができたのは、最寄駅が半蔵門だった「アースデイ日本・東京連絡所」に顔を出すようになってからのこと。(1993年秋頃からのことなので、早いもので10年近くになる。) 2000年にアースデイ日本が解散してからは暫くごぶさただったが、ここ半年ほど「東アジア環境情報発伝所」関係で、月に1度は半蔵門に繰り出すので、またまた半蔵門線にはお世話になっている。何だかんだですっかりお馴染みの路線になってしまった。

 蛎殻町か箱崎か、駅名でもめた「水天宮前」の話は、第2話で記した通りだが、ここまで延びたところで、半蔵門線は打ち止めだろうと思っていた。(昔の鉄道計画路線図では、蛎殻町止まりだったのをハッキリ憶えている。) ところが、1993年12月には、今回の延長部分が着工されていた、というからビックリである。

 営団地下鉄で、終点が本当に終点(他線との乗り入れや接続がない)だったのは、丸ノ内線の方南町、千代田線の北綾瀬、そして半蔵門線の水天宮前の3つ。3月19日、水天宮前〜押上までの約6kmが開通したことで、晴れて半蔵門線は「片方どん詰まり」から解放され、通りが良くなったことになる。


↑3月18日、「水天宮前」が上りの終点だった最後の日に撮影。(半蔵門へ向かう途中)

 


↑半蔵門線全線開通後の路線図(料金表)抜粋。渋谷を起点に、終点の押上までは230円。

 片方の終点がつかえていると、運行本数も限られる。これまで半蔵門線に乗ろうとすると、他の営団地下鉄と比べて何となく間延びした感じで、次の列車が来るまで待たされる印象が強かった。押上まで伸びたことで、新しい東西線のような態になり、これで基幹路線への昇格を果たしたと言えるだろう。事実、本数も増えて、より利用しやすくなる。お馴染みの路線が活性化するのはうれしいし、ありがたいことだと思う。(ちなみに、終点から終点まで(渋谷〜押上)の所要時間が30分というのは、営団地下鉄ではまだ最短で、銀座線(渋谷〜浅草)の31分よりも下回る。延伸する前の渋谷〜水天宮前は何とたったの20分!)

 東武伊勢崎線住民にとっても、半蔵門線との直通が実現したことで、東京山の手(西側)へのアクセスが良くなって御の字だろう。箱崎の東京シティエアターミナル(TCAT)をはじめ、日本橋三越、そして青山&渋谷への足ができた訳である。さらに余裕があれば、二子玉川にも一本で行ける。


 3月31日、期末であわただしい中ではあったが、一日乗車券を使って、半蔵門線ツアーに繰り出した。10:19、大手町から乗り込んだのは東武線の区間準急「東武動物公園」行き。東武と入っているから、わかるようなものの、これで直通電車終点の「南栗橋」行きなんてのが来たら、初めての人は面食らうだろう。長距離の直通電車の場合は、主要な途中駅(例:北千住、越谷、春日部)を併記した方がいいと思う。

 さて、乗った車両は実に閑散としていて5、6人程度。水天宮前から先、開通したての新線(こちらを参照)をゆったりした気分で揺られていた。水天宮前から清澄白河までは、つづれ折りのようなカーブを経るため、スピードが出ない上、距離もあるので、時間もかかる。工事の苦労が偲ばれる区間だ。住吉から先は直線(四ツ目通り)を北上するのみ。錦糸町で客の出入りがあって、程なく押上に到着。10:36だった。

 着いたはいいが、何か様子がおかしい。東武線直通列車のホームは4番線。筆者は4番線に降り立ったのだが、隣りの3番線はなぜか反対方向の渋谷&東急田園都市線行き。じゃあ1&2番線は?と言うとこれまた渋谷方面。つまり1〜3番線は上り。4番線のみが下りだったのである。この比率からして、東武線直通列車の本数が実は少ないことがわかってしまった。案の定、10:37の次は10:53。その次は11:16までなかったりする。直通化が実現したとは言っても、これではまだまだ不便だろう。押上から先をめざしたい人が東武伊勢崎線直通列車に乗り損ねてしまうと、押上でしばし足止めを食らうことになる。せめて次の曳舟が終点だったら、浅草から来る伊勢崎線本線の列車に乗れるから何とかなるのだが...

 改札フロアは広々した感じ。そして改札を出ると、すぐ先に京成線&都営浅草線の押上駅に出られる。こっちの押上は上り下りの行先表示が刻々と変わり、往来の激しさを感じる。先輩格ぶりを見せつけているようだ。

 この日は午後出勤することにしていたので、下車しても散策はせず、ひたすら途中下車の繰り返し。すぐに半蔵門線押上駅に戻り、カーブを徐行しながら入ってきた急行「中央林間」行きに乗り込む。下りと違い、上りは程々の混み具合。次の錦糸町で筆者も降りてしまったので何とも言えないが、降りる客が結構多かったので、また閑散とした感じになったようだ。降りる客が多い割には、精算機が1台しかないため、精算待ちは長蛇の列。そんな列を横目にこっちはさっさと改札を出たが、今度は出口が見当たらない。よく調べると、JR錦糸町駅と見事に直角(十字)交差しているので、地下鉄改札の真上がJRのホームになっている。なので、JRの乗り場に通じる出口まで距離があり、わかりにくかった訳である。乗り換え客にとっては不便な構造だ。

 次の住吉駅も都営新宿線と直角交差。地下鉄どうしの交差に加え、この駅は上りと下りのホームが2階建てになっているので、半蔵門線下りは何と地下4階にある。上りが地下3階相当で、都営新宿線ホームが地下2階に位置するようだ。都心の地下鉄駅なら深くなるのはわかるが、新しくできる地下鉄駅は、都心から外れていてもどんどん深くなる。これは宿命なんだろう。

 都営大江戸線もそうだが、半蔵門線の清澄白河も終着と始発を兼ねた駅なので、ホームが多く、ここから西は運転本数も増える。ちょうど始発列車が入ってくるタイミングだったが、本数が増えることを見越して、その列車を見送り、ちゃんと途中下車してから戻ることにした。降りた改札は半蔵門線専用。営団と都営の乗り換え駅の場合、両線が交差したあたりに改札と出口が集約されるものだが、ここは錦糸町や住吉と違って、十字ではなく逆T字状に地下鉄が交差しているので、T字の先の部分にも改札が必要で、それが半蔵門線専用改札&出口(B2)になっているのである。いろいろ発見があるものだ。

 今回乗り降りしてみて、半蔵門線の新しい4駅についてわかったことは、

  • 上記の通り、改札から出口まで距離があり、さらに地上に出るまでに時間がかかる。

  • 清澄白河〜押上の間は本数が減る分、停車中の時間調整がしばしば行われる。

  • 経費節減のためか、改札の無人化、券売機・精算機の最小限化、エスカレーター幅の差別化(上りが広く、下りが狭い)、といった工夫?がされている。

 といった点。

 駅の間隔が長いのも、駅数を必要最小限にして、コストを抑えるためだろう。これで銀座線並みに細かく駅が設けられたら、水天宮前−佐賀町−清澄白河−東白河−住吉−錦糸町−太平横川−押上、なんて感じになっただろう、と思う。

 半蔵門線のシンボルカラーは紫色。それゆえに"雅"な雰囲気があった。加えて、表参道、半蔵門、水天宮前をはじめ、風流な駅名が多いため、これに清澄白河と錦糸町が追加になって、一層風雅になった感じがする。駅数が絞られれば、駅名も引き立つので、わざと駅を増やさないようにして、半蔵門線ブランドを維持しているのかも知れない。(それはそれでよしとするか。)

 話はやや反れるが、こうして考えると、営団地下鉄はどこもバイパスのよう。私鉄と私鉄のつなぎ役みたいになっている。そのため、今回のケースも含め、いろんな経路でいろんなところに行けるようになってしまった。

 半蔵門線効果により、伊勢崎線沿線住民は、

越谷・草加など − 北千住 − 日比谷線直通(日比谷経由・東急東横線方面)
              L 曳舟 − 浅草
                   L 亀戸(※曳舟で要乗り換え、直通運転なし)
                   L 半蔵門線直通(大手町経由・東急田園都市線方面)

 と4つの選択肢ができた。

 これと似た事例として、東急東横線の武蔵小杉〜田園調布住民は、

田園調布 − 中目黒 − 渋谷
           L 日比谷線直通(日比谷経由・東武伊勢崎線方面)
     L 目黒 − 白金高輪 − 営団南北線直通(四ツ谷経由・埼玉高速鉄道方面)
                 L 都営三田線直通(大手町・巣鴨方面)

 同じく4つの選択肢があったりする。全て直通列車のため、ホーム上では渋谷行き、東武動物公園行き、浦和美園行き、西高島平行きが混同する。これらを間違いなく乗りこなさなくてはいけない。結構大変である。

 当面、都内での地下鉄の延伸や新設は先の話になるが、計画はまだまだ残っている。現在、明治通りの下で工事が進んでいる13号線が完成した暁には、東急東横線と東武東上線・西武池袋線が相互乗り入れするようになる。こうなると、特に武蔵小杉〜田園調布住民の皆さんは余計に混乱しそう。東武動物公園に行くつもりが、森林公園だった、とか、後楽園に行こうと思ったら、としまえんに来ちゃった、なんてことが起こり得るのである。いったいどうなることやら。(^^;

第133話 宿泊先ひと工夫(2003.3.15)

 第129話に続き、旅のお話。と言っても、これまで国内あちこちで泊まってきたホテルや旅館での体験から、「こうしたちょっとした工夫があれば、より快適に過ごせそうだ」というのをご紹介しようと思ったまで。旅先ひと工夫というよりは、宿泊先ひと工夫、である。少しでもお役立ていただきたく。


1.まずは下調べ

 今はインターネットで宿泊先の情報は概ね入手できる。インターネットで予約する場合は、そのサイトにある情報を吟味しておかないと予約できないから、当然じっくり調べることになる。価格、食事、設備は基本仕様だが、快適さ、アクセスの良さ、そして何よりも室内の備品がどこまでそろっているか、を重視したいところである。何がそろっているかによって、こっちで何を持っていくか、持って行かなくていいか、が決まる。これは結構大事である。

 石けん、歯ブラシ、シャンプー、リンス、シェーバー、シャワーキャップ等のアメニティグッズは普通は大体そろっているので、あまり心配する必要はないが、よく考えると、これらは持って行けば済みそうなものばかり。持って行けば済むものをわざわざ提供されて、価格アップにつながるよりは、最初から余計なものが置いていなくて、こっちが頼めば追加料金で対応してくれる。その方がリーズナブルだし、環境負荷も減るだろう。宿泊先がどれだけ環境負荷を考慮したサービスを心がけているか、も考えたいところである。(そうした観点から宿泊先を選ぶなら、GPNが3月に開設した「エコチャレンジ ホテル旅館データベース」を活用するといいだろう。) 筆者の場合、こうした類は常に持って行くようにしているので、使わないでそのまま置いて行くか、自宅用で使いたいものがある場合に持って帰るようにしている。(ずっとこんな感じなので、さすがに自宅でもたまってきている。そのうちフリーマーケットなどで放出しようと計画中である。)

 逆に、通常持って行くのは難しいが、客室に備え付いていると便利なものもある。ゆっくり滞在したい時、時間を持て余しそうな時は、撮りだめしておいたビデオテープを観る、という手があるが、これは宿泊先にビデオデッキがあれば、の話。(最近は貸し出してくれるところも増えているなので、しっかりチェックしたいところ。) かつて伊豆の赤沢温泉のリゾート型ホテルに行ったら、最初からビデオデッキが置いてあって、「やられた!」という経験がある。予め客室備品情報はしっかり入手しておきたいものだ。

 情報公開をきちんとしているか、実際に宿泊した人の声を忠実に載せているか、でその宿泊先の品質は見て取れる。情報をきちんと出しているところはひとまず安心だろう。

 ちなみに、備品情報の粗い・細かいに関わらず、(アメニティ系以外で)筆者が常備的に宿泊先に持って行くものは、以下のような感じである。

  • 携帯用うがい薬:ふだん習慣的に使っているからでもあるが、室内の空調がイマイチで、ノドを痛める可能性はどこも高いので。

  • 携帯用スリッパ:ホテルに泊まる時は大抵用意してあるので、あまり必要ないのだが、列車やバスの乗車時間が長い旅では必需品なので、ついでに持って行く感じ。

  • FMラジオ:ホテルでは、枕元の照明スイッチやデジタル時計の並びに、BGMのスイッチが付いていることが多い。そのBGMでOKの場合もあるが、その土地でどんな放送が流れているかを聴く楽しみは捨てがたい。FMが聴けるように設定されている列車を使うことがわかっている時も欠かせない一品。

  • 空の500mlペットボトル:ふだんペットボトル飲料は飲まないが、自宅にはストックがあって、これを持って行くと、実に便利。備え付けのお茶の類を冷まして入れて、翌日の移動時に備えれば、いちいち買わなくて済むし、経済的である。(散策途中で「名水○○」とかの湧水に出くわした時にも使える。)

  • マイ箸:改めて書くまでもないが、これは筆者の常備品。食事がウリの宿なら余計に、割り箸よりも塗り箸でいただきたいものだ。


2.到着したら...

 ラックなどに並んでいる各種情報をチェックしたい。観光施設のクーポン券は当たり前だが、地元名店の割引券やサービス券が置いてあることもある。「夕食別」の宿には、飲食店情報もあるから、気になる食事処や居酒屋を見つけたら、フロントの人に尋ねてみたい。すると、フロントからその店に予約の電話を入れてもらえることもあるので訊かない手はない。お店に着いて「さっき予約した○○です」と伝えれば、ちょっとした特典があることも。

 駅や商店街に近い宿なら、ぜひ地元のスーパーを見つけて足を運びたい。名産品が特価で買るし、(大手流通に乗らない)珍しい地場商品に出会える楽しさがある。夕食後にまだ小腹が空いていたら、地元流通のパンなり惣菜なり飲料を意識的に買いたいものだ。それがその土地に泊まる客としての礼儀と言うものだろう。(地産地消のお手伝いにもなるだろうし。)


3.大浴場がある場合

 温泉浴場なら、まずは効能書きを見ておきたい。単なる効能書きにとどまらず、周辺情報が充実していることもある。第129話で紹介した六日町温泉は、温泉浴のイロハ(入り方〜出た後のケア)が記されていて、ためになった。温泉のお湯は出る前に洗い流さないこと、温泉に浸かること自体、体力を消耗すること、など改めて認識することができた。

 大浴場を独占したい時は、他の客が来なさそうな時間を狙うのがベストだが、そうそう上手くいかないもの。スリッパは自分で履いてきたものを使いたいが、他の客が来ると履き違えられてしまうことが多く、時には不快。そのリスクを避けるため、混みそうな時間を外すのに加えて、筆者はわざと裏返しにして、下足場の隅っこに置くことにしている。(それでも履いて行かれてしまったことが1度だけあった。)(^^?


4.就寝時

 室内の空調がイマイチ(またはコントロール不能)で、ノドを痛めることを避けるため、室内風呂がある場合は、お湯を張ったまま、部屋の湿度を保つようにしている。風呂がない場合は、洗面台にお湯を張っておくなりしているが、効果薄。夜中の空調は、もっと何とかならないものかとよく思う。

 空調が不調で、夜中に目を覚ましてしまったら、窓を開けて夜空を仰いでみよう。ローカルな宿で、天気が良ければ、きっとふだん見られない星空が広がっていることだろう。空調がダメでも、気持ちを切り替えることで幸せな気持ちになれるものだ。


5.朝食がバイキングスタイルの場合

 温泉宿なのに朝食がバイキング、というところがある。若い人はそうでもないが、ご年配客だと浴衣で朝食にいらっしゃることが多いのは、皆さんもご存じの通り。そんな「浴衣+バイキング」では時に悲劇が起きる。宿の方もわかっていると思うのだが、事前に注意や工夫ができないものかと思う。浴衣を着て、手を伸ばすとソデが下に開く。バイキングでは、菜箸やトングが出てくるが、リーチが不十分だと、スクランブルエッグや煮豆や豆腐用の刻みネギなどに垂れたソデが触れる事態になり、実によろしくない。他の客にしてみれば食欲をなくすかも知れないし、浴衣客自身もあまり気持ちのいいものではないだろう。(極端な例だが、シロップ漬けの杏仁豆腐が手前、その奥にバターロールが置いてある場合、パンをとろうとした浴衣客のソデはどうなるだろう。シロップを吸い込んで、ペタペタな甘いソデの出来上がりである。これはたまらない。)

 浴衣での参上は遠慮してもらうか、ソデが付かないような位置に皿を配列するか、注意が必要だろう。

 という訳で筆者は、「浴衣 DE バイキング」が想定される宿の場合は、ひたすら早く行くか、わざと時間をずらして、現場を見なかったことにして臨むことにしている。ちなみに浴衣の有無に限らず、バイキング形式の朝食では、混雑や行列ができる時には行かず、できるだけ合間を縫って、一皿ずつ調達するようにしている。せっかちに列を作って、我も我もという感じで争奪するのは、せっかくの旅先でどうかと思う。

 文末レポートの通り、この週末には下北半島ツアーを敢行。JR大湊線終点の大湊駅に隣接する「フォルクローロ大湊」に泊まったが、ここはB&Bスタイルと言って、ベッドとブレックファストを基本とする宿泊サービスに徹している。(宿泊と朝食の提供のみのシンプルなもの。このB&Bという用語は今回初めて知った。) 朝食に力点が置かれている分、バイキングにおける上記のようなデメリットを緩和する工夫がされていて好感が持てた。ロングリーチなトング、大きな取り皿は供さない(大きい皿だとついあれこれ取ってしまうし、その分時間もかかる)、客に任せておくと時間がかかりそうな配膳はスタッフが付く(汁物やご飯はセルフでなく、給仕してくれる)、といった点である。


6.チェックアウト

 グループ客に遭遇すると、チェックアウトに行列ができることがある。こうした場合、筆者は時間をずらして、ゆっくり臨むことにしている。アンケートを書くもよし。その土地の新聞(地方紙&地方版)を読むのもよし。朝食同様、スローでいいと思う。まぁ、客がせっかちになるのは、チェックアウト時刻に余裕がないせいかも知れないので、宿側にも再考の余地がありそうだが。

 それにしても、レイトチェックアウト(11時とか12時までOK)の宿なのに、早くチェックアウトした他の客室の手入れをすでに始めてしまうのには閉口させられる。せっかくゆったり過ごして気分よく帰ろうとする客に対して、あんまりである。(当てこすりのようにすら感じてしまう。) 最終チェックアウト時刻の後に一斉に、ではいけないのだろうか。


  • 付録レポート)JR東日本パスツアー

 JR東日本が、自社株を市場に完全放出してから10周年とやらで、「お客さま感謝月間」と銘打って、格安のチケットを売り出した。

 この手のチケットに目がない筆者は、3月15・16日の土日の2日間を狙ってチケットを手配。指定席解禁になる1カ月前の2月15・16日、2日にわたって、みどりの窓口に足を運んで、何とか往復の「はやて」を含む座席をキープ。15日は油断してしまい、往路「はやて」で押さえた席は、大宮10:30発というスロースタートだったが、その後の大湊線の接続を考えるとと辻褄の合う指定になっていた。パスの予想外の人気(3月12日までに36万枚売れたそうな)で、JR側も増発列車を奮発投入して凌ごうとしたものの、3月15日はいよいよ大変な事態で、10:30大宮発の「はやて273号」は10分遅れで到着する有様。先行の10:22発の「はやて9号」が10:30前後に入ってきたものだから、間違えて乗車してしまいそうなノリ(?)だった。八戸には13:21に着くところ、3分遅れで到着。到着後の八戸駅はちょっとしたラッシュ状態でなかなか改札にたどり着けない。大人1名、2日間で12000円となると、ここまで人を呼んでしまうものなのか。他人のことは言えないが、驚愕の思いでこの混雑を見送りつつ、ゆっくり歩を進めた。これだけ八戸に来ているのだから、その先を目指す旅客も多いだろう。大湊まで直通で走る「快速しもきた」は八戸始発。ローカル線ゆえ乗降口の位置が不明ながら、とにかく2両編成の列車の扉が来そうな場所で早めに並んで待つことにした。何とか2人分の席を確保。宿ではスローでもいいが、こうした状況下での列車利用時は早め早めが奏功するようだ。
海辺を離れる大湊線、復路の「きらきらみちのく津軽号」の車窓から
 さて、生まれて初めての大湊線はなかなかイイ感じで、快速列車ながら特急並みのスピードで疾駆するドライブ感も手伝って、快適だった。左手に陸奥湾。右手に雪解けの水脈を擁する雪原と天然林。有戸と吹越の駅間は約13km。この距離の間に一つも駅がないのは、こうした絶景を保つためなのかも知れない。終着の大湊は斜陽化した風情もあったが、決して寂れてはいなかった。下北ブームが本物なら、(ローカル私鉄)下北交通が2001年3月末で廃止されてしまったのが惜しまれる限りだ。

 復路は、「きらきらみちのく津軽号」に乗って、浅虫温泉へ。(浅虫温泉の盛り上がりは、東奥日報のこの記事の通り) 浅虫温泉からは、函館と八戸を結ぶ新しい特急「スーパー白鳥」で八戸に戻り、17:23発「はやて224号」で帰途に着く。全車指定席の「はやて」だが、さすがに捌ききれなかったか、連結部分の通路には立客があふれる混雑ぶり。「はやて」の人気の程は、デーリー東北のこの記事(下の方)をご覧いただくとわかると思うが、このJR東日本パスでさらに拍車がかかったことだろう。

第132話 立会川、ボラちゃんレポート(2003.3.1)

 大井町と大森の間あたりに「立会川」と称する京浜急行の駅(競馬場が近いためか、なぜか急行が停まる)がある。地名としての立会川からとった駅名ではなく、実際に駅付近を立会川が流れているからなのだが、西大井にかつて暮らしていた頃も、わりと近所にありながら、川の存在自体はよくわかっていなかった。

 立会川は、目黒区碑文谷1丁目の宮前橋付近から品川区東大井2丁目の町域南東部(27番地)で勝島運河に注ぐ全長約7.4kmの二級河川。月見橋(品川区南大井5丁目)より上流の部分が暗渠化され、暗渠部分の上は緑道になっていたりするので、川として目にすることができるのは、月見橋(関ヶ原児童遊園付近)から河口の勝島運河までの約750mのみ。地図上でも目立たないため、よくわかっていなかったんだと思う。

 潮の干満に伴って勝島運河の水が行き来する(海水と淡水が入り混じる)のが特徴。河口部分が東京湾と仕切られた運河である上、自然湧水がほとんどないため、水が滞留し、白濁や臭気が激しく、東京都と品川区で水質改善等の対策が営々と続けられていたそうだ。(微生物実験や曝気実験、勝島運河の海水の導入など様々な方法を採用したものの、どれも効果薄だったとか。)

 一方、立会川が地上に現われる月見橋付近から12kmほど北にある、JR総武快速線の東京駅(地下5階相当!)周辺のトンネルでは、地下水の水位上昇と漏出がずいぶん前から問題になっており、単に下水として排出するのでは処理しきれず、有効な排水策が求められていたそうな。

 そこで、お互いの悩みを解消すべく、JR東日本、東京都、品川区の三者が手を組み、その地下水を立会川まで引き込むための導水工事が2001年3月に事業化され、2002年7月には工事が完成。(総武線馬喰町駅から立会川放流口まで、総延長12.3km。ちょっとした工事だと思うが、道路や鉄道と違って、手軽にできてしまうようだ。) 一日あたり約4500mという多量の放水が始まり、立会川の浄化が進んだ。この話題で何となく立会川の存在がわかってきて、東京ローカル的に注目も集まっていたんだと思う。(ちなみに、JRが河川水質浄化のために地下水を導水するのは、これが2例目。1例目は武蔵野線の国分寺トンネルから野川への導水で、現在3例目として、上野・不忍池を浄化する導水工事が進行中。)

 導水開始から半年。その浄化の成果を示すちょっとした事件が起こって、立会川は一気にメジャーになった気がする。皆さんご存じの通り、2月4日の立春、出世魚として有名なボラの大群がこの立会川に出現したのである。1998年度の水質調査では、BOD値(生物的酸素要求量)が9.4mg/ℓで、都内の中小河川中、ワースト4位、という不名誉な記録もあった立会川だが、これで面目躍如である。人目に触れる約750mの川面を何万匹ものボラが埋めたというのだからスゴイ。2月中旬にはいったん影を潜めたものの、また復活したとの情報を聞きつけたので、2月24日(当方、月曜日は定休日)、ボラ探しに出かけた。


 以下、レポート調に綴ってみよう。(本稿の一部は、「EnviroAsia」にも掲載中です。あわせてご一読ください。)

2003.2.24 11:22 目黒駅から、品93系統の都バスに乗って、新浜川橋で下車。磯の香りのする勝島運河を右目に競馬場通りを歩き、旧東海道とぶつかったところで、天祖神社の鳥居を目印に、立会川に向かう。11時過ぎに現地に到着。浜川橋から立会川を眺めると、硫黄色のひどい濁りと浮遊ゴミが目に付く。「川をきれいに美しく」「ポイ捨て禁止」の掲示が空しい。とてもボラが現われるとは思えない状況だった。だが、ボラを捕食するカワウは何羽も川面を往ったり来たりしていて、バシャバシャと滑降&着水訓練をする輩も。ボラが姿を消したとは思えない盛り上がりである。でもボラはどこにいるのだろう?
2003.2.24 11:27
 天祖神社の裏を通り、弁天橋に遡る。ここもまだまだ汚濁が激しい。この辺からは川沿いに道が続いているが、商店会が「開運 立会川のボラちゃん」なんてやっているのを見つけてしまっては、商店を見て廻らない訳にはいくまい。すると早速、「ボラちゃん あやかりセール」を掲げる、立会川駅前の衣料品店に出くわした。(それにしても「大量発生記念セール」というのはちょっと...) 駅を通り過ぎ、川沿いに商店街を歩く。ボラにあやかってでも活性化したいという思いが伝わる、何とも鄙びた商店街である。アーケードを抜け、再び立会川へ。見物スポットとして紹介されていた昭和橋まで来たが、まだまだ濁流。とにかく川が暗渠で隠れてしまうまでは上流をめざすことにする。しばらく歩くと、川はちょっとしたカーブになり、そこで大きな波が起こっている。どうやら河口からの海水と導水口からの河川水の潮目になっているようだ。これではとてもボラは生息できないのでは?と訝りながらもさらに上流へ。
2003.2.24 11:29
 潮目を越えた辺りの桜橋まで来て、橋の下を見下ろすと、ついに発見! ボラの大群である。ここから導水口のある月見橋(立会緑道)までの約150m程が、今回のボラの観察スポットになった。導水の放流は結構な勢い。その勢いゆえ、川の水は確かに澄んでいる。浜川橋で見た濁りはここには全くなく、ボラも快適そうに流れに身をとどめたり、預けたりしている。発生直後ほどの大群ではないかも知れないが、まだまだかなり緊密な状態。この日は雨から雪に変わる寒い日(日中の気温は何と2〜3度!)だったので、川もきっと低水温。そもそもボラが出現したのは、水温が例年より3〜4度上昇したことが原因とか言われているが、あまり関係ないような...

2003.2.24 11:41暗渠から流れてくる立会川。暗渠を入ったすぐのところに放流口があり、音を立てて飛沫を上げていた。(左側の木々は関ヶ原児童遊園)

2003.2.24 11:51

公共放送とは言え、ここまで撮る必要があったかどうか...

2003.2.24 11:46 雨が降ると一時的に濁るし、汚れるものだが、この安定的な放流があればOKだろう。時に腹を返してきらめく姿に何かホッとするものを感じながら、しばし観賞させてもらった。(左の写真は清流域に集うボラの一団)

 正午近くになると、潮が引き始めたのか、上流側に行儀良く頭を並べていた魚群に混じって、下流をめざすボラが現われ始め、保守派と進歩派が入り混じっているよう。その後、桜橋と昭和橋の間あたりまで下ると、回遊状態の群れが増えてきた。そんな中を折り良く(いや折り悪しく)、NHKの特殊クルーが筒状の水中カメラを使って取材している現場に遭遇。ウェットスーツで身を固めたカメラマンが川床をズボズボ踏み進みながら、カメラをザバザバ水面に突っ込んでいるではないか。ボラは当然逃げ惑う。汚濁の激しい立会川だけに、川底には何が含まれているかわからない。藻とかだったら、攪拌することで酸素や餌も供給されるだろうからまだいいだろうけど、沈澱していた有害な物質が捲き上げられてボラに蓄積でもしたらどうするつもりだろう。ただでさえ群泳状態で息苦しいところ、何とも気の毒である。それでも先頭集団は潮が引く(導水が押す)のに任せるように、海をめざしている。まだ河口からの濁りが残っているため、ボラも体を汚しながらの命懸けの遊泳である。あっぱれ!

 昭和橋近くまで来ると、人目に付くようになるので、傘を片手にした見物人が集まりだした。「ボラってカワイイわねぇ」、「ボラは河口近くの天祖神社あたりまで行くんだ」といった会話が聞こえる。そうか、天祖神社がある浜川橋まで移動するのがわかっているから、カワウはそこで待機している訳だ。なんと怠慢な、そしてなんと残酷な。実際に浜川橋まで戻ってみると、カワウは呑気に訓練中。ボラは捕食されるのを知ってか知らずか、とにかく泳ぎ進んでいる。12時をしばらく過ぎても、浜川橋までボラはまだまだ到達せず、ひと安心。という訳で、カワウが労せずボラを捕食するシーンを見届けることはなかった。このまま潮が引かず、ボラはボラの生息域を保ち、元気でいてほしいものだが、カワウが捕らえることで持続可能な個数が保たれる、ということなら致し方ないだろう。

 なぜ「立会川」という風変わりな名称なのかはちゃんと調べていないが、今回はボラの遊泳を人がって見物していることから、その名の通りと合点が行く。往時も人が何かに立ち会っていたのだろうか。雨にデジカメを濡らしながらの撮影取材はこれで終わり。気が付いたら1時間が経っていた。

 この立会川の事例は、余剰になった地下水を捨てずに上手に活用する重要性を示しているのに加え、汚れた河川を浄化するには、他の水路・水系からの導水や送水が有効であることを示唆している。ちなみに、東京駅の地下漏水は皇居のお濠に引き込む予定もあったそうだが、地下水には塩分が含まれていることから、お濠は見送られ、海水と調和しやすい立会川に導かれたとのこと。とりあえずボラちゃんご一行にとっては、立会川に導水が来たことが幸運だったと言える。

一口メモ)

ボラ:スズキ目ボラ科の魚。北海道以南の内湾や河口などに生息する。一般的には11月から翌年2月にかけて海で産卵、孵化した稚魚が群をなして川を遡上し、秋に川を下って再び海に帰る。成長するにつれ、オボコ→イナ→ボラ→トドなどと名前の変わる出世魚として知られる。もうこれ以上先がないという意味の「とどのつまり」はこれが由来。

 余談だが、もう一つの「ボラスポット」である、文京区・豊島区・新宿区の交点から上流へ歩くコース、西早稲田の神田川沿道にも同じ日の午後に行ってみたが、カワウがいただけで、あいにくボラは不在。降雨で増水していることもあり、雨の濁流で流されちゃったんですかねぇ...


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