第128話 2002年15大ニュース(2003.1.1)
☆新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
さて、毎年恒例の10大ニュース。2002年はさすがにいろいろなことがあったので、枠を拡大して「15大ニュース」(今回は1位⇒15位の順)をお届けします。(細かく分ければ20大ニュースにできそうな...) [長文ご容赦]
1.退職、そして、転職...
第116話のご挨拶文に記した通りです。季刊誌(「つなぐ環境パートナーシップ(略称:つな環)」)の方はその後、何とか無事創刊の運びとなり、現在、創刊第2号(冬号)の準備を進めているところです。インターネットやデータベースの整備なども、歩みは遅くとも何とか進行中。7カ月が経ったところで、いろいろと課題も見えてきましたが、この職場そのものがパートナーシップで成り立っているので、いろいろなビジョンや思惟が交錯して、円滑にいかないことが多いのはむしろ当たり前。これも勉強と思いつつ、粛々と持続可能なペースで過ごしています。
ありがたいのは、特に90年代アースデイで知り合った方々に時々お目にかかれること(ご無沙汰していた時間をすぐに取り戻せます)、そして季刊誌の取材を兼ねて、各地に足を運ぶ機会をいただけること、ですね。
10月下旬には、「九州環境ボランティア会議」で小倉へ。その後も西方面の出張が続き、水俣、名古屋、大阪、西宮、京都の環境関連施設などの視察に同行させてもらいました。
学生時代に鉄道で一周した九州ですが、水俣は通り過ぎただけ。初めて水俣の地に足を踏み入れることができた訳ですが、過去の苦難を乗り越え、新たな地域環境創造に向け、行政や市民がともに歩んでいこうとしている空気を実感しました。(1990年に水俣湾の埋立事業が完了したことが一つの区切りになっているようです。) マイナスをプラスに転じるまでに相当の時間を要した訳ですが、この「失敗を正視し、前向きに捉える」ことの大切さを水俣は身を以って発信しているように思います。対立型運動のイメージが強かった水俣でしたが、現場を歩き、現場の人の話を聞くことで、そのイメージが過去のものであることがわかりました。[写真:水俣病資料館から眺めた埋立地と水俣湾の光景]
2.荒川クリーンエイド関係
退職と転職の合間を縫って、事務局作業をお手伝いさせてもらいました。(おかげで、労働感覚が鈍らずに済みました。ありがたい限り。) 役員として推していただいたこともあり、4月からはこれまで以上に作業量を増やし、いろいろと手を出し口を出し... 特に「荒川 遊び案内人講座」(初級)では、CONEリーダー資格に関する情報をいろいろ持っていたこともあり、ここは出番と心得て、受講者への事務連絡、各種書式や修了証(認定証)の準備等、主に事務運営面で注力させていただきました。至らない面は多々ありましたが、受講者の方々のお力添えもあって、講座は無事修了。
ホームページの編集・更新も例年通り、こまめにやらせてもらい、相応の成果を得ましたが、2002年は久々に現場でのクリーンアップ作業ができたのが大きかったです。10月20日、JR総武線鉄橋付近の荒川河川敷での会場運営サポート、そして、11月2日は北区教育委員会主催の「地域土曜講座」の一環で、新岩淵水門(青水門)の地先、都民ゴルフ場の干潟付近で、クリーンアップ体験学習のお手伝いをしました。(お子さん13名を含む、総勢25名) 思いがけず漂着ゴミが多かったことから、予定していたゴミの個数カウントやちゃんとした分別・搬出ができなかったのが反省点です。[写真の通り]
この他の荒川関係の話題は、第118話に記載の通り。とにかく2002年は荒川三昧だったような気がします。(東京を故郷とする筆者にとって、郷土としての原風景や地勢を維持するためにも、荒川に関係する諸活動は今後も重視したいと思っています。)
3.本、雑誌での登場機会が増えた
現在の職場が4月に発行した「やってみよう!環境ボランティアU」に顔正面アップで掲載していただいた(当時はまさか「環境パートナーシップオフィス」勤務になるとは思っていなかったので、好き勝手なトークになってます)のに始まって、(財)河川情報センター発行の「PORTAL」や、(財)リバーフロント整備センター発行の「FRONT」でも写真入りでちょっとだけ登場させてもらいました。春頃に集中して、夏場は何事もなかったので、もう出番はないだろうとタカをくくっていたら、9月になったら何と天下のAERAからお声がかかります。
最近の記者さんはgoogleなどを使ってネタ探しされるようで、この社会面記事については、AERAの記者さんが拙筆ホームページの硬派?!部分にたどり着かれて、僭越ながら実現したものです。(元になった記述は、第60話の後段にあります。)
ちなみに、この記事が出てからの反響は、携帯疑問派の方からばかりでした。(皆さん同じように感じられてたんだなぁ、と意を強くした次第。) 都会は電磁波だらけですから、少しでもリスクを避けるなら、自発的に電磁波発生源は使わない方がいいのかな、と思ってます。(携帯電話を常用されている方には弁解しにくいところですが。)
4.東京モノローグ5周年 & 5000アクセス
1997年9月15日に第1話を掲載してから、まる5年。その間、小刻みながらも読者の皆様のご声援ご拝読をいただき、おかげ様で5000件を超すアクセスに至りました。(ありがとうございます。) googleなどで細かい設定で用語検索をかけると、わかる人にはわかる情報源となっているようで、前記の通り、AERAの取材をいただけたのは、その証しと言えるでしょうか。
5.執筆いろいろ...
おそらく著者名として名前が出るのはこれが生まれて初めてでしょう。学生時代に感銘を受けた名著?!「地球を救う133の方法」の続版(2002年版)として発刊が決まった「地球と生きる133の方法」。同書に1ページ分ですが、執筆の場をいただいたのです。(感無量...) 折り良く(?)無職の猶予期間中にいただいた話だったので、これも何かのご縁と思い、喜んでお引き受けしました。
つい気負ってしまい、案の定、長文かつ難解な文章になってしまったので、実際に掲載されているのはごく短文ですが、元々の文案は第112話に記載の通りです。
原稿書きは、本職の季刊誌では控えているので、執筆の場をいただけるのはありがたいお話。今は、「東アジア環境情報発伝所」の日中韓・環境ニュースと「NPO型インターネット新聞(JANJAN)」の2つに時々記事を載せさせてもらっています。
6.4月、5月は早かった
3月末を以って、会社勤めをいったん辞めたので、次の定職が始まるまではとりあえず自由の身。するべきことをリストアップし、着々とこなしていたつもりですが、あれよあれよで4月が過ぎ、5月になり...。未消化の作業をそのままに、5月末には第116話に書いた通りの展開を迎えます。90年代にためこんでいた新聞記事のスクラップを整理できたこと、未読のEメール(環境系メーリングリストのストック)を減らせたこと、会社在職中の資料をある程度棚卸できたことは大きかったですが、環境関係・旅行関係等の蓄積資料や各種明細・郵便物などのチェック・処分はできず、他にも手が回らなかったアイテムがちらほら。挨拶状(ハガキ&Eメール)を書いたり、保険や年金などの手続きなどもじっくり時間をかけたため、2カ月は思いがけず短いものとなりました。
NEC在職中に資料提供したこともあり、「環の国くらし会議」知ろう・学ぼう・考えよう分科会の第1回会合も傍聴させていただいたり、この時期に重なっていた経済産業省「産業構造審議会NPO部会」、環境省「環境保全活動活性化専門委員会」等に、パブリックコメントなどを一筆投じつつ、次の仕事のテーマと心して、これらの動向を追っていたことがまた、時が経つのを早めたようです。
7."メディカル"な年だった
2001年は生まれて初めて人間ドックを経験しましたが、その余勢か、2002年もいろいろな検査を体験することになりました。
お腹が変な痛み方をするので、3月に大腸ファイバー検査というのを初めて体験したかと思えば、12月には社会保険新宿健診センターでの定期健診で、胃のレントゲン検査というのをこれまた初めて受けました。(これまでは会社付属の健康管理センターで、時間がかかる割には大雑把な定期健診を受けていたので、この健診のきめ細かさには感心させられました。) 3月の検査で腸内の炎症が発覚した後は食事などに気を付けながら、何とか回復していたのですが、この定期健診で再び腸内に疑義が出て、今月1月にまた検査することになりました。どうなることやら。
ちなみに、8月には実に7年ぶりとなる献血に行き、10月にはこれまた生まれて初めて、「リフレクソロジー」を体験し、何だかメディカルな1年となりました。(咬み合わせ不調やら風邪(複数パターン)やらも重なり、総じて体調万全とはいかなかった年でしたねぇ。) 健康管理には余念はないのですが、精神面が身体に与える影響は予期できません。マメにチェックするなり、癒しを求めるなり、常々心がける必要がありそうです。
8.1200駅達成 & 京成線・東武線でさらに上乗せ
第115話で1200駅を達成した後、2002年は一日乗車券を駆使する機会に恵まれ、8月26日に京成線(「夏休み成田空港探検スタンプラリー:京成線一日乗車券」利用[写真参照])、11月14日に東武東上線&伊勢崎線(「埼玉県民の日フリー乗車券」利用)に乗り、行けそうで行けなかった未乗降駅をクリアすることができました。
これまでの積み重ねも加え、
京成本線 【全43駅】 |
上野〜市川真間までの全駅乗降(残り 7駅) |
東武東上線(本線) 【全38駅】 |
池袋〜鶴ヶ島までの全駅乗降(残り 9駅) |
東武伊勢崎線 【全54駅】 |
浅草〜せんげん台までの全駅乗降(残り22駅) |
といった感じで、郊外に向け、また一歩前進、となりました。駅周辺に目ぼしいものがなくなってくるのが泣き所ですが、時刻表をにらみながら移動する楽しさは代え難いものがあります。
9.環境カウンセラー研修会をサポート
これも荒川クリーンエイド関係ネタなのですが、ちょっとした話題なので分離しました。皆さんご存じの「環境カウンセラー」ですが、ローテーションで研修会を受け、資格を更新することになっている(消費生活アドバイザーも同様)そうで、その研修会の事例紹介の時間を「荒川クリーンエイド・フォーラム」がいただくことになり、さぁ大変。活動紹介と提言をまとめた発表用資料を取り急ぎ作ることになりました。
PowerPointでのスライドショーを想定した紹介用資料はかねてから懸案だったため、ここぞとばかりに筆者が準備。実際の発表は、荒川クリーンエイド・フォーラム代表理事にお任せするため、内容や構成を発表者と検討しながらの資料作りです。
研修会当日は、環境関係の諸先輩方を前に黒子(PCの操作係)に徹しました。PowerPoint資料は手元にも配られているため、作った本人としては、それですでにご満悦なのですが、実際に大画面で見るとこれまた感慨深いものがあります。少しでもカウンセラーの皆さんのお役に立てたならうれしい限りです。
知人の環境カウンセラーの方が当日結構いらしてらして、後日、「あのPowerPointの資料は上出来だった」とお褒めをいただいた時には、誇らしくもあり、恥ずかしくもあり...でした。おそれいります。
10.インフラ再構築
自分自身の境遇の変化もさることながら、自宅のインフラ面の変化も大きかった2002年でした。マイラインを含む通信・通話関係の料金体系を見直したのに加え、インターネットの回線も「ADSLは飛ばして一気に"光"に」という念願を達成。プロバイダも合理的な体系に変えました。その経過をまとめてみたのが下表です。ご参考まで。
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2002年1月時点 |
段階的に変更後... |
10月時点 |
電話 |
NTT基本料金 |
ISDN 2830円 |
⇒ |
通常の回線契約に戻したら、月額1750+390円 |
NTTインターネット用通話料 |
ISDNの定額サービス(番号固定型「i・アイプラン」)3000円) |
⇒ |
解除 |
市内通話 |
東京電話 |
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(変わらず)東京電話 |
都外通話 |
NTT |
⇒ |
フュージョン |
プロバイダ |
BIGLOBE |
月額会費(割引) 1600円 |
⇒ |
インターネットメールに切り替えて、0円 |
JCA−NET |
メールアドレス+ホームページ使用料 月額1050円 |
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(変わらず) |
キンデン |
(未導入) |
⇒ |
光インターネット 月額固定 4380円 |
これにより、インターネットの速度は、1秒間に64kb(0.064MB)だったのが、約23000倍の15MBになりつつも、料金は毎月1000円ほど安くなっている、というのだからスゴイ!
ついでに言えば、第122話の通り、PCを入れ替えたことに加え、カメラもアナログからデジタルに切り替えたのも2002年の大きな話題です。(処理するのが楽になり、掲載できるのも格段に速くなりました。)
11.ゴールド免許証
第122話(9月30日の項)に書いた通りです。ゴールド免許証を持ったはいいが、それが「守り」の元になり、クルマを運転するのを避けているようなところはあります。
12.「えこどこナビ」
GPNへの恩返しのつもりで、「えこどこナビ」調査員(ボランティア)を志願し、2月に地元赤羽を中心にお店廻りをしました。もともと環境配慮型のお店が少ない印象の当地にあって、本当に少ないのかどうかを調べてみたい、お店の方の生の声を聞いてみたい、といったことも動機でした。
個別にアタックする前に、まずは全体的な感触や状況を押さえておこうと、以下の通り、インタビューを試みました。(抄録を載せます。)
北区 産業情報センター(北とぴあ10F)にて、センター所長 石田芳郎さんからのお話
(2002/2/23 16:40〜17:00) |
北区 地域情報化推進協議会(北とぴあ4F)にて、協議会事務局長 富田好明さんからのお話
(2002/2/23 17:00〜17:30) |
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環境に配慮した商店街というのは北区では聞かない。
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田端の霜降銀座は環境対応で確かに有名だが、イメージが先行している感じがする。
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商店街がホームページを持つまでがひと苦労。環境に関する情報発信まではまだまだではないか。環境情報から入って来るお客も限られると思われる。
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区内で約100ある商店街のうち、商店街としてのホームページを持っているのは5つどまり。ホームページ作りに熱心な店主が商店街全体のホームページを手がけるケースが多い。
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ITに関する説明会を設けてもなかなか参加してもらえず、ホームページ以前のレベルと感じる。
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商店街の活性化策としてIT活用を考える段階にはなかなか至らない。
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商店街が活発になるには、専門性があって存在価値(アイデンティティー)が高い店が多いこと、二代目が継いでいる店が多いこと、がポイントのようだ。
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赤羽と豊島でホームページを持つ計画があるようだ。この詳細と商店街のIT化に関しては、地域情報化推進協議会の富田さん(右記)に聞くといいだろう。
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お店がホームページを持つことは歓迎だが、作りっぱなしで終わらないようにしてほしいと思う。
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店主が熱心で、ホームページを持続させる意気があればうまく行く。必ずしも凝ったものである必要はなく、テキストだけでもいいし、ホームページが負担ならメルマガだけだっていい。恒久的に情報発信できることが大事。
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店主だけでなく、そのお店の熱心な客(ファン)がホームページを作ってくれたり、口コミ情報がホームページになっていくのもうまく行く秘訣。お客とお店の良好な関係作りがポイントだろう。
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お客の声やお客が欲する情報を発信していけば長続きする。お客がお店にホームページについて尋ねることがお店にとっては動機づけになるようだ。
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環境配慮も含め、お店にヤル気があれば、いい情報発信ができる。逆にきちんと情報発信しているところは環境にもいいことをやっているのではないか。
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環境配慮どころではないお店が多いだろう。だが、情報発信を含め、きちんとやっているお店は確実に存在する。
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環境に特化した情報だと、特定の人しか見ず、広がりが期待できないのではないか。一部の人だけの情報交換サイトでは、情報格差を広げることにならないか。
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「えこどこNavi」にたどり着けるユーザがどれだけいるかがカギだろう。ただし、検索サイトが氾濫しているのが実際だから、goo経由で取り込めたとしても厳しいのではないか。(結局Yahoo!に落ち着いてしまうユーザも多いと聞く。)
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その後、十条銀座商店街、志茂スズラン通り、赤羽駅周辺などで、環境配慮に理解がありそうなお店に入って、チラシ等を渡してきましたが、反応はボチボチといったところ。もともと環境への取り組みが進んでいると思しきお店は残念ながら見つかりませんでした。
13.山下達郎YEAR
映画をこなしたのとは対照的に、2002年はコンサートに関してはご縁がなく、唯一、山下達郎の「RCA/Air
Years Special」なる特別企画型コンサートに潜り込めたのは幸運でした。コンサートネタについては第32話のように、レポートを書くべきところ、今回は曲ごとの計時ができなかったこともあり、やむなく見送り。(コンサートに向けた心境などは第107話に書いた通りです。)
コンサート後は、きちんとRCA/Airの復刻CD7タイトルも買い揃え、ホクホク状態。おまけに10月30日には、裏ベスト盤とも云える「レアリティーズ」も発売されて言うことなし。マイブーム的に山下達郎YEARになりました。(ファン冥利に尽きます。)
11月にお台場に行った際、「レアタツ号」(「レアリティーズ」発売記念のショーボート)なる水上バスにバッタリ遭遇できたのも、日頃の思い入れの賜物と思ってます。[写真参照]
14.映画三昧
第120話で少々紹介しましたが、2002年は(おそらく)学生時代以来となる、月1本のペースで映画館に足を運ぶことができました。正規の料金(当日券1800円)を払った映画は一つもなく、無料招待券が多かったことも手伝って、12本観ながらも総額は6000円。ありがたいことです。一番印象深かったのは「まぼろし」でしょうか。
15.久々のTOEIC
会社で受検できるうちに、ということで、(1996年7月以来)実に5年半ぶりにTOEICを受けました。しばらく受検できなかったのは、受検できる会場の近くに職場がなかったせいもありますが、何よりスコアが低落するのを恐れていたから、ですね。太めの鉛筆を用意してすばやくマークする、とか、先に選択肢に目を通してから質問文を聴く、などのテクニックに頼ったところ、前回より100点近くアップしたので、ひと安心でした。(スコアはご想像にお任せします。)
...今年も引き続き、「東京モノローグ」ご一読・ご笑覧の程、よろしくお願いします。 |