随筆「東京モノローグ2002」(1−2月期)
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第107話 オリジナルアルバム〜(付録)アルバムトータルセールスランキング / 第106話 横浜週末〜(付録)ラーメン店ランキング2002 / 第105話 お客の作法など / 第104話 2001年10大ニュース

第107話 オリジナルアルバム(2002.2.15)

 70〜80年代に発売されたレコードの復刻・再発が進んでいる。アナログレコードよりも音質がいい(?)CDで、しかもお求めやすい価格で出るので、往年のファンはついつい手が出てしまうことだろう。レコード会社が変わると、旧所属の会社がミュージシャン本人の意向と関係なく、適当に楽曲をチョイスして安易なベスト盤を出すことが多いが、最近の復刻・再発はそうしたベスト盤乱発を自省し、本来のオリジナルアルバムのあり方を見直し始めた向きと捉えたい。もちろん、テレビアニメや玩具付き菓子(食玩)、ビールや缶飲料のキャンペーンなど、レコード以外に見られるある種の復刻ブーム(商業主義色が強く、往年にとどめるべき文化的価値を損ねているように思うが)と同じように、郷愁や懐古をビジネスに結びつける事例としても考えられるが、とにかくレコードをオリジナルの状態で復元することには賛成である。

 オリジナルアルバムには、タイトルとそれにまつわるテーマやメッセージが各楽曲に込められる。何の脈絡もなさそうだけど実は、この曲とこの曲は対になっているとか、この曲順じゃないと主題が伝わらないとか、さらには、ミュージシャン個人の心理状況、その時代背景や社会像を記録したものなので、この形以外は考えられない等々、結構深い意味があったりする。特にオリジナル1枚1枚に魂を込める職人気質のミュージシャンの場合、リスナーとしてもそのオリジナルに込められた意味をかみしめつつ鑑賞することが求められ、それがまた喜びとなるような気がする。

 ベスト盤は、本人の意思が働く場合は安心して聴けるが、レコード会社の都合でテキトーに制作されたものはあまり好まない。会社都合だから、音質はもちろん、歌詞カードなどクオリティが問われる部分が手抜きだったりするからだ。そして安易なネーミング!(「グレイテスト ヒッツ」とか「ザ・ベスト」とかならまだしも、「ベスト・オブ・ベスト」とか「スーパーベスト」というアルバム名はいかがなものかと思ってしまう。最上級の'BEST'の上に屋上屋を足すようなのはいただけない。隠れた名曲もいろいろあるはずだし、他の曲に失礼極まりないだろう。本人監修のベスト盤はさすがにコンセプトがちゃんとしてるし、呼称にひと工夫あるからいいのだが。) ただ、オリジナルがあまりに重く、1曲目からラストまで続けて聴くと違和感があるような作りになっている場合は、リスナー個人の好みの曲がより多く入って来る可能性があるベスト盤や企画モノの方がいいこともある。

  • 割り込みメモ

 それにしても近年の現役ミュージシャンのベスト盤ブームには目を見張る。2001年のアルバム(CD)売上上位10作品中、何と7つがいわゆるベスト盤、という状況である(ベスト盤じゃなかったのは、宇多田ヒカル、CHEMISTRY、MISIAの3組)。オリジナルにかける比重が低くなっているせいともとれるし、レコード会社の商業主義の好例ともとれるし。ベスト盤自体のセールスは極めていいのだが、ベスト盤以降に出るオリジナルアルバムの売れ行きに対する影響はあまり考慮されていないようだ。

 もともとBGM志向で、どの曲をどう組み合わせても違和感がないような作り方をするミュージシャンもいる。リスナーが気分に応じて曲を組み合わせる楽しみができる分、これはこれで「音楽」の一つの姿だと言える。ミュージシャンがBGM志向でなくとも、リスナーが曲そのものをBGM的に捉えた場合はやはりBGMである。ミュージシャンが「そんな聴き方するな」といったところで避けられない。1曲1曲がバラ売りになり、インターネットでダウンロードして、MDなんかで録り直しするリスナーには、オリジナルがどうのといったところで通用しないだろう。かつては筆者も、何枚かまとめて入るCDプレーヤーをもとに、好きな曲を好きな曲順でカセットにダビング(自分なりのベスト盤編集)してウォークマン等で聴き直すのが趣味だった。(しかもテープの長さピッタリに入れるのを得意としていた。これって特技?) ミュージシャンの意向に沿ってなかったかも知れないが、オリジナルアルバムを通しで聴く時に生じる不連続性や起伏がない分、滑らかに「音楽」を楽しめたのではないかと思っている。

 話が前後するが、オリジナルアルバムであっても、そうした収録曲相互の違和感を超越して、アルバムだからこそ生まれる透徹したメッセージ、そして音が持つ力や醸し出す情景を強烈に感じざるを得ないものは多々ある。それは組合せや曲順の入れ替えに頼らず、1枚をしかと聴きとめることで音楽を楽しむことができる逸品である。大げさかも知れないが、これこそがオリジナルアルバムの醍醐味なんだと思う。

 音楽にまつわる話題をこれまでいくつか紹介してきたが、アルバムに関しては恥ずかしながら、第19話程度である。今回は筆者所有の日本人ミュージシャンのCD(アルバム)約250枚(99年までは正確に把握していたが、ここ3年ほどデータ管理してないため概数)のうち、

 ・ベスト盤を含めて筆者がCDを7枚以上持っている
 ・グループやデュオでなく、あくまでソロミュージシャン
 ・これまでコンサートレポートでとりあげてきたミュージシャン中心

 を基準として、筆者好み&選りすぐりのオリジナルアルバムを披露したいと思う。80年代以降のものが多く、最初からCDで発売されているからまだまだ復刻扱いにはならないだろうが、最新のマスタリングで再発売してもらえたらありがたいものばかりである。今まで小出しだったが、これで概ね筆者の音楽系譜がおわかりいただけるだろう。

注記)

  • 1枚1枚取り上げると、それで1話分費やしてしまいかねないので、ここはグッとこらえて、1ミュージシャンにつき1作品のみ簡単なコメントを付すにとどめる。

  • ここに記載したアルバムは全てCDで持っている訳ではない。(CDで持っているには重い場合や、持っているベスト盤CDとダブっている曲が多い場合。こういうアルバムはカセットのみだったりする。)

 これを聴いていた時の筆者の身の回りにインパクトがあったりすると、アルバムと当時の境遇がオーバーラップして記憶されることから、より印象強く感じられるのかも知れない。しかしながら、

 昔はちゃんとアルバムタイトル、収録曲、曲順まで憶えていたのだが、ゆとりを以って音楽と接する時間が減ってしまったようで、思い出しにくくかったこと。これを書き起こすのに結構手間取ってしまった。...不覚 w(+_+)w

(凡例)

■ミュージシャン名 50音順 (*ハイパーリンクはアルバム紹介サイト)

 お好みランク、タイトル、発表年

杏里

  1. NEUTRAL(1991年)

  2. Timely!!(1983年)
    →「キャッツアイ」「悲しみがとまらない」収録の名盤。プロデュースは角松敏生。杏里にダンス系ポップスの音楽基盤を持たせるべく作った、と言うだけあって聴き心地がいい。(角松はこの時初めて知った。)

  3. Angel Whisper(1996年)

EPO

  1. ハーモニー(1985年)
    →80年代EPOの極みとも言える1枚。中古をずっと探していたが、昨冬、近所のブックオフでようやく入手できた。

  2. VITAMIN E・P・O(1983年)

  3. FIRE & SNOW(1991年)

大滝詠一

  1. EACH TIME(1984年)
    →筆者が持っているのは、ボーナストラックが2曲入った「Complete EACH TIME」。この後、今日に至る18年間、オリジナルアルバムは発売されていない。

  2. A LONG VACATION(1981年)

  3. ナイアガラ・カレンダー(1978年)

角松敏生

  1. Touch And Go(1986年)
    →JR東日本の「Suica」も「タッチ&ゴー」がキャッチフレーズだが、本来"Touch And Go"は「船が水路ギリギリのところを通過する際、船体が岸などに接触しそうな状況」を指し、口語会話では「どっちに転ぶかも知れないきわどい状態」を意味するそうだ。角松本人も飛行機での"Touch And Go"を形容してアルバムタイトルにした、とFM番組で語っていた。確かにスリリングで、かつドライブ感がある1枚だと思う。日本レコード大賞アルバム賞受賞。

  2. BEFORE THE DAYLIGHT(1988年)

  3. 存在の証明(2000年)

坂本龍一

  1. Beauty(1989年)
    →全体を通じて、沖縄の音楽の癒し効果を実感できる1枚。ボーカルで出てくるユッスー・ンドュールの声や歌い方が山下達郎に実によく似ていて驚かされたことを思い出す。

  2. 音楽図鑑(1984年)

  3. Heart Beat(1991年)

佐野元春

  1. Cafe Bohemia(1986年)

  2. Heart Beat(1981年)

  3. No Damage(1983年)
    第84話でも書いた通り、筆者が買ったCD第1号である。ベスト盤と位置づけられているが、佐野元春ならではのコンピレーションポリシーが盛り込まれていて、オリジナルアルバム色が強い1枚だと思う。

竹内まりや

  1. Quiet Life(1992年)

  2. REQUEST(1987年)
    →全体の調和が良く、どこからどう聴いても和む1枚。レコード大賞アルバム賞は確実、と思っていたが受賞ならず釈然としなかったのを覚えている。

  3. Miss M(1980年)

矢野顕子

  1. オーエス オーエス(1984年)
    →中でも「終りの季節」が特にお気に入り。オリジナルは細野晴臣だが、矢野顕子の手にかかると実に牧歌的な佳品になる。

  2. WELCOME BACK(1989年)

  3. SUPER FOLK SONG(1992年)

山下達郎

  1. FOR YOU(1982年)

  2. 僕の中の少年(1988年)
    →発売延期になってやきもきしたのを思い出す。全体的にテーマが濃く、特に「蒼氓」は当時20才の筆者にとって実に示唆に富む曲で、心に響いた。

  3. COZY(1998年)


 さて、今回、オリジナルアルバムについて書こうと思ったのは、何を隠そう山下達郎の過去のCD(筆者が本格的に聴き始める前までの)7枚(1976〜1982年発売分)が一気に復刻されたことを受けてのことである。

 「地獄の黙示録」「E.T.」は未公開シーンを織り交ぜて、リマスターされてスクリーンに出てくる。これと同じようなコンセプトで、音質向上+CD未収録曲(ボーナストラック)追加+解説書付きでの登場である。オリジナルアルバムに精魂注ぐ、職人 山下達郎ならではの、こちらもただならぬ復刻と言える。レコード会社主導でなく、本人の強い意思による訳だから、冒頭に書いたような復刻ブームのそれとは一線を画すべきだろう。

 本人のFM番組中のコメントによると、

  • 過去売れなかった頃は、予算が足りなかったこともあり、予備的な録音(テイク)ができず、そのためボーナストラックも過去のもの程少なくなっている。

  • それでも2年間かけて集めた甲斐あって、全部で21曲のボーナストラックを入れることができた。

  • ボーナストラックは、全く未発表の曲、カラオケバージョン、ライブ録音の3種類がある。

  • 全てデジタルリマスタリングして音質をアップしてある。

  • 歌詞カードを一新し、ライナーノート(曲目解説)も付録。

 とのこと。第32話で記した山下達郎の顧客志向がこれでもおわかりいただけると思う。

 1987年、大学入学当初にボックス仕様のものをまとめて買って持っていたが、確かに歌詞カードがお粗末だったり、特典に乏しかったりだったことは事実。CDと言えど、全く劣化しない訳ではないので、15年経って復刻盤が出てくるというのは時宜に適っているし、何よりファンサービスたっぷりなのが嬉しい。ライナーノートやボーナストラックの魅力も代え難いものがあり、この際まとめて買い直すことにした。が、しかし、

 ビックカメラ商品券をチケットショップで買い込んで、池袋と渋谷のビックカメラを探し回ったのだが、もともと置いていないのか、買い占められてしまったか...? 敬愛するミュージシャンのCDなのに、できるだけ安価で手に入れようとした報いだろう。発売後2日経って、いまだ1枚も手にしていない筆者であった。
(本当はちゃんと入手してから本稿を書くつもりだったのだが、無念(+_+)!) 今回の復刻を記念したコンサート(この7枚に収録されている曲限定! 国民的名曲「クリスマス・イブ」(1983年)は演奏対象外である)には、幸い3月8日に行けるので、何もビックカメラで買い急ぐことはない。会場で買った方が特典が付くことだし、当日まで待つとしよう。

吉田美奈子

  1. Light'n Up(1982年)

  2. Extreme Beauty(1995年)

  3. モノクローム(1980年)

 これ以外の作品も良いため、全体的に甲乙つけがたいのだが、思い入れの深い曲がより多く入っているアルバムを推すことにした。「モノクローム」は第54話でちょっとだけ紹介済み。

(またまた、付録)

 カウントダウンTVに似た趣向の特集番組で、確か1970年から2000年までの31年間のアルバムトータル売上上位100人(組)なるものを観た。筆者お気に入りのミュージシャンはセールス的には必ずしもメジャーではないのでここにはあまり挙がってこないが、それでも30年スパンで見てみると、息の長いミュージシャンが顔を並べてくるので、納得のいくランキングになる。音楽には単にセールスだけでは推し測れない要素が多々あるので、万能とは言えないが、史料としては有益なので書きとどめておくことにした。ベスト盤がミリオンセラーになっているミュージシャンは優位なようだ。オリジナルアルバムの売上だけでランク付けするとまた違った結果になるだろうと思う。

1

B’Z

11

浜崎あゆみ

21

中島みゆき

31

ビートルズ

41

竹内まりや

2

松任谷由実

12

TUBE

22

TRF

32

山下達郎

42

スピッツ

3

ドリームズ・カム・トゥルー

13

宇多田ヒカル

23

長渕剛

33

SPEED

43

尾崎豊

4

サザンオールスターズ

14

中森明菜

24

米米クラブ

34

Misia

44

LINDBERG

5

Mr.Children

15

マライア・キャリー

25

槇原敬之

35

渡辺美里

45

TMN

6

ZARD

16

大黒摩季

26

今井美樹

36

氷室京介

46

福山雅治

7

GLAY

17

井上陽水

27

浜田省吾

37

SMAP

47

布袋寅泰

8

CHAGE & ASKA

18

ラルクアンシエル

28

Judy & Mary

38

久保田利伸

48

中山美穂

9

globe

19

ELT

29

松山千春

39

杏里

49

オフコース

10

松田聖子

20

安室奈美恵

30

矢沢永吉

40

プリンセスプリンセス

50

T−BOLAN

 宇多田ヒカルが13位なのは意外な感じもあるが、実はデビュー作「FIRST LOVE」だけでこの順位とのこと。2作目「Distance」は2001年の作品なので、ランキングに入っていないのである。スゴイ!

第106話 横浜週末(2002.2.1)

第100話から特集やシリーズものが続いていたので、久々の日常モードでお送りする「東京モノローグ」。今回は、土曜日の横浜日記(単独行動なら「横浜モノローグ」ですが、今回は妻同伴)です。のびのび筆に任せていたら何だか長文(約5000字)になってしまいました。(^^)v

 湘南新宿ラインが開通したおかげで、赤羽から横浜へは一本で行けるようになったのだが、なかなかその恩恵に預かれない。横浜か桜木町への単純往復なら渋谷から東急東横線に乗る方が安いからである。しかし今回は、横浜美術館、カレーミュージアム、放送ライブラリー、横浜名物(家系)ラーメン、中華街、あたりを一気に廻ろうと考えたため、東急ではなく、横浜フリーきっぷを使ってのJRでの往復にした。

 横浜<=>新杉田の根岸線乗り降り自由と、出発駅から横浜までの往復乗車券がセットになったもの。池袋からの横浜フリーきっぷは何となく割高で1220円。しかしこれが品川からだと何と550円まで値下がりする。品川<=>横浜の単純往復560円よりも安い。池袋から品川までまず切符を買って(片道250円)、品川でフリーきっぷを買い直せば170円浮く。という訳でまたしても、湘南新宿ラインには乗らず、わざわざ品川まで廻って、いったん下車して、横浜フリーきっぷを買って、東海道線で横浜へ南下、という回りくどいことになった。(よく考えると、湘南新宿ラインを使えば、品川廻りの時間ロスや面倒がないから、1220円でも高くないという考え方もある。でもこれは直通電車ができた後だから言える話。)

横浜フリー乗車券 フリーきっぷは自動券売機で買える。タッチパネル左側の「とくとくきっぷ」のボタンを押せば、ホリデーパスとかと一緒に画面表示されるようになった。味気ないけど便利になったものである。1枚だけ出てくるかと思ったら、ゆき券とかえり券(右写真の通り)の2枚が出てきたので驚いた。ゆき券は、最初の下車駅(横浜〜新杉田のどこか)の改札を通した時点でおしまい。フリー乗車券として使えるのはかえり券の方で、横浜〜新杉田のどこかで改札を通れば、あとはこの区間内が乗り降り自由になって、品川駅を出る時に回収、となる訳である。往復型の乗車券ならではの仕掛けである。

 さて、朝早くに出たつもりだったが、品川廻りの分、やはり遅くなってしまい、昼食時間も近づいてきたので、横浜美術館はひとまずパスして、横濱カレーミュージアムに向うことにした。10時30分過ぎ、関内着。数分後、イセザキモールの入口に近いカレーミュージアムに初めてお目にかかる。人の群れが整列していたので、相変わらず人気があるもんだ、と感心していたら、1周年誕生祭とやら(そうかやっと1年か)で、今日は「世界最古のカレー再現試食会(小皿)」(左下写真)が11時からあって、それに並んでいることがわかった次第。来る前にここのホームページを見たら、確かに1周年どうのこうのと書いてあったのは知っていたが、まさか試食会待ちだったとは。それでも、試食の列はそのまま開店待ちの列につながっていったので、イベントがあってもなくても、行列系の場所であることには変わりないようだ。世界最古のカレーは、何でも約2500年前のインドで、木の実・草の根・多種類のスパイスで作られていたというまことしやかなもの。温めてなかったが、風味と含蓄のある一皿だった。

「世界最古のカレー再現試食会」の様子 この日は、誕生祭にあわせて、大阪船場で有名な自由軒というお店がミュージアムに進出してきた初日だったので、自由軒目当ての客も多かったようだ。そのおかげで、こっちは他の6つの常連カレー店からゆったりと選んで待ち時間なしで入ることができた。11時の開館と同時に、自由軒は40分待ち。他は0分である。かえってありがたかった。(この様子だとふだんも11時に入館すれば、並ばないで済みそうだ。) 欧風とインドカレーの両方を扱っている「トプカ」に入った。インド系オススメのキマカレーを食べたが、だんだん辛さが堪えてくるようになっていて、これまでのキマカレーのイメージがすっかり変わってしまった。でもいつまでも後を引く辛さではなかったので、汗をかいたせいもあるが、食べ終わった後は何かサッパリして、スパイスが体に利いているのを感じた。こういうところでないと味わえない一品だと思う。

 ミュージアムなので、館内は当然のことながらカレーにまつわる様々な展示や余興がちりばめられている。各社レトルトカレーやルーなどの古典的なテレビCMを放映する「なつかCM」やいろんな香辛料について一望できるクイズや展示の数々は特によかった。しかし、展示物は館内通路を中心に配してあるので、入店待ちの行列が通路壁際に連なってしまうと展示が遮られてしまうのが泣き所。トプカを出て、しばらくしたらどの店も20〜40分待ちになっていたので、単なるミュージアム見物客にとっては受難である。12時30分頃で、「せんば自由軒」と「ぐーるMAN」(横須賀海軍カレー)が40分、「トプカ」は30分だった。

 カレーミュージアムの次は、ひたすら徒歩で横浜スタジアムを横切って、日本大通り、横浜港郵便局方面へ。なかなか行く機会がなかったが、こちらもようやく初入場となる「放送ギャラリー」。オープンしてからそれなりに歳月が経っていたので、テレビ番組の収集もだいぶ進んだものと思い、満を持してやってきたのだが、まだまだ1番組につき1本程度といった感じ。「ザ・ベストテン」などの歌番組や、バブルの頃に流行っていたバラエティ番組を観れるだけ観ようと思っていたが、ちょっと拍子抜けだった。公共のライブラリーなので、言うなればテレビ番組の図書館みたいなもの。記録としての価値重視だからだと思うが、下世話な番組は対象外だし、とにかく広く浅くという状態である。実はホームページで所蔵番組を検索できるようになっているので、予め調べてから臨むことは可能だったのだが、当然あるものとタカをくくっていた「ザ・ベストテン」が1つもなかったのはちょっとショックだった。妻君とは別々に最初の2時間を過ごし、残り1時間は同席で「仮面の忍者 赤影」と「オレたちひょうきん族」を観ることにした。ヘッドホンを付けての視聴なので、あまり周りを気にしていなかったが、図書館同様、大笑いしたらマズイ訳で、ひょうきん族を観ていたら案の定、女性館員に注意を受けてしまった。(^^; 面目ない。(分煙で席を分けるのと同じ発想で、お笑い席と禁笑席に分けるとかしてくれればいいのに... ひょうきん族を黙々と観ていたら、その方が気味悪いと思うのだが。)

 ちなみに、利用方法は簡単で、(1)検索画面でまず利用者登録、(2)そのまま番組を検索(タイトルの部分検索、ジャンル別、番組別、年代別など)、(3)観たい番組を選んで、カードを出力、(4)カードを受付カウンターに持っていって、視聴席を確認(番組はおそらくハードディスクレコード方式で保存してある。受付カウンターではカードをもとに、番組を席に「ロード」してくれる。ビデオテープやディスク媒体のやりとりはない。電子化の好事例だと思う。)、(5)席に付いている操作盤を使って、番号を入力して、再生[>]を押せば番組スタート、(6)[<<]戻り操作はできないので、ひたすら観るだけ(早送り、中断は可能)、(7)終わったら、また検索画面で観たい番組を探して、カウンターへ、といった感じ。

 カード1枚で番組は1つ限り。何本かまとめての視聴はできないようになっている。それでも、誰かが今観ているからその番組は観られない、という不便なことはない。安心して1回1回確実に観れるのでありがたい。難点は、受付カウンターは有人・対面なので、あんまりヘンテコな番組をリクエストするのは憚られる、ということくらいか。

 放送ライブラリーを出て、関内駅に戻ったら、すでに17時過ぎ。今回はこの時点で横浜美術館(18時まで)と中華街(とにかく寒かった(x_x)ので)は見送りとなった。残すは、かつて新杉田にあり、今は横浜西口に移転した、いわゆる家系ラーメンの元祖「吉村家」へ行くことのみ。せっかく新杉田まで行ける切符を持っていながら、吉村家が引っ越してしまったのでは仕方ない。フリーきっぷ大好き人間の筆者としては思いが募るが、ここはおとなしく横浜に戻る。西口(というか相鉄口)からビックカメラ、ヨドバシカメラ、ダイエー、東急ハンズと続く街路をひたすら歩く。新横浜通りとの交差点(岡野町)の脇、お目当ての吉村家はすぐにわかった。何せ15人程が軒先のベンチで順番待ちしてるのだから、目に留まらないはずがない。16時台なら比較的空いていると聞いていたので、17時台になってしまった時点で行列は覚悟していた。この人数ならまぁラッキーな方だろう。とか何とか言っているうちに、15分程で席に着くことができ、正直驚いた。行列ができても効率よく捌く店こそ名店である。第70話の行列店はまがい物だったと言えそうだ。

 予め、プラスチックの小片形式の食券を買って、この日のサービス、味付たまご代の10円玉3枚を用意して待つ。他に中盛り、大盛りもあったが、最初は基本から食すのが筋なので、この日は普通盛りラーメンを注文した。着席して、カウンターに食券+30円を置けば、黙っていても味付たまご乗せラーメンが配膳される。明瞭簡潔なシステムである。醤油系とんこつスープに、太めで短い麺が入る。具は、ノリ、ホウレン草、刻みネギ、チャーシュー。これにタマゴが加わり、結構鮮やかである。スープは濃厚だが、もたれない。見た目と違い、案外サッパリした感じで良かった。家系ラーメンの神髄、ここにあり、といったところか。より美味しく食べるには、というガイダンスが掲示してある。生姜・カラシ味噌・浅葱色のニンニクを小匙1/2、胡椒と酢を少々...とある。胡椒と酢は避け、生姜・カラシ味噌・ニンニクを中盤から少しずつ入れながら賞味した。確かに絶品かも知れない。雨のせいで、外気温が急に低くなった折り、このラーメンには救われる思いだった。

 横浜美術館、中華街は機会を改め、その時また家系ラーメンを訪ねる、ということで今回はとりあえず落着。という訳で、昼のカレー、夜のラーメンとメニュー自体はお手軽だが、名店の玩味を堪能できて、納得の横浜土曜日であった。(帰途に湘南新宿ラインに乗ることも可能な時間ではあったが、東急ハンズに寄り道してしまったので、またしてもお預けである。)

 さて、吉村家へ行ったことを受け、3年ぶりに筆者好みのラーメン店ランキング(主に23区&横浜)を再掲しようと思う。代謝が落ちてきたため、コテコテ系を敬遠せざるを得なくなったり、とんこつ&細麺に嗜好が傾いてきたりしているので、あまりジャンルを超えたランキングになっていない点、ご了承を。(前回ランキングは、第34話参照)

 

店名

最寄駅

11

おもだかや

神保町

1

長浜ラーメン

新代田

12

松もと家

池袋

2

唐そば

渋谷

13

丸富

恵比寿

3

吉村家

横浜

14

山頭火

渋谷、他

4

富士ラーメン

高田馬場

15

千代作

高田馬場

5

博多一風堂

恵比寿、他

16

紅醍醐

赤羽、他

6

九州じゃんがららーめん

原宿、銀座、秋葉原、他

17

ちゃんぼくじゃ

渋谷

7

千石自慢ラーメン

王子、千石

18

醍醐

表参道

8

赤坂らーめん

渋谷、他

19

揚州商人

恵比寿、目黒

9

桂花

新宿、渋谷、横浜、他

20

宝亭

五反田

10

ザボン

西武新宿

満来

新宿

 ちなみに、TOKYO WALKER 99年11月9日号のラーメン特集に、この家系ラーメンの総まとめのようなものが載っていたので、この際参考までに系統と店名を列記してみよう。吉村家を皮切りに、今後どこまで家系ラーメンに足を運べるかわからないが、系譜に沿って食べ比べしてみようと思う。

*各系統の本家は省略。神奈川県内のお店中心。

【吉村家&六角家系】 つるちゃん、金八家、ONOMICHI

【本牧家系】 寿々喜家、菊地家、川崎家、いくた家

【介一家系】 近藤家、林家、矢口家

【その他の吉村家系】 大ちゃん、中島家、ラーメン専科みやこ、おーくら家、長谷川家、ぎょうてん屋、八正家

 この他に、吉本家系、壱六家系というのもあるようだが、吉村家からの分家ではないようだ。また、横浜家というのが吉村家の向いにあるが、これも無関係らしい。

第105話 お客の作法など(2002.1.15)

 第60話から始まった15話ごとのマナーシリーズ。今回で4回目になるが、細かいシチュエーションや「べからずランキング」はヌキにして、一般論として「お客のとるべき作法」についての論考である。

 商売の基本は「お客様第一」。苦情やクレームは丁重に扱い、きちんとフィードバックすることで商売の糧とする。売り手の都合ではなく、あくまで買い手(=お客)の立場に立って、謙虚な姿勢で接する。等々、これらに忠実な商売は確かに持久力があるように思う。一方、苦情やクレームの発生抑制に力を注ぐ余り、やたら丁寧かつ低姿勢になってしまい、一部の良からぬ客を増長させてしまうケースも目に付くようになっている。腫れ物を触るような事勿れ的な姿勢は潔くないし、かえって客に失礼に当たると思われる。さて、

 消費者主権が定着して久しいが、主権と言えど相応の負担や義務が伴うことを忘れている消費者が多いのもまた事実。消費者主権と商業主義が手を組んで、行き着いた先が「顧客至上」「顧客満足」だとすると、顧客の考え方に疑念が生じる。商業主義はとにかく客を甘やかして「売ってしまえば目的達成」みたいな面があるが、これは消費者主権の曲解だろう。客としての権利と義務を商売を通じて伝える。商品と一緒に振る舞いや礼を売る。というのが商売の基本として求められるのではないだろうか。そうした理解を伴った消費者が市場を形成する。これが消費者主権であり、振る舞いや礼を弁えた消費者を顧客と呼ぶのだと思う。商業主義や客への甘やかしが、一部の客人の身勝手さや愚行につながっているように思えてならないのである。

 いくつか事例を拾いながら、考察を加えてみよう。


【公共交通】

 禁煙なら禁煙、携帯電話不可なら不可...公共交通におけるマナーのよびかけは、場の責任者が厳しく断言すべきである。乗客をお客様として扱わないことが問題視されたこともあったが、民営化してから逆に過度に丁重になってしまった印象を受ける鉄道会社もある。

 駅構内での喫煙について「終日禁煙とさせていただいています。おタバコは喫煙所で...」と自動音声が流れるのをよく耳にするが、このアナウンスは言外である。言うことを聞かない人に「させていただく」と呼びかけたところでどれほど効果があろう
(「終日」の意味もわかりにくいし)。 エスカレーターはじめ、喫煙所以外でプカプカやる人がどれだけ増えていることか。効き目がなくなっている証拠である。効き目がないアナウンスはマナーを守っている喫煙者にとっても不快な印象を与えかねない。喫煙マナー違反者を増長させるような呼びかけは止め、「当駅では24時間、喫煙所以外でタバコは吸えない決まりを設けています」とか、これが言い過ぎなら逆に「本日も喫煙所での喫煙を守っていただき、誠にありがとうございます」とマナーを守る人を応援するようなアナウンスにした方がいいだろう。

 携帯電話の使用禁止についても、交通機関によってかなりの温度差があるが、やはり「自分自身にも何らかの影響がある」くらい脅かして、使用禁止を断じた方がいいと思う。「ご遠慮」とか「お控え」では手ぬるいだろう。喫煙所同様、マナー履行者を鼓舞するようなアナウンスがいいかも知れない。「本日も携帯電話の電源OFFにご協力いただき、誠にありがとうございます」で済む訳だし。

 お手洗いの使い方もいろいろ貼り紙がされている割には効果が薄いようだ。ここも一つ「お手洗いを清潔かつ丁寧にご利用いただき、いつもありがとうございます」といった感じでどうだろう。実際にこうした文言でうまくいっている事例が多いと聞く。

 つまり、乗客(マナー履行者)への敬意を含みつつ、マナー不履行者の反発を招かない言い方で、断じる。ということだろうか。慇懃無礼でもないし、卑屈でもない。利用する側・される側がお互いにイイ関係であるための工夫である。これを顧客サービスと言わずに何と言おう。


【飲食店】

 第90話ではファミリーレストランでのマナーを考えた。客への甘やかしが目に付く分、逆に客としての作法がより強く求められるのは特に飲食店だと思う。料理にはその店の思いが込められる。その思いに客がどう答えるか。これは人と人の一定の緊張感が生じる場所でもあるはずだ。だがその緊張感があまりにもない。それだけ飲食店が堕してしまった、ということだろうか。(もちろん、そうした緊張感を欲しない客がお手軽な店に流れ込んでくるのだと思うが... それにしても甘やかしにも程があろう。)

 例えば、注文は的確に。イレギュラーな注文はしない。共用物(ナプキン、ティッシュ、楊枝等)を浪費しない。テーブルはむやみに汚さない。器はキレイに片付ける。会計はスムーズに。他の客に迷惑はかけない。など、どれも協力しようと思えばできることばかりなのだが、これができない客が増えているように思う。金さえ払えば文句はないだろう。極端だと「こっちは客だ(そっちは従者だ)」という意識が見え隠れする。店と客の良好な関係が築けない以上、商売繁盛は有り得ない。客に礼を求めることで、商売を成り立たせていく努力が欠かせないのではなかろうか。

 マナーの悪い中高生に占拠されているファーストフード店を以前はよく見かけた。他の客が迷惑を被っているのは明白なのに店員も店長も見て見ぬフリで腹立たしかったことを思い出す。(あんまりひどいので、帰り際に店員に注意したこともあった。) こうした中高生を叱らないのは店の怠慢以外何物でもない。

 食べ残しを許さない神保町の天丼屋、勉強しない学生には割引しない神田駅前のカレー屋など、古くからの店主はさすがに弁えていると思う。

 余談だが、ホテルなど宿泊施設でも同様。備品をやたら使わない。省エネに努める。要らないモノは持って帰らない。部屋は汚さない。ゴミはできるだけ出さない。帰る際にはできるだけ原状に近づけ、キレイな状態で、と筆者は心がけている。


【商店】

 未成年者にタバコや酒を売らない。これは特にコンビニでは当然だろう。ブランド品を売る店は、本当にブランド品を身に付けるに相応しいかどうか、購入資格制度か何かを設けて客を選別したって構わないと思う。ブランド品は職人の思いがわかる客に売らないと、職人に失礼だし、そのブランド自体の損失にもつながり得る。客への甘やかしは許されない世界のはずなのに、一体いつから商業主義本位になってしまったのだろう。店が守るべき本分をきちんと客に伝える姿勢が問われているように思う。

 小売店では、千円札が不足するので、一万円札での会計は遠慮してもらったり、コストダウンのため、商品陳列や包装の簡素化に対して理解を求めたり、というケースを見かけるが、これは正直でいいと思う。困るのはこうした断り書きが許せない無分別な客である。店の都合優先と映るかも知れないが、だからといって客のことを考えていない訳ではないのである。無理解な客は、しっぺ返しが怖い面もあるが、帰ってもらってもいいだろう。他の多くの善良な客を味方に付ければ何も恐れることはないのだから。ただし、なげやりな協力要請では反感を買うし、協力する気を削ぐような態度や雰囲気があったとしたら、お店側が善処しなければならないのは言うまでもない。ここでも理解ある客への敬意を表に出しつつ、不義な客の反発を招かない言い方で、ということになろうか。


...どんな状況であれ、客全体で守るべき秩序や作法がある訳で、そもそも「客」というのは、お店や場に対する何らかの協力(負担や義務含む)が求められる存在なのである。金を払えばいい訳ではない。お金のやりとりは、その関係性を享受すること、と言い換えられるとしたら、そこには甘やかしや甘えはなく、お互いが敬意を払い合える対等な関係が成り立つ。然るべき振る舞いや礼で満たされた空間は、それで十分居心地がいいはずだし、己ずと商売も円滑になるだろう。

 お店の方針を明確に、そして店主の本音を前面に。商品やサービスそのものだけでなく、思い入れやマインドにも価値や価格がある、との認識に立てば、お客への接し方も変わってくると思うし、「正直で潔く、かつ敬謙な態度」がその店や場の価値を高めるのではないかと確信する。サービスの一環としてマナーの啓発も売る、くらいの気概があってもいいと思うのである。

 過剰な敬語や言い回しはかえって不快だし、客への甘やかしを放置しておくと社会問題になるだろう。その兆しでなければいいが、今年も各地で成人式が荒れているようだ。権利義務意識や作法を解さない成人が増えているのも、歪んだお客至上主義が遠因にあるような気がしてならないのだが。

第104話 2001年10大ニュース(2002.1.1)

 新年あけまして、おめでとうございます! 本年もよろしくお願いします。

 さて、21世紀最初の年、2001年も振り返ってみるといろいろありました。書き初めとなる2002年第1話は恒例、筆者の2001年10大ニュースでスタートです。
毎々手前の話で恐縮ですが、どうぞひとつご参考まで。まずは、第10位から。


10.環境ボランティア応援キャンペーン

 ふだん何かとお世話になっている地球環境パートナーシッププラザ(GEIC)&環境パートナーシップオフィス(EPO)さん。12月からの「環境ボランティア応援キャンペーン」のお手伝いをさせていただきました。(「仕事とボランティア」というタイトルで、僭越ながら筆者の活動を紹介してもらっています。GEICの館内展示をご覧いただければ幸甚です。(1月11日まで)


9.グルメな一年

 欧州旅行(後述)でもグルメを堪能できましたが、2001年は珍しく近郊や地元でもグルメな一年となりました。

 昨年行った中でランク付けするなら、以下のような感じです。
(コメントは省略)

1.元町梅林(小皿コース割烹)

2.青いパパイヤ(ベトナム料理) *第91話でちょっとだけ紹介

3.パンパシフィックホテル(朝食バイキング)

4.活水料理やまと(体が歓ぶ精進料理)

5.カーヴ・ド・カツヌマ

次.下関ふぐ *第87話でちょっとだけ登場


8.しし座流星雨

 第30話でもふれましたが、3年ぶりのしし座流星雨は本当に見ものでした。11月18日は早寝して流星雨ピーク時間に備えます。さすがの深夜の寒さに眠気も吹っ飛び、夫婦そろって出現数を数えました。東から南の空を広く見渡す範囲、星座で言うと「しし」「おおいぬ」「オリオン」の間一帯に視線を走らせます。11月19日の2:30から4:00までで何と320個! 明るい東京の空でこれだけの数が見られるとは驚きでした。1秒間に数個同時、というのもあれば、いわゆる火の玉状のものが長く尾を引くパターンも見られました。偶然ですが、概ね100個目・200個目・275個目・310個目が明るく激しい流星だったので、天体のリズムのようなものも感じることができました。


7.ビーチクリーンアップ

 第99話の通りです。肝心の荒川クリーンエイドの方は昨年も参加できませんでした。(北区主催の日はなぜか雨天になってしまうので...)


6.消費生活アドバイザー資格更新

 97年に取得したこの資格。2000年から資格の更新方法が変わり、任意の講座を選んで受講するのみ、という簡素なものになってしまいました。(かつては論文+面接だったとか...) 講座の模様は第93話に掲載した通りです。


5.初の人間ドック

 心身の不調ついでと言ってはバチが当たりそうですが、2001年という年でもあるので、きちんと検診してもらおうと思い、自発的に、生まれて初めて人間ドックにかかりました。場所は、西洋と東洋のいいところを融合した医療をめざす久野マインズタワークリニック。院長おすすめの精進料理(前述の9位「活水料理やまと」)が組まれていた上、マッサージもしてもらい、いい骨休めになりました。検診結果は概ね予想通りでした。(危険信号はありませんでした。念のため。)


4.イースクエア「エコマースシナリオプロジェクト」

 GPN在職中、いい意味で何かとお騒がせだった株式会社イースクエアさん。NEC復帰後にこれほどお世話になるとは予想外でした。マインドの高い方々の起業家集団、という印象です。単なる環境ビジネスではなく、懐が深いというか、とにかく感心しきり。(ビジネス志向の環境NPOにとっては強力なライバル出現かも?!) 「エコマースシナリオプロジェクト」は、2010年の世界の環境がどうなっているかを各社の参加者が共同で話し合い、いくつかのシナリオをまとめ、企業としての戦略立案に役立てる、という同社主催の意欲的な取り組み。7月から11月までの5カ月間で、研究会(計5回)、合宿ワークショップ、まとめ集中セミナーという編成で、充実したプログラムでした(正直、ついていくのが大変でしたが...)。楽天的な筆者は(悪いことは考えないという)人々の想い次第で最悪のシナリオは回避できる、などと安穏と構えてましたが、客観的事実はしっかり押さえて、然るべき事態に備えることの重要さを学んだのでした。


3.「東京モノローグ」100話!

 おかげ様を持ちまして、足かけ4年で遂に100話までこぎつけました。読者の皆様には改めて御礼申し上げます。

 画像は何度か手直しして、今はある程度閲覧に堪える仕上げにしてあります。第100話掲載直後にご覧になった方、もう一度リロードして見ていただければ幸いです。


2.北イタリア、東スイス、パリ

 2年半の出向期間をはさんでいたとは言え、おかげ様で入社してまる10年経ちました。勤続10年でありがたいことに「リフレッシュ休暇」なるものを5日間いただけます。NECに戻ってからではこの休暇はとりにくいだろうと察し、GPN在職時にとらせてもらいました。(今にして思えば正解でした。特に9月・10月だったらまずムリだったでしょう。)

 長期の休みをとるからには海外へ。しかし夏休みに行くのはご免なので、思いきって5月25日から6月4日までの10日間で行ってきた次第です。
(このため、90話・91話の掲載日がズレた訳です。あしからず。) 妻のご両親をヨーロッパへ、というのも今回の大きなテーマでした。4人での旅行なので、いろいろハプニングもありましたが、思い返せば実にイイ旅でした。ありがたい限り。以下概況です。

【イタリア】

  • とにかく暑かったです。フィレンツェ、ベネチア、ミラノ、いずれも30℃を超す猛暑でした。思いがけず日焼けしてしまいました。

  • まずはフィレンツェ空港からのスタートでしたが、市の中心部への移動手段がよくわからず、いきなり肝を冷やしました。(国際空港扱いじゃないせいでしょうけど、イタリアは全体的に案内が不足している感じを受けました。)

  • 英語が通じないケースが結構あり、これまでの欧州旅行ではあまり感じなかった不便さを感じました。(ベネチアの水上バス切符売場では、「ここはイタリアだ」的な反感を買ってしまいました。)

  • フィレンツェ中央駅は何となく不気味でした。対して、ミラノ中央駅は立派でした。(ミラノはイタリアの中では格上な印象を受けました。)

  • ベネチアも自動車がない風景が当たり前なので、昔の風景画をそのまま見るような感じでどこも印象的でした。

【スイス】

  • イタリアで四苦八苦した分、スイスに入ってからの安堵感(正確、快適etc...)は格別でした。両国の違いがよくわかりました。

  • 旅行中盤のミラノ〜ルガノ〜チューリヒが過ごしやすさという点ではベストでした。

  • 氷河特急に乗るのが一つのヤマだったので、旅行前からインターネットで綿密に時間を調べて臨みました。イタリアではチケットがとれなかったので、ルガノに着いてすぐにチケットを手配。人気列車なので半ばあきらめていただけに、予約が通った時は本当に感激でした。

【パリ】

  • チューリヒで緊張が緩んだ分、パリに入ってからは試練でした。エールフランス機から降りる時、フランス人エリアがえらく散らかっているのでビックリしましたが、その散らかり具合をそのまま持ち込んだような雑然さと物騒さを感じました。

  • 国際都市パリのホテル(三つ星)への期待は大きかったのですが、見事に裏切られました。異臭はするし、水道設備は壊れてるしで... いろいろ交渉して部屋を替えてもらったり、修理してもらったり、とにかく大変でした。

  • メトロ(地下鉄)は常に守りを固めてしないと何をされるかわからない怖さを覚えました。実際、スリに遭いかけたり、逃走現場を目撃したりしたもので...

  • ユーロのトラベラーズチェックを現地通貨に換えてもらいにトマスクックへ行ったら、手数料を間違えて取られるは、サンジェルマン地区の裏道の定食屋ではぼったくり(不正請求)されそうになるは、パリ(フランス)はいい加減というか悪徳というか、これまた衝撃でした。

  • 市内見物は、予定していた名所は無難にこなせて満足でした。(世界的に有名な国際特急を直接見に行けなかったのが唯一心残りです。)


1.GPN→NEC(職場異動)

 第92話でご挨拶した通り、2001年前半はグリーン購入ネットワーク(GPN)勤務、後半は出向が明けてNECに復帰勤務と、NPOと企業で半々を過ごしました。

 2001年、GPN在職中は「グリーン購入法」の施行と同法に対応した製品情報の提供業務に加え、「グリーン購入情報プラザ」の立ち上げ、と本業で押せ押せ状態が続き、特に5月下旬はその押せ押せの合間に2つの講演、そして欧州への旅行と立て続けだったので、6月は少々耗弱モードでした。業務引継には時間を割いたつもりでしたが、エネルギー不足で行き届かず、7月の復帰後も何度かGPNに足を運ぶことになりました。

 しかし、GPN→NECのギャップはあまりに激しく、

  • GPNのような非営利団体での仕事や雰囲気に慣れてしまったこと

  • 逆に「環境」に関する仕事を企業で実践することに慣れていなかったこと(実は環境推進部は初めて)
    *広く括れば同じ「環境の仕事」でも、非営利団体での場合と、一企業での場合とではあまりにギャップが大きく、企業内ではどうしても会社の利益追求上の制約を受けざるを得ない(つまり公共性を最優先できない)面があるため、何とも窮屈に感じます。

  • そしてGPNに出向していた数年の間に「環境」がすっかりビジネス化され、企業が競争原理の中で環境活動に取り組まざるを得なくなっていることに驚き、その業務スピードの速さや業務量の多さに圧倒されてしまったこと

 などにより、7月・8月は心身ともに調子を崩してしまい、未だ本調子とは言えない状況です。職場が変わったことも一大ニュースですが、何よりこの不調はインパクトがありました。いろいろ内省するいい機会だと思っています。(手前ミソながら、「環境」に関する仕事への思いが強かった分、どうやらそのギャップも大きかったようです。求められていることと自分ができることの差もありますが、どこまで現実に妥協できるか、という点も苦悩の原因と言えそうです。)


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