第94話 新宿区若松町(2001.8.1)
第81話の末尾で、牛込方面をじっくり訪れてみたいというのがかねてからの願望だったこと、そしてそう遠くないうちに、東新宿から飯田橋の間の乗り降りレポートをお伝えしたい旨、記した。半年経ってそれがようやく実現し、第94話として筆耕した次第である。
前回は「水曜クリーンキップ」を使っての乗り降りだったが、今回は左の通り、「大江戸線開業半年記念 都営地下鉄土休日一日乗車券」なるものを用意しての小旅行である。6/16〜7/22までの土日祝日から1日選んで鋏を入れてもらうというもの(つまり有人改札用)。大江戸線限定という訳ではなく、三田線・浅草線・新宿線も共通で、大人500円。3回乗れば元が取れる(初乗りは170円)という手軽さがいい。所用で神保町・市ヶ谷も回ったが、その後は春日を経由して、大江戸線で新宿西口に向う途中で下車することにした。飯田橋と東新宿には別の機会にすでに乗り降りしたので、今回はまさに鉄道空白地帯だった「牛込神楽坂」「牛込柳町」「若松河田」の3駅界隈をメインテーマに据えた。
7月21日も暑かった。が、天気は概ね曇りだったので、何とか耐えられた。それでもあまり延々とは散策できないので、街路図を見ながら趣がありそうなところに当たりを付けて回ることにした。まずは牛込神楽坂から...
他の地下鉄駅とは違い無機質な感じが全くなく、駅の雰囲気が何ともシックでいい。黄褐色系を基調としながらも落ち着きのある佇まいで、駅名に相応しいと思った。改札を出て、出口の行先表示を見ると、箪笥町・横寺町・北町・中町・袋町...と続く。この近辺は昔ながらの町名が現代まで息づいているので有名なだけにさすがである。町名を見てどの出口から出ようか心躍るのもこの駅ならでは、であろう。手っ取り早いところで、北町・中町方面の出口(A2)から出て、中町を横断して牛込中央通りを通り、牛込北町の交差点から再び同駅に戻るルートを歩くことにした。
北町・中町・南町はちょうど長方形を平行に重ねたような感じで並んでいる。中町はその中央に位置し、街路は真っ直ぐである。比較的大きな邸宅に、昔ながらの家屋と路地が混在するような住宅地で、予想通りの好印象である。大久保通りを挟んだ反対側、お寺が軒を連ねる街区にも魅かれたが、この後の若松町方面に時間を割きたかったので、牛込神楽坂界隈は中町中心を歩いただけで、書けることもこの程度。しかしあとでよく見たら、地名としての「牛込」は残っておらず、牛込に行ったとするならこの辺か、隣駅の牛込柳町までの大久保通り沿いを指すことになるようだ。牛込をテーマに書くとしたら、もっと究める必要がある訳である。
さて、その牛込柳町からの散策だが、地名で辿ると、原町〜弁天町(一部)〜喜久井町〜若松町、という設定になった。このうち祖母に連れられたのは、おそらく本稿タイトルの「若松町」界隈だろう。駅名になったおかげでメジャーになった観のある地名だが、何となく筆者の昔の記憶に残っていた地名でもある。バスを降りて、両脇に道草が生えた石敷きの裏路地を通り、石段を降り、カーブした道路を渡り、どこぞの出版社に(多分、タイプ打ちした原稿を納品するために)通っていた。幼稚園から帰ると、小田急線に乗り、新宿西口から都バスに乗り継いで、実によくついて行っていたので断片的ながらしっかり記憶されているのだが、今となってはバス路線もバス停の名前も全く不明である。という訳で、「牛込柳町」から「若松河田」まで(時間は16:30〜17:10の40分間)それらしき場所を練り歩きながらの散策となった。
これぞ、という景観を撮影(と言ってもイマイチだが)しながら歩いた。このあたりの特徴を列挙するなら、○車を安易に通さない幅の道路、○思いがけない袋小路、○なだらかな坂・入り組んだ坂、○未舗装の私道や石段、○空き地とそこに繁茂する草や緑、といったところか。井戸水ポンプ、トタン屋根で休む猫、豆腐の歩き売り、といったものも見かけ、この町ならではの不変の事象を実感できた。そうした要素に加え、夏のけだるい曇り空と湿った風、遠くに横たわる入道雲、緑深い児童遊園に降り注ぐ蝉の声、など季節を感じながらの徒歩き。筆者的には実に情趣深く、贅沢この上ない時の過ごし方なのである。
成城高校から大久保通りを横断した先の坂道の途中にあった空き家 |
夏目坂の途中で入った横道の奥(広大な空地があった) |
早稲田小学校に向う途中の路地(見にくいが道の奥に井戸ポンプがある) |
若松河田駅出口から大久保通りを撮影(奥の柱状の物体は新宿の高層ビル) |
弁天町まで足を延ばすつもりはなかったが、同町の端にある漱石公園まで行き着くと、実にいい景色が待っていた。ここまで来ると東西線の早稲田駅が近くになるので、その位置関係の妙に驚いた。原町・弁天町は確かに鉄道空白だったとは言え、全く鉄道が利用できないエリアではなかったのである。早稲田が近いことの証しとも言える「早稲田小学校」を曲がって、喜久井町を縦断する。
祖母に連れられ、降りたと思しきバス停は「喜久井町」。だが、当時乗ったはずのバス路線(新宿西口〜抜弁天〜東京女子医大〜)では、この喜久井町は通らない。とすると、この路線が変わっていないことを前提として「宿74系統」を辿ると、余丁町か戸山町で降りたことになる。喜久井町を貫くバス通りは、夏目坂通りと称する。この通りから枝分かれする路地が、その記憶を彷彿とさせていたのだが、似た光景には出くわしても、確証が持てる場所に当たることはなかった。ただ、夏目坂から若松町交差点に程近いところで入った横道をしばらく行くと、実に広大な草地+崖地が残っていて、まだまだ記憶の地を辿れそう...という望みを持つことはできた。
ゴールの若松町交差点にたどり付いたら、目前にはこれまた記憶に懐かしい東京女子医大が姿を現した。これまでバス便しかなかった東京女子医大に最寄駅ができたことを実感しつつ、その若松河田駅に着いたら、期せずして小雨が降り出した。今回の小旅行はこれでおしまいである。
今度は自転車を駆って、余丁町、戸山を中心に探ってみようと思う。30年近く経っているが、地上げの被害には遭っていないはずだから、ある程度は記憶の原型をとどめているだろう。
尚、本稿第94話は、「東京モノローグ」第100話の前座のような位置づけになります。100話はいったいどんな内容になるんでしょう。乞うご期待! |