随筆「東京モノローグ2001」(9−10月期)
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第99話 ビーチクリーンアップ / 第98話 ちょっと待てよ、と思うこと〜環境運動と平和運動 / 第97話 宝くじ / 第96話 ハンズメッセ2001〜100円ショップとの比較考察

第99話 ビーチクリーンアップ(2001.10.15)

 思い返せばもう9年前になる。会社の社会貢献イベントで鵠沼海岸のビーチクリーンアップに参加したのは、92年秋の回が最初だった。その後、94年春まで4回続けて出ていたが、多摩川・荒川のクリーンエイドに転向?してからというもの、海のクリーンアップの方はすっかりごぶさたになってしまっていた。今年は再び会社の社会貢献イベントとしてのビーチクリーンアップがめでたく復活し、場所は片瀬江ノ島。今回は筆者一人だが、自己研修にもなると思い、喜んで参加することにした。

 10月13日は、クリーンアップにはうってつけの秋の快晴。この時季ならもう少し涼しくても良さそうだが、とにかく陽射しが強くビックリだった。海水浴をしても支障がないような陽気である。小田急線 片瀬江ノ島駅から片瀬東浜に向う。よく考えると、この東浜を訪れるのも7年半ぶりとかである。時の経つのは早いものだ、なんて感慨に耽っている間もなく、10時ちょうど、クリーンアップ開始となった。

 92年当時のクリーンアップは何人かで組になって、ゴミを拾う係、ゴミ袋を広げる係、データを記録する係といった形式で、チームワークでじっくり取り組む感じだったが、参加していなかったここ何年かの間に変容し、今回は面白そうな物体やとっておきたい一品を見つけながら、何となく集めていくというスタイルに変わっていた。つまり、クリーンアップとビーチコーミングを兼ねている訳である。筆者的には新鮮で楽しいものだった。コーミングとはこれまで「calming=静まる・静める」、つまり漂着物を拾うことで心を安らかにする、といった意味で考えていた筆者だったが、この日はじめて、実は「combing=くしで梳く、探索する」という意味であることを教わった。浜辺をくしで梳くようにして、丹念に漂着物を調べる、ということだったのである。何はともあれ、クリーンアップ歴の長い筆者は、配られた袋の他に予備持参の荒川オリジナルの大きなゴミ袋と、100円ショップで買ったゴミバサミを使って、他の参加者に声かけしながらも、飄々黙々とコーミング
(この場はcalming)しながら拾って歩いた。

 河川敷でやるのと違って、波の音をバックにしてのゴミ拾いなので、心地良い。季節柄、海水浴客もいないし、人気が少ないので、ゴミ一つ一つと向き合いながら、じっくり収集できるのがまたいい。30分間で袋はいっぱいになり、コーミング対象として「これはとっておきたい」と思えるものもいくつか集めることができた。小さな赤いピーマンと思しきもの
(とにかくが美しかった)や、形の整った松ぼっくり、欠けたところはあるが、模様がきれいな巻き貝を2つ3つ。いわゆる漂着物展などで見るものは、もっと巨大な物体(オブジェ)だったり、意外性のあるゴミ(何でこんな物が!系)だったり、楽しいものが多いのだが、ここはネイチャーゲームの「わたしの宝物」的に、自然物を愛でることに徹した筆者だった。荒川クリーンエイドなどでは、データ採取がメインなので、こうした拾い物鑑賞はできない。自分でも意外な感じだが、ビーチコーミングは今回が初めてだったので、参加した意義は大きかった。

 全国ビーチクリーンアップ事務局のおなじみA.K.さんが、海のゴミで命を失ってしまう動物の惨状を「写真版紙芝居(フリップ)」で解説していく。最後のくだりで話された「ゴミを出すのも、片づけられるのも人間」という一節は、クリーンアップに関わる一人として、改めて重く感じるものだった。今年の荒川クリーンエイドはいよいよ来週、10月21日(日)が一斉開催日。近場を手伝いに行くつもりだが、この言葉も一緒に連れて行こうと思う。

 軍用ヘリが轟音とともに、三浦半島の方角
(おそらく横須賀?)に向っていった。クリーンアップを終え、話を聞いた後の清々しさを打ち消すような物騒な機体である。ヘリが去ったところで、お次は本日山場の作業である。集めたゴミを袋からいったん全部出し、一斉に分別と点検・記録を行う段になった。東浜はパッと見た限りではキレイなものだったが、数日前の大雨・大風の煽りか大波が来たらしく、海岸線に沿って、茅や芒の束が線を成し、そこに多種多様なゴミが絡まっている有様。これらのゴミを200m分くらい皆で集めたものだから、約30人で30分間と限られていたとは言え、結果的には相当な量になった。もちろんコーミングよりもゴミ拾いに夢中になっていた人が多かったせいもあって、と思うのだが、大波がいかに多くのものを漂着させるか、がよくわかった。

 さて、筆者が拾う中で感じたのは、
 ・タバコの吸殻は案外少なかった
 ・花火の燃えかすとライターが一定比率(3:1)で見つかった
 ・発泡スチロールが大小さまざま、かなりの数が散乱していた
 ・なぜか茶碗などの陶器片も結構多かった

 そして驚いたのは、農水省職員の方の身分証明書が出てきたこと。この人は何をしにこの海岸に来たのだろう? 何かの調査の際に落としてしまったものと思われるが、とにかくドキッとした。

 全体作業はまず大まかに、(1)プラスチック類、(2)発泡スチロール、(3)金属、(4)ゴム、(5)木、(6)紙、(7)ガラス・陶器・土石類、(8)布、(9)複合素材 の9分類に従い、山積みにした中から、明らかに分類可能なものを優先して選り分けていくというもの。素材を認識できるし、どういったものがゴミとして捨てられているか、がわかる訳で、全員で情報を共有できるいい手法だと思う。(これは荒川ではとっていない手法である。) 今回のようにきっちり分別して、細かいものも一つ一つ丹念に調べていくのは本当に久々だった(荒川ではここまでやらない?!)。苦労はあるが、分け終え、そして数え上げた後の充足感は格別だと思う。

 筆者が記録担当した分で数が多かったのは、
 ・ガラス破片は500近くに上った
 ・ペットボトルは100を軽く超える数だった

 この手の記録作業は慣れているが、ゴミバサミを使って、悠々且つせっせと細かいゴミを拾い集めていたせいで、筆記具を持つ右手に力が入らず、数字がうまく書けなくて困った。やはり本家A.K.さんのように素手で拾ってこそ、ゴミそのものも実感できるし、その後データ記録するのにも支障は出ない、ということなのだろう。ゴミバサミは便利だが、使い過ぎにはご用心である。

 全員で集めたゴミの中で特徴的だったのは、

  • タバコの吸殻やフィルターは何だかんだ言って1000近くあった(やはり多い!)

  • レジンペレット(プラスチックが粒状になったもの)はおなじみだが、人工芝の小片もいくつか出てきて、新たな問題ゴミだと思った(魚が誤って食べてしまいそうである)

  • なぜか腐った野菜がいくつも出てきた(自然物ではあるが、悪臭がひどいので回収)

 全体のゴミカウントの結果発表はなかったが、素材別にその物量を目で確かめることはできたので、「何がいくつ」と言わずとも...といった感じである。人工的なゴミを取り除いた東浜は正午の太陽を浴びて何だか気持ち良さそうである。波もそれに呼応するように、光を湛えて反射しながら浜辺に静かに寄せている。いい光景である。久しぶりのビーチクリーンアップ、おかげでいろいろ新しいことを学び取れたので、荒川クリーンエイドでも活かしていけるよう、努めたいと思う。

 さて、次回はいよいよ「東京モノローグ」第100話。早めに準備していたつもりでしたが、ちっともまとまっておらず、11月1日の掲載に間に合うか、不透明な状況です。多少遅れるかも知れませんが、あしからず。

第98話 ちょっと待てよ、と思うこと(2001.10.1)

 たまには硬めの話をしようと思う。これまで電車内のマナー駅構内のマナーなどで書き綴ったが、社会性を身に付けることを目的として活動しているグループ(少年スポーツチーム、ボーイスカウト・ガールスカウト...)がマナー違反を冒すケースは、警官の交通違反、銀行員の着服・横領、病院での医療過誤等々、その人の職務上、最も忠実であるべきものに背く行為に通じる部分があり、決して軽視されてはいけないものを感じる。薬害エイズやここ半月間の狂牛病の対応なども職務の本来性に照らし合わせれば、起こり得ない事件だろう。

 何に忠実であるべきか、が問われる事象が増えているようだ。だが、生活上あらゆる場面において忠実さを保ち続けるのは難しいのも事実。ならばせめて、その道・その世界に生きている(という自負がある)人であれば、そこで求められる本来の道理に背くことだけは避けてほしいものである。それは上述した警官・行員・医者に限らず、例えば次のようなことも例外ではないだろう。

 環境問題を日頃説いて回っている人が、ゴミの分別がろくにできていなかったり、実は酒宴が大好きで、食べ残し・飲み残し放題だったり、平気でクルマを乗り回していたり、タバコをスパスパやってたり、恰好がやたら派手・華美だったり... この人は環境の世界で貢献することが目的なのでなく、酒・タバコやクルマや派手な振る舞いが好きなだけで、それができるならどんな仕事でも分野でも良かったのではないか、と訝ってしまうのである。

 加えて、

  • クリーンアップイベントで、ゴミが多く出る弁当や飲料を配ってしまう主催者

  • 環境問題に関する講演会に来る時、帰る時、主催者にクルマでの送迎を強要する講師

  • 社会学や道徳に関する本を図書館から借りて、その本にマーキングしたり、ページを破ってしまったり... この人は何を学ぼうとしているのか?

 といったことも看過できない。

 本来忠実であるべきものについ背いてしまう人がいる一方、そうでない人ももちろんいる。忠実であり続けたことで高潔かつ高名になった人はいくらでもいる。だが、その道、その分野で著名であるという人がいたら、その背景には専門性よりは、その人自身の特性、例えば「信念が堅い」「ひたむきである」「粘り強い」「声が大きい」「人を押しのける強引さがある」といった要素が大きく、そういう特性を持った人はどんな分野であれ頭角を顕す(良かれ悪しかれ)のではないか、と思うのである。世の中、様々な業界・職域があるが、それを構成する人々の特性・個性は常に一定、つまり、声の大きい人・小さい人、人が好きな人・キライな人、わがままな人・謙虚な人、利己的な人・利他的な人、はどんな世界にも必ず存在する、ということが言えるのではないか。

 環境問題に関わる人々の中にも、それら一定の構成比があるようで、この人は目立ちたくて環境問題に取り組んでいるのでは? と疑問を持たざるを得ない人がいるのも事実である。(環境問題に取り組む人が全て温和で地道、ということは決してない。) 虚栄心・功名心のある人はどこにでもいる。その人はどの分野であってもきっと同じ振る舞いになるだろう。ただ、環境問題への取り組みでは、それはアダになるように思えてならない。その人の名前が問題なのではなく、誰も彼もなく、一人の人間として何に貢献できるか、が問われるだけであり、そこには虚栄も功名もなく、人間であるなら自発的に、かつ黙々と取り組み続ける必要があるからである。自分の名前を売るのを目的とする取り組み程、空疎なものはない。自分が良かれ、と思うことを各自の忠実さに照らし合わせてひたすら行動するのみである。結果としての頭角、を望みたいものだ。

 話変わって...

 21世紀に入って1年経たないのに、実にいろいろなことが起きている。「東京モノローグ」ではあまり政治的なこと・世界情勢的なことを書くつもりはないが、先の米国同時多発テロでは考えさせられることが多かった。

 テロ報復戦争の兆候に端を発し、好戦派と反戦派それぞれの動きも顕在化してきたようだ。いささか短絡的だが、

 好戦=米国(市場経済)賛同=グローバリズム
 反戦=米国(市場経済)否定=反グローバリズム

 という精神的背景があるとしたら、戦争をきっかけにグローバリズムの是非も問われること必至である。もちろん、グローバリズムは支持するが戦争には反対、という態度も尊重されて然るべきだろう。だが仮に米国へのテロはグローバリズムへの反旗、そのテロへの報復は反グローバリズムに対する抗戦、という縮図が成り立つなら、グローバリズム支持と戦争反対は両立しなくなる。

 環境保護運動でめざすものが各団体で異なるのは言うまでもない。だが、環境保護の原点には、

 ・単に自然保護をめざすもの
 ・実は反資本主義・反グローバリズムの流れを汲むもの

反資本主義という表現は極端だが、概括すると「自由経済と言いながら、実体は放縦経済・自己益経済」「お金が本当にイイものに使われず、悪いものや特定の私利に流れてしまう。つまりお金の使い方に心や倫理がない」そんな状態だろうか。これが起因して環境問題をはじめとする社会問題が起こっているのではないか、と筆者は常々感じている。

 に分かれる可能性がある。事実、環境団体の一部には、今回のテロ報復を憂慮して戦争反対を唱え出しているところもある。こうした環境団体について考えを巡らすと、

  • ふだんの運動の中にも反資本主義・反グローバリズムを内在させている、または標榜している

  • 戦争になってしまえば、環境保護などと言っていられなくなるため、自らの運動を守る上でも戦争反対を唱えている

  • 環境運動と平和運動は同軸と捉え、戦争になれば環境破壊も進むし、温暖化にも拍車がかかるため、反対している(環境運動を戦争阻止に結び付けることを忠実に考えている)

 といった類型があるのではないか、と思い至った。だとしたら、これまでの環境運動と戦争反対との接点を伝えるべき、と思う。なぜ戦争反対なのか、をきちんと伝えず、単に先頭に立ってスタンドプレイしたいだけならやめてほしい。それは先述した虚栄・功名を目的とした取り組み、と同じに映るからである。

 こうした態度表明は環境団体だけでなく、実は各企業、各自治体、各個人にも問われているように思う。個人が日常の生活や取り組みと戦争への賛否との関係を真剣に考えた時、そこには組織の建前
(例えば、グローバリズム賛成・戦争反対といった表面的平和主義)と個人の本音が対峙する可能性がある。その本音が尊重された時、何かが変わる21世紀になると思うのだが...

 余談だが、筆者の勤務先では、社長コメントも自社としての今後の中長期的な危機管理方針などの発表もなく、当然のことながら、テロ報復をどう考えるか、世界平和に貢献できることはないか、といった普遍的な話題も出てこないようだ。日本企業の典型なのかも知れないが、実に不思議に思う。

《おまけ》「ちょっと待てよ」と思うこと(番外編)

  • ホームページのリンクを依頼しながら、リンクしてほしいホームページアドレスを書き忘れてしまう依頼者

  • イベントの案内・参加募集を出しながら、「いつ・どこで・だれが・いくら...」といった5W1Hが不完全

  • 日頃、節電・省エネなどを説く人の書いたEメールが深夜の発信時刻で届く!

  • Eメールも積もれば、PCの容量にインパクトが出る。大きなファイルを平気で添付したり、メール形式をテキストでなくHTMLのままにしている人は、送った先のPC容量の心配もしてほしいところである。(Eメールの環境負荷はあまり意識されないが、結構大きいかも知れない。環境系メーリングリストにご参加の皆さん、お互い注意しましょう。)

第97話 宝くじ(2001.9.15)

 くじの日が9月2日なのを受けて、2週間遅れだが宝くじについての話題をいくつか。くじにちなんで第92話で紹介できればよりよかったのだが、92話を9月に持ってくるなんて計算高いことは、いくら筆者がダジャレ好きとは言っても容易ではないのである。あしからず。(^^;

 賭け事、パチンコ系、いわゆる"競"で始まる各種レース関係など一切やらない筆者にとって、射倖的な楽しみと言えば宝くじぐらいである。宝くじ購入歴
(ジャンボ宝くじ専門だが)は決して短くないのだが、大当たりはもちろん、当選金額が5桁になることも皆無であった。が、しかし昨年12月の北陸旅行の際、金沢で1組(バラ10枚)だけ買った「年末ジャンボ宝くじ」で初めて10000円を当てたところから何となくいつもと違う展開になってきたようで、ちょうど先月の今ごろ抽選された「サマージャンボ宝くじ」でも、渋谷ハチ公前と有楽町駅前でそれぞれ1組(バラ10枚)ずつを買った20枚の中から10000円が出て驚いたばかり。その余勢を買った訳ではないが、キャンペーンプレゼントにつられて、F銀行で取り扱っているATM宝くじで「ロト6」を夏休み最後の日に買ってみたところ、6つの当選数字中、数字3つが当たって5等。当選数字をろくろく確認もせずに、ある日通帳を自動記帳機にかけたところ、1000円と少額ではあるが振込記録がされて戻ってきてまたまたビックリ、という塩梅である。

 折角なので、このATM宝くじでのロト6の仕組みについて紹介しておこう。

  1. ATMのタッチパネル上で[宝くじの購入]を押す。

  2. F銀行のキャッシュカードを入れ、暗証番号を入力する。

  3. 宝くじの種類を選ぶ。ここでは[ロト6]を選択。

  4. 購入方法を選ぶ。(自分で数字を選ぶ方法と機械任せの方法があるが、ここはやはり自力で選びたい。)

  5. ロト6なので、「1〜43」までの数字から異なる6個の数字を選ぶ。A枠〜E枠まで最高で5通りの選択が可能。

  6. 口数(1口:200円)を選ぶ。(1つの枠につき、最高10口までまとめて選択可能)

  7. 回数を選ぶ。(1つの枠につき、最高5回先の抽選分まで購入可能)

  8. 申込内容の確認画面が出るので、よければ[確認]を押す。

  9. 番号控えとして、「ご利用明細票」が出るので、選んだ抽選回数が終わるまでとっておく。

 といった具合である。

 筆者の場合、広く浅く主義なので、200円×2通り×1口×5回=2000円分を買うことにした。8月13日の週から始めて5週分だったので、実は9月13日が最後の抽選だったのだが、仮に当選していた場合の振込は翌週月曜日、つまり17日なので、その日の自動記帳まで楽しみに待機している状態である。先述した5等の1000円は、9月6日の抽選によるものだったので、まだチャンスが残っていたのである。自動記帳する時の印字音の感激と昂揚感をもう一度味わいたいので、数字は発表されているのにあえて調べないってんだから、筆者の小市民ぶりがよくわかるエピソードである。(ちなみに6つの数字を2通りどう選んだかと言うと、A枠:筆者と妻の(昭和)生年月日、B枠:ATMを操作した(平成)年月日+時(h)とその日の筆者と妻の年令、という安易なもの。でも、これでまずは3つ当たったんだから馬鹿にできない。)

 筆者が20才ぐらいの頃、DK銀行では「宝くじナンバーサービス」
(うろ覚え)といったものがあったのを思い出す。上記のATM宝くじの如く、銀行側に番号を任せて、当たったら指定口座に自動振込という仕掛け。確か1組を1年間試した(同じ番号で通しなので、購入額はさほど大きくない)が、末等ばかりでヒットは出ず、若気の至りというか、親に怒られそうな散財をしてしまったものである。宝くじのホームページを見ても、もうこのサービスはなくなってしまったようなので、お気楽に宝くじを楽しむ向きにはこのATM宝くじ、結構オススメかも知れない。

 サマージャンボと、このロト6の間に、「くじの日」
(9月2日)が挟まっていたので、このくじの日のお楽しみ当選番号にも期するところがあったが、さすがに4桁を当てるのは難しい。対象は昨年7月からの1年間(2000年8月1日〜2001年7月31日)に抽選がなされた各種宝くじ共通で、ハズレくじからの敗者復活的な抽選である。2000年6月に抽選されたドリームジャンボのハズレくじを何となくチェックしてみたら、末尾4桁「5428」なんてのがあってやはり例年と違う手応えを感じたのだが、よく考えるとこれは敗者復活対象期間よりも前のものである。毎年くじの日の当選番号を確認してはいたが、どうもこの対象期間を今まで勘違いしていたフシがあるようだ。気を取り直して、今のところ好調なジャンボくじに注力するとしよう。

  • ワンポイントメモ

 本稿では全て、抽選、当選と書きましたが、宝くじの世界では、抽籤、当籤が正しいようです。宝くじ券などをよく見ると、「抽せん」「当せん」と「籤(くじ・せん)」の部分は平仮名になっています。今まで気が付きませんでした。

第96話 ハンズメッセ2001(2001.9.1)

 第24話以来、3年ぶりの東急ハンズの話題。といっても、年に一度のこの行事を除いては同店について話題にしにくいので、再び「ハンズメッセ」である。毎年何だかんだで足を運んでいるが、年々客数が増えているようで、特に今年はテレビCMまで流れてしまったこともあってか会期早々からどえらい混雑ぶりだった。ファーストフードやどんぶり業界の値引き合戦をはじめとするデフレに慣れてしまった人達の感覚にマッチしてか、例年以上に値引品に抵抗がなくなったお客が一層大量に流れ込んできている気がする。図らずも今回は、デフレを受けてのハンズなりの答え、と映ってしまったのではないだろうか。

 駅からの近さ、店内フロアの移動のしやすさ・わかりやすさから新宿店びいきの筆者は、仕事帰りに早速足を運ぶ。とは言え、いきなり買い物する訳でなく、ここはひとまず下見である。何せ筆者同様の理由からか新宿店に来る客はただでさえ多いので、メッセ期間中はレジ待ちの列も当然長くなる。平日夜に買い物目的にすると時間が足りない上、どのフロアにどんなものがあるか、全体像をつかめないまま部分的な衝動買いで終わってしまう可能性が高い。商品のトレンドを探りつつ、何が目玉か、初めにどこを目指せば効率よくかつ悔いのない買い物ができるか、といった点を下調べしてから、週末の朝早くにシミュレーション通り動くべし、となる訳である。
(このように戦略的になってくると、バーゲンハンターや買い物の達人といった人達がなぜ存在するのかも理解できてしまうのであった。)

 9月1日(土)は朝の10時過ぎには新宿店に到着。シミュレーション(3F→7F→5F→6F→の順)が功を奏して、混雑を回避しつつ、午前中には全フロアを回り終えることができた。しかし大きな誤算があって、予定していた買い物は実は達成できなかったのである。(!_!)

 下調べの段階でいつもと違う面白いものとして、

  • お茶挽き器

  • 小型座椅子

  • 消費電力メーター付きタップ(累積の電力量は測定できないが、瞬間値なら可)

  • 人感センサ 防雨ハロゲンランプ

  • 蓄光テープ

  • 超音波洗浄器(某メガネ店の店頭に置いてあるのと同じ仕組み)

  • DVDクリーナーディスク(CDのクリーナーディスクではダメなんだろうか?)

  • 天然木のジグソーパズル

  • 電波時計(よりお手頃価格になった)

  • ビアサーバー

  • フォンデュセット(スイス料理 チーズフォンデュを家庭で作る用)

  • 焼杉製の桶

(50音順:実際の商品名ではわかりにくいものは読み替え)

 といったものを見つけていたが、さらに、テレビの通販番組では知る人ぞ知る「スチームクリーナー」(高温蒸気の噴射(洗剤不要)で主に水まわりなどの汚れやカビを落としてしまうスグレモノ)が通販価格よりもグッとお手頃(もちろん機能は劣るようだが)で出ていたのである。新宿店での狙い目はこのスチームクリーナーだったのだが、出かけた土曜朝でちょうど品切れになってしまった。つまり下調べを入念にしたところで、それがどの程度売れそうかまで含めて勘案しないと無意味だったのである。達人への道は遠い...(これ以外では、小型座椅子と蓄光テープあたりを考えていたが、小型座椅子も売り切れ、蓄光テープは熟慮すると用途がないことがわかったため見送り、となった。)

 土曜の午後ともなれば大混雑必至。重々承知の上だったが、もう一度スチームクリーナーを物色すべく、池袋店に移動した。案の定、品切れではあったが、フロア面積では新宿店を凌ぐ池袋店のこと、一味違うメッセ商品が随所にあり、結局は衝動買いモードになってしまった筆者であった。(^^;

 レジ待ちが少なかったこともあり、新宿では扱っていなかった「手提金庫」を豪華一点的に購入。記念硬貨や記念紙幣用の入れ物がなかったので、かねてから欲しかったものである
(メッセ価格:税別で1580円)。この他、5本指の靴下を何足か買ったりして、例の「レシート合計3000円で1回抽選」のハンズオリジナルグッズ獲得にチャレンジしたが、あえなく参加賞(オリジナル付箋)。年に一度のハンズメッセと意気込んでいる割には毎年こんな塩梅である。(大きな買い物はまずしません。)

 ...もともと日常的な買い物量が少ない筆者宅では、一年の主な買い物はこのハンズメッセに照準を当てているといっても過言でない。中長期的に必要そうなものを想定し、ハンズメッセで手に入りそうな商品(メッセで出るかはあくまで予想だが)は、このメッセのチラシを手にするまでは辛抱する、という程の入れ込みようなのである。しかし、毎年通っているだけあって、出てくる商品のパターンがわかってくると、

 ・100円ショップで手に入りそう
 ・○○○カメラなどの量販店でも売ってそう

 といった観点も加わり、こうした店の方が明らかにハンズメッセよりも分がありそうな場合は、さっさと上記に従い買うようになっている気がする。これはつまり、

  • 100円ショップで扱う商品の幅・多様性・質が向上してきた

  • 量販店でもオフィス用品(事務系・生活系)や文具類を筆頭に、取り扱う品目が増えてきた

 ことを示しており、これまでの「ハンズならではの品揃え」+「それが割安で手に入る」という優位性が薄れてきていると言えなくもない。実際、今回のメッセでは100円ショップで楽々手に入りそうな文具(特にファイルやバインダー、筆記具・ノート類)や日用品・雑貨が、100円を優に超える価格で出ていたのを目の当たりにし、その意を強くした次第。品質面ではハンズの方が上かも知れないが、逆に再生材料の使用度合いなどの環境配慮面では、同じ品物でも100円ショップの方が上回っているかも知れないことがわかった。(100円であっても、品質+環境が満たされていれば、それに超したことはないだろう。ハンズはまだ品質第一なのかも知れない。)

 こうしたことに加え、今回気になったのは以下のような点である。

  • ハンズならではのフロアのまとめ方ゆえ、例えばキッチン・クリーン・ランドリー・バス・トイレなど生活系が1つの階でひとまとめになっている場合は、「細々した安価なメッセ品が多い」→「大量に買い込む人が増える」→「当然混雑する」となる。(下見で行った時など、複数のレジ待ち列がフロアの端から端まで長蛇をなしていた。「最後尾」表示の看板が登場する程である。いやはや...) メッセ目当てでなく、生活用品が急須になった人にとっては一大事である。

  • 混み具合がハンパじゃないので、品出しに必要なスペースや人員が足りなくなり、一層混雑する。そのせいか、陳列や値札付けが乱れている箇所があり、「本当にハンズ?」と疑うような場面もあった。

  • ハンズ店員の商品知識の高さを期待してくるお客は多い。しかしメッセ期間中にそれをやられたらたまらないだろう。メッセ商品の中から、マニアックな仕様比較を訊いている客がいたり、細かい性能を根掘り葉掘り詰問する客がいたり...。だがこれはハンズの客なら当然のこと。その一方で、前述のような陳列・値札の乱れもあって、あたふたしているお客を多く見受けた。店員が近くにいるのに、高度な質問攻めにあっている最中なので哀しい哉、応対できない。陳列・値札をきちんとするのは言うまでもないが、いわゆるバーゲン会場に備えるような対応や誘導・案内係をもっと充実させてもよかったと思う。(問合せしておきながら、店員が調べて戻ってきたら、その問合せ客が消えていた、という場面もよく見かけた。かみ合わないものである。)

  • メッセ対象品は吊り看板を見ればわかるようになっている。しかしながら、壁や柱に配した商品は、吊り看板があっても、メッセ品と通常価格品が混在しがち。値札を見れば違いがわかるが、その値札に関するインフォメーションは見当たらない。メッセ価格で確実に買いたい客は多いはず。そのためにも補完的に値札の見分け方を表示してもいいと思った。(値札上部に TOKYU HANDS と赤色斜めに打ってあるのがメッセ対象商品である。)

 ハンズならではの優位性が(筆者的には)下がっているのに加え、こうした点が改まっていかないとメッセと言えども客離れを起こしてしまうのではなかろうか。混雑やイライラを耐えてまで買う必要はないからである。東急ハンズを昔から贔屓にしている一客だからこそ、あえて付言しておきたい。


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