第102話 東京百景(V)(2001.12.1)
今回で東京百景、完結です。全ての▲がクリックできます。どうぞお楽しみください。
【まとめ】
東京百景の取材をしてみて認識を新たにしたことがある。それは東京の原風景(もちろん人それぞれだが)はまだあちこちに残っているということ。しかし、せっかくの情趣もちょっとした無頼や無粋で壊れてしまう脆さを隣り合わせであることもわかった。電柱・電線や公共の建造物は致し方ないが、妙な広告宣伝媒体や景観を弁えない色や造形による暴力のようなものも随所に感じた。(故に写真に撮れなかったものは数知れず...) 東京はもともとその雑多さ、渾然さが東京らしさを形成しているといえなくはないが、それは地形の複雑さから来る必然的なものだった筈で、その雑然とした情緒や風情を人為的に歪めるようなことは許されるものなのだろうか、とふと考えてしまう。
経済大国(?!)の首都だから、ということでは済まされない景観の破壊は、古き良き東京を愛する人、まして東京で生まれ育った、つまり東京を故郷とする人にとっては耐え難いものがあるような気がしてならない。
仮に東京に何かを求めてやってきた(東京を故郷としない)人達が身勝手な自己実現のために、東京を蹂躪するようなことがあったとしたら、東京を故郷とする人は心穏やかでないだろう。ゴミのポイ捨て、美観の毀損、公共マナーの不遵守...そこがその人の郷里であったら、決して汚したりはしないと思うのである。東京を故郷としない人達は、その人の故郷が別にあるので東京では好き勝手、とは思いたくないが、そういう人が少なければ、東京の原風景はもっとたくさん残っていたかも知れない。(もっとも、そうしたマイナス要素を含めてこそ「東京」と言えるのかも知れないが、雑多な中で風景が共存する、というのはもっと高次元な話だと思うのである。)
戸山・余丁町を10月26日午後に探訪したが、第94話で予告した通り、これは幼少時の記憶の風景を発掘するためのものでもあった。祖母に連れられた場所はとうとう見当たらなかったが、原風景の東京への憧憬はある程度満たすことはできた。それは富久町をはじめ、時間が止まったような場所(開発を免れたというべきか、抗ったというべきか)が部分的に残っていたためで、そしてそこに東京を故郷とする人の意地・誇りを感じることができたから、だと思われる。
さて、ここに掲載した95の風景は、どれもたまたま通りがかった時の1シーンに過ぎない。他の季節、他の時間帯だとまた別の顔になるだろう、ということである。写真家ではないのでよくわからないが、色をどう表現するか、そしてこの町に相応しい配色はどれか、といったことも季節や時間を考えながら追求していくと、もっと素晴らしい景観が記録できるのだと思う。
うまく撮れなかったところは再度チャレンジしつつ、引き続き本稿「東京モノローグ」で紹介していくつもりです。
...時間が止まったかのような静寂に包まれた時、そこにはあなただけの風景が広がっている筈です。皆さんもぜひ東京探訪してみてくださいね。 |