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【2013.9.1更新】
自己紹介文...「環境ボランティア」との関わりなど学生時代だった1989年に当時地元の世田谷区で「せたがやトラスト協会」(現「世田谷トラストまちづくり」)が設立され、早速入会。一般賛助会員第1号となり、協会のイベントの手伝い等をしたのが、環境ボランティアの事始めでした。 折良く1990年には日本版アースデイが誕生し、環境保護運動への関心を一層高めることになります。NECの入社を決めたのは社会貢献活動が盛んで、アースデイに関しても、代々のフェスティバルに協賛し続けるなど高い理解があったためでした。 1992年秋からこどもの国でのフェスティバルの実行委員として活動できたのも、企業市民としての活動を会社が重視している点が大きかったです。その後1999年まで、アースデイ日本連絡所にて、こどもの国でのフェスティバル等イベントの企画・運営の他、ニュースの編集・発送、ホームページの企画・運営等、諸々の事務作業の手伝いを通して、多くの貴重な経験を得ることができました。 アースデイの他では、ビーチクリーンアップや多摩川クリーンエイドに参加していましたが、その後は、荒川クリーンエイドでの取り組みが主軸となり、漂流漂着物について自主的に研究するに至りました。(NPO法人荒川クリーンエイド・フォーラムでは、運営委員、理事、事務局次長などを務めさせてもらいました。→参考) 社内のボランティアイベントでは、環境教育を担当したこともあります。また、1996年は、日経新聞と環境事業団共催の「環境ボランティアシンポジウム」に登壇し、活動事例を紹介。「環境ボランティア」に関して、新聞・雑誌等から取材を受ける機会もいただきました。 1997年には、消費生活アドバイザーの資格を取得。企業における環境教育と消費者教育の接点について考えるのが主なテーマとなりました。1998年12月にはこうした仕事外の活動と仕事そのものが合流することになり、2001年6月までの2年半、(財)日本環境協会 グリーン購入ネットワーク事務局で働かせてもらいました。(主に製品の環境情報提供(冊子=データブック、インターネット=データベース)をはじめ、GPNホームページのメンテナンス、各種展示会の出展、小学生向け教材ワークブック(→詳細)制作、「制服・事務服・作業服」等のガイドライン制定等々に関わりました。実務の基礎はここで盤石になったものと思っています。) なお、2001年7月からNEC(環境推進部)に戻りましたが、企業における環境の仕事の難しさ・矛盾に直面(→参考)。2002年3月末、一念発起してNECを退職し、縁あって5月末から一年間、「環境パートナーシップオフィス」(「地球環境パートナーシッププラザ」兼務)で働いていました。2003年6月からは、自称「NPOワーカー」として非常勤や臨時など、複数のNPO法人の掛け持ち勤務をし、専ら事務局機能の強化・立て直しに励みました。2005年5月からは、仕事を調整しつつ、「愛・地球博」の地球市民村でのパビリオン出展に注力(→詳細)。「愛・地球博」閉幕後は、再び掛け持ちしつつ、自営サイト:「ちょちょいら」を開設してみたり、諸々です。この時、晴れて独自ドメインを取得したことから、これまでのJCA-NET上の「東京モノローグ」を閉じ、当サイトをリニューアル開設。今に至っています。 2006年までは常勤ベースで働いてましたが、2007年春からは再び調整局面へ。書き物生活を中心に、webサポート、データベース、ニュース編集など、独立業務請負式でスポット的な作業をしつつ、粛々と過ごしてきました。(→自作コンテンツ集) 東京本来の良さや地域力を見直す取り組みを常々模索中。東京モノローグはそうした取り組みの一例です。
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