随筆「東京モノローグ2019」(3−4月期)

 

随筆「東京モノローグ2019」(3−4月期)
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    第519話 続々 街の光彩(平成30・31年度ver.)(2019.4.15)

     

     東京モノローグ、今回の第519話が平成時代最終稿となった。節目にはなるので、平成元年(1989年)からのあれこれといった話も考えられなくはない訳だが、現時点ではとてもとても... なので、実質的な平成最後の年度(30年度)の振り返りの一つとして、「街の光彩」シリーズ(平成30・31年度ver.)にしようと思い至った。

     ここ一年の間ではあまり撮りためていなかったので、第196話第370話と比べると少数。撮影地を都内に限るとさらに減ってしまうので、旅先などで撮った分も合わせて何とか集めてみた。

     話数(519)、2019年と引っかけて、19点。ひとつご高覧のほどを。(順序は似たものをつなぐイメージ)

     

     新河岸川に架かる新河岸大橋からの眺め。小豆沢河岸広場というのがあって、そこのグリーンの照明が川面に映る光景が見られる。(2018.4.18撮影)
     直近の東京百景では、別の角度から撮ったものを掲載した。#062・・・こちらは2017.9.2撮影)


     

     飯田橋のアイガーデンテラスでのイルミネーション(2019.2.7撮影)。青、緑、白…いい組み合わせだと思う。イルミネーションの開催期間は、2018.11.5〜2019.2.22と長めだった。


     

     こちらは、板橋駅西口にあるプラウドシティ池袋本町のイルミネーション。ツリーは大きいが派手さはなく、穏やかな気持ちで観賞できる。
     それなりの経費を要しそうだが、大規模なプラウドシティなら一戸あたりの負担も少なくて済むのだろう。


     

     第515話の末尾に記した「丸の内イルミネーション2018」での写真(別のテイクから2枚)


     

     クリスマスシーズンはさぞ混み合ったことと思うが、2月の日曜だったので人はまばら。じっくり見物、撮影することができた。(開催期間は2月17日まで)


     

     イルミネーションを見終えて、東京駅に向かう途中…日本生命丸の内ビルにて。


     

     ビルの正面から見るとこんな具合。色鮮やかなライトアップだと思う。
    *2017.9.6撮影時の様子は、「続々 東京百景」(#063)に掲載。


     

     三崎町にできたカンダホールディングスの新社屋。ビル全体が光源のようになっていて煌々としていた。これだけ眩しいと省エネ面ではどうかと思うが、「省エネビル」(→参考としての基準は達成しているそうな。


     

     眩しさという点ではこちらもなかなか。川崎駅北口のアトレ川崎。*3階入口付近にて撮影


     

     ここからの3枚は、自転車通勤ルート上で撮った中からのセレクト。
     文京シビックセンター(北側のゲート部)をズームで何気なく撮ったところ、ライトアップされた円柱の列が。なかなかのセンスだと思う。


     

     白山通りの坂道の途中にある「UNINEST STUDENT RESIDENCES」。大学生シェアハウス、学生専用レジデンス... とにかく新しいタイプの住居施設であることは確か。公式サイトの基調色同様、黄色を効果的に使っている。


     

     白山通りをさらに進むと巣鴨駅に出る。ご年配の街としてメジャーな巣鴨だが、駅舎も駅ビルも至ってスタイリッシュ。建物全体は、こちらに載せた通り。


     

     「京王れーるランドアネックス」。夜でも見映えがするようなデザインになっているのは新館ならではだろう。この日の様子は、第508話の通り。


     

     ネオンサインのように見えるが、社名看板にあたるもの。調べてみたら、コカ・コーライーストジャパン(板橋セールスセンター)の建物だった。実物はもっと赤々としていた気がする。


     

     川口に新しくできた東横INN。青のサイン、クールだと思う。(当ホテルの件は、第513話後段を参照)


     

     こちらは、津(三重県)の東横INN。主役はもちろん蒸気機関車(D51-499)だが、ホテルも堂々たるもの。蒸機が黒々としている分、青のサインが際立つ。(撮影地:津偕楽公園)


     

     こちらの青は、岐阜駅前のペデストリアンデッキ(愛称「杜の架け橋」)のライトアップ。さまざまな青色があるが、この青は特に綺麗だと思った。


     

     名古屋駅新幹線ホームから東側を撮影。名古屋鉄道、MEITETSUの青が目立つ。Mの半分が緑になっているのもポイント。


     

     新三郷駅を出て、ららぽーと方面を見ると、ブランド名などがこの通り。白が優勢だが、赤も目に付く。下の「KOBAN」は文字通り交番だが、ここだとブランドの一つのように見える。


     

     

     時代が変われば、街の光や彩りも... 引き続き“観撮”しようと思う。

     


     

     

     

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    第518話 年度末、元号末(2019.3.31)

     

     3月31日で2018年度が終了。平成で言えば30年度である。一年まるまるという点での平成の年度もこれで幕を閉じた。4月からはひと月限定で平成31年度というのが通用することになるが、事実上、新元号の初年度。過去におそらく例がない「元号末」の時期として、4月は過ごすことになる。

     新元号については、筆者なりに予想を立てたりもしているが、その話をし出すとキリがないし、かと言って発表後となると、元号についてあれこれ書きたくなるので、今回は4月1日付ではなく、3月31日付で掲載することにした。とは言え、年度末、月末、週末のセットにつき、時間的な余裕がいつも以上に、ない。という訳で、至って短めに元号末にあたっての予定、雑感などを綴るにとどめようと思う。(平成時代に関するあれこれについては、また追い追いということで)

     平成9年(1997年)から30年(2018年)までの22年分は、毎年恒例の10大、15大などのニュースにまとめているので、それら上位を抽出して、並べたりつないだりすると、一応のまとめはできると思っている。4月はそうしたおさらいをしつつ、平成時代の締めの一つとして、自作データベースをもとにした鉄道駅の一覧(2019.4.30version)を作り、電子書籍で公開することも考えている。(位置づけとしては「全国鉄道駅名一覧2016」の続編)

     平成元年から8年(1989〜1996年)については、ありきたりではあるが、成人式に始まり、大学を卒業し、某社に入り、結婚し、初めて海外を旅行し、住居を買いといった具合で大きな転機が多々あった。入社した年の夏休みの旅で沖縄に行き、全国47都道府県を一応探訪(いわゆる全国制覇?)したというのも大きい。平成時代において、ほかに特に大きな出来事を挙げるなら、転職、本の出版、そして曲がりなりにも「東京モノローグ」を続けていることの三つ…先の七つと合わせて、これらで10大トピックという感じになる。平成ひと桁の時期に集中している観はあるが、逆にそれらがあって、平成の大半は概ね平らかに過ごしてこれたと言えなくもない。正に“平にして成”だと思う。

     4月1日は、おとなしく新元号発表を見るなり聞くなりしたいところだが、新年度早々いろいろと所用があり、外出先で知ることになりそう。思うところがあったら、次回第519話で書くつもりだ。

     


     先だって、岐阜、三重の両県をドライブした。県道23号(北方多度線)を走行中、「平成6」交差点(岐阜県北方町)を通りがかった。あとひと月でこの地名も一つ前の時代のものに。


     指定席券売機を使うと、「昭和→平成」といった元号駅どうしの切符も買える。運賃は、新横浜経由で14,680円、横浜経由で14,790円。次の元号と同じ名称の駅が発売対象にあれば(または開業すれば)こうしたことができる訳だが、果たして...

     


    (おまけ)関連する話題

     

    3月31日で終了・2010

    3月31日で終了、あれこれ

     

    平成元年 其の一

    平成元年 其の二

    平成元年 其の三

     


     

     

     

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    第517話 小田急線複々線化ふりかえり(2019.3.16)

     

     「構想から半世紀。工事着手から30年の歳月を経て2018年3月、ついに完成した複々線。」・・・その歴史の長さこそが一大特徴とも言える小田急線の複々線。筆者が小田急沿線住民だった間に叶うことはなかった訳だが、その歴史や進捗を多少なりとも見てきた身としては、相応の感慨はある。沿線にずっと暮らしていたとすれば、なおのことだったと思う。

     複々線の工事は、狛江地区、世田谷(経堂)地区、下北沢地区に分けられ、順次着工。狛江地区(喜多見〜和泉多摩川)は、かれこれ30年前の1989年7月に着工され、1997年6月に高架の複々線になった。世田谷(経堂)地区(世田谷代田〜喜多見)は1994年12月の着工で、やはり10年程度かかって、2004年11月に複々線部分が完成した。その際の話は、第177話に記した通りで、結構な昔話になっている。そして、2013年3月。下北沢地区を含む代々木上原〜梅ヶ丘(約2.2km)で上下線の地下区間が暫定開業し、地上駅だった東北沢、下北沢、世田谷代田は地下駅に。筆者としては一大事だったので、その前と後に訪ね、自分なりにまとめることにした。その第374話も実に6年前。月日の経つのは...である。

     


     2018年3月ダイヤ改正を前に、これまでの事業の概略をまとめたものが出た。長い歳月と多くの段階を経て完成したことがわかる。


     複々線化のめざすところは、この一文に尽きるとのこと。(こちらの動画の終わりの方にあったものから引用・・・以下に続く画像7枚も同じ動画から)


     その暫定開業は、2系統ある地下線のうち先に完成した「急行線」を使うというもので、「緩行線」の方は工事が続行。下北沢駅や世田谷代田駅は、地下2階部分を急行線、地下1階部分を緩行線とする二層構造だったため、両駅では地下2階のみを使う期間が6年ほど続いたことになる。

     


    2018.3.3「祝 複々線化完成」


    下北沢駅の変化・・・緩行線と急行線の配置はこの通り

     

     最後の工事区間となった東北沢〜世田谷代田(約1.6km)の緩行線が完成し、暫定が終了したのが2018年3月3日のこと。代々木上原〜梅ヶ丘の複々線が既設の複々線区間とつながり、最終的に代々木上原〜登戸が複々線区間となった。約11.7kmにわたる複々線が全面開業。東北沢〜和泉多摩川の複々線化事業が都市整備計画の決定を受けたのは1985年3月のことなので、事業期間としては30年以上に及ぶ。気の長い話だとつくづく思う。

     

    ← 経堂駅付近の工事はかなり大がかりだった。工事とともに駅の姿は様変わり。筆者が知るかつての駅の面影もなくなって久しい。

     

     複々線の全面開業は実現した。が、その効果を活かすためのダイヤにはまだなっていなかった。複々線の運用を考えたダイヤ改正日は、その2週間後の3月17日。つまり2週間はお試し期間のようなものだったと言える。ダイヤ改正では、列車種別の再編、列車本数の大幅増がなされ、その結果として、所要時間の短縮、混雑率の緩和などが図られた。沿線住民だった頃に実現していれば、と改めて思う。

     


     2018年のダイヤ改正まで「あと20日」。複々線開業まではあと6日という日だったが、カウントダウンはダイヤ改正が対象だった。


     2018年3月16日までの「停車駅のご案内」。多摩急行が走り、快速急行は多摩線の運行がなく、新宿発着の準急がまだあって... というのがわかる。



     ロマンスカーの停車駅も2018年のダイヤ改正で見直され、向ヶ丘遊園、新松田に停まる特急がなくなった。この停車駅案内も過去の話に。

     

     とりあえず、複々線化全面開業について一筆書こうと思い、その複々線区間を見に行った。2018年3月11日のことである。順序は、代々木上原→下北沢→梅ヶ丘→下北沢→代々木上原といった順。代々木上原→下北沢は快速急行、下北沢→代々木上原は多摩急行に乗った。速さを検証する乗り方ではなく、東北沢を通過する際に、急行線として独立した線路を走ることを確認するのが狙い。全面開業前までは各駅停車も急行線を通っていたため、各停用に仮のホームが設けられていた。その仮設がない状態での急行線である。複々線化のリアルといったものを感じることができた。多摩急行の乗り納めもこの時。折角なのでそのまま明治神宮前まで乗り、撮るべきものは撮ってホームを後にした。

     ダイヤ改正後の様子も早々に押さえようと思っていたのだが、これがなかなか叶わず。予告で出してから一年以上が経ってしまった。今更ではあるが、写真をメインに振り返ってみようと思う。

     


     一大イベントだったため、「3.17運行開始 複々線による新ダイヤ」のステッカーが登場。どの列車を見てもだいたい付いていた。


     梅ヶ丘駅で撮った写真を3枚、紹介する。
    (その1)急行線から出てきた急行列車は、そのままホームと接さない線路を直進する。


    (その2)全面開業前は、急行線からホームに通じる線路が分岐していた。この分岐点が梅ヶ丘から先の複々線区間の起点だったことになる。緩行線が完成したことで、その分岐(渡り線)は不要に。各駅停車は緩行線から出てくると、分岐もカーブも経ずに、ホームに入ってくるようになった。


    (その3)上りの各駅停車も同様。真っ直ぐ緩行線を進み、地下区間に入る。かつての各駅停車は、渡り線を通り、急行線に入っていた。


     下北沢駅の発車標(ダイヤ改正前)。1番線は、地下2階にある下り列車用で、複々線全面開業で優等列車専用になった。これは改正後も同じ。速い列車が地下の深い方にあるというのは不便な気もする。下りの各駅停車は、複々線化で地下1階に移った。


     このポスターにある「現在」は、3/3〜3/16の期間限定的なもの。地下1階が両方向とも各駅停車、地下2階が準急〜快速急行の優等列車という扱いだった。緩行線ができ、階層が増えた訳だが、わかりやすい設定だったと思う。改正後(3/17〜)は、その上下別の種別が一部で複雑化。1番線・3番線の下りは、種別で分かれているが、上りは、地下1階(4番線)が千代田線方面の全列車と新宿行き各停、地下2階(2番線)が各停を除く新宿行きになった。複層かつ輻輳である。(第501話の中段でも書いた通り)


     ダイヤ改正前の発車標(下北沢駅改札前)。各停と優等列車の別は、下りも上りも番線ごとでわかりやすかった。右(上り)は当時、千代田線直通の急行も2番線(地下2階)から出ていたが、改正後は4番線(地下1階)に変更。写真の例で言えば、2422の順が2442に変わったことになる。


     3/3〜3/16は、複々線は全面開業したが、運用は暫定的だった。特急を除く優等列車の表記がこのようにまとまっていたのもこの期間ならでは。


    上りもW、下りもWの複々線へ。PR動画も力が入っていた。


     こちらは、改正後の新宿駅発車標(日曜の夜)。かなりの頻度で列車が出るようになったことがわかる。新宿発の準急はなくなった。


    ← 1980年登場の特急ロマンスカー「LSE」(7000形)。学生時代などよくお世話になったものである。
     ロマンスカー車両の中ではすっかり古参になってしまい、2018年10月13日の「さよならツアー」の運転を以って引退した。(同日、代々木上原で撮影)
     複々線化の事業期間と重なる歴史を歩んできた車両だが、その全面開業の恩恵をあまり受けることなく、現役を終えることに。定期運転を終えたのは7月10日だったので、3月3日からの4か月余りは複々線を快走できたことになる。機会がないよりはいい訳だが、引退時期はもう少し先でもよかったと思う。

     

     複々線区間をフルで乗車したのは、かなり後になってからで、このリポートのために湘南方面に向かう時が初めてだった。12月1日である。

     快速急行で新宿から藤沢へ。所要時間は70分ほどだった。下北沢〜登戸はスピード感があり、梅ヶ丘駅手前でのポイント通過もなく、全面開業を実感することができた。走行中に何らかの写真を撮っておけばよかったのだが、この日は撮れずじまい。ロマンスカーに乗って、窓側席に張り付くなどしないとなかなか撮れないものである。

     次の機会は、こちらのリポートの関係で、12月1日と同じ時間の快速急行(新宿10:21発)に乗車。2月24日の話である。

     ダイヤ改正で「大増発」となった筈だが、乗り継ぎの方は意外と不便で、この時めざしていた開成には思いがけず時間がかかっての到着となった。

     行程は、新宿(10:21発)−[快速急行]−相模大野(10:57着、11:00発)−[各停]−本厚木(11:16着、11:17発)−[各停]−新松田(11:44着、11:46発)−[各停]−開成(11:48着)といった具合。特急を使えばまた違うのかも知れないが、この時間帯はちょうどいいのがなく、ひたすら乗っては降りの繰り返しとなった。

     快速急行の速さは改めて感じることができた。ただし、それは複々線区間での話で、登戸から先、複線区間に入るとそうでもない。先行の各停が少しでも遅れると、その影響を受ける。新百合ヶ丘に着くまでの間は、減速したり徐行したりが続いた。

     


     以前の快速急行は、登戸通過だった。各停との乗り換えの都合もあるので、停めて正解だとは思うが...


     「停車駅のご案内」(2018.3.17〜2019.3.15) 3.16の改正で多少の変更があり、この案内も一年限りとなった。


     相模大野駅で、本厚木行き各停に乗り換え


     本厚木駅で、新松田行き各停に乗り換え


     新松田で最後の乗り換えを終え、ようやく開成に到着。新宿から約90分の旅だった。


     開成駅では、10両編成の急行列車を停めるため、ホームの延長工事が行われていた。3/16は、この延長部の使用開始日でもある。

    ← 開成駅、小田原方面の時刻表(2/24撮影)。日中時間帯は1時間3本程度だったが、急行停車で概ね倍に(→参考

     

     2019年3月16日のダイヤ改正では、その辺りが解決するかどうかは不明だが、開成が急行停車駅に格上げされたので、相模大野から各停を乗り継いでという必要はなくなった。

     同じ時間帯でチェックしてみたら、
     新宿(10:30発)−[急行]−開成(11:59着)
     というのがあった。急行一本で89分に。快速急行×1、各停×3の組み合わせと大して変わらないが、「ダイヤ開成」と言っていいだろう。

     次に小田原方面に行くことがあれば、この"開成"されたところをぜひ堪能したいものだと思う。

     


    (おまけ)小田急複々線化に関するリリース等

    鉄道部門:輸送力の増強
    ・小田急設備投資(PDF
    ・複々線化事業のあゆみ(PDF
    スピーディーで快適になった小田急の朝
    ・「混雑緩和」「所要時間の短縮と遅延の減少」を実現(PDF
    複々線完成から1年−快適でスピーディーになった今の小田急

     


     

     

     

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    第516話 ジオシティーズ、はてなダイアリー...(2019.3.2)

     

     自前でウェブサイトを開いている分には、サーバのレベルで何かが起きない限り、終了だ閉鎖だといった話はない。だが、アカウントを設定すれば簡単に開設できるタイプのサイトやブログについては、その限りではない。時代の流れと言うべきか、その手のサービスが減っていく傾向にあるようだ。筆者が使っていた中でも、二つのサービスがそうした流れの対象となり、2月はその対応で時間をとることに。今後の参考という意味でも、この場で振り返っておこうと思う。

     

     昨年の10月1日、
    【重要】Yahoo!ジオシティーズ サービス終了のご案内
     というのが届く。12月3日には、
    【終了まで4ヶ月です】Yahoo!ジオシティーズ終了に伴うホームページ移行のお願い
     そして、2月2日には、
    【残り2ヶ月です】Yahoo!ジオシティーズ終了に伴うホームページ移行のお願い
     といった具合に、定期的にメールが来た。

     案内ページを見ると、ご丁寧に「移行先のご紹介」というのがあり、これで何日か思案することになった。この際なので、ホスティングサービス(今は2GB)の見直しも兼ね、大容量のサーバでというのも考えたが、1GBを無料で使えるサービスがあったので、そこに決めた。(ホスティングサービスの方は、じっくり検討しつつも、それなりのタイミングでと思っている。)

     


    移行先候補は6つ。XREAにした。


    ジオシティーズ利用者向けキャンペーンも

     

     移行そのものは至って簡潔だった。パッと見た感じも移す前と同じで、よくできた仕掛け&プロセスだと思った次第。ただし、サイト内の各ページのリンクは従来のままなので、それらを移行後のものに変える必要がある。FTP経由で、対応するHTMLファイルをダウンロードし、リンクなどを直し、再びFTPでアップロード。概ね元通りになった。(従来のアドレスを入れると、移行先に遷移するリダイレクトの方もメニューからの操作で一発対応。当たり前のサービスなのかも知れないが、ありがたい話だと思う。)

     


    XREAの管理画面例。実にスタイリッシュで驚いた。

     

     ジオシティーズに置いてあったのは、基本的に目次ページのみで、コンテンツの方は、Yahoo!ブログ(ただし、こちらも12/15を以って終了とのこと→ご案内)に載せてあるため、それほど手間はかからなかった。が、三つある短編の一つは、その手の投稿専門の外部サイトで公開していたので、些か面倒なことに。サービスが継続していれば、特に問題なかったが、知らない間に閉鎖されていたものだから大あわてである。どこかに掲載し直す必要が急遽生じ、あれこれ思案する。移行先(XREA)の1GBの中に置き直すことも考えたが、小説ならではの見せ方ができるサイトを使う方が早道と思い至り、長年お世話になっているアルファポリスに掲載することにした。

     


    電網浮遊都市「アルファポリス」…小説などの投稿画面


    投稿完了。目次ページはこんな具合。(XREAでのトップページはこちら

     

     ここの小説投稿機能を使うのは実は初めて。ダメもとで使ってみたが、専門サイトだけあって操作性がよく、すんなり掲載できた。(折角なので、連載モードにして、何回かに分けて載せることにした。その際、予約投稿機能が大いに役立った。)

     折りよく「ライト文芸大賞」のエントリー期間に間に合ったので、エントリーすることに。投票期間は4月。ひとつご声援のほどを。(ランキングバナーのクリックなど、よろしくお願いします。)

     

     


     ジオシティーズの件が済んだところで、次は「はてなダイアリー」である。

     ご案内のメールは、「はてなブログへの移行に関するお知らせ」の題で、「はてなダイアリーは、2019年1月28日に記事の更新を停止し、2月28日には全機能を停止する予定です。」とのこと。(→ご案内

     こちらもやはり移行という話なのだが、同じ枠内で別の仕様に変えるイメージなので、負担感は少なかった。ただし、記事の件数が800を超える一大コンテンツなので、移行中にトラブルが起きたら...という懸案も。まずはデータのバックアップをとり、ダイアリー版トップページなどのキャプチャーをとり、あとはガイダンスに従い、ブログを開設し、といった具合で進める。移行の段取りとしては、開設したブログの管理画面から「インポート」→「はてなダイアリー」を選び、記事のインポート→はてなブックマークの移行→記事のリダイレクトの"3ステップ"を順に行うというものだった。インポートを開始したのは、2/17の22:15頃。その3ステップを終え、「おめでとうございます︕ インポートが完了しました︕」の状態になったのはその15分後だった。少々時間はかかったが、めでたしめでたしである。


    はてなブログ「インポート」画面

     
    おめでとうございます!画面

     

     はてなブログは、「続々 東京百景」で使っていたので、一応心得はある。問題は、インポートしてきた記事と同じ体裁で書けるかどうか... で、先だってようやく新しい記事を書く段になったので、過去の記事を編集画面で開き、記法などを見比べながら、おそるおそる入れてみる。ダイアリーとブログで異なるのは、カテゴリーの指定の仕方や、画像の入れ方だが、何とかうまく行った。プレビューで確認し、無事公開。この記事がブログ版の第一号である。

     

     ブログに移行できたのはいいとして、悩ましいのはそのアドレス。

     ダイアリーでは、
     http://d.hatena.ne.jp/ekilog/20181013
     とコンパクトだったものが、
     https://ekilog.hatenablog.com/entries/2018/10/13
     と、ブログはちと長め。https://になったのはありがたいが".com/"の後に"entries/"が来て、さらに年4桁、月2桁、日2桁をスラッシュで区切ることで冗長な感じに。リダイレクトの設定はできているので、従来のアドレスを打ってもNot Foundになることはないから、アドレスを意識する必要はないと言えばない。だが、少なくとも目次ページからは、リダイレクトなしで参照できるようにしたいもの。書き換えるとなると、一大作業になりそうな予感。年月日のスラッシュがなければまだ楽だったのだが...

     

     何をどこに掲載していて、それらが将来的にどうなるのか、どうするのがいいのか…元号が変わるなど節目を迎える時期でもあるので、ボチボチ考えていこうと思う。

     


     

     

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