随筆「東京モノローグ2007」(5−6月期)
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第235話 古き佳きナチュラルレストラン / 第234話 車内で買えない?京急バス一日乗車券〜城南島で東京湾の漂着ごみを調べる / 第233話 附け祭〜「大江山凱陣」&「大鯰と要石」 / 第232話 日曜日のアースデイ

第235話 古き佳きナチュラルレストラン(2007.6.15)

 今でこそ、オーガニックだ無添加だというのが日常的になっているが、流行に便乗するように参入してきた店や事業者も多いのではないかと思う。健康食志向のレストランは今では沢山あるけれど、1993年、筆者が最初に買い求めた「ナチュラルレストランガイド」には80店余りが載っていた程度だった。数は多くないかも知れないが、おそらく筋金入りのレストランばかりだったはず。

 最近できた店でも当然しっかりしたところは多々ある訳だが、昨今のブームとは関係なく、ただ純粋に美味しいもの、安全なものを提供したいという思いから始めたであろう古くからの店々は、存在の重みが違う。取って付けたような題目でしゃしゃり出て来た似非店舗に脚光が当たるのはどうかと思う。十年来の先達各店にもっと敬意が払われていいのではないか、とふと思いつき、「ナチュラルレストランガイド」をもとに新参店との比較検証でも、と企てたのが春先のこと。

 だが同書はあいにく案内地図に誤字脱字が多かったことなどから、しばらくして手放してしまったことを思い出した。諦めモードだったが、どっこい地元図書館でその続刊(「ナチュラルレストランガイド 1995−1997 〜 天然素材を使ったからだにやさしい131店」(柴田書店/1995.5))を見つけてビックリ。ともあれ、今から12年前はこんな店が頑張っていた、ということだけでも紹介できれば、とその続刊をもとに廻れる範囲で追跡調査をすることにした。勿論この「ナチュラルレストランガイド」に載っているのが全てではないだろうけど、一つの手がかりにはなる。

 果たして、今でも健在で昔ながらの理念を維持しているお店は少なからずあった。時代を超え、今日のオーガニック&無添加につながる流れを支えてきた店と言っても過言ではないだろう。敬意を表しつつ、同書に載っている順序に従って、各店の動静を記す。(あくまで、昔からある店であることをお伝えするのが趣旨です。お店に対する評価や評判については特にふれていない点、あしからずご了承ください。)

  • 店名/所在地
    ガイドブックに掲載されていた当時の主なメニュー(価格:円)など

  • ヘルシー館/千代田区六番町4 朝日六番町マンション2F
    長寿村弁当(1200)
    玄米雑炊(900)
    テンペステーキ(1000)

    ついつい見過ごしてしまいそうなヘルシー館 市ヶ谷から麹町方面へ、新坂を上った辺りにこの店はある。(通りがかるものの、入ったことはまだない。)

  • ×宗村/千代田区富士見2-7-13 ル・モンドビル2F
    いわしのなめろう(750)
    うるいなのお浸し(600)
    独活の天ぷら(800)

     富士見2丁目7番地界隈は再開発工事中で、ビルごと見当たらなくなっていた。竣工後、また戻ってくるかどうかは不明。

  • 一億/港区六本木4-4-5
    トーフステーキ(250)
    鮪生姜焼き(900)
    自家製プリン(350)
     

  • 芋侍/港区六本木7-14-3 かじまやビルB1F
    侍六法(卵巻きカツ)(850)
    侍カツ(鮪カツ)(850)
    勝負炒め(肉野菜辛味噌炒め)(850)
     

  • 五穀/港区六本木7-4-5 稲垣ビルB1F
    三色豆腐(800)
    五穀めし(800)
    紅花とひじきのおこわ(1000)

トーフステーキを前面に出していた「一億」。名物は今に継がれる。

地階への階段入口には、「陽光農法」「原種子保存」などを掲げた「至誠書」が客を迎える。

「五穀」の表示に少々キズが。これも年季が入っている証拠か。

 5月26日に新国立美術館と東京ミッドタウンに出かけた際、まとめて調査。最近の六本木界隈の変わりようには目を見張るものがあるが、この三店、堂々と残っていて、しかもメニューも昔と変わりないところがスゴイ。芋侍は、友人の結婚パーティーの帰りに立ち寄ったのを覚えている。(記録帳によると、1996.9.8のこと)

  • クレヨンハウス/HOME・広場/港区北青山3-8-15
    広場のバイキン(1200)
    ビーンズカレー(800)
    ハーブティー(500)

    地階だが、オープンカフェスタイルの席もある。 青山通勤時代は、時々ここのバイキングをいただいた。ヘルシー食だが、十分満腹になるので、その日の夜は軽めか食べずに済んでいたのを思い出す。玄米ご飯はよく噛むように、といった作法もメニューのうち。大人向けの食育実施店である。ちなみにクレヨンハウスは今年30周年とか。

  • ザ・ガーデン/竹芝

     現地調査ができていないので、定かではないが、お店自体はまだあるようだ。1995.8.26に、会社知人の結婚パーティーで入店。

  • 菩提樹/三田

    菩提樹のサービス券。もう使えない? ここも現地調査は叶わず。肉を出さない中華料理店、つまりベジタリアン向けで通っていたが、最近はコンセプトを変えてしまったようだ。(仏教伝導センタービルに入っている、というところから推して知るべし。) 田町勤務時代、時々お世話になったが、サービス券はとうとう10枚には達せず、持ち腐れになっている。

  • ライフリー/新宿区高田馬場2-18-11 稲門ビル3F
    健康30種コース(3800)
    出汁巻き(500)
    胡麻豆腐(380)

    レストラン ライフリーの入口 今回「ナチュラルレストランガイド」を見て、再発見した店。ショップともども繁盛しているようだった。いずれランチでも、と思う。

  • ぴーまん/新宿区新宿2-2-1 ビューシティ新宿御苑ビル102

    新宿御苑 新宿門のちょっと先にある 新宿御苑に行く度に思い出すもののなかなか入れない店。「生野菜ジュース専門店」というのがふれこみ。

  • ×自然館T/渋谷区道玄坂(番地不明)
    薬菜六角膳(1150)
    旬菜膳(3500)
    薬膳ヘルシーケーキ(430)
    *自然館Uの方は渋谷3丁目にあったが、どちらもなくなってしまったようで...

  • ×千壽/渋谷区桜丘町3-15 第5モリシタビル103

  • ×天味/渋谷区神南1-10-6(自然食品センター本店)

    天味はかつて、このビルに入っていた。 代々木公園は、アースデイ東京やエコライフフェアなど環境イベントで盛況なのだが、渋谷を巻き込むような形ではイベント効果が波及しないのか、ナチュラルレストランは廃れる方向?(新参組が頑張っているのかも知れないが。)

  • MOMINOKI HOUSE/渋谷区神宮前2-18-5 YOUビル1F
    自然食セット(1000)
    納豆の海苔巻き揚げ(650)
    ベジステーキ(1000)

     「アド街ック天国」(春の原宿編)でも堂々登場。筆者は何かの機会で一度行ったことがあるが、あまり記憶がない。(^^;

  • 游々満月洞(ほびっと村)

     2004.7.31の「アド街ック天国」(西荻窪編)では、まだ紹介されていたが、今はなくなってしまったようだ。1994.6.28にちょっとしたワークショップを兼ねた会合があって来店。不思議な空間だったことだけはよく憶えている。

  • ×生粉打ち亭/豊島区東池袋4-13-8-105
    野菜そば(680)
    精進せいろ(850)
    地獄そばシリーズ(700〜850)

     お店自体は存続していて、分家(?)が江戸川橋で営業中。本家があったと思しき場所は再開発工事地区には当たっていないが、東池袋の再開発の煽りが少なからずあったものと思われる。

  • でめてる/国分寺市本町2-14-5
    でめてる定食(1080)
    玄米定食(880)
    野菜雑炊(650)

    玄米定食は900円! クリーンアップ全国事務局に非常勤で通うようになって、来店する機会を得た。国分寺にこういう店があったとは!というのが正直な感想。お値段は昔とほとんど変わっていない。

 まだ調査途上の観はあるが、六月の環境月間に合わせて、第一報として掲載した次第。(続報未定) 同じナチュラルレストランなら、より伝統あるお店を選んでは?というささやかなご提案まで、でした。(似非か否か、まずはよく確かめてから利用されることをお勧めします。)

ご飯のおかわりは自由(ごはんCafe) 新参と言うのは当たらないかも知れないが、今年行ったナチュラル系なお店でよかったのは、自然食バイキング はーべすとごはんCafeあたり。ひとつご参考まで。

第234話 車内で買えない?京急バス一日乗車券(2007.6.1)

 5月18日、線路内人立入とかでダイヤが乱れた京浜東北線。ご難は5月19日にも起こった。土曜日の朝、蒲田に向かっていた筆者だったが、有楽町に入線した途中で停止。何やら非常停止ボタンが押されて安全確認云々とアナウンスが入る。前日の人立入は上野、今回も人の立ち入りが原因で、現場は秋葉原だったようだ。秋葉原よりも先に来ていたからまだよかったようなものだが、有楽町を出た時点で6分遅れ。この日は、これがケチの付き始めとなった。

 計算が甘かったのが不可ないのだが、この6分が案外重く、蒲田を8時38分に出るバスには間に合わないことがわかった。その次の発車は、8時58分発。これにシフトすることにして、エキナカのある品川で一旦下車。蒲田で15分過ごすよりは、と思ったのだが、この時間調整がまたアダになる。先ほどの6分の遅れが遅れを呼び、次の南行き電車は15分遅れとか。ヒヤとしつつも、蒲田には何とか8時53分に到着。バス乗り場へ一目散である。(6分遅れ電車にそのまま乗っていれば余裕もあっただろうに...)

 乗り場に着くと、似たようなルートを通るバス(蒲35)が先に待っていたが、これは見送り、当初予定通り、8時58分発(蒲36)に乗り込む。だが、これがまた物議のもとに。「乗り継ぎ一日乗車券」という便利な切符があるのを承知していたので、これを車内で買い求めようとしたのだが...

 釣銭の用意がない、と平気な顔で言うではないか。高額紙幣での釣銭が出せないことは、京急バスのホームページで見て了解済みだったが、千円札を出して500円の釣りが出せないというのは想定外。一体どういう了見なんだろう。

 何とか売ってはくれたものの、釣りは「乗車証票」100円×5枚綴り、という変則対応。これは次に乗車券を買う時に使える、というので、他のメンバーの分をあとで買うだろうから、ということでひとまず承服した。(だが、この説明が食い違っていて、あとでとんだ問答を招く。)

 その乗車証票を受け取る前のこと、「500円ちょうどがないなら、バスカードで買えるか?」と問うと、曖昧な返事。ともあれカードを通したのだが500円を引き去る形になっていない。要するに売る気がない、ということのようだ。カードからは乗車一回分の210円が引かれてしまっている。今、乗車してる分はこれでOKとか、訳のわからないことをその不届き運転手は仰る。買ったばかりの一日乗車券を使おうとしているのに、これじゃ二重取りだろう? といった趣旨で問い詰め、今度は引き去られた210円の渡し方でひと悶着。途中から乗ってきたお客が210円ちょうどを持ってたから、良かったようなものだ。料金箱に現金を入れるところで、筆者に返金。JR蒲田駅から目的地である糀谷駅まで、こんなやりとりで終始してしまい、沿道風景などを楽しむ余裕は全くなかった。ちなみに一日乗車券は使う日付をスクラッチする形式なのだが、これを運転手が鉛筆か何かで変な削り方をするものだから、月の5、日の19の周りもボロボロに。きちんと削りたい筆者としては実に不本意な一枚となってしまった。8:38発の蒲36バス見送り、京浜東北線15分遅れ、バス乗り場へのダッシュ、不本意な一日乗車券、とこの時点ですでにヒヤヒヤ4件、である。

 さて、何でまた糀谷(こうじや)か、と言うと、第231話の通り、青春18きっぷなどで東京近郊の奥の方の駅まで出かけている割には、23区内でまだ乗り降りしたことがない駅が残ってしまっているバランスの悪さを少し正すため、というのがまずあった。今回のような機会でもないと、京急空港線エリア(大田区の南部)に来ることもないから、便乗小旅行を思いついた訳である。他の面々との集合は、平和島駅に10時30分。予めバスと電車の時刻表を検索して、JR蒲田駅(8:58発)〜糀谷駅(9:05着)〜糀谷(9:19発)〜大鳥居(9:20着−37発)〜平和島...などの行程プランを立てた。これでも集合時間には余裕あるスケジュールだったが、もっと早く、先行のバスで動けていれば、大鳥居の次の穴守稲荷でも乗降できるプランも可能だった。今回、京急空港線で1駅、穴守稲荷が残ってしまい、都内の京急全駅達成、は叶わなかったが、楽しみはとっておくもの。また次回に臨むとしよう。

今は地上駅の糀谷(いずれは高架?) 運転手との一件でカリカリしていたが、糀谷駅を見つけるや、気分も収まった。当の糀谷駅は正に「工事」中で、線路の立体化が進んでいた。(⇒工事詳細 コンパクトかつ便利そうな商店街が線路と環八を挟んで南北に伸びる。小さな駅だが侮れない。踏切がなくなるとまた変化が生じそうである。(ちなみに、北側の商店街は地名上、西糀谷商店会となっている。)

 糀谷から大鳥居は1区間なので、ここはSuicaを使ってスイスイ、というのを試してみる。ビックカメラのポイントを移行した残額があったので、ここから130円引かれるものと思いきや、何と「オートチャージ」が働き、残額が4桁になってしまった。私鉄に乗る場合の料金は、ビックポイントとは別立てなんだろうか?と大いに疑問に感じたが、チャージされてしまったものは仕方ない。バスの一日乗車券で冷や汗をかいた次はこのオートチャージでヒヤリ。9時19分発の空港行き列車に乗り込む時には、雨が激しさを増してきた。これも何かの暗示か?

 かつての大鳥居駅はこじんまりした地上駅だったが、いつしか地下駅になっていた。羽田空港利用時は京急をよく使う。乗っていて気付いていない訳ではなかったが、実際に下車してみて改めて実感。しかし、空港側が「東口」で、蒲田側が「西口」、これまた不思議な駅である。(中央に一つ改札があって、そこから東口西口に分かれるのなら合点が行くのだが、ホームの端がそれぞれ東西というのはあまり聞いたことがないので、躊躇した次第。)

 次に乗るバスは産業道路を通る。大鳥居駅は環八と産業道路の大交差点の直下にあるので、平和島方面の乗り場となると... ちょっと考えて西口へ。当たってはいたが、そういう交差点でのバス乗り場については、東口・西口の案内表示の中に明示しておくべきだろう、と思う。ちなみに、交差点を(|が環八(上:羽田)、−が産業道路(左:平和島))で表すと、大鳥居駅ホームは、/(半角スラッシュ)の向きでクロスする。方位上、ホームの端がそれぞれ西口・東口というのは合っているが、羽田方面を北と見る時も、(左)西口・東口(右)となる。やはり不思議である。(ちなみに、東口にはワタミの本部があって、付近には同グループ各店が集結。「ワタミの城下町」とでも呼べそうな勢い。⇒地図

 森21系統のバスで平和島に向かう。平和島駅には10時前に到着。雨は上がってきたので、周辺を散策したりして過ごす。10時20分には改札前で待機。10時45分、日中混成メンバーがひととおりそろったところで、地元のPご夫妻宅へ向かう。

 今回の主たる行事は、「海辺の漂着物調査」。(財)環日本海環境協力センター(NPEC)が主催し、日本・中国・韓国・ロシアの4カ国の交流事業の一環として取り組まれているもの。環日本海という名の通り、主に日本海沿岸で行われているが、太平洋での調査も含まれ、広く海洋漂着ごみの実態を知る手がかりとなっている。

 筆者が関わる東アジア環境情報発伝所でも、特に日・中・韓の3カ国の環境情報交流を進めている以上、この漂着物調査とも無縁ではいられない。そのため、今年度から試行的にこの調査(年4回)に参加することと相成った。発伝所メンバーのうち、日本語が堪能な中国の方々が集まりやすいことなどを考慮しつつ、大きな河川の河口から両サイド1km以上離れた海岸、といった調査条件を満たす場所として、東京湾に面した城南島海浜公園を候補地とし、準備を進める。

 潮の満ち干によって、ごみの多い少ないに差が生じる、ということだったが、公園管理事務所の協力も得られたことから、5月19日、城南島にて1回目の調査を行うことにした。今回の調査ツアーの添乗員は僭越ながら筆者が担当。バス移動の案内、調査そのものの説明・実施、調査器材の準備など、ひと仕事だったが、まぁ勝手のわかる話なので愉しいものである。(京急バスにはしてやられたが。)

 Pさん宅は、今春新たにオープンした「大森ふるさとの浜辺公園」の近傍。当初、ここの人工浜辺で漂着物調査をする予定もあったが、東京湾のかなり湾奥に位置すること、海に注ぐ河川(内川)が近くにあるため、そこからのごみが漂着する可能性はあるが、それだと海洋漂着ごみにならないこと、といった理由で当地での調査は見送った。城南島に向かう前にこの浜辺公園を見学し、Pさん宅で弁当タイムをとり、羽田標準で最も潮が引く時間(12:48)に合わせて現地入り、という行程である。

大森ふるさとの浜辺公園 一望 大森ふるさとの浜辺公園はできたばかりというのに、散乱ごみが目に付くは、公園付帯のトイレは壊されるは、で散々という話。それでもこの日の浜辺にごみはほとんどなく、クラゲが打ち上がっていたり、チゴガニが這っていたり、と天然系で穏やかな印象。漂着物調査には向かないが、ちょっとした行楽には打ってつけと言える。

 平和島駅を出るバスは12:28発。干潮時間にはちょうどいいタイミングである。1時間に1〜2本と本数は少ないが、場所柄を考えるとそんなものだろう。その森32系統に乗車し、例の一日乗車券を買おうとしたら、さぁ大変。車内では3枚しか扱っていない、とな。おまけに物議を醸した「乗車証票」(100円×5枚綴り)では一日乗車券は購入できないと仰る。話が違う! 運転手は実に素っ気無く、「3枚は3枚」「乗車証票は使えない」とあくまでバス会社の都合ばかりを押し付ける。仕方ないので、乗車証票は通常の乗車分として使い、一日乗車券3枚は女性メンバーに、男性メンバー諸氏には、この先乗車するごとに210円ずつ払ってもらうことでひとまず収拾した。これが本日のヒヤリ6つめ。予め営業所などでしっかり人数分を調達してこそ、添乗員というものだろう。不覚の極みだが、それにしても3枚とは。(もっとも、一日乗車券を車内で印字・発券できる都バスではこんなことにはならない。スクラッチ式はこりごりである。)

 気分が落ち着かないままだったので、気が付いたら目的地の城南島四丁目に着いていた、てな状況。チーム総勢8人、あわてて下車。バス停からは東京湾が見えると勝手に思い込んでいた筆者はここで7つめのヒヤりを味わう。「海が見えない!」 調査後に乗る予定のバスは14:31発。限られた時間内で場所の設定と漂着物調査をしないといけないので、余計に焦る。ひと息おいて、バスの進路から方角を割り出す。しばらく進むと何とか海浜公園の一端に出て、ひと安心。東の浜から南の浜に廻り込むような感じになったが、何とか公園管理事務所にたどり着き、所長さんと面会。挨拶もそこそこに、預かってもらっていた器材等を段ボールごと引き取り、いざ「つばさ浜」へ。

 予定通り13時頃、クリーンアップ&調査を開始。潮干狩り客の邪魔にならないよう範囲設定する必要があるが、設定したところで肝心の漂着ごみが見当たらないのでは仕方ない。あとで所長さんに聞いた話だが、前日の大潮により、目立つごみはさらわれてしまった、という。(これもこの日一連のヒヤリの流れか?) まぁ、ごみはないに超したことはない訳だが、こういう場合は訳が違う。なくても困る、というのはどうしたものか。

予め用意したロープで区画し、10m正方形を作る 潮が残す線にアサリなどの貝殻や海草類が固まっているのが目に付く程度。総じて美観を保っており、離島などで大きな問題となっている漂着ごみ襲来の現場とはかけ離れていた。ここはあくまで実態調査と割り切り、その線を成す固まりをほぐしながら、小型のごみ・人工物を見つけ、拾っていくことにした。干潮ピークに近い時間帯だけあって、砂浜の露出は大きく、場所の設定には困らない。10m四方2面分を確保。4人1班で1面ずつ、枠内のごみを収集→分類&カウント→種類別重量調査→ごみ撤収、の流れ。14時までに終われるよう、時計をにらみながらの実施である。

 つばさ浜というだけのことはあって、羽田空港を離発着する飛行機の翼が下からよく見える。飛行機好きにはたまらない場所だが、当然降って来る音もスゴイ。調査要領の説明は、飛行機の音が止んでから、というのがもどかしい。筆者的にはヒヤリの連続で凹んでいたが、ここへ来て天が味方したか、午前中の雨がウソのように、調査中の1時間は見事に晴れ上がり、気温も上昇。紫外線対策が必要、という事前の案内に偽りがない状況となった。メンバーには紫外線対策グッズの他、軍手、自分で集める用のレジ袋類、潮干狩りする場合はその道具、などを各自用意してもらっていたのでよかったが、飛行機轟音は予定外。今後は耳栓も必需品になりそうだ。[(+_+)]

10m四方一面分で集めたごみのサンプル(吸殻が目立つが微細ごみも多数) 1回目に免じて、量が少ないのは良しとしよう。収集量が多いと時間に追われがちになるが、それがなく程々の作業となり何よりだった。ただ、見た目には何ともなくても、ごみは必ず潜んでいる。2面分の合計で、ワースト品目としては、

  1.  プラスチック破片:119

  2.  タバコの吸殻:85

  3.  プラスチック製小型容器等:24

  4.  ふた・キャップ:20

  5.  輪ゴム:18

  6.  シート・袋の破片等:17

 という結果が得られた。風船や葉巻のかけらも見つかった。海辺に暮らす生き物が誤飲・誤食しそうな有害ごみが少なからず収集できたのは一つの成果と言える。素材別個数/重量は、次の通り。

 プラスチック類:214個/160g
 ゴム類:24個/7g
 紙類(主に吸殻):89個/32g
 その他の品目を含めた合計:331個/353g

 レジンペレット(プラスチックの中間材料)やプラスチック芝(緑色の小片)なども紛れており、微細な分も個々に数えると、相当数に上るものと思われる。(今回は微細ごみも可能な限り回収した。) 珍品ごみ・希少ごみはさすがになかったが、大潮にさらわれる前の、本来(?)の姿の浜でクリーンアップすることになれば、おそらくいろいろと出てくるだろう。

 次回は8月を予定しているが、今度は海水浴客にまざっての調査になる見込み。どうなることやら?(^^;

 今回は重量が少なかったので、2kg用の秤で事足りたが、NPECからは8kg用の秤も預かっている。調査用の資器材の中ではこれが一つのネックになっていたので、公園管理事務所で保管してもらうようお願いし、快諾いただいた。ありがたい限り。秤は事務所でも使ってもらえばいい訳だから、持ち腐れにならなくて済む。秤も本望だろう。

 調査時間の合間を縫って、潮干狩りチームが活躍していた。ちょっとした量のアサリをGETしていて、ごみ以上の成果を挙げていたのにはビックリ。そんなこんなで押せ押せではあったが、無事、城南島四丁目より再びバス(森32)に乗り、今度は「バードフェスティバル」会場の東京湾野鳥公園へ。何とも盛り沢山のツアーである。

 ここで再び落とし穴。バスに乗り込んだことに安心していた添乗員氏は、降車するはずの「野鳥公園」停留所に来るギリギリまで、ボタンを押していなかったのである。あわてて停留所直前でボタンを押したものの、それでは遅い、ということなのか。他社のバスなら十分間に合うはずなのにあっさり通過されてしまった。ヒヤリ事件、実に9つめである。

「さかなクン&♪鳥くんトークショー」の一コマ 予定では14時40分に、この停留所で降りるはずが、一つ先の流通センターから戻ることになり、野鳥公園の中に入ったのは15時ちょうど。鳥のイベントだが、特別ゲストとして「さかなクン」が登場するトークショーがあるというので、その終盤だけでもと思っていたが、着いた時点でちょうど終わる頃合。まぁ少しは見物できたので、よしとしよう。

 何はともあれ、メインの漂着物調査は無事に終えたし、集合から解散までの間は雨に降られなかったんだから、上々とすべきか。(大森営業所管内の京急バスがもっと利用者本位だったら、なお良かったが) ツアー参加者の皆さん、どうもおつかれ様&ありがとうございました。(^^)

  • 漂着物調査の意義や課題を含む記事(筆者寄稿) ⇒ 環境ニュース

  • 「東京湾の漂着ごみを調べる」ダイジェスト版 ⇒ JANJAN

 

第233話 附け祭(2007.5.15)

 ここに出てくる曳き物。「江戸名所図絵」なのかどうなのか、出典が今ひとつハッキリしないのだが、鬼首というには何ともユーモラスというか、愛嬌があるというか...

 兎にも角にも、これと同じ出し物が復活するというのは面白い!と新聞に載っていた予告を見てえらく興味をそそられた筆者。その「大江山凱陣」が出てくる神田祭「附け祭」を見に、5月12日(土)、神田界隈に行ってみることにした。(ちなみに、こっちに出ている鬼首は正に鬼気迫るものが。これをもとに復元していたらどうなっただろう?)

 16時に神田駅に到着。先に出かけていた細君と合流し、南口から中央通りをめざす。

 今回の曳き物や行列の巡行路を記したPDFマップを特設サイトでチェックするも、これがなかなかの手の込みようで、何が何時にどこを通る、というのが逆にハッキリ把握できなかった。(出かける直前だったので、プリントアウトもままならず。)(^^; とにかく中央通りを通ることと、16時30分に日本橋三越の近くにいればいいことはわかったので、神田駅と日本橋三越の間の路上をウロウロ...

 千代田区と中央区の区界あたりに、祭の関係者の休憩所があり、掲示板も設置されている。そこでようやく祭礼行列のルートがわかった。16時30分に日本橋三越前から神田駅方面に向けて行列が進むらしい。しかし、周囲を見渡してもそれらしい気配が感じられない。交通規制もかかっていないようなので、場所と時間を間違えた?と思いきや、どこからともなく警察関係者が集まり出し、程なく三越前から神田方面の車線はクルマが通らなくなった。

 附け祭ご一行が待機していると思われる三越の前は、遠目ながら結構な人だかりになっていることがわかった。わざわざ混み合っている場所まで足を伸ばすこともないだろうから、日本橋室町三丁目、中国銀行の前で座を確保。16時20分頃、ここで待機することにした。

 路肩に腰掛けると当然のことながら目線が低くなる。地元の大赤羽祭のパレードはもともと見に行く機会が少ないから、路肩でどうの、なんて以前の話。祭礼行列をこんな低位置で、というのは初めてに等しい。

 なかなかいいポジションだと思いつつ、今か今かと待っていたら、筆者の隣のほんの数十cmほどの隙間を目掛けて、ご婦人二人が入り込んできた。迂闊だったと悔いても後の祭り。厚かましいったらありゃしない。これで程々の会話量なら許されるところだが、案の定、ピーチクやり出したのでげんなりである。

 まぁ、祭は祭。気にせず見物するとしよう。

 16時33分になった。先導車が通った後、「神田明神神幸祭」と書かれた幟とともに、然るべき出で立ちの神官(?)が現われた。いかにも神妙な感じがするが、足元をよく見ると運動靴。足袋の類では歩けないだろうから同情はするが、21世紀の祭礼というのはこういうものか、と些か嘆息。

足元に注目?

江戸前な男性が獅子頭山車(推定)を率いる。後方(右側)のカラフルな若武者は、節分祭で見かけたのと同一人物の可能性あり。

 ここからが神幸祭の本隊。由緒というか格調というか、基調は厳粛。だがその中に華や粋を感じさせる行列である。残念なのは、案内パンフレットなどを持ち合わせていなかったので、出て来る順番にひたすら目で追うばかりだったこと。「これがあの何々」といった見比べができないと、単にお神輿が通った、牽牛の模型がいた、巫女さんもそぞろ歩いてた、とかそんな程度になってしまう。お宮ごとの鳳輦・神輿。ホームページには「諌鼓山車や獅子頭山車など賑やかな」云々と出ていた。撮った写真を後で見てみると、確かに鳳凰や獅子が写っていたので、「あぁ」と納得。やはり、その場で確認・実感しないといけない。

 第227話に記した節分祭の際、「鳴弦の儀」にて矢を射る恰好をしていた若武者(?)が、馬を従えるような感じでやって来た時は「これはわかる!」状態。あの時に弓を構えていたのと同一人物と見受けた。同じ神田明神故、きっとそうなんだろう。

なかなかお上手でした

「附け祭先導」のお通り

 さてこの流れのまま、本題の「大江山凱陣」が現われるものと思っていたら、肩透かし。神幸祭行列の末尾は大神楽で、傘まわしなどの余興芸衆がしばし滞在。この一団が去ってしばらくして、16時50分過ぎ、ようやく附け祭行列がやって来た。どっちが本隊でどっちがオマケだかわからない。「附け」の方が目玉のような感じになっているのが、神田祭ならでは、なのかも知れない。

 附け祭先導という襷をかけた名士らしき人物が登場。なかなか堂々たるものである。後続は、相馬野馬追騎馬行列。これはこれで見物なのだが、その次に控える鬼首がやはり気になる。ちょっとしたインターバルの後、沿道のどよめきとともに首が近づいてきた。

 「約170年ぶりに復活」「日本三大妖怪 酒呑童子ら」、成る程、これが! 形相と呼ぶに相応しい味がよく出ている。図絵に載っていたようなユーモラスな面構えではなかったが、やはり何か可笑しい。その場で留まってくれる訳ではないので、通り過ぎてしまえば何と言うことはないが、インパクトは十分。後ろ姿(長髪)も実に印象的。

これが酒呑童子?

何とも怪しげな物体が...

 首をバッサリやったという設定の斧らしきものを持った武士が続く。しかし、首の大きさに対して、斧はあまりに小振りで不釣合い。もっとも大斧や大ナタだと、ホラーか何かの1シーンになってしまうだろう。過激な演出を避けた、ということか。

 隣の初老婦人方は、カメラを持って来なかったことをしきりに悔やんでいた。これで実際に持って来られてたら、その厚かましさ故、筆者が撮影するのも大いに阻害されたことだろう。難を逃れ、ひと息。すると、今回の「大江山凱陣」復活に尽力された、文化資源学会、都市と祭礼研究会の両団体連名による「番附」なるビラが回ってきた。鬼退治の武功を上げた、源頼光、渡辺綱らの6人の武士をはじめ、「囚われの娘たち」に至るまでの配役、関係したスタッフの氏名が凱陣のイラストの下にビッシリご丁寧に記されている。これだけの人に支えられ、めでたく復活... ご苦労も多々あっただろうと思う。

 さて、こちらは昨年215年ぶりに復活したという「大鯰と要石」。これも見逃せない。注連縄を付けた入道のような漆黒の物体が姿を見せ始めた。近くに来てようやくナマズの頭に岩が乗っている構図とわかる。

 思わず大鯰と目が合ってしまい、ギョッ。座った時の目の高さ、を改めて認識した。ナマズに石を置くことで、果たして地鎮になるのか。「地震が起きないように願った江戸っ子の心を再現」とあるが、フニャフニャな感じがして、ちと頼りない。鬼首同様、インフレータブル・バルーンという技術で作られているそうな。バルーンでは仕方ないか。

「何か用?」とでも言いたげな眼差し

さすがは芸大生、リズム感は良かったです

 お次は、東京芸大の学生によるサンバチームの出番。大赤羽祭は何でもアリなので、パレードにサンバカーニバルが含まれるのはむしろ当たり前だが、まさか神田祭にサンバとは。ダンスはなく打楽器の数々が賑わすのみだが、否応なく盛り上がる。サンバ楽器をこのように間近に見ることもないから、音以上に楽器そのものも楽しめた。アゴゴ、カイシャ、スルド、ヘピニキ... こういうことでもないと、名前を調べることもなかったりする。

 最後は、これまた芸大関係者の手による狛犬・獅子の出し物で締め。17時を回ったところで、ひととおりの行列が通過。断続的とは言え、30分間の巡行というのは実に大がかり。佳いものを見させてもらった。

 後で知ったが、この附け祭、三越前が起点だったとのこと。付け足す意味での附け祭。確かに朝から延々と鬼首や鯰が練り歩いたら、関係者の負担も重いだろうし、ちょっと異様。限られたルートと時間帯だから、盛り上がるし、趣も増すのだろう。

 附け祭は毎回違うテーマが設定されるのだそうな。百年以上の歳月を経た復活ネタがまた登場するのかどうなのか、今から愉しみである。

 今年は今のところ神田明神様にご縁があるが、祭はこればかりではない。5月18〜20日は、三社祭があるし、11月3日には東京時代祭もある。東京暮らしが長い割には、この手の名だたるお祭をその場で見たことがない筆者。神田祭で弾みがついたので、一気に見に行くとするか。(^^)

第232話 日曜日のアースデイ(2007.5.1)

 アースデイ「地球の日」(4月22日)が日曜日になるのは、2001年以来、6年ぶり。日本における1990年の最初のアースデイも4月22日、日曜日だった。当時、夢の島で行われたアースデイ・フェスティバルは、あいにくの天候だったが、日曜日の催しということで、認知しやすく、正にフェスティバル(祭典)としての開放感があったのを覚えている。2007年のアースデイも条件的には同様。各地で多彩なアースデイイベントが展開されたが、東京でのアースデイはどうだっただろう。

 東京でアースデイと言えば、2001年以降、毎年開催されている代々木公園でのイベントが主力。名称はズバリ「アースデイ東京」。(東京と言っても広いので、ここでのアースデイが東京をまるごと包含するような呼称ではなく、「アースデイ in 代々木公園」とかでもいい気はする。) 東京を語るのであれば、東京都内各地でのアースデイ行動やイベント等と連係するなり、紹介し合う形になれば、より多種多様な正に「東京」の側面を演出できるだろう。当地でのアースデイは、渋谷・原宿という場所柄上、若者中心かつファッショナブルな「東京」が前面に出てしまうのがちと惜しまれる。(周辺地域を取り込んだ回遊型イベントも用意されているものの、やはり渋谷近辺(恵比寿・代官山)に限られているので、いっそ「アースデイ渋谷」とか、地域性を打ち出した方がカッコイイ。)

 日曜日ということもあって、渋谷の人通りは激しく、特に公園通りは、代々木公園側から渋谷駅方面に向かう人波であふれていた。アースデイイベントの帰り、という訳でもなさそうだったが、果たしてその流れは代々木公園から続いていて、アースデイ会場にたどり着くのに思いがけず時間がかかってしまった。アースデイ東京を訪れた人は相当数に上ったものと思われ、集客面では、成功だったと言えるだろう。夕方遅め、17時前後に会場入りしたが、会場にいる人はまだまだ多く、出展者も多くが残っていた。

会場マップにも特にテーマ記載はなし 会場入口からステージまでのメインストリートは、所狭しと出店が集結。アースデイマーケット、ファーマーズ・ガーデン、マザリング・フェスタ、エコ雑貨倶楽部、アウトドア・ビレッジ、アースガーデンといったテーマ別のゾーニングがされ、よく練られている。客層に対応しようとする姿勢は評価できる。(ようやく顧客志向が出てきた?) どの店も賑わい、会話が弾んでいるようだ。ヒップホップ風な若者が、竹炭や醤油ビンを手に取る様子は、渋谷だからこそ成り立つカルチャーと言えなくもないが、あらゆる側面をカッコイイと受け止められる感覚が広がってきている表れと見ることもできそうだ。

 基本的な会場構成は2005年の時第184話と同じように見受けた。ステージを含む広場には、企画出展や飲食出店の他、「NPOビレッジ」が展開。目に留まる常連団体は国際的な取り組みを中心に行っているNGOなど。動物実験、原発、ダムなどの反対運動関係は、奥まった場所に固まっていた。過激な出展は目立たないように、といった配慮でもなされたのだろうか。NPOビレッジ出展者は、ガイドマップ上は78団体に上る。この中には1990年の夢の島から続けて出ている団体も含まれるだろう。パフォーマンス型の催しも結構だが、こうした団体に1990年当時と何が変わり、何が変わっていないか、などを聞く企画(トークイベントなど)があってもいい。

賑わうメインストリート(外国人客もチラホラ) 会場全体の印象はいつものことだが、ごちゃごちゃした感じ、というのが強い。だが、これはアースデイならでは、のこと。外国人客も多く、彼等は総じてノリがいいので、余計に賑やかになる。ノリが高じて、マナーがおろそかになっているのか、歩いていると時々タバコの煙にぶつかるのが悩ましい。渋谷区の出展ブースでは、分煙ルールの展示があったが、それも空しく、ここでの分煙は相変わらず徹底し得ないようだ。地球や人への配慮というアースデイの精神が疑われる。

フライヤー特設台(この後、強風が) 風に悩まされるのもこの手の屋外イベントの宿命。この日は特に風の強い一日で、いわゆるチラシの類(当会場ではフライヤー(flyer)と称す)を置く特設台からは、時折紙が舞い飛び、正にフライ(FLY)状態に。これでは紙ゴミが増えてしまってアースデイの名も泣く?と案じてしまう。その近くでは、「環境ブックフェア」(エコプロダクツ展ではおなじみ)も出ていたが、さすがに本が風に煽られるということはないようで、ここだけ静かに時が流れている感じだった。

 企業出展では、終了時刻に近いこともあってか、総じてカチコチした感じはなかったものの、本来カチコチしなくていいラジオ局ブース(TBSラジオ 環境プロジェクト)がえらく整然としていたのが対照的でおかしかった。

 今回のテーマは「LOVE〜みんな、地球でつながっている」とのこと。抽象的ではあるが、地球へのLOVEを示すための取り組みと考えればいいようだ。恒例のデポジット容器の循環システムもその一つ。そして「東京油田開発」と銘打った天ぷら油リサイクル実演もLOVEのうちと考えるべきか。アースデイコンサートの野外ステージや電気を必要とするブースへの電力供給は、天ぷら油をもとにした「ベジタブルディーゼル燃料」(VDF)の発電機が活躍。2005年のアースデイ東京では、会場を覆う大音響に辟易したが、今回は遅い時間だったためもあってか、それはなく、17時過ぎに始まったステージイベントでの音が響くばかり。「ピースな○○」といった意味不明なステージ紹介がされていたが、VDF効果か、ガンガン来る音はなく、心落ち着く音感。ゆったりと会場を包んでいた。

食器貸し出し受付

ごみゼロ運動の一例

天ぷら油で発電中

協賛企業の宣伝入りベロタクシー

 「LOVE」の文字は、ステージでは大々的に掲げられていたが、会場ではあまり目にしなかった。エコが当たり前になり、肩肘を張る必要もなくなり、ここは単なる祭典ということで、環境にちなんだテーマを前面に打ち出さなかったのかも知れない。

 会場で配られていたガイド(&)マップのタイトルは「アースデイ東京2007の歩き方」。日が落ちてきても人だかりは減らず、マップ片手だとうまく歩けなかったりする。ピーク時は、歩こうにも歩けなかったのではないだろうか、と余計な心配をしつつ、会場を後にした。この日、筆者のアースデイ歩きは、せいぜい30分程度。(もっとスローでも良かったかも。) 次回はうまく歩き回りたいものである。

*こうした論評は、せっかくなので「アンケート」に投稿するのも手か。アンケートサイトが設けられている点、随分進歩したものだと思う。

  • こちらもどうぞ...⇒ 筆者が関わっていたアースデイ(一例)

アースデイ◎1990←→2000◎日本 復刻サイト(仮設・試作中) → アースデイJPへ順次移行予定

こどもの国におけるアースデイ・フェスティバル

第13話 「アースデイ・フェスティバル 1998 in こどもの国」ニュース! / 第15話 「アースデイ・フェスティバル 1998 in こどもの国」レポート

 


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