第224話 2006年15大ニュース(後編)(2007.1.1→3)
遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます! 本年も引き続きのご高覧ご笑覧、よろしくお願いします。
前回第223話の後、若干動きがあり、これは書き足せねば、と相成った。まずはその補足から。
マクドナルドにも一言二言入れる件が生じた。マネージャーと思しき方の店員への指示・指導がちょっとなぁ、といった話を婉曲的に訴えるものだったが、翌日早速、お客様サービス室からご返事をいただいた。でもその返事がまた紋切り型なものだから... マネージャーさんはそんなお客様サービス室の姿勢を体現しているのかも?
12/21の夜、帰宅途中にフラと秋葉原で降り、アキハバラデパートに寄ってみたらさぁ大変。12月31日で「閉店」とな。12月24日にも細君と出かけ、名残を惜しんできたところ。100円ショップにはお世話になったものである。年末にまた一つAKIBAネタが加わった。ここに寂寥の念を込め、一筆。
以下、5位から1位まで。カウントダウン!
第176話の3位に書いた通り、複数事務所掛け持ち勤務の際、自宅PCを持ち込んでの作業が多かったものだから、ディスプレイの脆弱な部分にいつしか負担がかかり、2006年に入ってからは画面の映りが不安定になってきた。弱くなった箇所はほぼ特定できるので、そこを強く押さえる工夫などをして凌いでいたが、あっちこっちと持ち歩いて使うにはさすがに厳しい局面に。その2004〜2005年の掛け持ち勤務のご褒美という訳ではないが、不要不急のPCが筆者の元に集まり、今の二つの勤務先には、それぞれをあてがうことでPC持ち運び生活から脱却できたのが、筆者としてはまずは一大ニュース。週1の勤務先では最低限メールチェックができればいいので、旧型だがCompaq(Win98SE)を、週3の方は、東芝製(第199話の17.に登場)で、筆者が復活させたものを据え置くことにした。だが、このPC、OSがWinMeなものだから始末が悪い。前回の13位で紹介したヨドバシドットコムでWinXP(アップグレード版)のライセンスのみの販売品(店頭よりもリーズナブル)を見つけ、何とかアップグレードに成功。スペックとしてはギリギリかも知れないが、しっかり稼動している。
自宅PCの方は移動ストレスから解放されてしばらくは安泰だったが、秋頃からいよいよガタが来て、遂に別売のモニタに頼ることに。前回10位で書いたが、AKIBAの某中古屋でPCと同社製品の液晶モニタを折りよくセール特価で買い求めることができたのはせめてものお慰み。おかげ様で自宅でのPC作業は今は順調である。
とまぁPCのメンテ(リユース?)に明け暮れた観が強い2006年だったが、PCとのご縁はそればかりでなく、第212話の通り、PCの行く末を目の当たりにする機会を得たことも大きい。用済みのPCを持ち込んで直接解体・リサイクルしてもらおうか、などと安直なことを考えていたが、もってのほか。逆にできる限りメンテし、大事に使おうという意識が高じた次第。
家電品についても同様。家電リサイクル法が改正されるということもあり、第214話の街頭調査の一件があったり、7月早々には、消費生活アドバイザー資格の更新講座「家電リサイクル法 施行状況と環境問題」を受講したことで、筆者的にもちょっとしたブームに。家電リサイクル法改正に伴うパブリックコメントも送ってみた。
そんな訳で、不用品の処分には注意を払うようにしているが、ミニコンポと14型テレビ(いずれも旧式)は近所巡回中の回収業者に引き取ってもらい、CDラジカセを新規購入、テレビは譲り受けた品で代用中、といった顛末。PCのようには自力でメンテ&長期使用、という訳にもいかないものである。
10/29には、アジア3R市民フォーラムに参加。いわゆる"E-Waste"の実情を再認識し、回収業者に頼ってしまった所為を省みるのであった。自分なりには、E-Wasteを抑制しようと努めた一年?だったと思う。
おなじみ、東アジア環境情報発伝所でも、2006年は正にE-Wasteがキーワード。E-Waste関係の会合にはあまり顔を出せなかったが、2005年の万博出展の記録(まとめ)の方で、多少なりとも貢献できたのなら本望である。
*下記、Web版「日中韓 環境見聞館」は筆者がメンテを担当。
■概要紹介ページ
■「日中韓・環境見聞館」報告ページ
ひとつご覧ください。
ズバリ、第215話の通り。
その文中、「23区内の鉄道駅は、つくばエクスプレスの青井・六町を除き、全駅乗降済みetc.」などとうっかり23区内での未乗降駅はTX程度と書いてしまったが、よくよく調べてみると、まだまだ乗り降りしていない駅があるではないか!(不覚...)
第206話に記したように、ゆりかもめの新駅は乗降済みだったものの、東武亀戸線の東あずま、北総開発鉄道の新柴又、京急空港線の糀谷、大鳥居、穴守稲荷が残っていた。これらはいずれも23区内であり、筆者がまだ改札を通って降り立ったことがない駅だった。(さらには、りんかい線の大井町(改札が独立しているので)も対象)
東あずまは、10月7日、堀切(金八先生の舞台)でのクリーンエイドのサポートの帰りに降り、やっとクリア。(1313駅目) よく考えると、東は「あずま」とも読むから、うっかり「東東」とか書いてしまいそうな駅名である。(ここでのあずまは「吾嬬」が正しいようだが、漢字で書くと読めないから平仮名なんだろう。)
ちなみに、ディズニーリゾートラインは、東京都民感謝週間の期間中、ディズニーシー(5周年目にして初めて来場)(^^;に行った際、遊園地感覚で全駅(といっても4つ)乗降し、東京ディズニーリゾートをぐるっと一周。いい余興となった。
自慢ではないが、国内各所の世界遺産でもいわゆる「自然遺産」の地を中まで入っていく(横断・縦断)のは今回が初めて。賛否はあるようだが、世界遺産登録から1年が経った知床。その記念を兼ねた「海ごみサミット」が開催される、ということで、出張扱いで羅臼と知床岬に行く機会を得たのはありがたかった。道東は学生時代に釧網本線をノロノロと下った程度で、知床半島に足を踏み入れたことはなく、以久科、斜里、ウトロ、知床峠(羅臼岳)を経て、羅臼に出るなんてコースは夢のよう。往路から発見と感動の連続。充実の5日間となった。
海ごみサミットと知床岬でのクリーン作戦については、JANJANなどにも書いた通りだが、とにかく常人立入禁止の地、知床岬をこの足で「上陸」することができたのは感無量。羅臼滞在中は霧模様の曇り空(気温も低め)だったが、7/5のクリーン作戦実施日、船中、知床岬からオホーツク海に出る頃にはすっかり晴れ上がり、気温も上昇。絶好のクリーンアップ日和に恵まれたのは天の配剤と言うべきか、幸運だった。
通常、人が立ち入れない場所でのクリーンアップというのは、「ここでやらねば」という意識も高まり、緊張感も出る。同時に、大自然の中での作業という点では癒される側面もある。疲労感や筋肉痛が出なかったのは、自然の恵みだったんだろう。
原因者不明とされる、海鳥(ウミスズメ)の油遺骸の一部もまだポツポツと見かけ、同行の環境省(国立公園)レンジャーの方に回収してもらうという、非日常的なクリーンアップ体験も。(何とも痛ましい限りだが、しっかり回収することで供養にもなろうかと。)(v_v)
第219話で少し触れたが、一時期ヒゲを伸ばすきっかけとなったのも、ここ羅臼で多種多様な魚介・海藻類を食したことが大きい。今となってはひと夏の思い出である。
1990年に羽田発・伊丹着で始まった筆者の空港利用数が、この知床行きの際に着離陸した女満別で20空港目となったのも、ちょっとしたニュース。
2007年は7月に佐渡で「島ごみサミット」が開催される予定。沖縄本島以外の島では、淡路島、対馬(2004年)程度の筆者にとっては、佐渡も初である。
第209話でご挨拶方々お伝えしたが、週に3日は荒川クリーンエイド・フォーラム、週1日はJEAN/クリーンアップ全国事務局、という勤務形態になり、川と海のクリーンアップ活動を橋渡し的に見る格好となった2006年。中央・総武線の東西軸で、今日は東へ、明日は西へ、というのが定着し、今も継続中である。(おかげで、定期券の買い方もよりスマートになった。⇒第221話参照)
海では、先述の知床岬(7/5)の他、鵠沼での国際ビーチクリーンアップ(9/16)、海守の研修で立ち会った松山・梅津寺(11/12)と、7月以降、隔月で3回、荒川では、「北区・こどもの水辺」(4回)、隅田水門、千住新橋など複数回。仕事がクリーンアップとなれば当然ではあるが、例年になく、実地でのクリーンアップのサポートをする場面が多い一年だった。川と海の両方に関わることで、企業との接点も幅広くなり、説明会(日興シティグループ)や出展(伊藤忠商事、1%クラブ)の機会が増えた。旧知の方とお会いすることもしばしば。企業関係は筆者的には奇遇・奇縁を楽しむ好機でもある。
荒川での漂流・漂着ゴミについては、第217話のレポートに記した通り、新たな見方・認識を得たことも大きかった。水溶性灯篭流しの現場も船の視点から眺めることができ、その後の原稿執筆の一助となった。(その紙灯篭のメーカーに話を聞いてみよう、と思い立ったのもこの乗船体験が利いている。)
仕事柄、データ処理がメインになるため、データベースソフトを情報基盤とすべく、各種情報を整理・統合。両事務所での情報管理はMS-ACCESSを使い、似たような形態に集約できつつある。
データの互換性が高くなったことで、例えば、散乱ゴミのデータについては、荒川版とビーチクリーンアップ版と、様式こそは違うものの、荒川のデータを速やかにクリーンアップキャンペーン版→国際版(ICC)に変換できるようになった。データを入力する画面についても、ACCESSのフォームを使うことで、より効率を高めることができたと思う。(EXCEL関数に依存しないと集計が進まない場面もあるので、基礎データをACCESSで入れ、それをEXCELに変換して編集、という形態。EXCELで移したものは履歴・途中経過として扱い、二次加工しても構わないが、最終データは常にACCESSで一本化されている、というのがポイントだと思う。)
webのフォームメールで届いたデータがそのままデータベース化されたり、各種統計もACCESS上で即席で出力されたり、となれば、より利便性は高くなるだろう。クリーンアップの現場(特にゴミがまだ大量漂着する場所)においては、ゴミのカウント・データの記録というのは難儀な話であるのは重々承知だが、データの収集と分析(=ゴミの再資源化や発生抑制の促進)のためには、ある程度システム化していくことも急務。
満を持して設定したはずのインターネットでの「データカード入力システム」(web経由データ報告)では、仕組みそのものはよしとして、集計作業の段になって思わぬ誤操作が発覚。(+_+) 結果的には無事正常な形に戻すことができ、事なきを得たが、まだまだ修行が足りないことを自覚した次第。次回はより精度の高い処理ができるよう、精進しようと思う。
両事務所での情報系作業の仕掛状況をまとめると、概ね下表のようになる。
クリーンアップ全国事務局 |
|
荒川クリーンエイド |
○ |
サーバ(web+メール)管理 |
○ |
○ |
メーリングリストの運営 |
○ |
○ |
cmsサイトによる情報提供 |
△ |
− |
Eメールニュース配信 |
○ |
○ |
web経由データ報告 |
− |
○ |
ACCESSによるデータ管理 |
○ |
△(実施会場申込確認のみ) |
ACCESSによる確認票の出力 |
○(実施結果確認まで) |
荒川クリーンエイドは、その本分とも言える秋のクリーンエイドにおいて、説明会〜実施〜報告会の一連の流れをフローチャート化。いわゆるプロセスマネジメント的なアプローチを試みたが、実施団体の対応に温度差が出ることもハッキリした。
書面やメールを通じての確実な情報提供、メリハリのある説明会や実地研修の実施、プロセスごとの確認(返信依頼)、事務運営に対するアンケート・ふりかえり、そして報告会での成果の集約と共有等々、"Plan
Do Check
Action"に即した流れができれば、事務局の作業もより円滑になるし、何より実施団体側にとっても実行力の底上げにつながるものと思われる。きちんとP・D・C・Aを回せる団体を、よりしっかりサポートする局面に入ってきているように感じる。これはつまり、(自省を含め)市民活動のあり方をよりシビアに見ていく必要がある、と言えなくもない。(もちろん、各団体の背景や事情に応じて、柔軟に対応することも市民活動の要件ではあるが。)
実施団体として新しく加わるところはより高いモチベーションで臨んでもらえるものの、従来型の団体は対応が遅れがちでデータ不備も目立つ、ということが少なからずある。なぜ遅れるのか、なぜデータが埋まらないのか...これは個別にヒアリングしたり、そうなってしまう阻害要因を取り除くお手伝いをしたり、そんな対応も求められそうである。
もし長年の「なぁなぁ感」のようなものが一因だとしたら、ちと考え物。事務局側も、対応の繊細さに欠けていたり、方向性がうやむやだったり、さらには勤務形態が曖昧だったり、という点があり、モチベーションの低下を招いている可能性はある。心しないといけないと思う。
常勤に近い形で荒川クリーンエイドの事務局で働くのは初年ということもあり、要領を得なかったり、合点がいかないことも多々あるが、今は何とか淡々と過ごしている。
10年間、お世話になったJCA-NETを退会し、晴れてJCAFE(市民コンピュータコミュニケーション研究会)のホスティングサービス利用客になった。JCAFE「初期料金無料キャンペーン」がきっかけとしては大きかったが、かねてから独自ドメインを取得して、自分であれこれメンテしたい、という思いは強く、キャンペーンは正に渡りに舟。独自ドメインにしてからは、サーバ容量も増えたし、「東京モノローグ」のメンテもしやすくなったので、それだけでも上々。(東京モノローグの入れ替えは、2006年5月から順次行い、しばらくは新旧並行運用。デザインやページ内リンク先を更新しながらの移行は一大作業となった。旧サイトは8月に入ってから閉鎖。)
画像のスキャニングが不十分で、見映えがしなかった「東京百景」(第100話/第101話/第102話)を一新(復刻)できたのは大きかった。各年各話のページデザインの不揃いを整えたり、1997〜2000年の79話分をcms(Contents
Management System)サイトに移行できたのも成果。
一応、自営サイトとして「ちょちょいら」をオープンしたものの、ごく限られた関係各位に挨拶メールを入れた程度で、いわゆる宣伝・PR活動を怠っているため、今なお鳴かず飛ばず状態。アクセス数は、ふだんからご覧いただいている読者の皆様の他、「アド街ック天国」の放映リストが貢献してか、そこそこの数をキープしているものの、「ちょちょいら」の顧客獲得には至らず。独自ドメインになり、アクセス解析も詳しくわかるようになったが、東京モノローグ本編のアクセス数が実質的にはさほど増えていないことも判明。これまでRSS系のサイトから、かつての"www.jca.apc.org/~tommy/"に対してリンクを張ってもらっていたものがそのままの形で残存している傾向があり、Googleのキャッシュにもいまだ旧アドレスが残っているなど、新旧混在が続いていることも影響しているようだ。
SEO(検索エンジン最適化)対策、RSSからの自動リンクの拡充にそろそろ本腰を入れねばと思いつつも、アクセス数が増えることを期して書いている訳でもないので、悩ましいところ。ともあれ、おかげ様で2007年9月に満10年を迎える「東京モノローグ」。その節目にはまた何か記念になることをしたいものだと思っている。
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