第206話 なくなるもの、開かれるもの(2006.4.1)
昨年は3月31日で終了してしまうものをいろいろとお届けした。(第182話参照) 3月は何かと動きが多いようで、今年は終わるものも多々あれど、新たにできるもの、拡がるものも目に付いた。どれも一つ一つ取り上げると、一話分になりそうなものばかりだが、ここは一気にまとめて(圧縮して?)のご紹介である。(長文ご容赦)(^^;
3月に限った話ではなく、しばらくしてから閉じるもの、開くものもある。特に環八通りについては、晴れて全通したらまた詳しくお伝えしようと思う。
【なくなるもの、閉じるもの】
筆者も何度かお世話になったが、赤羽駅東口にあったマクドナルド(以下、マック)が、31年間の歴史に幕を下ろした。(3月15日の深夜25時=16日の午前1時で閉店) 最終日には何かあるだろう、ということで、同日深夜、様子を見に行ってみた。
店頭をちょっと離れたところで、コカコーラSサイズの無料券を配っていたが、店内では最終日サービスは特段なし。(店舗限定のご愛顧感謝セールとして、フィレオフィッシュ100円などはやっていたが。) 店員からお客に宛てた多数のメッセージカードがレジ脇に掲げられていて、感謝の気持ちは言葉で、ということのようだ。(こうした遊び心感覚がマックらしい。)
遅い時間ではあるが、案の定、ちょっとした人だかりになっていて、店員も多い多い。店員が多ければオーダー処理もスムーズ。閉店までの時間を惜しむような空気感・一体感に浸ろうとも思っていたが、そこはファストフード店の哀しき運命。すぐにレジにたどり着いてしまった。マックシェークの期間限定品「エスプレッソーネ」がまだあったので、早速注文。
筆者がここで受け取る最後のレシートは、23:30付。こんな時間にマックに来ることもそうそうないので、ちょっとした記念レシートになった。
店員を労いつつ会釈して帰って行く客、笑顔で応える店員。出入口ではそんな光景も見受けられ、エスプレッソーネの味も染み入る感じ。「オレも31だなぁ」「10代の頃はよく通ったけど」なんて会話も耳に挟む。何度か振り返りながら、店を後にした。
店員さんも晴れ晴れした表情 |
看板が外れたら、こんな痛々しい状態に |
その後、閉店後の建物を見に行ったら、こんな感じで、すっかり寂れた態。随分と傷んでいたことがわかる。閉店当日にはわからなかったが、この掲示にあるように「しばらく休業」と書かれているので、どうやらビル建て替え後は、復活するようだ。(よくよく見ると「ビル立て替え工事」になっている。これでは建てようがないから、やはりNG?)
赤羽のマックはしばらく2店舗になるが、赤羽駅周辺のハンバーガーショップは、マックしかないため(KFC、ミニストップはある)、3つが2つになったところで、目ぼしい変化はない。1店減ったところで、他社が商機と睨んで出店してくれば事件だが、何とも言えないところである。
第176話(■6)で予告した通り、いよいよ交通博物館が閉館になってしまう。「さようならキャンペーン」は5カ月間やっているので、そのうちと思っていたら、3月になってしまったので、春休みで混雑する前に、ということで3月19日に出かけることにした。
今回は単に入館するだけではなく、「旧万世橋駅遺構特別公開」もお目当て。閉館後にどうなるかは不明だが、少なくともこの機を逃す手はない。取り壊しになってしまうとしたら、万世橋駅の構内に入れる機会はもうないだろう。ということで、事前に予約した上での「参観」である。
思いがけず、入口周辺は閑散としていたので、肩透かしを食ったが、中に入れば予想通りの混雑ぶり。10時20分台に着いたので、出遅れた観はあったが、何とか枚数限定(土日祝は800枚)の「再現硬券」も入手でき、ひと安心である。
「さようならキャンペーン」の概要 |
入館記念券と再現硬券(オモテとウラ) |
遺構の見学受付には当日予約客が列を成していた。事前予約組も受付はしないといけなかったので、一応並んで、パスを受け取る。集合時間までは、まだ小一時間。秘蔵の鉄道模型など、特別展示を眺めた後、11時45分からの見学会に参加した。交通博物館には何度か来ているが、裏側に立ち入るのは初めてである。
先の模型展示の間を通って、特別通路に通じる扉を入る。程なく仄暗い空間に通された。ヒンヤリとした空気が立ち込め、冷暗そのもの。中央線の線路の下のはずだが、妙に静かなのがまた何とも。ここがかつての万世橋駅の構内(出札所や待合室があったところ?)とは! レンガが醸し出す独特の雰囲気に息を呑む。遺構というだけあって、重々しい。
プロジェクタで映像が映し出される。かつては中央線の終点駅で、一大ターミナルだったが、中央線が東京駅に到達したことで、万世橋は単なる通過駅になり、ターミナルとしての地位を東京駅に譲ることに...といった解説がまた哀愁を誘う。当初は「よろずよ」と読んだそうな。万世の名とは裏腹に、早々に役目を終えることになってしまったのは何とも皮肉な話である。(神田川に架かる中央通りの橋は、今も万世橋。「肉の万世」にも名を留める。) 今から実に96年前、1912年4月1日に開業。そして1943年10月31日が営業最終日とある。(31年の歴史という点では、赤羽東口マックと同じ...) 約63年前に閉鎖されてしまった訳だから、往時の駅を知る人は、そう多くはないだろう。もし高齢の方が交通博物館に来ていたら、かつての万世橋駅について尋ねてみるのも一興。もっとも、語り部のような方を招いて話をしてもらうイベントがあっても良さそうなものである。
*余談だが、東京メトロ銀座線にも万世橋駅はあったという。駅間が短いのが銀座線の売りなんだから、そのまま残っていてもよかったような気もする。
さて、再び特別通路を歩いていくと、逆L字の小さめの階段が出てきた。ここを上がると万世橋のホーム跡が見学できる。ホームに降り立つことはできないが、ガラス越しに外を見渡せるようになっている。電車を違った視点で眺められる、という点でも趣深い。御茶ノ水〜神田を通る間、中央線の車窓から不思議に思って見ていたガラス室の実態がこれでわかった。
ホームに上る階段の踊り場にて |
右から読む駅名標というのがまた郷愁を誘う |
まだ駅として稼動していた頃、周囲はどんな景観だったのだろう。高架ホームなので、さぞいろいろ見渡せたに違いない。南に皇居、北は上野公園か...情景を思い巡らせてみた。
万世橋駅の閉鎖までが第1期だとすると、今回の博物館閉館は第2期の終わりということになるだろうか。いよいよ5月14日(日)が最終日。正確かつ精緻な表記・表示をめざす交通博物館の姿勢は大いに学ぶべきものがある。(今回のキャンペーンチラシも実に細やか。) まだの方はそうしたところも併せてご覧いただくといいだろう。
万世橋駅の幕引きを早めた東京駅(かつては中央駅)も92年が経ったそうな。最近になって知ったのだが、その東京駅の丸の内側が工事を始めることになり、工事期間中は、駅舎内の商業施設(ステーションホテル含む)が一時閉店になるというからビックリ。「東京駅ルネッサンス」と称して、いろいろと記念イベントをやっているようなので、とにかく行ってみることにした。
丸の内南口スペース&ドームを使った映像系の催し(3/31まで)は、それはそれとして、今回の特別イベントの目玉は何と言ってもステーションギャラリーでの「東京駅の歴史展」(これは4/9まで)だろう。呉服橋・鍛冶橋・数寄屋橋が川に架かる橋だった頃の地図、その川(堀)の脇の高架線路を走るかつての電車の写真、丸屋根かつ3階建てだった往時の東京駅の数々の写真や絵など、実に感慨深い。5・6番線には昔の架線支柱がまだ残っていること、東海道・総武・中央・東北・京葉各線の0km標が存在すること、2人の首相が殉難に遭った際の碑なるものがあること、横山大観が寄贈した絵が2枚あること、北口は降車用・南口は乗車用と当初は機能が分かれていたこと、東京中央郵便局に地下でつながる引込線があったこと、関東大震災でも駅舎が崩壊しなかったことから付近住民の避難所として活躍したこと、などなど。一大ターミナルだけあって、その歴史の懐深いことと言ったら。
ドームに映し出された、ビジネス特急「こだま」号(新幹線開通時に引退) |
この東京駅の姿も見納め?(丸の内南口から北口方面) |
「次の100年へ」ということで、どう変わるのかをまとめたパンフレットは大々的に出ていたが、これまでの100年をレビューする資料は残念ながら見かけなかった。歴史展に併せ、東京駅の略史や見所をまとめたパンフレットなどを用意してもいいと思う。
「東京駅アートロードパノラマ展示」(3/31まで)というのもやっていた。連続パネルで東京駅約100年の歴史を展覧できる好企画。丸の内南口と京葉線を結ぶ地下通路の存在は、この時初めて知った。東京駅はまだまだ知らないことがありそうだ。
2011年には、丸の内口・八重洲口に加え、日本橋口の3つのメインゲートを持つ、新・東京駅がお目見えする。丸の内側は、かつての丸屋根&3階建になると言う。(逆を言えば、現在の八角屋根&2階建ての駅舎は見納め、ということになる。) 4月からは、東京駅の顔を変える(戻す)ための工事が始まる。復元工事で良さそうだが、「復原」とするあたり、力の入れようがわかる。とにかく東京駅も一つの終幕を迎えた、ということで一筆書いた次第。
【開かれるもの、伸びるもの】
3月18日のJRダイヤ改正では、ちょっとした異変が話題になった。前々から噂には聞いていたが、まさか本当にJRと東武の相乗り特急が誕生しようとは。私鉄とJRの直通(相乗り?)は、小田急、伊豆急行、富士急行など先例はあるが、あくまでその先へのリーチを良くする(エクステンションとでも言おうか)ためのもので、競合する路線を持ちながらの相乗りは初めてと思われる。(要するに、新宿・池袋から日光へは、JRだけでも行けるのだが、ライバルの東武の線路を借りてまで運行させるようになった、という点で快挙な訳である。宇都宮と日光を結ぶJR日光線は、益々役割が低下しそう...)
日光も鬼怒川も鉄道利用客の減少傾向が続いているので、新宿・池袋からの乗客を新たに得られるというのは魅力的。鉄道会社で競り合うのではなく、マイカーやバスで入ってくる観光客に対してのアピールが必要になったこと(=競争する相手の変化)、そして観光地そのものを盛り上げるためにも、というのが背景のようだ。
何はともあれ、これは画期的なことなので、開業初日に何らかの記録を、ということで、新宿・池袋ではなく、地元 赤羽駅ホームで、1号列車を見送ることにした。池袋を7:18に発車した「日光1号」(JR用)は、何と10分で赤羽に入ってきた。(湘南新宿ラインだと11〜12分かかる。) これは速い。実際に通過するスピードも速く、あっと言う間に過ぎ去ってしまった。なかなか華麗である。
同じ日、移動途中にちょうどタイミングが合ったので、再び赤羽駅ホームで、「スペーシアきぬがわ7号」(東武用)を見送った。池袋を17:41を出て、赤羽は17:51に通過。東武の特急列車が赤羽を通って行くなんてのは考えられなかったこと。時代は変わるものである。
通過したのを見て喜んでいる場合ではない。よく考えると、赤羽には(一部列車でも)停めても良さそうなものだ。本当に利用客の増加を見込むなら、何も主要ターミナルからだけでなく、渋い(?)ところに停めてこそ意味もありそうなものだと思う。
今回の直通特急実現の立役者は、何と言っても栗橋駅の存在だろう。JRと東武のホームが平行に並ぶ乗換駅だが、ここに橋渡しとなる線路をちょっとつないだことで、乗り入れが可能になった。条件は整っていたのである。だが、無慈悲にもその栗橋には特急は停まらない。特急対応の駅舎になっていないというのもあるだろうけど、停まればまた違った客を呼べるはずである。そもそも鉄道会社の変わり目の駅に停めないというのもスゴイ話ではある。大宮を出ると次は栃木。この間だけを乗車する場合でも、運賃は両社混合になる。栗橋に停まるとかえって精算が面倒になるからか。全車指定席になっているのも、両社の運賃をしっかり徴収するための措置かも知れない。
第160話で考察したが、これで新宿駅からの行先がまた増える。これまでの日光方面は、「快速お座敷日光」「快速やすらぎの日光」に乗った場合のJR日光だったが、今回のダイヤ改正で、東武日光と鬼怒川温泉が加わったことになる。(新宿発JR日光行きは廃止?) いずれまた新宿駅でちゃんと調べてみようと思う。
蛇足だが、湘南新宿ライン(というか最近は宇都宮線)は何かとトラブルが絶えないが、同じ線路を走る以上、リスク対応は考えておきたいところ。開業初日は何事もなかったようだが、翌3/19は、強風で宇都宮線がストップ。「JR宇都宮線も上野―宇都宮駅間で約2時間半止まった」とニュースで流れていた。直通特急も早速に憂き目に遭ったのではないだろうか。
とにかく定着させて、いずれは新宿以南からの発着も視野に入れたいというのが思惑としてあるだろう。(小田原発、逗子発も夢じゃない。) 踊り子号を北上させる手もありそうだ。そうなると、伊豆急下田発・東武日光行き、という壮大な特急列車が実現する。熱海を夜明け前に出て、根府川辺りで一時停車して初日の出を拝み、そのまま日光へ直行して初詣、といった臨時特急も出てきそうだ。
ここ数年、東京ビッグサイトに行く度に気になっていたのが、ゆりかもめの終点駅・有明の先、そしてその下を通る道路。そろって延々と工事していて、見通しが悪くなっていたが、3月27日を以て、やっとこさ晴れ晴れとなった。(⇒参考情報) 道路の方はまだ続きがあるようだが、ひとまず有明北橋と晴海大橋というのができて、日比谷や勝どきから有明方面に出やすくなった。そして、ゆりかもめの延伸。これまで有明止まりで袋小路な印象が否めなかったが、今回、豊洲まで通じたことで、出口ができ、風通しが良くなった感じ。(新橋〜豊洲を通しで乗ると約30分要する。東京メトロを使えば、速いし安いが、乗り換えが面倒だったりするので、移動手段としても決して悪くはない。観光を兼ねるならなおgood。)
その延伸開業初日の27日。東京駅でのルネッサンスイベントを見た後(アートロード経由)、有楽町まで出て、有楽町線に乗車。まずは豊洲にやって来た。有楽町線の豊洲駅とゆりかもめの豊洲駅は極めて至近ではあるけれど、地上の連絡通路部分(数メートル)に雨除けはなく、少々不親切な感じ。見上げると、まだ先を窺うような巨躯な線路(?)が迫り出していて、見応え十分。文句は言わせまい、ということか。
右下が有楽町線の出入口。ゆりかもめの改札に通じる階段口とはちょっと離れている。 |
何となくカーブしていて、まだ先に伸びそうなゆりかもめのレール |
豊洲から有明までは、2.7kmで、その間の新駅は豊洲を含めて4つ。新しい路線を乗り倒そうとすると結構な労を伴うが、今回は至ってシンプル。初乗り運賃で、有明テニスの森まで行けるので、とにかくその「有森」(パスネットに印字される略称)まで試乗することにした。
初日にしては改札階もホームも車内も閑散としていて、少々拍子抜け。その分、ゆったりと周遊することができた。5分ほどの乗車で「有森」に到着。改札を出ては見たが、肝心のテニスの森が見当たらず、周辺はまだ発展途上。干潟(人工)が近くにあるので、都会の水辺景観を売りにした方が賑わいが出るかも知れない。ゆりかもめの車窓からは、干潟の先にレインボーブリッジが見渡せる。それもこの「有森」付近のポイントだろう。一つ戻って、お次は「市場前」。まだ何もできていないので、事情を知らない人は何で市場?と思うだろう。すでに計画が固まっていて、工事も進んでいるから為せる名なんだろうが、まだ見ぬものが早々と駅名が採用されるというのは稀なケースだと思う。とにかくここには築地市場の機能が移転してくることになっているので、先手を利かせて市場前なんだそうな。市場ができればその前にある駅だから当然、市場前。今は、市場ができる前だから市場前。どっちの解釈も可能である。(仮に市場の計画が変更になってしまったら、どうするのだろう。) 何もなかった豊洲埠頭が大きく変わろうとしている。それはこの市場の造成に駆り出されているダンプカーの車列と土埃の具合からもよくわかる。何ともダイナミックでいいのだが、一般客にとってはまだ何もないのと同然。歩行者用道路も完成途上のようで、時々足元が掬われたりするからご愛嬌。市場前は乗り降りできる駅ではあるが、今のところ、筆者のような物好きか、工事関係者が利用するばかりだろう。逆に市場ができた暁には、ゆりかもめが主力交通手段になるだろうが、それだけでは覚束ない。都バスはもちろん入ってくるだろうけど、水上バスも来るのだろうか。(荷揚げ用の船着場はできるだろうから、そこを兼用?)
工事が進む「豊洲市場」(仮称?) |
ダンプカー行列は圧巻だった |
ダンプ行列を横目に、次の新豊洲駅までは徒歩で移動。程なく着いてしまった。(駅間、実に500m! これは歩かねば。) 新豊洲から豊洲は再度乗車して、小旅行は終了。豊洲埠頭は何があるのか未知だったが、今回の周遊で何もなかった一帯だったことがわかり、妙な安堵感を覚えた。要するに「これからのエリア」な訳である。
それにしても利用客が少ないからとは言え、初日につきものの時刻表の配布がなかったのは考え物。係員はチラホラいるものの、手持ち無沙汰な感じ。もっとPRなどしてほしいところだが。
環八通りがやっと全通、といったニュースを見るような見ないような、どうもハッキリしないので、この目で確かめることにした。筆者宅から自転車で20分も走れば、北区(赤羽岩淵)側からの環八通りの終点である「相生町」にたどり着けるので、いつでも見に行けたのだが、年度末・月末・週末を兼ねた3月31日になってしまってから、やっとこさで現地入りできた。
首都高速道路の下を跨ぐ新たな陸橋が目に入り、もしやと思ったら、まだまだ工事中。全通の報が届かない訳である。かつて、借りたクルマを駆って、環八通りを西に向かって走っていたら、「相生」という見慣れぬ地名とともに、環八が遮断してしまい、面食らったことがある。その当時は丘地が遮っていて、正に手付かずの状態だった訳だが、今回見に行って、その杜絶感がなくなり、道路としての展望が拓けていたのには目を疑った程である。
車道はまだ入れないが、脇の歩行者用道路は仮設ながらできていたので、行けるところまで行ってみよう、という気になった。付近は畑地あり、未舗装ありで、野趣すら感じる。東京都板橋区に里地あり。よくわかってはいないが、いわゆる土の匂いというものが実感できてしまうところが素晴らしい。道路周辺の民家には、「環8の会」が立てた看板が主張している。「緑量アップ」「騒音ダウン」がその主旨のようだ。せっかくの「里地感」が環八のせいで台無しにされてはたまらない。板橋区若木という住所表示からもわかるように、ここは自然力(いや地域力)が豊富な土地なんだろうと思う。(相生というのも何か深い意味がありそうだ。) 自転車で走っていて清々しさを覚えたのも、ごく当然と言える。
右手に畑や樹林が見える |
「自然林にかわる緑量の確保」...道路が通る前は自然林が覆っていた、ということか |
写真にあるように、ここまでできてしまっては、後には引けないだろうが、その地域が大事にするものは、都市計画の過程でも、完成した後でも、しっかりと尊重されることを望みたいと思う。全通した折りには、緑地の保全状況なども観察するとしよう。
⇒参考情報:詳細/概略
【その他】
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グランドステージ赤羽 【閉】
第203話は、2/14時点での記録。2/15にはこのように囲いがされ、閉幕を迎えた。
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文化学院 【閉】
「老朽化した校舎の建て替えを計画しており、新校舎は、2007年末に竣工、2008年からは新校舎で授業を行う予定です。なお、工事期間中にあたる2006年4月から2007年末までの授業は、同じ千代田区内の水道橋にある研数学館の校舎を仮校舎として借用して行う予定〜」とホームページにもお知らせが出ている。神保町の事務所に通っていた頃は、よくここの前を歩いていて、この界隈の奥深さを象徴する建物として感心しながら眺めていたのだが、同潤会アパートなどと同様、老朽化には勝てない、ということか。歴史的美観がなくなってしまうのは何とも口惜しい限り。
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表参道ヒルズ 【開】
これも最近できたものの一つ。第146話の続編を書くことになる。今回ここで書き出すと大変なことになりそうなので、またの機会に。(^^;
これらの動向につられてか、筆者自身にもいろいろと動きが出てきそうな予感。動は動を呼ぶ、というか、不思議なものである。(年度の変わり目、皆さんの身辺も多かれ少なかれ変化があろうかと思います。なくなるもの、開かれるもの、を意識しつつ、気を引き締めたいものですね。)
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