随筆「東京モノローグ2005」(7−8月期)
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第191話 打ち水会場を探して / 第190話 震度4後の新宿通り&タクシー地名考(新宿西口編) / 第189話 公共物のダメージケア / 第188話 アンケートハガキ等 考察評価 画像特集】各種アンケートハガキ・用紙等

第191話 打ち水会場を探して(2005.8.15)

 昨年はどの会場も行きそびれてしまったので、今年で2年ぶり2回目になる。いつもの環境ニュースの取材を兼ねて、打ち水会場に出向くことにした。2年前(第144話参照)は、墨田区で!というのが明らかだったのですんなり現地に足を運べたが、今年はどうも重点地区の案内が曖昧で、どこに行ったものか思案するハメに。取り急ぎ、「新橋打ち水大作戦」(一連の大作戦のオープニング)の報を得たので、移動の合間を縫って見に行くことにした。7月21日の14時30分。場所は、新橋駅前SL広場。「新橋こいち(KOICHI)祭り」とのタイアップだそうな。

 3年目を迎えた打ち水大作戦。今年は、アキバ系キャラだ、打ち水音頭だ、で業界ノリになっているようなので、オソルオソルではあったが、路上に準備された道具類を見てひと安心。だが案の定、イベント色が強く、肝心の打ち水がなかなか始まらない(というか、ゲストの浜口親子や小池環境大臣の到着遅れ?)有様で、肩透かしを食った。ステージでは、打ち水の指南をヒステリックに展開していて、少々やり過ぎな感じ。環境行動はできることからマイペースで、が本分だろうから、誤って水道水で打ち水してしまったからと言って、激昂することでもないだろう。(それにしても、「KOICHI祭」とは... ヘボン式だと筆者の名前はKOICHIなので、何とも気恥ずかしい。)

KOICHI祭のステージ

ゲストの到着が遅れ、待ちぼうけ気味の打ち水スタッフ

 2005年は8月10日(水)正午が一斉打ち水の指定日時。涼やかな海風をブロックする東京ウォールの失策もあって、ヒートアイランド現象が顕著な東京都港区を重点地区とすることは告知されていたものの、具体的な実施会場は7月下旬時点では不明だった。こいち祭りの会場でもらった「打ち水かわらばん」を見て、どうやら港区虎ノ門3丁目にある「エコプラザ」が重点地区会場の一つらしい、ことが何とかわかったのだが...

 8月10日、とにかくその「エコプラザ」に行ってみることにした。北区方面から神谷町に出るのはひと苦労。南北線→丸ノ内線→日比谷線と東京メトロ3線を乗り継いで、やっとこさである。当日は午前中、雨が降ったこともあり、打ち水予定のグランド(旧 鞆柄小学校校庭)は水浸し。これでは延期か、と思いきや、延期も何もなく、元から実施される予定になっていなかった?! 打ち水のポスターだけは辛うじて貼り出してあるものの、やるのかやらないのかの掲示は皆無! 公共施設の取り組みのいい加減さを痛感することになってしまった。幸い近くには、全国地球温暖化防止活動推進センターがある。温暖化防止を進める施設だけに、打ち水しないこともなかろうと見に行ったが、ここも特に予定なし。7月21日に続き、肩透かしにあった感じになり、肝心の一斉開催日の打ち水には立ち会うことができなかった。(という訳で、ニュース原稿は見送り。)

透水性でないためか、すでに打ち水済みのような校庭

みなと打ち水大作戦のポスターが空しく掲示されている

 銀座金春打ち水大作戦、お台場打ち水大作戦、広尾打ち水大作戦など、雨天の影響か、延期になった箇所はいくつかあったが、全く実施されなかった訳ではなく、都内では、浅草、大手町、丸の内、都庁、原宿をはじめ、全国各地で行われた模様。ホームページを確認してから出かければよかったのだが、では7月21日の「みなと打ち水大作戦」のPRは一体何だったんだろうか? かわらばん(フリーペーパー)には確かに、「エコプラザ」とあるだけで、8月10日とは書いていない。でも拠点として紹介してあって、一斉打ち水をやらないというのでは... 水入り、冷や水とはこのことか。

 翌日8月11日、気を取り直して、江戸川区船堀での「江戸川区版打ち水大作戦」に参じることにした。江戸川区では商店街を中心に各所で行われることになっているが、ここ船堀での表向きの開催時間がハッキリしなかった(単に開催時間の掲示を怠っていただけ)ため、1回目、正午の分は参加し損なってしまった。商店街一斉の開催は14時から、そして船堀の2回目は、14時30分からだった。この2回目の打ち水を見学しつつ、少しばかり涼をとらせてもらった。何度か空振りだった打ち水だが、ようやく機会を得た次第。その状況をお知らせする。

 打ち水音頭が流れる中、浴衣の女性スタッフが集結し始める。司会(区職員?)の不慣れな号令で何となく始まったのが、14時30分。しかし、区の広報関係者の到着が遅れ、打ち水のスタートも遅延。打ち水をする前に、水を差されてしまった格好だ。消防車をバックに、キュータ君が出動していたところ、打ち水が始った途端にお役ご免に。舞台チェンジということなんだろうけど、消防の放水と打ち水をかけて、水の大切さを訴える好機だったのでは?と考えると残念だ。消火は本業、打ち水は対象外ということか。もっとも消防車から散水したら、地道な打ち水はひとたまりもないから、あえて影を薄くしたのかも知れない。

キュータ君も参加してほしかったが...

タウンホール船堀の中ではこんな展示も

 広報が来たのかどうかはいざ知らず、とにかく前座がスタート。江戸の町衆に扮した一人の女性劇団員が芝居を打ちながら、打ち水の御託を並べる。環境事情や最近のニュースを交えての独壇場に、道行く人も足を止める。「打ち水には客をもてなす意味あり」「江戸の郊外では土ぼこりを抑える役目が大」など、なかなかの講話である。司会が素人だけに、町衆役との掛け合いもズッコケ調。それがかえって親近感を高めたか、なかなかの盛況。14時40分からの10分間は、あっと言う間だった。道の日も8月10日のところ、この打ち水とご一緒に11日にシフトして、路上イベントを併催。消防車もその一環でデモをしていたようだ。司会からは道路と打ち水の関係も語られていたが、それはちょっとこじつけか。「道路と触れ合う日です」「こんな暑い道路と触れ合いたくないよ!」「それなら打ち水」...そんなやりとりだったか。まぁ同じ場所で似たような催しを並行して行うのは、コスト的には歓迎すべきところ。ならば、道路関係者も挙って打ち水に興じればいいものを、どうもタテ割りだったようで。

 進行役が交代になり、浴衣のお姉さんが登場。本題の打ち水は、14時50分頃から、実質5分程度だった。会場近くのタウンホールでのイベントで通りがかった子どもたちなども多数飛び入り参加し、瞬く間に終了。タウンホール前の交差点の一角のみ水浸しという形になったが、デジタル温度計の計測では、35℃あった気温が、概ね34℃程度に低下。一時的でも効き目が現れ、打ち水日和となった。

司会進行が浴衣の女性に交代。無粋なバケツの登場に、江戸の町衆もちょっと困惑?

「打ち水いかがでしたか?」

15時過ぎ、デジタル温度計は33.5℃を示していた。 クールダウンの成果がハッキリ出て、区の関係者(主催:土木部?)は自画自賛モード。クールビズだったので好感は持てるが、道の日をアピールしている割には歩道を塞ぐように歓談していて、ちょっとした通行妨害。これでは打ち水ならぬ内輪水か。(^^; 打ち水作戦本部の主催会場だと、間伐材仕様の手桶や柄杓が並ぶのだが、土木系の行政部署だと金属製の道具になってしまう。粋や風流をもうちょっと考えてほしかったなぁと思う。今回は短時間かつ範囲限定ということもあり、打ち水には加わらなかったが、お土産として特製手拭いをいただいてしまった。見学も含め、参加賞ということか。ありがたく使わせてもらうとしよう。

 ちなみに今年の打ち水は、上水(水道水)は使わず、雨水や風呂の残り湯を活用することが強く推奨されていて、船堀での打ち水もタウンホールで蓄えた雨水が利用された。ご苦労な話だが、こうした地道さや継続性が重要なのは言うまでもない。イベント色の抑え方、通行人への配慮、参加者への十分な案内など、課題はまだありそうだが、今夏、来夏とさらなる盛り上がりを期したいところ。自分でも可能な限り取り組んでみたいと思う。

 8月12日の夜、東京以北の関東一円で天からの大打ち水があった。8月13日夕刻にも激しい雷雨があった。滝のように降り注ぐ雨のおかげで、空気は澄み、気温もすっかり下降。地上でチョロチョロやらなくても、大気と地表はちゃんとバランスをとろうとする訳である。打ち水をやっている最中に、こうした局地的豪雨が来たら、参加者は複雑だろう。打ち水が誘い水になった、と空を見上げて笑うしかないか。

 

 

第190話 震度4後の新宿通り&タクシー地名考(新宿西口編)(2005.8.1)

 それは「愛・地球博」(地球市民村)への出展準備の打合せなどで、市民運動全国センター(千代田区麹町)の会議スペースにいた時。横揺れが始まったなぁ、と思ったら、途端にガタガタ大きく震動が続き、肝を冷やした。震度4を体感したのは、おそらく初めてか、二度目くらいだろう。7月23日(土)16:35。この記録時刻は、ちょっとしたニュースになった。(奇しくも、7月28日(木)19:15の震度3の時も、同じ市民運動全国センターの同じ場所にいた。耐震・免震の建物ならいいのだが、そうでもないようなので...(^^; しばらく同所での打合せはないが、はてさて?)

JR四ッ谷駅 麹町口改札の混雑(列車の発車予定時刻はブランク) 打合せのペースを落とし、しばらく様子見した後、17:30に散会した。帰途が四谷方面だったのは筆者だけだったので、一人黙々と新宿通りを西進する。ニュースでは交通情報が十分でなく、各線の運転状況も確認できていなかった。途中、麹町界隈の都バスの停留所に人だかりができているので、何かイベントでもあったか?などと能天気に見送っていたが、四谷駅に着いて、なお人が群れ成しているのを見て、ようやく事態が呑み込めた。経験が少ない震度の場合、都内の交通網がどうなるか、というのはきちんと想像を巡らせたいもの。電車が動かなければ、人は滞留するし、代替の交通機関が混むのは至極当然なのである。(日常的なリスクがどうのと、いろいろと筆を振るっている割には、我が危機意識の軟弱ぶりと来たら。) 地震発生から70分ほど経っていたが、JR総武線・中央線は運転見合せ中。ならば東京メトロはどうか? 南北線・丸ノ内線ともにストップのアナウンスが地下から発せられている。全ての線路を徒歩で点検中とのことだ。気が遠くなる話だが、止むを得まい。

 都バスも当てにならない。タクシーに乗る気は毛頭ない。帰宅難というものがどういう状況か、程度は軽いながらも疑似体験することになった。晴天で、日が長めなのが救い。

 とにかくこのまま西に歩き、新宿駅まで行ってみよう。道中、丸ノ内線の駅が幸い地下浅くに3駅続くので、運行状況を確認しながら行けばいい、と意を決することにした。

 かつて、その市民運動全国センターに向かう際、時間にゆとりがあったので、新宿駅から徒歩で向かったことがあった。自転車でも何度となく、この新宿通りを行き来しているので、勝手は知っている。その経験が生きたとするなら、普段から自分の足で現場慣れしておくことが大事、という教訓が導かれることになる。

 18時には四谷三丁目駅に到着。発売中止になっている券売機だが、それに列を作るように、路線図を見遣る人達(写真左上)。反対側、銀座・池袋方面の改札前に廻ると、「振替輸送 JR線×」などと非情な掲示が(写真右上)。券売機の脇では、1台に1人の割合で待ちぼうけ状態の乗客が佇んでいる。珍しい光景だ(写真左下)。再び地上に出て、四谷三丁目交差点を見遣ると、品川駅行きの都バスが外苑東通りを右折しようとしている。バスの中は案の定、超満員(写真右下)。途中の乗り降りは円滑に行かないだろう。終点の品川駅まで何分かかることやら。

四谷三丁目 新宿・荻窪方面改札前

事故情報を伝える掲示板

四谷三丁目 銀座・池袋方面改札前

四谷三丁目交差点を右折する都バス[品97]系統

 バスの混雑を思えば、徒歩は楽なもの。四谷四丁目を過ぎた辺りから、新宿に向かう人波が増えてきた。「歩け歩けのノリ」という会話も聞かれる。その通りである。人出に便乗して露店が出てきてもおかしくない状況になってきた。救急・消防のサイレンが響く。地震発生直後ではないが、道路も混雑しているから、何かあってもおかしくない。よく考えると、建物の損壊、窓ガラスの破損・落下などが、この新宿通りを歩く限りでは目に付かない。歩く街路の選定もリスクマネジメントのうち、ということか。

新宿御苑前駅(銀座・池袋方面改札前) 新宿御苑前駅に到着。駅員が外国人女性に状況説明するも、当惑が続いている様子。こうした時、お互いに言葉が通じないというのは何とももどかしい。(運転再開がいつになるかが駅員もわからない状態では、いくら訳したところでも解決にはならないか。) 何とか説明がついたようなので、筆者はその場を後にしたが、どこまで立ち入っていいものか、悩ましいケースである。

 新宿駅の徒歩圏内に入ってきた。新宿二丁目、三丁目とカウントダウンのようになって来る。ゴールが近づくと、自ずと気も急くのだろう。赤信号を急ぐ歩行者も増える。対照的に筆者はデジカメ片手に地震後の新宿通りを記録しながらなので、至って鈍足。新宿三丁目駅には、18:30過ぎに着いた。

丸ノ内線 新宿三丁目駅改札にて 都営新宿線の改札は思いがけず人が少なく、券売機も稼動中。程なく、「徐行・注意運転中」との放送が入った。これにはビックリ! 同駅の丸ノ内線は、と言うと、相変わらず運転見合せ中。有人改札の行列に対し、メモを見ながら拡声器でアナウンス、という有様。都営地下鉄と東京メトロのこの違いは何なのだろう。丸ノ内線改札では、そんな状況に呆れてか、A4ヨコの路線案内やメトロカードに印刷された小さな路線図と睨めっこしながら、自動改札機に隣接する柵に腰掛ける人がチラホラ。気分が悪くなったか、地下道に座り込む人も時折見かけた。給水などのケアが必要な事態は、このようにして起こる。まずは運転再開を優先するとしても、より総合的なサービスを考慮するなら、再開を待つ乗客への備えや対応も必要になるだろう。

丸ノ内線 新宿駅にて(運行状況を知らせるボード) 新宿三丁目から新宿までは、地下通路(メトロプロムナード)をそのまま歩く。地震発生から2時間後、18:35、丸ノ内線新宿駅に到達。四谷を起点とすると、5駅分、営業キロ数では2.9kmの行程だった。半蔵門からだと約4kmといったところか。何だかんだで1kmを15分ペースで歩いてきたんだから、寄り道した割にはまぁまぁだろう。この時点で、東京メトロは銀座線と日比谷線のみが再開。JRは埼京線と中央線(新宿以西)が動き出した、ということだった。埼京線が動けば筆者は帰宅可能。新宿駅西口から[王78]系統で、十条か王子に出るパターンも覚悟していただけに安堵感は大きかった。とにかく新宿までの徒歩敢行は無為ではなかった。

 埼京線再開はいいのだが、動き出したばかりだとすると、混み具合は半端じゃないだろう。せっかく新宿駅西口に来ていることもあるし、交通網がマヒ気味の時だからこそ、調べ甲斐があるものを思い出した。そう「タクシー地名考」である。

 大正元年(1912年)8月5日、銀座で日本で初めてのタクシーが営業開始したことから、8月5日は「タクシーの日」なんだそうな(⇒詳細。次にタクシーネタを書くならこのタイミングで、と前々から画策していたのだが、ひょんなことから続編を調べる機会に恵まれた。(前回は137話、その前は87話。50話刻みだったら、187話だったのだが、8月5日に免じて、ということで。)

 新宿通りを歩いている時に、「回送」で東に向けて走り去っていく高慢(?!)な1台を見かけたが、そんなタクシーが多いせいなのかはいざ知らず、とにかく台数が少ないのには驚いた。いつもの当・西口地下乗場は、タクシーの車列がそれなりにできているので、いくら非常時でもそんな...というのが正直な印象である。

県外からのタクシー到着(何と市川から!)

左から右方向にかけ、列が進んで行く

 タクシー待ちの人の列は長く蛇行している。需要と供給のバランスが崩れるというのは、こういうことか。タクシーは来ず、列はどんどん長くなる。ともかく、乗場に入ってくるタクシーの地名を観察して、帰宅時間を調整することにした。

◎7月23日(土) 18:48〜19:08

 *今回は、書き留めるのに十分な用意がなかったので、会社名は省略。(営業所名50音順)

【中型車(実車)】

 

【周回(または小型車)】

営業所名

台数

営業所名

台数

足立

足立

浅草

 

 

板橋

板橋

市川(千葉県)

 

 

荻窪

 

 

蒲田

 

 

錦糸町

 

 

 

 

高円寺

品川(1台は研修中?)

品川

志村

 

 

 

 

自由が丘

成城

 

 

千住(1台はワゴンタイプ)

千住

高井戸

 

 

 

 

滝野川

 

 

戸塚(神奈川県)

中野

中野

練馬

 

 

 

 

深川

堀ノ内

 

 

本田

 

 

三鷹

三鷹

代々木

 

 

 こうした事態(概ね1分に1台)だと、一人一台では勿体ない。方面別に固めて乗り合いにするなどの工夫も必要だろう。調査開始からの10分間は本当に台数が少なく、気の毒だった。(少ないながらも、やって来たタクシーの営業所名が全て違っていたのは驚異だった。さすがは新宿、多様である。) だが、19時を過ぎた頃から配車ペースが多少上がり、列の長さが抑制されてきた。待っている方々には無礼ながら、ちょっとした見物だった。

 客を乗せず周回するタクシーがあるかと思えば、先のエリアに停車して降り乗りするタクシーもある。何か妙だなと思ったら、先には小型車乗場が在ったのである。筆者がチェックしていた手前の乗場は中型車専用だった。行列が長過ぎてよくわからなかったのだが、よくよく見たら、小型車待ちも列も相当な長さになっていて、小型・中型で2つの列が曲線を描いていたのでビックリ。中型・小型で分けてカウントしないと実情レポートにならない訳だが、途中で気付いた以上、仕方ない。という訳で、乗場を発着したらしいタクシー(左)と周回タクシー(右)とで分けて表にしてみた。

 さて、地震を受けての鉄道の乱れ、他線はどうだったんだろう。各紙号外が出そうな予感もあったので、配られそうな場所を探しつつ、京王線、小田急線のメインの改札口を廻ってみることにした。京王は何事もなかったようだ。遅れの表示もなく飄々としている。小田急は20〜40分の遅れで済んだようだ。JRと東京メトロが地震に強くないことがこれでわかってしまった。

小田急線新宿駅の電光掲示

遠中近距離タクシーはこちらから

 新宿三丁目で地下に入って以来、100分ぶりに地上に出る。京王と小田急の両百貨店の中間ほどにもタクシー乗場があって、程々の行列ができていた。ここは「遠中近距離用」(要するにオールマイティ?)。初めて知った。長い列ができていないとわからないものである。さすがに、ここを今から調べる気にはならなかったので、JRの地下改札に戻る。地下のタクシー乗場の行列はまだまだ長め。ただ、先刻とは列の曲がり具合が変わっていたので、またまたビックリ。生き物の態である。(ちなみに号外は配達手段が確保できなかったためか、どこにも出ていなかった。代わりに、街頭配布品をいくつか受け取ってしまったが。)(^^;

山手線外回りと総武線はまだ再開せず...(階段に座り込む人達)

混雑する中央通路と発車予定時刻にバラつきが目立つ番線案内

 地震発生から3時間弱が経過。山手線内回り(12番線)がやっとこさ再開した模様。そのせいか、中央西口改札はごった返し。中央通路を歩いて、埼京線番線に向かうも、容易に進まない。運転ストップ中の番線(総武線・中央線(東京方面)など)では、階段に座って待つ人が相当数。通路にしゃがみこんでいる人も大勢。なかなか平常に戻らないものである。1・2番線に続く群衆は黒山の如し。中央東口から埼京線に乗るのは困難と見切った筆者は、東口を何とか出て、再び地上へ。南口を経由して、新南口に辿り着いた。さぞ混雑しているかと思いきや、難なく改札を通り、停車中の各駅停車(10号車)に悠々乗車。座席も確保できた。先頭の1号車の状況は想像するに余りある。この差はいったい... 19:40には新宿を発車。地元駅には20時前に着いた。帰途に付いた17:30から2時間30分が経っていたが、徒歩帰宅シミュレーション、各線の耐震性、タクシー事情、混雑回避法など、得るものが多い150分だった。


 非常時の調査は済んだので、今度は平常時。

13:40 新宿西口は34℃を記録 7月28日(木)、炎暑が戻った都心は、この時間、34℃を示していた。この暑さ・陽射しの中、外に出るのは艱難の極み。タクシー需要も程々だろう。

 今度は小型も中型も周回も確実に捉えられる見通しの良い位置でチェック開始。しかし、売店に並べる新聞(この時間でもう夕刊?)の配達時間にぶつかり、各紙のトラックが乗り付けてくる停車エリアに居合わせてしまったことがわかった。待機する作業員が闇雲に喫煙するし、その吸殻の後始末のために清掃員が徘徊するしで、落ち着かない。仕方なく、途中から小型車の乗場近くで調査再開。場所が安定しないと、調べ損なうクルマも出てくるもの。しかも、予想以上に回転が激しいものだから、会社名はおろか、区別も何もない調査になってしまった。とにかくこの時間帯に通って行ったタクシーを、確認できた範囲で営業所別にカウントするにとどめることにする。(新宿、おそるべしである。)

◎7月28日(木) 12:58〜13:28

 *西部・東部別、台数の多い順。

【西部】営業所名

台数

【東部】営業所名

台数

板橋

21

 

 

三鷹

20

 

 

西新井

19

中野

17

 

 

江古田

15

 

 

練馬

14

 

 

阿佐ヶ谷、荻窪

11

 

 

足立、成城、堀ノ内

足立

吉祥寺、新宿

 

 

深川

池袋、大森、高井戸、志村

 

 

大泉、石神井、目黒、代々木

尾久、亀有、砂町

牛込、品川、世田谷

千住、向島

赤羽、大井、三軒茶屋、新町、玉川

浅草、江戸川、亀戸、小松川、新小岩、田端、日暮里、南千住

合計

187

合計

54

 これまで赤羽、十条、池袋、羽田空港で調べてきたが、ここ新宿は台数、多様性ともに群を抜く。同じタクシーが重複している可能性も高いが、回転が良ければ、どの営業所のが入ってきてもおかしくない。営業所に偏りがあったとしても、これが実態なのである。

 営業所名があまりに多岐にわたるものだから、今回は「正」の字カウントも本当に骨が折れた。(地名50音順のチェックリストか何かを用意して臨むべきだった?) 13:13にちょっと小休止があった程度で、後はひたすら動きがあった。7/23の時とは打って変わって、待ちの列ができない。ワンコインタクシーを選別して乗り込む客がいる程、客優位のシチュエーションである。タクシーの方は時折、客待ちができる状態で、至って通常モード。需給バランスの絶妙さに感心してしまった。

*今回、営業所名で初登場は、自由が丘、成城、三軒茶屋、世田谷、高井戸、吉祥寺、阿佐ヶ谷、新宿、新町、牛込、江古田、田端、日暮里、浅草、南千住、向島、亀有、亀戸、新小岩、江戸川、小松川、大井とたくさん出てきた。初登場というのはあくまで過去2回の調査との比較なので、普段、街中で見慣れている筆者としては、営業所名での発見や驚きはそれほどではない。ただ、都内各所から新宿に集まってくることには驚嘆を覚えた。
 中央線沿線や山の手側が多い印象を受けるが、台数は少なくても東京都東部からもやって来るというのは一目に値する。

 

ニュートランスシステムの「エコタクシー」

ワンコインタクシー(2台連続)と東京新聞の配送トラック

タクシーが整然と並ぶ(7/23にはなかった光景)

 

 それにしても、「新町」というのはいったいどこを指すのだろう?(世田谷区の桜新町のようだが、何とも。) 自動車ナンバーともども確認しないと特定できなさそうだ。(仮に横浜ナンバーなら「神奈川新町」なんだろうけど、ちょっと考えにくい。) まだ網羅できていない営業所名の発掘もしたいところ。次回は、渋谷、飯田橋、錦糸町、門前仲町などで調べてみようと思う。

 

 

第189話 公共物のダメージケア(2005.7.15→17)

 公共インフラは、本来あるべき形状や機能を伴ってこそ、財産たり得るもの。公共物を毀損したり、汚損したり、といった行為は当然罰せられることとなるが、罰や科料が課されていたとしても、肝心のインフラの方は原状回復されずに放置されたまま、というのが日常的。目の届かないところでの「壊し逃げ」が多数だからだろうが、仮に取り締まることができても、責任追及が優先され、本来優先されるべき公共物の復元が後手になってしまう訳である。損壊した者に損害賠償を求めることで、実際の支払やら工事の手配などで時間がかかるのはわかるが、「それにしても...」と思う。復元が遅れることで、二次三次と副次的に事故や悪事を招く、または便益を受けられない状態が続くことで、社会的な機会損失を大きくすることにもなる。損壊があったら、賠償に伴う権利関係は後にして、速やかに復旧させ、回復後に金額が確定してから請求するなどすればいい。早めに手を打つ(ケアする)ことが肝要だろう。(もちろん予防の方が大事だが。)

 第98話に少々記したが、図書館で貸し出している各種媒体も公共物。津々浦々の公共施設で貸し出しているスペースや備品等もそのものズバリ公共物。取扱には留意したいものだが、取扱に慣れていない人が壊すことと言ったら... 図書館で借りるCDは無料ということもあってか特にヒドイ。ケースが壊れているのはザラ。CD本体もキズや傷みが激しく、音トビなどで聴いていられないものに出くわすこともある。

 公共交通機関においては、停留所の案内(落書き被害)、自動券売機の押釦(以前はボタンが押せなくなることが...)、自動改札機第167話参照)の他、最近では車両内でもダメージ事例が発生中。(東急線車内で彫り文字の落書きが絶えないそうで、いただけない。)

 公園では、遊具や水まわりの損壊が代表例か。掲示板・案内板は、劣化による不具合もあるが、落書きで文字が見えなくなっていること頻り。掲示物そのものも憂き目に遭いがち。選挙ポスターも被害に遭う時は遭っている。

 公衆電話に至っては、ボタンをプッシュできなくなっていたり、カードが入りにくくなっていたり、受話器が壊れていたり、散々な状態。撤去したくなるのももっともな話である。

カード式公衆電話の故障例。扉部分がNG。(北千住にて)

こちらはすでに扉がとれてなくなってしまっている例。(赤羽 東本通りにて)

 さて、公共物のダメージの最たる現場は何と言っても道路。沿道や路上での損壊リスクは高く、ちょっと意識を高めにすれば、あちらこちらに事例が見つかる。(我ながら、その多さに驚いた。逆を言うと、普段は見過ごしている、ということである。)

 筆者地元で名だたる道路と言えば、環八通り。環八沿いで近場を見る限りにおいては、信号機、街灯、道路標識、反射鏡など大型の器物に関しては、さすがに損壊した箇所は見当たらない。ただ、その他の道路占有物/道路付属物(というのだそうな...このサイトを参照)である歩道柵、ガードレール、視線誘導ポスト、そして障害物表示灯(ブリンカーライト)には「そんなバカな」と首を傾げてしまう被害が及んでいた。

 以下、画像を交えて、その一部を検証してみることにしよう。早期のダメージケアを望みたいところである。

障害物表示灯が壊され、コーンが被せてある。[地図]

本来の障害物表示灯はこんな感じ。(障害物を知らせる器物そのものが障害物になってしまっているようだ。)

左は辛うじて無事な表示灯。右は破壊されてしまった後の表示灯跡地。(2005年2月時点)[地図]

その跡地を別の角度で見た様子。ガードレールの形状に注意。(やはりコーンを並べて注意喚起(?)している。)(2005年2月時点)

まだ表示灯は復活していない。そのためか、今度はガードレールが大破。(2005年7月時点)

 

ガードレールに車体が接触すると塗装が剥がれて鋭利な金属片になってしまうらしい、という事態が全国的に発覚して騒ぎになったが、環八の中央ガードレールにも似たような名残があった。右側に何かがくっ付いている。よくよく見たら給油時に開閉するフタが挟まっているではないか!(これは再点検が必要なのでは?)[地図]

平成12年3月に設置された、まだ新しいガードレールだが、こんな具合に曲がっている箇所がいくつか見受けられる。

典型的な損傷。街路樹も痛そう。放置あいてあるバイクは事故と関係あるのだろうか。

こっちは街灯が痛々しい。

 環八以外の近在の道路でも、ガードレールの損傷をよく見かける。ガードレールそのものはガードされないというのが哀しい。

平成12年9月の設置。5年も経たずにこの有様。

環八に近い北本通りにて。直進の車線なのだが、なぜこんなことに?

一見するとどうでもないようだが、本来この柵の横棒は水平でないといけない。外れて斜めになっているのである。(公衆電話と同じ、赤羽の東本通りにて)

同じく東本通りにて。ここは棒が行方不明。植栽に隙間ができていて、どうやら人が横断するような設定になっている模様。(他にも同じような「ガードレスレール」状態が見られる。)

 道路・街路関係では、次のような事例も見つかった。場所柄(新宿の場外馬券売場近く)、というのもあるかも知れないが、ちょっと考えてしまう。

歩道上の駐車を防ぐ車止めの杭。凹んでしまって気の毒。

標識を伴わない道路標識の柱(?) 電柱と比較すると傾き具合もよくわかる。(電柱上部に吊り下がっているが、8月1日から新宿でも「路上喫煙禁止」になるようだ。)

 なお、赤羽駅近く(いずれも東口)では、

視線誘導ポストが傾き気味。でも現物が残っているだけマシ。(根元しかない事例はよく見かける。)

確か周辺案内図だったと記憶しているが... 書き換え待ちだろうか。

駅前広場のゴミ箱は、あふれているばかりか、開閉部の扉が壊れていた。

 といった状況。新宿のことを言えた柄じゃないようで。

 落書きについては、第150話でもふれたが、相変わらず目立つ。早めに芽を摘むことで、落書きの伝染を抑えたいところだが。(一応、ボカシ編集しましたが、以下の写真で、気分を害されたらご免なさい。)

埼京線から西武新宿線の線路を見遣ると現れる落書き壁。「エリエール」の看板でカバーして、目に付かないようになっていたのだが、なぜか看板が外されてしまい、またこの落書きが復活してしまった。残念。

新宿駅南口のエスカレーター脇の落書きもいつの間にかこの惨状。

 身近な公共物ダメージに目を光らせ、時には区市長へ投書するなどして、善処(ケア)をお願いすることも必要かな、とつくづく思う。皆さんの地元ではいかがですか?

 

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第188話 アンケートハガキ等 考察評価(2005.7.1→3)

 アンケートハガキ(またはそれに類するもの)は、微力かも知れないが、お店や会社を変えるちょっとしたきっかけになる。(これまで、第125話(赤羽の項)などで紹介したような成果あり。) その場であぁだこうだやるよりも確実だし、波及効果も大。「これはちょっと変」ということがあれば、大いに活用したいもの。変と感じるための感性や視点がないと難しいかも知れないが、客としての自身の資質が試されている、と意識すれば、気付く部分も自ずと増えてくるだろうと思われる。あとは、面倒がらずにとにかく一筆書いて出すだけ。客なんだから、という思い上がり的な権利行使ではなく、あくまで一市民としての社会的行動という自覚を以って、「謹言」したいものである。

 筆者の投稿歴は、実に多岐に亘るので、ここで一つ一つ披瀝すると大変なことになりそうなので控える。筆者の場合、「カチン」と来て啓上することもままあるが、多くはその店・会社を思ってのもの。カチンの場合もできるだけ表現を抑制して、「〜だと幸い」「〜がベター」「〜ではどうか」といった感じで、攻撃的には書かないようにしている。お店側にも事情はあるだろうし、たまたまということだってあるからだ。ただ、あまりに店員が不敬・不遜な場合は、第70話などに記すように、顧客満足以前の問題なので、警鐘を鳴らすようにしている。

 お客や外部からの意見を取り入れようとする姿勢があるだけですでにポイントは高いので、ハズレなことはあまりないはずなのだが、それでも言いたいことが出てきてしまうのは事実。何かあった時に、アンケート用紙を媒介として物申せないケースは論外だが、置いてある場合は、心苦しくも使わざるを得なくなってしまう、ということなのである。

 もっとも、用紙は置かず、インターネット上で意見等を受け付けるところも増えているから、置いてないからと言って、怪しからんとは言い難い。でも、置いてあるところは、その努力がもっと評価されてもいいだろうとは思う次第。

 そんなこんなで、この手の話は東京モノローグ的に重要なので、予定テーマに早々に掲げてはいたが、思いの外、ハガキ・用紙の類を収集するのに時間がかかってしまったり、それをスキャンして加工したりの手間がかかってしまったりで、半年以上経過してようやくの掲載になってしまった。努力を評価、という視点でご覧いただきたいが、単に並べるだけでは面白くないので、ワンポイントコメントと、何らかの顛末があったものはそれを交えて紹介することとする。

⇒以下、下線をクリックして画像ページへお進みください。(大きさは必ずしも原寸ではありません。トリミングの都合により、余白の広さも実際とは異なります。)

 

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第117話 割り箸コレクション / 第149話 続・割り箸コレクション/ 第166話 団扇コレクション

 

 


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