第164話 「ちょっと待てよ、と思うこと」2004(2004.7.1⇒3)
第98話では、いささか義憤が過ぎたような面もあったが、当時の思いを綴った「ちょっと待てよ...」。2004年も半分が過ぎたところで、シリーズ続編「ちょっと待てよ、と思うこと2004」を満を持して起筆することにした。ここ半年ほどのニュースや筆者日常の中から、いくつか実例を引きながら考察・言及させていただく。(参院選が近いことなので、政治的な事柄で物申したいこともない訳ではないが、当モノローグでは基本的に政治にまつわる話題は差し挟まないことにしているので、生活側面の中からお届けする。)
皆さんの身の回りにもきっと多種多様な「ちょっと待てよ」があるに違いない。ここに少しでも共鳴するものがあるなら幸いである。
6月18日に、DVDとビデオが発売されて、再び巷で目に付くようになったディズニー映画「ファインディング・ニモ」。貴重な生物種が個人宅の水槽で占有されてしまうこと(人間の身勝手さ、自然への不敬など)への批判が込められていた映画だったと思うのだが...。俄か「ニモブーム」により、カクレクマノミの生息海域には乱獲の魔手が。(映画と全く同じ!)
この映画を観て、カクレクマノミをこの手で飼いたいと思った人の心理や行動原理は何なのか。映画から何を学んだのか、理解に苦しむところである。(ニモの心情を解せなかったのだろう。むしろ、飼い主(コレクター)の歯科医を羨ましく思ったか、共感したか、そんなとこだろう。)
某公共放送で、テレビ画面のユニバーサルデザイン(主に高齢者向け)技術の一環として、字幕などで出てくる文字を大きくするデモが紹介されていた。感心しながら見ていたら、その文字を拡大表示するためのリモコンの操作ボタンがてんで小さくて押しにくそうなことと言ったら! このオチには苦笑した。大きくしたい時に使うボタンが小さくて見つからないのでは意味がない。せっかくの技術なのに、肝心のユーザビリティーが伴わなかった好例と言える。
某保険会社の某金融商品をインターネットで注文。申込に必要な書類が届き、首尾よく送ったはずだったが、本人確認書類が不備、とのことで差し戻し。保険会社の関係なので保険証券を送ったのだが、それではNGだったらしい。本人確認書類系で有効そうなものとして、消費生活アドバイザー証のコピーが手元にちょうどあったので、それを同封して再送。が、しかしそれも不受理。最初の差し戻し時に、公的なものであればいいようなことが書いてあったので、経済産業大臣認定の同アドバイザー証にしたのだが、「金融機関等による顧客等の本人確認等に関する法律(本人確認法)」によると、それは「無効」ということで、返戻されてしまった。なら最初から、本人確認に有効な書類の例をきっちり示してほしいものである。(しかも、同法「対象外」と書けばいいものを、「無効」とはいかに。資格そのものを否定するような文言である。) 「無効」という書き方に対する抗議とともに、結局、運転免許証(ゴールド)のコピーを送って、3度目の正直でようやく申込完了。(ヤレヤレ) 本人確認法に伴う手続き工数の増大が社会的なコストアップ要因にならなければいいが。
6月19日午後、荒川赤水門の島で、ネイチャーゲームとクリーンエイドのジョイントイベントを実施した。(ネイチャーゲームは主に「おうじネイチャーゲームの会」さん主催、筆者はクリーンアップと水質調査を担当) 筆者を除く大人12名、こども10名での開催だったが、おうじネイチャーゲームの会スタッフの呼びかけもあり、近所の児童館関係の親子連れのご参加が半数を占めた。人数が多い分にはいいのだが、児童館職員の方の計らいかどうかはいざ知らず、自然をあるがまま楽しむはずのネイチャーゲームの場に、虫捕り網と虫かごを持ったお子さん達が集結してしまって、ヒャー!w(--)w 「ネイチャー」と名が付くと、それは「人間都合で自然と接すること」といった誤解がまだ残っているらしい。ここはネイチャーゲームの正念場とばかり、「今、そこにある自然」を見つめ、「そこに生きる動植物」を慈しむ、そんな思いに気付いてもらうべくゲームをしながら、虫捕りに関してやんわりとクギを刺す。最終的にはチョウもカミキリムシも開放されたので良かったが、こうした人間本位の行動心理は正に「ファインディング・ニモ」の例と同じか?
北陸のローカル私鉄&路面電車のちょっとした取材を兼ねて旅に出て、6月24日は、五箇山に足を伸ばした。世界遺産に指定されている相倉合掌集落を訪ね、集落一帯が全面禁煙であることを記した案内板[写真左]を見て唸っていたら、程なく現れた休憩所を併設した土産物店でタバコを売っている[写真右]ことにビックリ。単に売っているだけかと思ったら、何と休憩所で喫煙できるようになっているではないか!(煙が流れてきて、さらにビックリ!) 世界遺産を訪ねる時くらい、ゆったりとイイ空気を吸って、その場を堪能したいもの。(つまり世界遺産の趣旨上、タバコは無用。) 世界遺産の意義を解さない物見遊山客に迎合した結果だとしたら情けない。
筆者が何となく応援している番組、「出没!アド街ック天国」。95年4月にスタートしたので、今年で10年目を迎える。だが、さすがに10年も経つと、出没できる街にも限度が出てきたか、最近は過去に登場した街が再度〜再再度放映されることが増えてきた。
「アド街掲示板」では、地方重視
vs
東京重視で議論がよく交わされているが、東京生まれの人間としては、やはり東京を中心に、「街」「まち」(=東京ローカル)を放映してもらいたい、というのが正直なところ。東京を中心にした放映が多いのには文句はないが、「それにしてもなぁ...」なのがここのところの傾向。メジャー志向が強くなってきたのである。(視聴率とも関係あるのだろうか。つまりマイナーな街より、視聴者が見込める街の方がいい、というか。)
これまでとりあげられた街(第1回の代官山から)について、過去の新聞(年鑑)などを頼りに、データを蓄えてチェックしてきたが、そんな記録を拙作ながらweb化して「放映リスト(『街』リスト)」を同掲示板にお知らせしたのが5月の初め。その後、筆者同様の「ちょっと待てよ」の輪が少なからず広がり、公開後2カ月で1200件を超すアクセスをいただいた次第。冥利に尽きる。
7月3日までのまとめでは、
■少なくとも4回放映:浅草
■少なくとも3回放映:神楽坂、吉祥寺、下北沢、代官山、中華街、二子玉川、町田
■少なくとも2回放映:青山3丁目、秋葉原、浅草橋、浅草六区、麻布十番、熱海、アメ横、池袋、伊東、上野、恵比寿、荻窪、お台場、小樽、表参道、学芸大学・都立大学、合羽橋、金沢、鎌倉、蒲田、亀戸、河口湖、川越、川崎、木更津、北鎌倉、北千住、銀座4・5丁目、錦糸町、高円寺、公園通り、後楽園、駒沢、三軒茶屋、柴又、自由が丘、白金、新宿2丁目、新橋、神保町、巣鴨、成城、高田馬場、茅ヶ崎、築地、月島、東京、道玄坂、中野、中目黒、西麻布、西新宿、日暮里、日本橋、人形町、博多、函館、箱根、府中、三崎、三宿、みなとみらい、向島、山手、湯島、横須賀、横浜元町、代々木、両国、六本木 |
といった状況。3回目予備軍がたくさんあることがわかる。(逆に、東京近郊でもまだまだ放映されていないエリアは多い訳で、23区内の一例では、大山、堀切、船堀、豊洲、白山、馬込、池上、祐天寺など、枚挙にいとまない。)
全国の要所・名所も含め、皆さんにもチェックしていただければと思います。
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公設公主導?
江戸川区の「えどがわエコセンター」、そして筆者が3月まで勤めていた「北区・NPOボランティアぷらざ」もご多分に漏れず、公設民営と言いながら、形だけ「区民や市民とともに=「民」との協働」を謳うスタイル(公設公主導)が、今あちこちの自治体でトレンドになっていて、かつ問題になっているようです。区の場合は特に、他区との比較論もあって、目立つための不毛な独自策やスタンドプレイ傾向が強いようで、「民」がそんな公主導に翻弄される可能性も高くなるんでしょう。
某区の男女共同参画条例(最近になって議会で否決)も、いかにも「民と一緒に創っている」ように見せかけて、その実は、行政側の都合、即ち予め設定された「ロードマップ」に沿って、民をコントロールしていくという、悪しき典型例だったのではないでしょうか。表向きを「民協働型」にするために、行政の都合で動いてくれる(一応、民側としての)学識者や有識者を予定調和のように座長に据える訳です。(純粋な「民」の委員はお飾り扱い?) 極論ながら、行政と手を組んだ「擬似市民有識者」により、最終的にはロードマップ通り、行政のお手盛りが完成する、という図式ですね。
これだと、「協働」のあり方を研究・実践してきた本来の市民活動(+市民学者の方々)がないがしろになるばかりでなく、産官学の構図を民官学に置き換えただけの旧態依然型社会モデルが続くだけです。しかも一層タチが悪いのは、民官学の民が本来の民でないこと、だと思います。
筆者が北区のNPO支援センター勤務を区切らざるを得なかったのも、行政側の都合が露骨だったこと、その都合を強要する民側の歪んだ理事会(意思決定機関)がいつの間にか出来上がってしまったこと、が大きな理由です。
こちらとしては、これまでの経験から、いわゆるNPO支援センター型のノウハウを採り入れつつ、これまでの活動で得たNPOならではの市民中心型の運営を、その「北区・NPOボランティアぷらざ」において模索しようとしていたのですが、物言わぬ事務局の一スタッフ(=言うことを聞いていればいい)が望ましい、ということのようでした。(公主導の論理だと、当方の思いや資質が、逆にありがた迷惑のようになるようです。) 民の知恵や力を求めつつも、それはあくまで形式的な関わり(行政にとって都合のよい展開ができる人材や場を設ける?)に限った話、ということなんでしょうね。
4月以降の「民営」を担う組織として、急遽「市民活動推進機構」(以下、機構)なるものができ、「機構のスタッフとしてどうだ」という何やら強引な展開に。まぁこうしたモデルでは仕方ないのかも知れないですが、言わば「公設公主導民営」のような形です。そうなるとこちらの思いや見識とは大きく相違してきます。
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市民活動推進機構の意思決定
さらに悩ましいのが、市民活動推進機構の理事会です。民営に移行することで、意思決定機関としてこの理事会が作用しますが、理事の一人が極めて民意に逆行するタイプで、「事務局は、理事会の言うことを聞いていればいい」との不穏当な発言を平気でされます。(公主導に都合がいいので、強引・ワンマンタイプの方がいる訳です。)
たかが事務局スタッフなのでしょうか。その人がそこにいる存在意義を考えてもらいたいものですよね。一人一人の「思い」が尊重されるべき市民社会モデルに明らかに反します。(機構の設立趣旨の一つに「多様性の尊重」云々とありますが、何を云わんやです。) このような状況で、機構スタッフとして働くにはあまりにリスクが大きいと思い、辞退しました。
市民活動の現場や痛みを知る人、市民団体に敬意や誠意を示せる人、市民からの共感を得られる人、が理事に就くべきなのでしょうけど、区の事情からして、必ずしも適切な人選ができない(自縛状態)ようです。
特定の理事の専横を許す形で、「民」(機構)に委ねてしまうのでは、区が描いていた協働の姿、市民社会像からは遠いものになってしまうでしょう。「NPO・ボランティアぷらざ」は公設民営どころではなく、「公設公主導・非民主的民営」になりかねません。上述の旨、区長宛に投書するなり、理事長に直談判するなりしましたが、変化が現れるにはまだ時間がかかりそうです。
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ともあれ、北区非常勤職員としての半年間は、こちらとしてはある意味、いい体験になりました。(開設当初の基礎工事的なものに多少なりとも役に立てたかなとも思ってますし。)
「公設民営」の舞台裏の経験者として、本来の民営のあり方を問うべく必要に応じて情報発信するなり、各地で進む「公設民営」の動きを注視しないといけないですね。
*東京都北区のNPO・ボランティアモデルはまだまだ途上。侃々諤々です。一つの事例として参考にしていただくのと同時に、先例や他事例に基づくご助言等をいただければ幸いです。
という訳で、筆者は再び(自称)NPOワーカーに戻りました。どこで何をしているかについては、また別の機会にお知らせします。
*次回は恒例、15話刻みの「マナー&べからず集」です。「ちょっと待てよ」系が続きますが、ひとつお楽しみに。
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