第150話 東京を大事に...(2003.12.1)
東京モノローグの本分に通じるテーマとして、筆者なりの私見を温めてきた。各地を転々としてきたが、あくまで東京生まれ・東京育ち。故郷である東京が憂慮すべき事態になれば、その憂いも大きくなろうというもの。「東京をもっと大事に」、これは東京人なら誰もが思うところではないだろうか。そんな思いを巡らせていたら、ポイントが見えてきたような気がする。
第60話を起点に、15話ごとに綴ってきた「べからず集」。今回は150話という一つの節目でもあるので、ちと趣向を変えて、べからずではなく、より前向きに「できること」「心がけること」としてまとめてみることにした。毎々僭越な文調で恐縮だが、ひとつご一読の程を。
1.はじめに...
東京に限らず、「何か大事にしない人」が増えると、街や地域が荒れるようだ。短期的かつ「自分さえ良ければ」の考え方やスタイルが侵蝕し、まちを持続不可能にしてしまう。ただ東京は特に、[ローカル < ナショナル < グローバル]の側面があり、ローカル(地域性)が大事にされない傾向が強い。加えて、東京を故郷にしない人も多いことから、東京固有のものが失われる速度も早い気がする。
人が多い上に、その一人一人が東京を「ふるさと」として大事に思うことがあまりなかったりすると、当然インパクトも大きくなる。東京在来の方はまだしも、仮に東京を故郷としない人が、ポイ捨てしたり、美観を損ねたり、マナーやモラルを低下させたり、といったことが当てはまるのであれば、とにかくその人が今暮らしている地域や近所にきちんと目を向けて、地元に愛着を持ってもらう(大事にしてもらう)ことを優先してもらいたいと願う。
最近の凶行や非行を見て思うのは、
その地域の良さが見えない
(&ゴミや落書きで汚れている、快適さが乏しい、etc.)
⇒住んでいる土地に愛着が持てない
⇒地域に生きる自分の存在がない(=地域の中に居場所がない)
⇒職場や学校がNGの場合、その人は生きる場所を見失っている
(存在が希薄になっている)
⇒不審者になってしまったり、凶行に及んでしまったり... |
というフロー。東京に限った話でないのは言うまでもないが、事の発端がもし東京にあるとしたら... 東京を通じて、日本社会の縮図、伴って負の部分が見えてくる。それはグローバリゼーション&商業主義のマイナス面の横行であり、工業製品の氾濫であり、過度な競争による疲弊だろう。東京のそうした動向が日本各地にも飛び火するようなことがあるなら、社会全体も荒れてくる。人々の心が荒れると、ゴミ投棄やポイ捨ての他に、落書き、風紀・治安の乱れ、万引き、ドラッグ、家庭内暴力・虐待などあらゆる形になって現れる。各地・地域固有の問題もあるかも知れないが、まずは東京からきちんとしていく(地域ができることをきちっと取り組む、地域全体で社会力や教育力を高める・保つ、人としての思いやりや心を地域が取り戻す、等々)必要を強く感じる。
例えば、近所の公園がゴミや落書きであふれてたら、それを片付けることから始める、そうすると地域のパワーが目に見える状態になるので、不審者は不審な行動をとりにくくなる(&自分の存在を問い直すきっかけになる)だろう。あとは、知らない人であっても日頃から挨拶を交わすとか、軽く会釈してみる、といったこと。地域にも予防医療が求められていると思う。
ちなみに筆者の近所は、こどもが遊ぶ姿が多く、何となく地域力も保たれているように感じる。目立つ落書きは区役所に一報を入れたらすぐに消してもらえ、その後、その場所での落書きはなくなった。怪しげな商業看板はやはり自分の手で片付けたら、後はスッキリしたまま。まずはちょっとしたことでいいのかも知れない。
2.地域回帰・地域尊重を促すための取り組み例
地域とのつながりが得にくい人にとって、地域を象徴するものが身近にあることは重要。23区のうち、10区が接する荒川と隅田川はその一例。「ふるさと東京」のよりどころとしての存在感は大きく、荒川・隅田川をきっかけにした地域貢献、地域への回帰は期するものがある。隅田川は、河川敷がないという構造上、人が接するには不向きな面はあるが、滔々とした川の流れによって癒されるところ大だろう。荒川は、総延長が約170kmあり、日本全国の人口の約10分の1にあたる人々が流域に暮らす一大河川。隅田川と違い、河川敷が豊富で、自然地形も多く残っていることから、スポーツや散策などで川を利用する人の数も日本一。(参考⇒「河川空間利用実態」) 大事に思う人がいる一方で、その利用頻度の高さゆえ、川や郷里を大事に思わない人の手によって、流域全体で環境が損なわれているのも事実。(特に下流域は、「ふるさと東京」の原風景や在来種が一部に残っているものの、心ない不法投棄や環境破壊により、それらが日常的に脅かされているのが現状。)
筆者が関わる「荒川クリーンエイド」では、
ゴミを拾う → 自然が本来の姿を取り戻す(→ 生態系も戻る → 荒川が浄化される) → かけがえのない荒川がよみがえる → 思いやりが広がり、地域が豊かになる... |
という考えを重視している。つまり、単なる清掃活動ではなく、ゴミを拾うことで、社会のあり方を問いつつ、地域力の向上もめざしたいというもの。
地域でしっかり活動する人の努力の積み重ねは「地域力」になっていく。楽観的な見方だが、地域力があれば、局地的な環境問題は自ずと解決していく可能性はある。(さらにそれが波及していくことで地球環境全体の負荷も減るならいいのだが。)
古くから、この荒川を生息域とする在来の生き物たちに敬意を示しつつ、荒川下流を故郷とする人・長年暮らしている人が誇れる流域環境を守っていきたいものである。そして「何かを大事にする心」を皆さんとともに育んでいきたいと思う次第。
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荒川クリーンエイド・フォーラム、10年目を記念して、「エコプロダクツ2003」に出展します!
国内最大級の環境イベントとしておなじみの「エコプロダクツ」。今年も12月に東京ビッグサイトで開催されます。NGO/NPOは無料で出展できるため、荒川クリーンエイド10年目の節目行事として出展することにしました。
上述のようなクリーンエイドの趣旨を来場者の方に知っていただくのはもちろん、これまでのゴミのデータ分析結果等を他の出展企業にご紹介することで、ゴミを出さない環境配慮型の製品開発の重要性をPRしたいと考えています。お近くの方はぜひビッグサイトにお越しください。
■日時:12月11日(木)〜13日(土) *3日間とも、10:00〜17:00
■会場:東京ビッグサイト 東展示場(1〜3ホール)(東京都江東区有明3丁目)
■入場:無料
***荒川クリーンエイドの出展について***
入口を入ってすぐ、「NGO/NPOコーナー」の”N−45”番に出展します。
出展内容は、10年間の活動成果/クリーンエイドの実施方法/荒川下流域で実際に収集したゴミの実物展示/東京ビッグサイト近くで採取した海水の水質調査/荒川下流域の市民活動の紹介/その他、写真パネルの展示、報告集・ニュースレターの閲覧 などを予定。
お楽しみに! |
3.市民(東京住民)としてできること
地域力は、地域で涵養したいもの。行政や企業ではなかなか手が届かない地域の課題を自ら見出し、解決するには市民・個人が当事者意識を持って取り組むことが原点だろう。筆者なりに大まかに整理してみたのが、ここに掲げる10のポイントである。(第103話に記したようなバリアフリー的な観点は省く。)
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落書きは許さない
地域の力を示すいいチャンス。とにかく早く消し去るなり、きれいな絵を上書きしたいものである。(野放しになっていると地域力は低下してしまう。) 落書きをする人の心理を辿り、根本的に防止策を考える余地もある。
東京の中で「地域力」(ここはブランド力?)のある恵比寿でも、線路沿い(埼京線側)の壁にはこんな落書きが・・・⇒
渋谷や代官山の落書きが波及している例と言えるが、在来住民の減少と潜在的な地域力の低下が原因か?(もちろん、住民が自力で消すには困難な場所だが。)
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皆で使うものを大事に
当たり前のことのように思うが、意外と守られていない。その土地に古くからあるものはもちろん、あらゆる公共物(標識類、公園のベンチ、町内会などの掲示板、街灯...)もきちんとしておきたいところ。(器物損壊している輩を見たら、注意できる勇気もほしいが、実際は難しい?)
ともかく、壊れてしまったものや、壊れかけのものが放置されているのを見るのはツライ。(地域住民の手で直したり、補修したり、という取り組みもグラウンドワークなどで進んでいる。)
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ポイ捨てを見逃さない
公共の空間は、自宅の延長という認識がほしいところ。自分の家でなければ何をしてもいいということはなく、むしろその逆だろう。
路上喫煙に関しても同じ道理が当てはまる。千代田区、品川区、杉並区などで始まっている路上禁煙地区の指定は、公共空間であればごく当たり前の話と言える。
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外来種を持ってこない
ペットとして飼っていた輸入動物(外来種)を持て余して捨ててしまうなんてのはもってのほか。動物自身が気の毒だし、その土地在来の生態系が壊れかねない。
川に放流する魚も在来種を使うべき。植物にしても気を付けたいところ。思わぬ交配が進み、やはり近隣の生態系に影響が出る。その土地に適した、またはその土地固有の在来種というのが必ずある。種まきや植樹も在来種で行いたいものだ。
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いかがわしい商業広告にはNO
違法性の高い広告はもちろん、センスのない看板や幟も目障りなこと、この上ない。配色もやたら派手で、刹那的なものが多いため、景観上も好ましくない。業者の放任を許すのでなく、時には住民が声を上げる必要もあるだろう。
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その地域の風土やデザインを損なうものにもNO
勝手にマーケティングやらリサーチをかけて、出店する側の都合優先で新しい店ができるのは考え物。地域住民が出店者を選好する機会があってもいいだろう。(結果オーライというのがあまりに多いような気がする。)
高層建築物についても、その街の良さを熟慮しない行為が目に余る。在来住民が永年培ってきた景観やその保全努力は代え難いもの。そうした「地域価値」を、弁えのない業者が突如横取りし、しかもその対価を払わないとしたら、暴挙以外の何物でもない。国立や谷中をはじめ、ブランド力のある地域でのマンション建設を巡って、紛糾が絶えないのはその点に尽きる。公共空間に対する自治体のデザイン力も問われるところだろう。(規制でどうこうではなく、その地域本来のカラーを尊重する施策が求められる。)
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美観を高める
雑多ゆえに東京らしい、という見方もあるが、美しく快適な環境で暮らしたいと願うのは誰だって同じだろう。どんな些細なことでも目配りし、自力でできることから美観を回復していきたいものである。
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地域との一体感を得る
挨拶や会釈だけでも立派な地域活動だと思う。お決まりの散歩コースを決めて、日課にするだけでも地域での顔なじみは増えそうだ。町内会主催のものをはじめ、とにかく地元の行事に参加したり、手伝ったりでもいい。それが物足りず、もっと地域で何かの役に立ちたい・貢献したいという場合は、地域での市民活動を探すなり、自分で起こすなり、だろう。(荒川クリーンエイドは、そんな地域活動のほんの一例。)
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地元を探検する、探究する
第148話で少々触れたが、その土地にあるものを、良いものも悪いものも含めて再評価し、共有しようとする取り組みが広がっている。水俣を発祥とする「地元学」である。自作の地図に落とし込むのもいいし、市販の白地図を使ってもいい。どこに何があるかをつぶさに調べ、何気ないことでもポジティブに評価する。(「ないものねだり」ではなく「あるもの探し」) そんなプラス思考が、まちを変えていくんだと思う。
最近では、「グリーンマップ」(各地により名称は多様)を耳にするようになった。筆者も独自にマップ作りを始めようと考えている。
地元に長く暮らすお年寄りに「語り部」になってもらい、ご近所雑学(トリビア?)を究めるのもいいかも知れない。
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今、あるものを大事に
地元学に通じるところがあるが、とにかく今、住んでいる、または生まれ育った街・地域にもう一度目を向けてみるに限る。定職がある人は、「そうは言っても時間がない」と仰られるかも知れない。だが、兼業・副業の解禁やワークシェアリングが広がれば、地域で過ごす時間は十分にとれるようになるだろう。(地域のために時間を使うことが仕事上の評価にもつながる?)
江戸開府400年をきっかけに、江戸時代に思いを馳せるのも大事だが、目を向けるべきは今、現在の東京だろう。雑木林、鎮守の森、自然緑地、干潟、自生地、湧き水などの自然環境の他、町並み、商店、人情、風情、伝承、郷土文化など、息づいているものはたくさんある。そうした東京を見直し、評価し、「東京に住んでいて良かった」「これからも住みたい・大事にしたい」と思う人が増えれば... そんな思いが集まることで、地域も社会も、より良くなるのではないだろうか。
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筆者が勤めることになった「北区NPO・ボランティアぷらざ」。応募した際の論文をここにご紹介します。ご参考まで。(⇒「豊かな地域社会の形成とセンターの役割」) |