随筆「東京モノローグ2004」(1−2月期)
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第155話 定食ネーミング考〜(付録)牛丼ラプソディー / 第154話 東急東横線2題〜東急文化会館/横浜〜桜木町廃線 / 第153話 北区踏切事情 / 第152話 2003年10大ニュース

第155話 定食ネーミング考(2004.2.15)

 巷では、どんぶり屋さんが青息吐息になっている。ここ1カ月ほど、店頭などでメニューの移り変わりを眺めてきたが、その激しさといったらそりゃぁもう。

 定食屋さんはどうか。そもそも定食というのは、「定まった食事」なので、コロコロ変わるものではないはずなのだが、いわゆる定食屋さんのメニュー(特に季節モノや一過性のおすすめモノ)は定食というより「不定食」。移ろいが激しくフォローするのが大変だったりする。松屋は、どんぶり(というより○○めし)と定食の両方があるので、比較がしやすく一目瞭然。○○めしの方はたまに新しいトッピングメニューが加わる程度でベースは変わらないが、定食の方は定番メニューがどれだかわからない程、新しいのが出たり入ったりという印象。

 総じて定食に比べ、どんぶり物は固定的で安心だったのだが... 牛に鶏に受難続きで、どんぶり物もすっかり目まぐるしくなってしまった。客もたまらないが、お店はもっと大変だろう。

 そんなこんなで、どんぶりにおつきあいするのが大変な(&俄か牛丼ブームで入りにくくなってしまった)こともあって、牛や鶏の動向も含め、定食屋メニューをじっくり着目するようになった最近の筆者。

 メニューの名称は、食材を知る上で重要この上ないが、あんまり凝ったネーミングだと、口頭での注文時や券売機での押釦時に時折ひっかかるので気を付けたいところ。著名な料理研究家が開発するメニューも、シンプルな料理であればある程、ネーミングにひと工夫したものが多かったりする。「トロトロ」「クタクタ」「あっさり」「さっぱり」等々、形容詞というか擬態語を付したものが目に付くが、そんな風潮が定食屋にも及んできているようだ。

 顕著なのは、大戸屋だろう。一応、「定番」となっているメニューの一つに、「本にがり豆腐とチキンのトロトロ煮定食」がある。大戸屋は入店時に口頭で食券を買い求めるシステムなので、これを注文しようとすると、「本にがり豆腐とチキンの〜」と切り出さなければいけない訳だが、ネーミングが長いので「チキンの」あたりで舌がもつれてしまい、最終的に「ヘロヘロ定食」(x_x)になってしまうおそれがある。まぁ、きちんと名称を言い終えなくても、店員さんが復唱してくれるのでいいのだが、紛らわしい名称の定食が複数ある場合は最後まできちんと言い伝えないとミスオーダーになってしまう。昨夏、「海老のぷりぷり某」を注文した際、フライ定食を頼んだはずが、丼になってしまった苦い経験がある。ネーミングも良し悪しである。(食券を見た時は気が付かず、配膳されてからビックリ。ぷりぷり海老ネタが2つあったのである。丼も美味しそうだったので、そのまま食したが...)


 大戸屋の定番メニューで他に注文しにくそうなものを挙げると、

  • チキンかあさん煮定食

  • 豆腐ハンバーグの和風きのこあんかけ定食

  • やわらかつくねの温玉添え定食

  • 焼魚トロあじの開き定食

  • キングサーモンのきのこバター醤油焼き定食

 といったところ。「チキンかあさん煮」は、かあさん煮が一つの呼称のようだが、「チキンかあさん」と読んでしまうと、アニメのタイトルみたいで"コケ滑稽"である。「焼魚トロあじ」もわかりにくい。「トロあじ」というのは「鯵(あじ)」の一種のような使い方になっていることがわかればいいが、「焼魚トロ」「あじの開き」で分けてしまうと魚が2種類出てくるような印象を与えてしまう。「キングサーモン〜」は20文字とロングネームだが、サーモンが主役であることはわかるので、注文はしやすそう。

 ちなみに今、出ている「おすすめメニュー」は、「春野菜とカキの雑穀あんかけ定食」「豚団子入りアジアンヌードルと高菜ごはん」「北欧産 鮭の西京焼き定食」となっていて、比較的わかりやすいネーミングに落ち着いている。だが、つい先月あたりに出ていた季節メニューでは、「北海じゃがとチキンの黒酢風味油琳ソース和え定食」という最長不倒?の23文字の定食があって、ギョッとした。これを一気に口頭で注文するのは勇気が要る。「黒酢風味」が「油琳ソース」に係るのか、「定食」に係るのかがまた悩ましい。

 大戸屋の食券レジで時々長い列ができるのは、1円単位の小銭のやりとり、ご飯の量を確認する手間、が2大要因と思われるが、それ以上にこのネーミングの長さ(注文発声・復唱の煩雑さ)も大きいように感じる。

 他にもチェーン展開している定食屋はいくつかある。筆者の調べのつく範囲で、ネーミングについて考えてみようと思う。第114話では、禁煙席について紹介。)

おはち

 ここも大戸屋同様、入店時口頭注文だが、メニューの名称が極めてシンプルなので、スムーズ。最長名称は、「豆腐ステーキ定食」「豆腐あんかけ定食」の8文字。

ちゃぶぜん

 上野駅にある同店では、

  • チキンの葱みそ焼き定食

  • メダイの西京漬け定食

  • チキンボールトマト煮定食

  • ハンバーグデミグラスソース定食

  • とり唐油琳鶏ソース定食

 といったメニューが並ぶ。ネーミングに余計な形容や擬態がないだけ、スッキリ注文できそうだ。

めしや丼

 定番メニューで長めなのは、「とんかつとなす味噌の定食」「チキン南蛮と牛肉の定食」といったところ。ネーミングを見る限りでは、迷う要素はないが、何せメニュー数が多く、その割にはわかりやすく配列&分類されている訳ではないので、券売機の前に立つと、つい逡巡してしまうのが欠点。これで大戸屋並みの複雑なネーミングだったら、と思うと...(^^;

 そんなめしや丼だが、各店比較する中で、最短の定食名がここにある。その名はズバリ「チゲ定食」。

めしや 宮本むなし

 関西が地盤のお店だが、最近、東京進出してきたようだ。(池袋と道玄坂にある。) 長いネーミングは、「鶏のコチジャンソース炒め定食」。変り種は、「栄養バランス定食」「ハンバーグカツ定食」あたり。関西流のひねったネーミングが見受けられないのが残念。(店名は少々ダジャレが利いているが。) めしや丼と同じく券売機方式だが、メニュー数が絞られているので、押釦時に迷うことはない。

 

■松屋

 松屋は定食屋というよりは、どんぶり屋だが、この時世にあっては、定食屋としての看板を前面に持って来たいところだろう。せっかくなので、ネーミング考察しておこう。

 松屋の定食名はもともと略称が多く、その着想は、第145話で記したようなマクドナルドに通じるものがある。「デミたまハンバーグ定食」「うまトマハンバーグ定食」は好例だろう。

2月11日の定食メニュー

2月15日の定食メニュー(牛めしは販売休止)

 最長ネーミングは今のところ、「牛焼肉とハンバーグのコンビ定食」(15文字)になりそう。かつて一世を風靡?した「お口さっぱりセット」は牛めしのオプションだが、牛めしお口さっぱりセット(並)」とかだと、それなりの字数にはなる。

和定食 松屋

 定番メニューでは、「サイコロステーキ定食」が長め。ただ、一時は、

  • まぐろのかま照り焼き定食

  • チキンのローストレモン風味定食

  • 柔らかチキンのチーズ焼き定食

 といった趣向を凝らしたメニューもあったようだ。(趣向は凝らしても、ネーミングはわかりやすく、という精神を感じる。) ネーミング最長記録は不明。

*西新宿一丁目のこの「新宿大ガード」付近は、どんぶり系、ファーストフード系を中心に、「お手軽外食産業」激戦地だけに、こんな過剰ともとれるサービスを展開しているようだ。カロリーオーバーになりそう。

チキン亭

 同じく松屋フーズの系列店。メニューは見ての通り。鶏肉を軸にしている分、普通の定食屋とはラインアップが違う感じ。「当店取扱の鶏肉は〜」といった安全&安心を訴える口上や掲示は特に目にしなかったような...

 松屋の牛めしはそろそろ底をつきそうだ。2月15日、赤羽にある2つの松屋では、片方は販売終了。もう一方は販売数量僅少、と正に分かれ目。(2月16日、その一方に、食べ納めに行ってみたら、あいにく"SOLD OUT"になってしまっていた。)(!!)

 *以下、「牛丼ラプソディー」に続く。


【付録】 牛丼ラプソディー [⇒参考:第39話第125話

 ここのところ、肉類の丼物の摂取を控えていたが、さすがに社会現象になってくると、自分自身で検証してみたくなるもの。すき家と吉野家で食べ納め?に興じつつ、定食屋廻りと並行し、他店の動向なども調べてみた。

  • なか卯

 2月3日に牛丼販売終了。気付くのが遅れ、食べ納めはかなわなかった。

  • すき家

 なか卯で逃した分、すき家はきちんと狙いすまして、終了予告日の前日(2月4日)に食べに行った。トッピングなしで純粋に牛丼を食べたのはこれが初めてだったかも知れない。

  • 吉野家

 すき家に続き、翌日2月5日、吉野家にも足を運んでみた。まだ行列フィーバーが起こる前だったので、ゆったり楽々賞味できた。

赤羽駅構内の吉野家での行列(2月10日、夜7時前)

  • らんぷ亭

 クリーンアップ全国事務局の連絡会議のため、2月15日に国分寺に行った際、お目にかかったが、まだ牛どんを販売中!

 

  • 牛丼太郎

 かつて代々木駅から自転車に乗って青山方面に通っていた頃は時々お世話になっていた、代々木駅東口の「牛丼太郎」。国分寺へ行った帰り、わざわざ寄り道して見てみたら、2月15日からちょうど値上げになってしまったところだった。値上げはすれどまだまだ続行する模様。だが、他のメニューが納豆丼くらいなのでかなりキビシそう。

  • たつ屋

 同じく2月15日、新宿駅東南口を出て、甲州街道沿いの歩道を通って、久々に覗いてみた。何と200円の低価格でまだ出している。いったいどこの牛肉を使っているんだろう?

 

  • どんどん

 2月4日時点では、まだ販売中(新宿西口店)だったが、今はどうだか?

 今回の顛末は、いつでも安価で手頃な肉が食べられるという、日本人としては当たり前の食肉生活を見直す機会として受け止めたいところ。「飽食」「過食」の代償・リスクは小さくないことを再認識させられる。

 食料輸入量に輸送距離をかけ合わせた指標「フード・マイレージ」の日本での総計は実に約9000億トン・km(2001年)で世界ワースト1位。韓国は約3200億、米国は約3000億、英国は約1900億なので、日本がいかに環境面・経済面ともに負荷の大きい食生活を謳歌しているかがわかる。どんぶり屋で出てくる肉類は、全てが舶来品ではないだろうけど、届くまでにかなりのコストがかかっているはず。旅程が長くなる程、危険も大きくなる。フードマイレージが少なくなるような食生活を常々心がけたいものである。

*各サムネイル写真をクリックすると、拡大画像が表示されます。


 

  • こちらもどうぞ...⇒ ネーミングシリーズ

第61話 短縮形ネーミング

 

第154話 東急東横線2題(2004.2.1)

 東急東横線をめぐる二つの話題。一つは東急文化会館の解体、もう一つは横浜〜桜木町の路線廃止である。いずれも次なるステージに向けての終幕なので良しとしたいところなのだが、なじみがあるものだっただけに寂寥の感を覚えなくはない。感謝の意を込め、ここに2題まとめてレポートする。

  • 東急文化会館

 東急文化会館は、幼少の頃の記憶はあまりなく、学生時代の記憶に遡る。屋上でフリーマーケットをやっている話題を聞いたり、プラネタリウムに1度だけ行ってみたり、三省堂書店に何度か足を運んだ程度。社会人になり、渋谷を経由して勤務先に行くようになってからのおつきあい(96年半ばから03年半ばまでの7年間)が深い。映画サービスデーの日には、仕事帰りに映画館に寄ることもあったし、三省堂書店にもよく通った。青山通勤時代は、渋谷駅からの連絡通路沿いにあるパン屋や石焼ビビンパは途上だったこともあって、よく利用したものだ。第39話でちょっとだけ紹介) でも館内の他の店舗には足が向かず、時に"レトロな百貨店"の雰囲気を味わいに行くといった感じだった。そんな旧き佳き東急文化会館は、同潤会青山アパート第146話参照)と同様、筆者が青山を去るのに合わせるかのように、店じまい&解体となり、時は流れた。(何かの因縁のような...) 別れを惜しみたい筆者にとって、閉館前の特別イベント「甦れ!東急名画座」は珠玉の催しだった。時間に自由が利くのをいいことに、昨年6月24日には、「E.T.」(20周年記念版)を鑑賞。オリジナルの「E.T.」は京都市内の映画館で中途半端な状態で観たので、始めからきちんと、しかも長編を堪能できたのはありがたかった。もう二度と腰掛けることのない映画館の座席で、懐かしの映画を観る。感傷と感慨に耽った初夏の一日だった。(以下3枚は、当日の記録)


解体工事の準備中


後方に三省堂書店が見える。


映画館ロビーに展示してあった、かつての付近の写真(カレンダー見本)

 昨年の今頃は、まだ開館していたのが嘘のようである。経過をご覧いただくとわかるように、ここ半年程度であっさりなくなってしまい、今は渋谷クロスタワーがよく見えるようになった(風通しが良くなった?)ところである。


 8月12日は、まだ原型が残っていた。


 この通路をよく通った。(8月12日撮影)


 後から見た文化会館−巨大なオブジェのよう。(12月27日撮影)


 前方に回ってみたら、すでに建物はなく、覆いのみ。

 東横線の横浜〜桜木町が廃線になった1月30日。渋谷駅で降りて、改めて会館跡地を見遣ったら、夜景としての渋谷クロスタワーが飛び込んできた。会館がなくなった今、渋谷駅西口は新しい表情を見せている。東横線渋谷駅が地下に引き込まれ、東京メトロの13号線と直通運転を始める頃には、この跡地に巨大な建造物が現れることだろう。それまではこの光景がしばらく続くことになる。これはこれで鑑賞しておきたいものだ。

  • 見納め&乗り納め、横浜〜桜木町

 さて、その1月30日。仕事帰りにはるばると営団南北線から東急目黒線と乗り継いで、武蔵小杉に至り、東横線に乗り込んだ筆者は、何はともあれ桜木町まで目指すことにした。

 桜木町まで走っているのが一つのウリだった東横線のはずなのに、この廃線という扱いはどういうことだろう。みなとみらいの景色が見えてこその東横線、東急らしさではなかったか? 横浜から桜木町行きと元町行きに分岐する手はなかったか? 廃止反対はなかったのか? などあれこれ考えながらも、とにかく「桜木町」と記された表示物(車両、番線表示、時刻表、案内板等々)は全て今日が最後。決まってしまったものは仕方ない。撮っておけるものは撮ってしまえという心境で、武蔵小杉駅で早々にパチリ。すると同じように、入線してきた下り列車の行先表示に携帯電話カメラを向ける人がチラホラと。これは予想以上の反響と感じた。

 首都圏はここんとこ新線・新駅ラッシュの様相。(当モノローグでもその都度追っかけているようなところがあるので、鉄道ネタが多くなりがち...) 今回のように線路が廃止になるのは極めて珍しいと言えるだろう。(近年では、向ヶ丘遊園のモノレールが廃止になったくらい。廃駅では、京成本線の博物館動物園駅が比較的記憶に新しい。)

 廃線を経験することが少ない首都圏住民ゆえに、皆さん思うところがあったのだろう。人それぞれ、思い入れに差はあるだろうが、とにかく思い思いに撮っている。横浜でも、高島町でも、ホームの端に行くほど人垣ができていて、「廃線の現場」の臨場感を感じた。終着・桜木町では案の定というか、とにかく乗り降りする人一様に、カメラを向けてパシャパシャ。特に携帯電話カメラの使用率は高く、改めて威力を思い知った次第。

 まぁ群集心理というのもあるだろうが、社会への同調意識(または沿線住民の連帯?)の現れととらえることもできそうだ。お手軽ではあっても、記念に1枚という行為を通して、今、この瞬間を実感できるのであれば、それはそれでいい。筆者もそんな思いで撮影している気がする。

 下り列車の車両先頭に表示された[桜木町]。着いてしばらくすると表示が変わってしまうので、その前に撮ろうと皆、必死。フラッシュ撮影は運転に支障が出るんだそうで、係員は大声で「フラッシュはご遠慮ください!」と叫ぶ。東急利用者はさすが弁えがいいようで、フラッシュの閃光は確かに控えめで済んでいた。でも表示が動き出してしまうと、「あ〜ぁ」と溜息が漏れる。これもまた一興か。多くの人は、感慨に浸るというよりは、今回の件を当たり前のように受け止めている感じ。しかも「とにかく撮らなきゃ」という気合いが前面に出ているのが何とも...(右下の写真を見てつくづくそう思う。)


武蔵小杉から乗車した急行列車の行先表示


桜木町駅6番ホームで、到着する列車に向けてカメラを構える人波

 撮影者の数は増える一方。ゆったりと「ラスト桜木町」を感受しているどころではなくなってきた。ホーム上で、ひととおりの"フラッシュレス"撮影を終えた筆者は、何はともあれ改札まで行ってみることに。思えばこの階段を上り下りするのも今日で最後になってしまう訳で...(!!) 1987年9月、佐野元春の「横浜スタジアム ミーティング」(今となっては伝説のライブ)の帰り、残響でキーンとする耳を手で開け閉めして余韻を楽しみながら、スタジアムから桜木町まで歩き、この階段を上って、元住吉行きの急行に乗って帰ったのを思い出す。(終電近くなると、通常は急行停車駅ではない元住吉まで急行が走り、元住吉からは渋谷行き各停に乗り換えに。) 変則急行を初めて見た時のインパクトは強く、東急桜木町駅というと、その当時の印象が繰り返し想起されるのであった。

 そんな桜木町駅改札周辺は、超混雑状態! 時は20時過ぎ。ラッシュの時間帯は外れてきそうなものだが、おそらく桜木町駅で買う最後の切符を手にしようと集った人達などでごった返していたんだろう。通常の利用客にとってはイレギュラーな状況なので、切符を買い求める必要のない人向けに、下車時に精算すればいい「着駅精算券」なんてのが配布されていた。事情がよくわからない人も手にしていたようだが、これはこれで珍事なので、着駅精算が特に必要ない人でも記念に受け取っていたような...(ちなみに、ここに載せた精算券と切符は、改札付近で拾ったものである。)

着駅精算券

筆者なりの記念乗車券

 プロ仕様のビデオカメラを構える人、三脚を据え付ける人、ひたすらデジタルビデオカメラでの録画に励む人、さらには駅アナウンスを録音する人まで。電光掲示も涙を誘う。流れる文字は「永らくのご愛顧ありがとうございました。」 万感の思いとともに、渋谷行き各駅停車に乗り込み、桜木町を後にする。次はかつて一度しか乗降したことのない高島町へ。

 高島町の人だかりも最終日ならではだった。ふだんはこんなに人が詰めかけることもないだろうに、俄かファン(筆者を含む)であふれていた。こっちの係員は、「黄色い線より内側に!」を連呼している。急行も特急も通過していくから、押せ押せの状態になると確かに危ない。ここも素直に係員の言うことを聞く人が多く、安堵を覚えた。駅の外では、見通しの利く歩道橋が人気。フラッシュ撮影する人人... この路線を東急の電車が走ることはもうない訳だから、もっともな話である。


この駅名標も見納め。(後方はランドマークタワー)


横浜駅改札でもカメラを手にする人達が。

 みなとみらいやランドマークタワーに行く時は必ず東横線だった。関内方面まで歩く余裕がある時も、やはり東横線。思い出深い路線がなくなるのは寂しいもの。流れる夜景を追っていると程なくJRと京浜急行を跨ぐ鉄橋にさしかかった。横浜駅に到着。この地上上階にある横浜駅も実は見納め。あわてて下車して、撮影できるところは撮影して、また乗車。ここまで来ると感慨も何もあったものではない。とにかくこの狭くて、古くて、という東急横浜駅はなくなり、2月1日からは、地下5階の新ホームに移行する。長いこと、おつかれ様でした、である。(それにしても、廃線・廃駅後はいったいどうなってしまうんだろう?)

 特急に乗り換えるため、菊名でも降りてみた。電光の発車案内ボードなどを筆者が撮っていると、追随する人が現われた。横浜から離れるとそれだけ関心も低くなるのだろうか。自発的に列車を撮っている人はあまりいなかったようだ。


菊名駅の電光掲示。ここでも「ありがとうございました。」のテロップが。


人垣の合間を縫って何とか撮影した各駅停車 桜木町行き。

 21時25分、終点の渋谷に到着。ここも予想通りの人だかり。ホーム先端では、俄か撮影集団が大挙!という感じで凄かった。発車案内板の下でも、解説する人、撮影ラッシュに驚きながらも自分でも撮り始める人、不思議そうに眺める人、十人十色の図。いやはや。w(--)w 渋谷駅でも存分に[桜木町]の表示媒体を記録することができたので、ひとまず退却。東急文化会館跡地の様子を見届けて、帰途に着いたのだった。

 そして、2月1日。第2話末尾で書いた「元町・中華街」がいよいよ動き出した。第109話では、みなとみらい線乗り入れ時の東横特急の停車駅予想を書いたが、大きく外れ、横浜、みなとみらい、元町・中華街と実に全うなパターンに落ち着いた。渋谷〜元町・中華街は最短で35分だそうな。

 開業初日に現場に出かけるのが本義の筆者だが、あいにく2月1日は急遽出勤日になってしまい、見送り。残念ながら速報レポートの掲載はかなわなかったが、機会を見つけて、一日乗車券などを駆使しながら回遊して来ようと思う。廃線・廃駅の様子も含め、第106話「横浜週末」のような感じでまとめるつもり。どうぞお楽しみに。

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  • こちらもどうぞ...⇒ 新路線シリーズ

第74話 南北線、さらに南へ / 第86話 南北線、今度は北へ直通 / 第126話 埼京線、南へ / 第134話 半蔵門線

 

第153話 北区踏切事情(2004.1.15⇒17)

  • 踏切と言えば...

 今でこそ、高架の線路近くで暮らしているため、ご縁は薄いが、踏切にはいろいろと思い出がある。

 小田急線沿線に住んでいた頃は、その南北の移動のしにくさに本当に苦労した。大学まで自転車で通う際には、踏切をうまく抜けていくと時間短縮が図れたが、大抵うまく渡れず、千歳船橋〜祖師ヶ谷大蔵の高架下の道路を南下したり、北上したりしながら、線路沿いを走ったものである。

 かつて青山に通勤していた時分は、代々木駅界隈を自転車で走ることが多かったが、埼京線線路(この辺りの線区は、正しくは山手貨物線)にかかる踏切が珍しく、また煩わしくもあった。山手線の踏切は駒込と田端の間にある1カ所(第二中里踏切)のみだが、山手貨物線となると、こうした遺産のような踏切が存在する。(これもその一つ) 都心部に存在するJRの踏切はインパクトがある。地元でも不評のようで、「埼京線は地下!」といった触れ込みの看板が掲げてあったりする。ここもおそらくボトルネック踏切の一つだろう。

「袋ガード」:かつては踏切があった。 赤羽で暮らすようになってからは、赤羽駅周辺の踏切に悩まされたものである。赤羽駅を通る全ての線路が高架になる前は、東北線&京浜東北線(複線が2本、計4本)が地上を走っていたので、踏切が遮断する時間は当然長くなる。

 かつて踏切道だった歩行者・自転車専用道路は、今は「袋ガード」という名称の高架下通路になり、スイスイ通れるようになっているが、薄暗いのが難点。踏切は遮断される時はいい思いがしないが、空を見晴らせる明るさは代え難い。

  • 「開かずの踏切」は確かに困る

 「開かずの踏切」は、これまでも話題にならないことはなかったが、高架化工事の不手際と相まって、JR中央線の開かずの踏切が俄かに注目を集め、今、各地でホットな論議になっているのはご周知の通り。

 筆者としては、"開かず"でも"閉まらず"でも、とにかく地元の踏切について調べてみようという思いがあったので、何となく下調べはしていた。年始一大特集として、満を持して、ここに「北区踏切事情」を綴ることにする。

 1月6日から17日まで、時間の合間を縫って、区内の踏切設置状況、北区二大路線(?)のラッシュ時間における遮断状況、などについて調べてみた。(これは北区の大きさがコンパクト(手頃)だからできること。) 以下の一覧表&北区の地図(分布図)をまずは参照いただきたく。

  • 北区の踏切は37カ所

 1)踏切の存在は、車窓からじっくり観察しないと意外と気付かないこと、2)踏切にはちゃんと名称があって、結構味があること、3)踏切道をゆっくり歩いてみると、起伏があって渡りにくい場合が多いことなど、いろいろ発見があった。

鉄道・線名

設置数(名称)

■JR

  • 山手線

 1第二中里

  • 埼京線(正式線名は赤羽線)

 6(北から、北仲原、仲原、富士道、仲道、十条道、原町

  • 東北線
    (京浜東北線・宇都宮線・高崎線・湘南新宿ラインが走る)

  • 王子以北:2(井頭、根岸)

  • 王子以南(東北線):2(名称未調査)

*京浜東北線は、王子以南は踏切なし。

  • 東北回送線

 5(西から、王子街道南亘り、第三下田端、第二下田端、与美西、与美東

*与美西と与美東は同じ道路にかかる踏切。回送線の上り・下りが高架線で分断されるように、東西別々の踏切になっているため、名称も別々。

 東北線に乗って、尾久<=>上野を走っている時に、高架下に踏切があることに気付いていたが、まさか「回送線」なんて名称だったとは。こういう線があるのは正直知らなかった。(常磐線から入ってくる貨物線の踏切とばかり思っていた。) この辺りは、操車場と貨物線が入り組んでいるので、線路を追って歩いていると迷子になってしまう。
(こんな感じの地図⇒西日暮里駅周辺がないと説明しくい一帯。)

 特殊な線は、踏切の名称もヒネリがある。「田端運転所」近くの「王子街道南亘り踏切」にはおそれいった。線路沿いの道路が「王子街道」なんて名だったというのもインパクト大だが、「南亘り」という用語がまたスゴイ。「渡る」を「亘る」と表記してしまう鉄道関係者のセンスはなかなか?!

  • 貨物線

 4(名称はあったようだが、調査しきれず)

踏切と倉庫 王子駅から、神谷団地の方角に向けて、1本の線路が通っている。物流倉庫を結ぶJR貨物の引込線なのだが、電化されていないせいもあって、やけにローカル感があって、イイ感じ。舞い飛ぶ鳥と大きな広葉樹をデザインした倉庫らしからぬ倉庫が目印。こちらは「閉まらずの踏切」の代表格だろう。

 昨夏のある日、自転車で移動中の筆者は、偶然、倉庫から貨車が動き出したところに遭遇してビックリした。まず閉まることはない踏切が閉まる瞬間というのは妙な感慨があったりする。貨車と倉庫


■都電荒川線

17(名称未調査)

 北区の鉄道は、JRだけではない。堂々、都電荒川線が走っている。全体で103カ所の踏切があるそうな。そのうち、北区内には17カ所あることがわかった。17というのは結構な数字で、さすがに地図上には落とし込めなかった。駅間ごとに踏切数を記す。

 

荒川車庫前-(北区境界)-【2】-梶原-【5】-栄町-【3】-王子駅前-【0】-飛鳥山-【4】-滝野川一丁目-【3】-西ヶ原四丁目-【0】-(北区境界)-新庚申塚


■営団地下鉄 南北線

 0

 開業当初は、他の鉄道との相互直通運転はまだだったので、車両を入れるための地上からの引込線を作ったんだそうな。北区のどこかにあるのはわかっているのだが、詳細は不明。営団地下鉄の踏切は銀座線に1カ所あるだけだそうなので、この引込線には踏切はないと思うのだが、さて?


合計

37(遮断機を伴う踏切の数)

 

袋ガード 赤羽線・富士道踏切 赤羽線・原町踏切 赤羽線・北仲原踏切 貨物線踏切 東北線・井頭踏切 東北回送線・王子街道南亘り踏切 東北回送線・第二下田端踏切 東北回送線・与美東踏切 山手線・第二中里踏切 北区踏切地図

:踏切の設置箇所(JR貨物線、都電荒川線を除く、16カ所)

*サムネイル写真をクリックすると、拡大画像が表示されます。


  • 実情調査レポート

 国土交通省の「ボトルネック踏切における歩行者等緊急対策について」によると、

ボトルネック踏切の現状調査結果の概要

・ピーク1時間に40分以上閉まっている踏切:約500箇所

・ピーク1時間に連続で5分を超えて閉まったままの踏切:約310箇所

・渡る長さが20mを超える踏切:約130箇所

・歩行者交通量が1日5,000人以上の踏切:約100箇所

・1時間に10回以上開く踏切:全体の9割

 と出ている。だが、

 どこの踏切がどういう状態か、その詳細(個別情報)が残念ながら見当たらなかったのである。北区の踏切では、どこがボトルネックなのか、大いに関心があるところ。この際、自ら身を以って調べよう、と思い立った訳である。

 「踏切遮断時間」「踏切連続遮断時間」については、どういう基準で調べたのか、要領が知りたい。まぁ、あくまで歩行者本位で、遮断機のバー(腕木)の上下を基準に、平日朝の遮断時間を調べればいいか、といった程度の腹積りで出かけた。だが、寒い季節の朝早くからの調査は身に凍みる。国土交通省の調査員も大変だったろうと思う。

※何らかの事故があった場合は、意味を成さない調査になってしまう。どうやら事故はなく、ダイヤ通り走っていたようだったので、実態調査として申し分なかろうと思う。


[1]まずは、最もボトルネックの可能性が高い東北線から。この日の最低気温は4.2℃。酷寒ではなかったが、正月明け早々の朝はやはり寒い。何とか調査場所を確保して、8時ちょうどからスタート!

■日時:

1月6日(火) 8時〜9時

■天候:

晴れ

■場所:

JR東北線 井頭踏切(11K051M)

■道路:

一方通行 車道

■その他の特徴:

・地下道が併設。地下道の利用は頻繁。
・警報が鳴ってから、実際に通過するまでに時間がかかる。

■概況:

・トータルで、1時間中、遮断時間:56分04秒、通行可能時間:3分56秒という結果。(他線の極端な例に比べると開いている時間は長い方か?) 横断にトライしたい方は、下表の時間を参考にどうぞ。

・タイミングが合えば、何とか渡ろうとする歩行者・自転車横断者が少なからずいる。(横断距離が長いだけに危なっかしい。)

・電車の通過状況までは、さすがに調べきれなかった。(いったい何本、通っていたことか?)

時間

開閉状況など

備考

7:57

到着早々、一瞬開いた。

近くにある「井頭まちかど広場」のベンチを押さえて調査開始。だが隣りの自販機の唸る音が気障り。

8:06

超高圧洗浄車がやって来て、待機。

 

8:10

とうとうあきらめて洗浄車退場。

 

8:12

地下道から、自転車、歩行者が続々... バイクも出てきた。

 

8:17

開きそうな予感があったが、結局閉まったまま。

あきらめて地下道へ行く人がチラホラ。

8:18

ゴミ収集車が到着。当然、踏切を横断することはなく、元来た道を引き上げていった。

この日は不燃ゴミの回収初日だった。(2分程度で回収終了)

8:22

まだ開かない。

ゴミ置き場の前に置いてあったビン・缶専用回収箱から、何やらアルミ缶だけを搬出する年配男性現る。

8:30

8時台で初めて開いた! 53秒、横断可能。

 

8:37

オープン2度目。約50秒、横断可能。

自転車が2台通過。だが、1台の女性は途中で落し物をしてしまい、遮断機の中に。ヒヤッとした。

あわてての横断は要注意。

8:48

オープン3度目。32秒、横断可能。

自転車2台通過。タイミングはバッチリ。

8:51

オープン4度目。42秒、横断可能。

自転車1台通過。

8:55

オープン5度目。58秒、横断可能。

もったいないことに、通行はゼロ。

9:05

また開いた。

自転車が両方向から2台ずつ、計4台通過。

 

■雑記:

・踏切の正面にいた訳ではなかったので、遮断機のバーの上がり下がりが見にくかったのが、難点。

・踏切脇にはゴミが山積していた。待機時間の長さを示していると言えようか。

・この手の調査は、集中力がカギ。妨げるものがないか、じゃまする人物が現れないか、逆に自分自身が通行の妨げにならないか、など。同じ場所に留まり、それなりの時間をかけて調べる作業はなかなか歯応えがある。


[2]その1週間後、今度はJR最強、もとい、埼京線で。沿線の踏切を一つ一つ移動しながら見て回るのと、座る場所を確保する必要もあって、自転車で臨んだ。しかし、雨でペダルが重くなっていた分、遅れをとり、現地に着いたのは、8時1分を過ぎた頃。8時ちょうどくらいに、北仲原踏切を見たが、遮断機は下りていなかったので、おそらく8時台で最初に遮断したのは下表の通り、8:02〜でOKだろう。

 前回は、現在時刻を見ながら、正味遮断時間をストップウォッチで計測しようとしたので、無理があった。今回は、開閉が頻繁そうだったので、この際、純粋に人が通れなくなる時間帯(分秒単位)のみを調べることに。結果、時計一つで事足りたので、調査はしやすかった。しかし...

 この寒中(雨中)調査のせいで、治りかけていた風邪が悪化してしまったのは不覚の至り。w(--)w

■日時:

1月13日(火) 8時〜9時

開閉が頻繁な踏切でも、このようにあわてて走らないといけない場面も。

■天候:

雨 後 曇り

■場所:

JR赤羽線 富士道踏切(3K759M)

■道路:

双方向 車道

■その他の特徴:

 一見、平坦な踏切道だが、よくよく見たら、結構凹凸があることがわかった。(トラックや自転車が通る時の音が大きかったので気が付いた次第。)

■概況:

・連続して遮断することは少なく、結構マメに開くものだと思った。ボトルネックの基準(ピーク1時間に40分以上閉まっている)には当てはまらず、トータルで遮断時間:32分18秒(通行可能時間:27分42秒)という結果になった。埼京線にしては、これは実に意外だった。

・下り方面は、十条駅ホームに近いことから、ホームに下り列車が停車した時点で踏切も連動する、と仮定すると、下りの遮断時間が長くなるのも合点がいく。それにしても、上りと下りとで通過時間にずいぶん差が出るものだと思う。

・人に気をとられたり、カラスに気をとられたり... 計時に微妙なズレが生じたかも?

遮断
開始

遮断
終了

遮断時間(秒)

上り
本数

下り
本数

備考

8:02:20

8:04:45

0:02:25

1

1

強行横断者1名。

8:05:57

8:06:42

0:00:45

1

 

走れば渡れそうな小学生。でもちゃんと待機。

8:08:35

8:09:32

0:00:57

1

 

 

8:09:51

8:13:40

0:03:49

1

2

この時間帯でピーク。

8:14:22

8:15:20

0:00:58

1

 

 

8:17:15

8:19:27

0:02:12

1

1

やっと雨が止み始めて、空が少し明るく。

8:20:39

8:21:23

0:00:44

1

 

 

8:21:46

8:23:12

0:01:26

 

1

 

8:23:51

8:24:36

0:00:45

1

 

 

8:25:12

8:26:33

0:01:21

 

1

 

8:27:10

8:27:53

0:00:43

1

 

走って渡る人&遮断機のバーにぶつかる自転車。

8:29:30

8:30:48

0:01:18

 

1

 

8:31:30

8:32:19

0:00:49

1

 

 

8:32:40

8:34:00

0:01:20

 

1

遮断機に閉ざされる自転車&警報が鳴ってからの進入トラック。

8:34:47

8:35:34

0:00:47

1

 

 

8:37:47

8:38:39

0:00:52

1

 

 

8:39:21

8:41:27

0:02:06

1

1

 

8:41:52

8:43:14

0:01:22

 

1

 

8:44:15

8:44:58

0:00:43

1

 

 

8:46:14

8:47:39

0:01:25

1

1

 

8:48:50

8:50:08

0:01:18

 

1

 

8:51:35

8:53:35

0:02:00

1

1

上りの矢印が消えた直後に、下りの矢印が点灯。
再び明るくなってきて、雲の晴れ間が。

8:55:06

8:56:49

0:01:43

1

1

手押し車を押しながら横断するお婆さん現る。慣れているのか、ゆっくり渡って行かれた。

8:59:30

9:01:25

0:01:55

1

1

 

合計

0:33:43-0:01:25=
0:32:18

18

15

 

※バーが下りきる瞬間には数秒の誤差が生じ得る。計測値はあくまで参考程度。

 

■雑記:

・十条銀座商店街が開店する前だったので、周囲は静か。だが、クルマの通行量は思いがけず多かった。

・とにかく寒かった。雨粒でメモが滲んでしまうのにも辟易した。調査終了と同時に身震いが走ったのは、風邪もあろうが、緊張が緩んだのも一因か。


 北区内で確実にボトルネック踏切と言えるのは、東北線の2つの踏切(井頭と根岸)ということになる。ただ今回はどちらかと言うと、北区の北半分(王子駅と十条駅を結んだ線より上)を重点的に調べた感じ。尾久駅の近くや、山手線唯一の踏切(第二中里)のボトルネックぶりについても機会を見つけて調べてみようと思う。

 ちなみに、毎月23日は、「踏切の日」だそうな。(ふみの日だけかと思ったら) 皆さんもお近くの踏切&周辺環境を調べてみませんか?

  • 参考情報

 全国の踏切道の数は、昭和36年に約7万箇所を越えていたが、立体交差化、統廃合等により、平成12年には、約3万2千箇所に減少。

 鉄道会社別にみると、「開かずの踏切」が最も多かったのは、西武鉄道で121カ所。続いて、京王帝都電鉄77カ所、JR東日本63カ所、小田急電鉄29カ所、京浜急行電鉄16カ所、東京急行電鉄が10カ所だった。京成電鉄と東武鉄道はそれぞれ5カ所で、荒川線をもつ都交通局でも2カ所の踏切が該当した。

 総計では都内328カ所にのぼったが、99年調査以降も列車本数などに大きな変化はない半面、車の交通量が減少した踏切などもあることから、少なくとも320カ所以上が、今なお開かず状態のままであることが推測される。この数字は、都内の約1200カ所ある総踏切数の約4分の1にあたる。

東京新聞「T発」〜開かずの踏切、他

 

  • こちらもどうぞ...⇒ "事情"シリーズ

第36話 川口道路事情

 

第152話 2003年10大ニュース(2004.1.1)

☆新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます!

 毎年恒例の10大ニュース。2002年はめいっぱい(15大ニュース)でしたが、2003年はグッとコンパクトに、「10大ニュース」(今回は10位⇒1位の順)に戻してお届けします。


  • 10.川に学ぶ体験活動リーダー(RACリーダー)に

     2002年は川に学ぶ体験活動サブリーダー資格を取得。2003年はそれより級が一つ上の「川に学ぶ体験活動リーダー(川の指導者)」の講座を6月27〜29日に受講し、3カ月後に認定、そのさらに3カ月(12月下旬)に修了証を受領。年末になって、晴れて資格を得た、という感じ。流れが比較的ゆるやかな河川でなら、単独で授業等ができることになってはいるものの、実践の場がないとなかなか...


  • 9.2002年以上に映画をよく観た

     北区唯一の映画館「王子シネマ」。ここの招待券の恩恵もあって、邦画:7本、洋画:7本、その他:1本、計15本。それだけ時間ができた、ということでもないのだが、よく観たものだと思う。個人的には、1.スパイ・ゾルゲ、2.戦場のピアニスト、3.g@me が3大ヒット。


  • 8.いろいろ当たったふるさと小包賞のハム・ソーセージ詰合せ

     第133話の付録で書いた「みちのく旅行」の途中、八戸駅のスタンプを押して、ハガキを送ったら「りんご酢」の詰合せが当選。「北東北ディスティネーションキャンペーン」だそうな。第130話では、ふるさと小包賞の一件を書いたが、1年の間に小包級のものが複数届くのは珍しいこと。商店街などでの抽選会や福引では、ヒットなしだったが...


  • 7.初めての株主総会&中間配当

     N社在勤中から持株会で貯めていた株を買い増しして、一介のステークホルダー(株主)に。生まれて初めて株主総会というものに出席する栄を得た。しかしながら当日その場に臨席(というより居合わせた?)株主の意見などどこ吹く風。圧力系の方々の声に押されて、議事進行は形無し。シャンシャンとはこのことかと絶句するしかなかった。その会社や社会全体のことを考えて行動したい(社会的責任投資を重視する)本来の株主をもっと大事にすべきだと正直思った。そのお詫び、というつもりかはいざ知らず、これまた初めて中間配当というのがやってきた。低金利時代にあっては、結構な余禄である。でもこれで矛を収める訳には行くまい。


  • 6.江戸東京博物館三昧「大江戸八百八町展」開催時の江戸東京博物館

     美術館や博物館の類も、映画館以上によく通う筆者。2003年の目玉は何と言っても「江戸東京博物館」。いずれも招待券に恵まれ、「大江戸八百八町展」、「江戸東京ものがたり」、「東京流行生活展」の3つの展覧をじっくり堪能させてもらった。江戸開府400年YEARに感謝、である。第150話で紹介したように、江戸への回顧にとどまらず、それを足がかりに今の東京をしっかり見据えることが重要。江戸から東京へ...時代の変遷をふりかえることができ、実に有意義だった。


  • 5.国内旅行いろいろ(東北〜関西)湖東三山の一つ、百済寺の紅葉

     第129話の六日町(新潟県)第133話の大湊・下北半島・浅虫温泉(青森県)第143話の熱海(複数回)の他、11月下旬には、京都&滋賀へ。紅葉をメインテーマに9カ所(社寺)を巡り、フルスケジューリングの3日間だった。海外旅行を控えた分、国内旅行での移動距離は平年以上?


  • 4.ハローワーク顛末

     第148話の通り、環境パートナーシップオフィス(EPO)を去った筆者は、思いがけず失業給付を受ける身分を体験。近くにありながら遠かったハローワークにずいぶんとお世話になった。ただし、いろいろと顛末があって、日本の就業サポートの考え方がよくわかった次第。NPO法人の理事(役付き)だと給付対象外だとかでまずひと悶着。会社を追われ、新たに非営利な世界で活躍しようとする人が今後増えてくる(ワークシェアリングも然り)ことが仮定できるなら、この考え方はあまりにお粗末。「公益増進」という社会観は、厚生労働省の得意とするところだと思うのだが... NPO法人の役員を給付対象から外す理由は何なのだろうか。紋切り型というか、冷遇措置以外の何物でもない。

     何とか給付対象に認めていただいた後は、手伝い・内職は○○日で、就労(アルバイト?)は○○日という正直な申告がアダになり、失業認定日の度に、給付額の減額計算が異なったのには辟易した。最初の説明(雇用保険説明会)で、4時間未満の労働は内職、4時間以上の労働は就労、とあったので、3時間程度働いた日と4時間程度働いた日をきちんと分けて申告したら、「この期間の労働は平均で4時間だから、働いた日は全部就労扱い(=給付額ゼロ)」「平均で3〜4時間の間だから、今度は内職扱いで給付減額」てなことに。「平均で申告すべし」という説明は最初にはなかったので、これには困ってしまった。(次の仕事が決まった後、最後の認定日として伺った際に、こうしたチグハグな対応について説明を求めたところ、再度計算してもらい、「追給」をいただけたのはケガの功名か。でも職員の方からは何の謝意も祝意もなかったのがまた官僚的で...)

     こうした事情は、経験者でないとわからない。特に会社生活と市民(NPO)生活の両立(あるいは選択)に迷われている方に対しては、より実際的な助言ができそうである。今の仕事でも大いに役立ちそうである。


  • 3.東アジア環境情報発伝所「環境ニュース」 取材&執筆

     東京モノローグと共通するものでは、第132話第141話に掲載の通り。(なぜか生き物関係が多かった。) 他にも、第144話第146話など。自分で書いた記事は16本、編集に携わったものは32本、合計で48本、関わることができた。こうした場があると、いろいろな行動や体験につながるし、記録にもなる。ありがたいことである。(2003年のまとめ(重大ニュース)は、僭越ながら筆者が主筆。)神栖町木崎地区の仮給水所

     定職がない状態だと自由も利くもの。井戸水から毒ガス成分(砒素)が検出されて社会問題になった、件の茨城県神栖町まで足を運べたのも時間があったから、と言えなくもない。筆者的には一大イベントになった。
    (記事はこちら


  • 2.EPO→4カ月待機→北区NPO・ボランティアぷらざ

     2002年は2カ月の待機期間。2003年はその倍の4カ月(6〜9月)。ハローワーク関係の他、国民年金や健康保険の手続きなどで時間をとられたが、想定した作業をある程度はこなすことはできた。(でも、資料や写真やスクラップ記事の整理やら、ホームページのアップグレードやら、半年か1年はないと追いつかない感じ...) 頼まれ仕事がいろいろとたまっていたこともあって、それらを粛々と(家事もそこそこ)こなしながらの4カ月。長かったような、やはり短かったような...。

     2002年の転職インパクトは大きかったが、今回は折り込み済みの話なので、心境としては悠々としたもの。人生何事も経験だなぁと思いつつも、亭主がこの態では、妻君はたまらない。ただ感謝するのみである。


  • 1.荒川クリーンエイド10年目!

     待機中の4カ月のおかげで、荒川クリーンエイドのホームページリニューアルはそれなりに進んだ。前職、GEICでのホームページ入れ替え作業の経験を活かし、スタイルシートやW3Cの考え方を少なからず採り入れられたのも大きい。JCAFEさんご協力により、独自ドメイン"cleanaid.jp"を取得してからは、ホームページだけでなく、メールアドレス&メーリングリストの設定も自在にできるようになり、情報基盤を整えやすくなったのは特筆もの。ありがたいことである。

     そうした情報系作業に加え、ニュースレターの編集や諸々の事務局作業の手伝いにも時間を割いた。「NPO法人で働くこと」を自分なりに確かめながら、実体験を深めた一年だったように思う。

     (社)日本損保協会さんからのご招請で、荒川クリーンエイドに因んだ話題提供(講師)としては初めてとなる「環境NPO講座」に登壇。江戸開府400年行事の一環として出させていただけたのが自分としては意義深かった。(主催者の皆様、ありがとうございました。) 2時間の長丁場ということで、ネタを取り揃えたのは良かったが、気負って仕込みすぎた観も。ご聴講いただいた方々にとっては食傷気味だったと思う。(おつきあいいただき、深謝申し上げます。)

     2002年ほど、メディアに登場することはなかった(名前入りで出演したのは、地元北区のケーブルテレビ「北9チャンネル」程度)が、依頼原稿として、東アジア環境情報発伝所の市民活動紹介コーナーと、JEAN通信No.113に寄稿させてもらったのはちょっとした成果。活動をおさらいする意味でいい機会をいただいた。

    赤水門の島で集めたゴミの例(分類中)
     1994年にスタートして、10年目を迎えた荒川クリーンエイド。(1994年はまだ、多摩川クリーンエイドの方に関わっていた筆者だが、多摩川の一員として、赤羽岩淵の会場を手伝いに来たのはハッキリ覚えている。一応10年間、関わってきた者の一人ではある。) 10年目の節目として、(1)実施マニュアル調査項目(カードデザイン)の更新、(2)クリーンエイド会場担当(赤水門の島)&サポート(下平井)、(3)データ収集・分析(特に
    10年間の総合分析)、(4)「エコプロダクツ2003」への出展(
    第151話参照)、(5)10年目記念報告会のバックアップ、(6)Eメールニュース試行版の立ち上げ、等々。いろいろと節目に即した取り組みができたと思う。

     平日に自由が利く身分を活かして、各種行事にもできるだけ参加。大滝村エコツアー、上記10.のRACリーダー講習会、ともに6〜9月の間だったので、好都合だった。(逆を言うと、平日に自由が利かないと、なかなか参加しにくい?)

 

...今年も変わらず、本稿「東京モノローグ」ご一読・ご笑覧の程、よろしくお願い致します。

 

  • こちらもどうぞ...⇒ 1年のふりかえりシリーズ

第128話 2002年15大ニュース / 第104話 2001年10大ニュース / 第79話 2000年10大ニュース / 第55話 1999年10大ニュース / 第31話 1998年10大ニュース / 第8話 1997年10大ニュース

 

 


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