第154話 東急東横線2題(2004.2.1)
東急東横線をめぐる二つの話題。一つは東急文化会館の解体、もう一つは横浜〜桜木町の路線廃止である。いずれも次なるステージに向けての終幕なので良しとしたいところなのだが、なじみがあるものだっただけに寂寥の感を覚えなくはない。感謝の意を込め、ここに2題まとめてレポートする。
東急文化会館は、幼少の頃の記憶はあまりなく、学生時代の記憶に遡る。屋上でフリーマーケットをやっている話題を聞いたり、プラネタリウムに1度だけ行ってみたり、三省堂書店に何度か足を運んだ程度。社会人になり、渋谷を経由して勤務先に行くようになってからのおつきあい(96年半ばから03年半ばまでの7年間)が深い。映画サービスデーの日には、仕事帰りに映画館に寄ることもあったし、三省堂書店にもよく通った。青山通勤時代は、渋谷駅からの連絡通路沿いにあるパン屋や石焼ビビンパは途上だったこともあって、よく利用したものだ。(第39話でちょっとだけ紹介) でも館内の他の店舗には足が向かず、時に"レトロな百貨店"の雰囲気を味わいに行くといった感じだった。そんな旧き佳き東急文化会館は、同潤会青山アパート(第146話参照)と同様、筆者が青山を去るのに合わせるかのように、店じまい&解体となり、時は流れた。(何かの因縁のような...) 別れを惜しみたい筆者にとって、閉館前の特別イベント「甦れ!東急名画座」は珠玉の催しだった。時間に自由が利くのをいいことに、昨年6月24日には、「E.T.」(20周年記念版)を鑑賞。オリジナルの「E.T.」は京都市内の映画館で中途半端な状態で観たので、始めからきちんと、しかも長編を堪能できたのはありがたかった。もう二度と腰掛けることのない映画館の座席で、懐かしの映画を観る。感傷と感慨に耽った初夏の一日だった。(以下3枚は、当日の記録)
解体工事の準備中 |
後方に三省堂書店が見える。 |
映画館ロビーに展示してあった、かつての付近の写真(カレンダー見本) |
昨年の今頃は、まだ開館していたのが嘘のようである。経過をご覧いただくとわかるように、ここ半年程度であっさりなくなってしまい、今は渋谷クロスタワーがよく見えるようになった(風通しが良くなった?)ところである。
8月12日は、まだ原型が残っていた。 |
この通路をよく通った。(8月12日撮影) |
後から見た文化会館−巨大なオブジェのよう。(12月27日撮影) |
前方に回ってみたら、すでに建物はなく、覆いのみ。 |
東横線の横浜〜桜木町が廃線になった1月30日。渋谷駅で降りて、改めて会館跡地を見遣ったら、夜景としての渋谷クロスタワーが飛び込んできた。会館がなくなった今、渋谷駅西口は新しい表情を見せている。東横線渋谷駅が地下に引き込まれ、東京メトロの13号線と直通運転を始める頃には、この跡地に巨大な建造物が現れることだろう。それまではこの光景がしばらく続くことになる。これはこれで鑑賞しておきたいものだ。
さて、その1月30日。仕事帰りにはるばると営団南北線から東急目黒線と乗り継いで、武蔵小杉に至り、東横線に乗り込んだ筆者は、何はともあれ桜木町まで目指すことにした。
桜木町まで走っているのが一つのウリだった東横線のはずなのに、この廃線という扱いはどういうことだろう。みなとみらいの景色が見えてこその東横線、東急らしさではなかったか? 横浜から桜木町行きと元町行きに分岐する手はなかったか? 廃止反対はなかったのか? などあれこれ考えながらも、とにかく「桜木町」と記された表示物(車両、番線表示、時刻表、案内板等々)は全て今日が最後。決まってしまったものは仕方ない。撮っておけるものは撮ってしまえという心境で、武蔵小杉駅で早々にパチリ。すると同じように、入線してきた下り列車の行先表示に携帯電話カメラを向ける人がチラホラと。これは予想以上の反響と感じた。
首都圏はここんとこ新線・新駅ラッシュの様相。(当モノローグでもその都度追っかけているようなところがあるので、鉄道ネタが多くなりがち...) 今回のように線路が廃止になるのは極めて珍しいと言えるだろう。(近年では、向ヶ丘遊園のモノレールが廃止になったくらい。廃駅では、京成本線の博物館動物園駅が比較的記憶に新しい。)
廃線を経験することが少ない首都圏住民ゆえに、皆さん思うところがあったのだろう。人それぞれ、思い入れに差はあるだろうが、とにかく思い思いに撮っている。横浜でも、高島町でも、ホームの端に行くほど人垣ができていて、「廃線の現場」の臨場感を感じた。終着・桜木町では案の定というか、とにかく乗り降りする人一様に、カメラを向けてパシャパシャ。特に携帯電話カメラの使用率は高く、改めて威力を思い知った次第。
まぁ群集心理というのもあるだろうが、社会への同調意識(または沿線住民の連帯?)の現れととらえることもできそうだ。お手軽ではあっても、記念に1枚という行為を通して、今、この瞬間を実感できるのであれば、それはそれでいい。筆者もそんな思いで撮影している気がする。
下り列車の車両先頭に表示された[桜木町]。着いてしばらくすると表示が変わってしまうので、その前に撮ろうと皆、必死。フラッシュ撮影は運転に支障が出るんだそうで、係員は大声で「フラッシュはご遠慮ください!」と叫ぶ。東急利用者はさすが弁えがいいようで、フラッシュの閃光は確かに控えめで済んでいた。でも表示が動き出してしまうと、「あ〜ぁ」と溜息が漏れる。これもまた一興か。多くの人は、感慨に浸るというよりは、今回の件を当たり前のように受け止めている感じ。しかも「とにかく撮らなきゃ」という気合いが前面に出ているのが何とも...(右下の写真を見てつくづくそう思う。)
武蔵小杉から乗車した急行列車の行先表示 |
桜木町駅6番ホームで、到着する列車に向けてカメラを構える人波 |
撮影者の数は増える一方。ゆったりと「ラスト桜木町」を感受しているどころではなくなってきた。ホーム上で、ひととおりの"フラッシュレス"撮影を終えた筆者は、何はともあれ改札まで行ってみることに。思えばこの階段を上り下りするのも今日で最後になってしまう訳で...(!!) 1987年9月、佐野元春の「横浜スタジアム ミーティング」(今となっては伝説のライブ)の帰り、残響でキーンとする耳を手で開け閉めして余韻を楽しみながら、スタジアムから桜木町まで歩き、この階段を上って、元住吉行きの急行に乗って帰ったのを思い出す。(終電近くなると、通常は急行停車駅ではない元住吉まで急行が走り、元住吉からは渋谷行き各停に乗り換えに。) 変則急行を初めて見た時のインパクトは強く、東急桜木町駅というと、その当時の印象が繰り返し想起されるのであった。
そんな桜木町駅改札周辺は、超混雑状態! 時は20時過ぎ。ラッシュの時間帯は外れてきそうなものだが、おそらく桜木町駅で買う最後の切符を手にしようと集った人達などでごった返していたんだろう。通常の利用客にとってはイレギュラーな状況なので、切符を買い求める必要のない人向けに、下車時に精算すればいい「着駅精算券」なんてのが配布されていた。事情がよくわからない人も手にしていたようだが、これはこれで珍事なので、着駅精算が特に必要ない人でも記念に受け取っていたような...(ちなみに、ここに載せた精算券と切符は、改札付近で拾ったものである。)
プロ仕様のビデオカメラを構える人、三脚を据え付ける人、ひたすらデジタルビデオカメラでの録画に励む人、さらには駅アナウンスを録音する人まで。電光掲示も涙を誘う。流れる文字は「永らくのご愛顧ありがとうございました。」 万感の思いとともに、渋谷行き各駅停車に乗り込み、桜木町を後にする。次はかつて一度しか乗降したことのない高島町へ。
高島町の人だかりも最終日ならではだった。ふだんはこんなに人が詰めかけることもないだろうに、俄かファン(筆者を含む)であふれていた。こっちの係員は、「黄色い線より内側に!」を連呼している。急行も特急も通過していくから、押せ押せの状態になると確かに危ない。ここも素直に係員の言うことを聞く人が多く、安堵を覚えた。駅の外では、見通しの利く歩道橋が人気。フラッシュ撮影する人人... この路線を東急の電車が走ることはもうない訳だから、もっともな話である。
この駅名標も見納め。(後方はランドマークタワー) |
横浜駅改札でもカメラを手にする人達が。 |
みなとみらいやランドマークタワーに行く時は必ず東横線だった。関内方面まで歩く余裕がある時も、やはり東横線。思い出深い路線がなくなるのは寂しいもの。流れる夜景を追っていると程なくJRと京浜急行を跨ぐ鉄橋にさしかかった。横浜駅に到着。この地上上階にある横浜駅も実は見納め。あわてて下車して、撮影できるところは撮影して、また乗車。ここまで来ると感慨も何もあったものではない。とにかくこの狭くて、古くて、という東急横浜駅はなくなり、2月1日からは、地下5階の新ホームに移行する。長いこと、おつかれ様でした、である。(それにしても、廃線・廃駅後はいったいどうなってしまうんだろう?)
特急に乗り換えるため、菊名でも降りてみた。電光の発車案内ボードなどを筆者が撮っていると、追随する人が現われた。横浜から離れるとそれだけ関心も低くなるのだろうか。自発的に列車を撮っている人はあまりいなかったようだ。
菊名駅の電光掲示。ここでも「ありがとうございました。」のテロップが。 |
人垣の合間を縫って何とか撮影した各駅停車 桜木町行き。 |
21時25分、終点の渋谷に到着。ここも予想通りの人だかり。ホーム先端では、俄か撮影集団が大挙!という感じで凄かった。発車案内板の下でも、解説する人、撮影ラッシュに驚きながらも自分でも撮り始める人、不思議そうに眺める人、十人十色の図。いやはや。w(--)w 渋谷駅でも存分に[桜木町]の表示媒体を記録することができたので、ひとまず退却。東急文化会館跡地の様子を見届けて、帰途に着いたのだった。
そして、2月1日。第2話末尾で書いた「元町・中華街」がいよいよ動き出した。第109話では、みなとみらい線乗り入れ時の東横特急の停車駅予想を書いたが、大きく外れ、横浜、みなとみらい、元町・中華街と実に全うなパターンに落ち着いた。渋谷〜元町・中華街は最短で35分だそうな。
開業初日に現場に出かけるのが本義の筆者だが、あいにく2月1日は急遽出勤日になってしまい、見送り。残念ながら速報レポートの掲載はかなわなかったが、機会を見つけて、一日乗車券などを駆使しながら回遊して来ようと思う。廃線・廃駅の様子も含め、第106話「横浜週末」のような感じでまとめるつもり。どうぞお楽しみに。
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