第140話 路面電車(2003.7.1)
6月10日が路面電車の日というのを知ったのは、昨年11月に「あらかわ遊園」近くで開かれた「都電沿線文化祭」でのこと。(何でも、路面の路(ろ→6)、電車の電(てん→10)から、6月10日なんだそうな。) 当然、今年の6月10日前後には、また同地でイベントが行われるものだと思って、本稿に記すべく、待機していた筆者であったが... 残念ながら、文化祭は開かれず、都電荒川線の荒川車庫でイベントがあった程度。という訳で、路面電車をネタにどう書くか躊躇していたが、ここは一つ、今後の活性化策やら、日頃考えていることを綴ってみようと思う。
23区内で残っている路面電車は、東急世田谷線と都電荒川線の2つのみ。世田谷線は筆者故郷の近くを走っていることもあり、馴染み深かったことは言うまでもないが、都電の方はと言うと、赤羽に越してくるまであまりご縁がなかった。
近くを走っているというだけなので、乗車チャンスに恵まれていた訳ではない。JR駅との接続が大塚(山手線)と王子(京浜東北線)の2つのみで、かつ、通勤定期券のルート上にこの2駅がなかったからである。都営一日乗車券(第58話・第81話参照)を持っていて、時間的余裕がある時にポツポツ乗る程度。それでも、これは23区の北側に住んでいるからこそできること。いつしか、30ある停留所のうち、26の停留所で乗り降り済み、というところまで来た。(ただ、路面電車は鉄道ではなく、軌道なので、第115話に書いた乗降駅リストの対象外) 時には、サンシャインシティ、またある時は巣鴨のとげぬき地蔵。飛鳥山公園に桜や紫陽花を見に行ったかと思えば、小台から熊野前あたりの線路沿いに植えられたバラを観賞してみたり。直近では、荒川区役所の「環境・清掃フェア」のブース出展の手伝いのため、文字通り「荒川区役所前」まで乗車したりと何かとお世話になっている。北区在住7年ともなると、さすがにご縁も深くなるものである。(逆に世田谷線の方はすっかりごぶさたになってしまった。)(!_!)
温暖化防止の機運に乗って、より環境負荷の少ない交通手段として路面電車が再び脚光を集めるようになった折り、都電荒川線にも路線延伸などの議論が沸き立っていたのを思い出す。JR駅との接続もさることながら、やはり繁華街に起点・終点を設けた方が利便性向上&利用促進につながる、という見当なのだろう。早稲田からは新宿三丁目方面、三ノ輪橋からは南千住、果ては浅草へ、という計画が持ち上がっていたような... その後の経過はいかに?と思っていたら、最近になって豊島区が、雑司ヶ谷の停留所から分岐線を設けて、「グリーン大通り」を通り、池袋駅の東口に到達させるアクセス線の調査を始めるとの報が出ていた。単純に一本の路線ゆえに、系統も一つで済み、全線均一で160円という運賃設定ができている現在の都電荒川線。これで分岐線ができるとなると、系統が複雑になり、均一料金もできなくなるだろう。そのためか、豊島区の構想はあくまで荒川線とは別の路線にするようだ。これが実現すると、おそらくアクセス線と荒川線の間で、乗り継ぎ割引ができるだろう。乗継用の整理券のようなものを降車時に受け取って、乗り継いだ先の電車に乗る時に整理券と一緒に割引運賃を払う。そんな感じになるだろうか。この方法がうまくいくなら、池袋アクセス線以外にもいろいろ考えるところがある。⇒参照地図
王子駅からの別線を設ける。この線は、営団地下鉄南北線の上を走ることになるので、客足が重複しそうだが、南北線の場合、王子の次の駅は「王子神谷」まで行ってしまって、公共機関が集中する王子六丁目に行くのに使えない。税務署、図書館、警察署などへの手軽な足がないのである。北本通りは比較的空いているので、何とかなりそう? |
末端の三ノ輪橋から先については、荒川線を延長工事するのでなく、別のアクセス線に乗り換える形式の方が現実的な気がする。日光街道の中央分離帯を北進し、千住大橋を通り、北千住の駅前通り近くまで行ければ御の字だと思うのだが。 |
もう一つの末端、早稲田から先については、アクセス線ではなく、荒川線の延伸で良さそうだ。早稲田停留所は営団地下鉄早稲田駅からは結構距離があり、他線とのアクセスがなく孤立した状態になっているので、江戸川橋まで延ばして営団地下鉄有楽町線と乗り換えできるようになれば便利になる。実際にこの区間を走るバスに乗ってみると、道路は結構広々していて、十分延ばせそう。
スローライフを象徴する乗り物として、路面電車が見直されている観もある。巷では、昭和30年代ブームだが、商業施設に組み込める街並みや商店と違って、路面電車を復元するとなると一筋縄ではいかない。仮にその年代にタイムトリップできるのなら、まずは都電など廃線になってしまった路面電車に乗りたいと思う筆者である。
JTBのキャンブックスシリーズで出ている路面電車の本などによると、東京・神奈川・千葉・埼玉だけを見ても、魅力的な路線がたくさん出てくる。魅力をかき立てるのは、沿線風景を写した懐古写真もさることながら、その路線・系統の妙、そして何と言っても停留場の名前である。往時を偲ばせる名前の数々。朴訥としていて実にイイ。バスの停留所の場合、地域密着になるので素朴な名称になるのは当たり前だが、路面電車はあくまで電車である。駅ではないにしても、もうちょっと堂々とした名を付ければいいものを、と思ってしまうが、それをあえてしないのがまたいいのである。いくつか挙げてみよう。
■川越電気鉄道(大宮〜川越久保町) |
1941年廃止 |
工場前、種鶏場前
⇒この2つの施設、今でもあるのだろうか?
|
■成宗電気軌道(成田山門前〜宗吾、他) |
1944年廃止 |
幼稚園下
⇒○○大学とかは現役の鉄道駅にもあるが、幼稚園とは!
|
■玉川電気鉄道(二子玉川園〜砧本村、他) |
1969年廃止 |
中耕地
⇒玉電沿線がローカルだったことを象徴するような停留所名。この名前はバス停にしっかり継承されている。
|
■海岸電気軌道(川崎大師〜総持寺、他) |
1937年廃止 |
寛政
⇒鶴見が寺社町であることを証明するような名前だなぁ、と思って横浜市鶴見区の地図を見てみたら、何と「寛政町」は現存していた。ビックリ!
|
■小田原電気鉄道(国府津〜湯本、他) |
1956年廃止 |
江陽銀行、伊藤酒屋前、郡役所前
⇒このあたりは、海に沿って国道1号が通っているが、その道路上を国府津から小田原まで、この電車は走っていたようだ。それにしても酒屋が停留所名になってしまうとは! さぞ地元では有力な店だったのだろう。ちなみに江陽銀行は今では「さがみ信金」になっているらしい。 |
とまぁ、旧きを温ねるのもいいが、今あるものをきちっと正視して、その土地、その地域の顔として大事にしたいものである。最盛期には67都市、路線総延長1,479kmだったそうで、現在は19都市、238kmと最盛期の6分の1以下になってしまった。それでもまだ、路面電車は残っている。交通混雑に巻き込まれるのはバスも同じ。時間が読めないのも、一般車両にとって道路通行の邪魔物に映るのも然り。それなら路面電車だっていいじゃないか、ということにいずれはなるかも。「鉄道駅のように、長い階段やエスカレーター、改札などが要らない」「気軽にステップレスで乗車ができる」「建設コストが安い(地下鉄の20分の1、新交通の10分の1)」といった理由により、ヨーロッパ諸国では路面電車の復権著しい。スローライフへのシフトと合わせて、路面電車の復活、延伸、増便が各地で図られることを期待したいものである。
余談だが、路面電車が現役で走っている19都市のうち、筆者がまだ乗ったことがないのは、豊橋鉄道、富山地方鉄道、加越能鉄道(万葉線)、福井鉄道の4つ。豊橋は何度か足を運ぶも、いつも乗れずじまい。富山、高岡、福井は学生時代に青春18きっぷでフラフラやってきて、乗り継ぎの合間にJR駅周辺を歩いた程度なので、乗車機会はなかった。今後これらに乗車するのも国内旅行の一大テーマである。 |