随筆「東京モノローグ2005」(1−2月期)
index 次へ 随筆「東京モノローグ2004」(11−12月期)



第179話 天然ガス引火騒動 / 第178話 恵方巻と中華まん / 第177話 小田急線 複々線化〜快速急行と区間準急 / 第176話 2004年15大ニュース

第179話 天然ガス引火騒動(2005.2.15)

 2月10日、いつもの如く深夜帰りモードで職場にいたら、21時頃、妻君から電話。何事かと思ったら、筆者最寄の北赤羽駅近くの温泉掘削現場で火柱が上がっているとの報。早速、各ニュースサイトを見てみたら、確かに「火柱」「天然ガス」「引火」など、物騒な見出しがチラホラ。火柱にもビックリだが、閉鎖後の自動車教習所で温泉を掘っていた、てぇ方がむしろ驚きだった。都内のあちこちで、スーパー銭湯やら温泉付きマンションやらで温泉掘削が盛んなのは知っていたが、まさか筆者地元でも工事が進んでいたとは。穴だらけにして、そのうち何か起きやしないか、と苦々しく思っていたので、「それ見たことか」である。

左方、赤い光が消防車の車列(浮間橋) 付近で何か起こると遅れたり運休になりがちな埼京線だが、この日は何ともなかったようだ。あわよくばまだ終電に間に合う?と読んでいたが、時すでに遅し。いつもより遅い帰りになってしまい、埼京線の下り終電には当然間に合わず、京浜東北線で赤羽駅まで何とか出てきて、生まれて初めて「深夜バス」(これは便利!)に乗り込んで北赤羽駅まで帰途を急ぐ筆者。いくらなんでももう鎮火しただろう、なんて思っていたら、とんでもない。現場に向かう浮間橋は消防車の車列が続き、時折ウーウーやっている。このまま火柱見物に向かう手もあっただろうけど、時は0時40分。避難命令も出たそうだし、寒さも厳しい折り、ここはおとなしく帰宅することにした。

北赤羽駅 外壁の窓から教習所跡地を見る 一夜明けて、朝の環八通りに耳を傾けてみる。何とまだサイレンの音が。2月11日は休日だが、この日も出勤することにしていたので、9時前の埼京線に乗るべく、駅へ向かう。新河岸川を跨ぐ北赤羽駅の壁窓からは、教習所跡地に集結する消防車が垣間見える。まだ燃え続けていた訳だ! 朝刊に詳報が載っている。この辺りは、23区の北の外れではあるが、中里貝塚と同心円に位置する海岸線がかつてはあって、海の生き物の遺骸がバクテリアによって分解されてできた天然ガス層が眠っていたという。地下水に溶けた天然ガスは、ガス田と同じ。広範に捉えると「南関東ガス田」の外縁に位置していたようだ。ガスを含んだ地下水が噴き上げ、照明にぶつかり、ショートした弾みに引火して大火柱になって燃え続けた。うまく採取できれば、ちょっとした燃料になったものを勿体ない、と思うのは不謹慎か。

 火柱は埼京線の車窓からも見えたらしい。東北・上越・長野の各新幹線からも高見の見物になったことだろう。櫓が倒れる可能性があったため、櫓から70mの範囲で一帯の住民が避難する騒ぎに。10日の17時頃から11日の17時20分頃まで燃焼。24時間が過ぎてやっと鎮火。のべ600人の消防士などが出動。ヘリや化学消防車も含む127台が消火に当たり、火勢を抑えるために投入した土嚢は何と7000袋。北区としては早くも2005年10大ニュースにランク入り間違いなしの事故になった。

 天然ガスは、日常的に0.8ppmは存在する。今回の一件での検出濃度は、日常レベルの実に450倍。360ppmが検出されたそうだ。火災による死者・負傷者は幸い出なかったが、下手するとガス中毒という事態も有り得たんだろう。

 ガスの混入・引火の危険性は予測不能なんだそうだ。つまり、掘ってみないとわからないのが実状。そんな状態で掘削許可を出す行政方もどうかしているが、ガスを遮断するためのバルブなど、安全面での対策を怠っていた業者も相当なもの。地上部分は、人為的なコントロールも多少は利くだろうが、地下は基本的に制御不能。1500mも掘れば、そこは人知が及ぶべくもない未知の領域。自然の驚異・脅威は常に念頭におきたいもの。今回を機に、安全装置の取り付けは義務化されるだろうし、掘削許可も易々とは出なくなるに違いない。

 せっかく掘り終えて、これからという段になっての事故。関係者の無念は推して知るべし。引火しないような策がとられていることが前提なのだろうが、開業後、ガス入りの温水で温泉浴をしていたら、何かのアクシデントで引火して大事故に、なんて可能性もあった訳である。それが未然に防げたのであれば、よしとしないといけないだろう。

 3月には終える予定だった工事はこれで白紙。「天然温泉 ひかりの湯」は、一瞬の光の如く幻に消えることに。仮にオープンしても「火柱の湯」とか言われるのがオチ。危なっかしくて、入湯しようと思う客もいないだろうし。


建築計画のお知らせと櫓


この櫓の下から火柱が噴き上げた


「温泉掘削許可済」だったのだが...

 2月13日(日)11時頃、実況見分も終わって、落ち着きを取り戻した現場に行ってみた。筆者が写真を撮っていると、同じ先に視線を向ける通行人がどこからともかく集まってくる。あれだけの騒ぎを起こしたんだから当然なんだろうけど、すっかり有名になってしまったようだ。浮間銀座の街路に廻ると、事故が嘘のようにすっかり平穏な佇まい。倒壊の危険が指摘された櫓もそのまま。だが、35mの高さがあるようにはとても見えず、こじんまりした感じだった。櫓の撤去具合など、今後も時々、チェックしに行こうと思う。それにしても、温泉施設がフイになってしまった次は、何ができることになるのやら?

  • 余談

 おなじみ「出没!アド街ック天国」で再び赤羽が登場しそうな気配。(「街の情報掲示板」参照) 前回は、2000年3月4日の放映だったので、早いもので5年ぶり、ということになる。

 第59話第61話で、筆者もランク付け&分析を試みているが、5年が経って今回はどう出るか、今から楽しみである。今回の「ひかりの湯」はないとしても、話題性から単に「温泉掘削現場」がランクインする可能性は否めない(!?)。まぁ無難なところで、筆者予想(上位5位)としては、

 1.荒川、2.アルカード、3.すずらん通り+一番街、4.赤羽駅+ホテルメッツ、5.東京メガシティ あたりだろう。国立スポーツ科学センター、カルビー本社、西友本社、小山酒造、まるます家も10位以内には顔を出すと思われるが、何がどう入るか予想がつかないのがアド街流。赤羽に一言おありの方は、お早めに同番組の掲示板に一筆どうぞ!

 

  • こちらもどうぞ...⇒ 事故・事件シリーズ

第9話 雪が降る / 第49話 事故連鎖 / 第82話 雪かき

 

第178話 恵方巻と中華まん(2005.2.1)

 *今年に入ってから2話続けて、期せずしてやたら長文になってしまったので、今回は短編&季節ネタを一つ。

 今から遡ること、ちょうど100話前。毎月15日が中華の日だか何だか(当時は12月15日のみと勘違い?)で、とにかく季節ネタにちなんで、中華まんを取り上げた。あれから4年とちょっとが過ぎたが、その後も様々な変遷を経て、中華まんは相変わらず多様化(進化?)しつつ広がりを見せている。デザート系中華まんは何となく収束されてきているようだが、惣菜系、特に最近では豚まんが出色。贅を尽くすのが容易らしく、より高価格な設定も可能になるので、売れればコンビニ側もホクホクなのだろう。

 第176話(3.NPO掛け持ち専従生活)で記した通り、ここのところ、寒い中を深夜に帰宅することが増えているものだから、コンビニで物色しては、目新しいものを買い求め、寒風に負けないように頬張ってみたりしている。

 前回第78話の頃は、自転車通勤途中で、不行儀な状態で食していたが、さすがに今はそれはなく、ホクホクやりながら、ノラクラと歩く程度。遅い昼食と早い夕食を兼ねて食事した時など、深夜になるとさすがに空腹なものだから、この温かい一塊に救われることもしばしば。新作&ヒット作に出会った時はちょっとした至福を感じる。

 かつてほどのインパクトは感じないながらも、海老入り豚まん、大入りジューシー肉まんの2つは最近ではグッと来るものがあった。この季節はやはり中華まんなのである。

 さて、来る2月3日は節分だが、豆まきよりも今ではすっかり恵方巻をガブリ、が主流になってきているようだ。10年前くらいからポツポツ出始めた恵方巻はすっかりメジャーに。業界の商魂逞しく、正月・七草とバレンタインデーの谷間を埋める一大商戦ネタになってきた観がある。

(スーパーの一例)イトーヨーカドーでは、これだけのレパートリーを用意している。 スーパーでは当たり前のようにやっている上、調査先が広範になってしまうので、今回は中華まん調査と並行して、コンビニ各店での恵方巻事情を調べてみることにした。

 おせち同様、予約販売が中心らしく、調べ始めた1月30日(日)で予約受付終了というところが多く、肝を冷やしたが、何とか間に合って、メジャーと思しき各店については事情がわかった。ネーミングからしてひと工夫があって、商戦を繰り広げているのがよくわかるが、直感的には似たり寄ったり。価格も大差はないものの、比較してみると、360〜399円とそれなりにバラついていた。以下、各コンビニでの概況をまとめてみた。*すでに予約締切は過ぎているので、あくまで参考ということで。(1月31日現在|チェーン名50音順)

チェーン名

恵方巻

中華まん(肉まん、あんまん、カレーまん、ピザまん以外)

  • ampm

節分丸かぶり寿司:360円
(ミニ福豆付き)節分丸かぶり寿司

クリームパスタ:105円
豚:180円
*クリームパスタに当たるメニューは、周期的に入れ替わる。海老入り豚、角切り叉焼、と交代。

 ampmでは、例のEdyを使うと、200円につき1マイルが付くということになっている。(特にどこそこへフライトした訳でもないのだが、1.61km分飛んだことになる。変な気分。)200円に達するように、中華まんを買おうとするものだから、まんまとマイレージプログラムに乗せられている訳だが、某パンなどを買うと易々と1マイレージが付くので、それはそれで良しとしよう。ampmで中華まんを買う時は、ちょっとした工夫が必要になる。

  • サンクス

丸かぶり恵方寿司:390円

冬のチーズカレー:105円
大栗:130円
大肉包:200円

 大栗まんは興味深いところ。地域限定メニューが豊富なのもサンクスならでは!(⇒このラインアップはスゴイ)

  • 新鮮組

※もともとやっていない?

※いわゆる井村屋系4種のみ

 知る人ぞ知るコンビニだろう。このホームページを見てもわかる通り、今ひとつパッとしない。レジの後ろで冷え冷えとした中華まんラックが置いてあったが、売る気はあまりなさそう。

  • スリーエフ

※調べた日が遅かったか?

豚(塩味):100円
手造り肉:155円

スリーエフ エドモント店 2月1日にやっとこさ飯田橋(エドモント)のスリーエフに足を運ぶ機会を得た。新興オフィスビル街の一角にある店舗だけに、もともと恵方巻は扱っていなかった可能性も。

  • 生活彩家

※調べた日が遅かったか?

本格黒豚:158円

 

  • セブンイレブン

丸かぶり寿司 恵方巻:380円
(ミニ:260円)丸かぶり寿司 恵方巻

大入りジューシー肉:160円
チーズラザニアロール:160円
炭火焼チャーシュー:210円

 機械を再始動中で、温め方が不十分、なんて場面にも出くわしたが、その時は、中華まんを一から加熱する訳ではなく、ちょっと冷めているけどいいか、といったものだった。猫舌の筆者にとって、時にクリーミー系の中華まんで口中に火傷を負うよりはマシなので、それでいいから、と買い求めたのはノーマルな肉まん。アツアツでなくても何とかなるのが中華まんであることを実感したのであった。

  • デイリーヤマザキ

恵方巻:399円

厚切りハムとろーりチーズ:126円
グルメ豚:150円

 店頭に恵方巻の横断幕が出ていてよく目立つ。(掲出期間1月30日まで、というのもハッキリ見えた。) 力を入れている割にはお値段は高め。

  • NEWDAYS

※調べた店が悪かった?

※売っている店もあるらしいが...

 JR東日本系のコンビニ。赤羽駅コンコースにあるNEWDAYSでは、こんな状況だった。

  • ファミリーマート

まるかぶり寿司:365円まるかぶり寿司

塩豚:130円
チーズ:137円
本格こだわり豚:150円
トンポーロー:190円のところ180円
極上豚:260円

 豚まんのバリエーションには目を見張る。豚まんブームの仕掛人と言っても良さそうだ。

  • ポプラ

恵方巻:390円
(2本で750円)

牛すき:137円
チーズ:137円
本格黒豚:158円
中華風甘酢豚:188円

 ファミマに負けず劣らずの豚まん2種。甘酢豚は早々に試したいところ。

  • ミニストップ

幸福恵方巻:390円

豚角煮:145円
海老チリ:175円
フカヒレ:195円

 何かやってくれそうなミニストップ。でも、幸福恵方巻はちょっと行き過ぎ?

  • ローソン

丸かぶり寿司:380円

カスタード:105円
キーマカレー:105円
チャーシュー:120円
吟上肉:165円

 吟醸ではなく吟上というのがポイント。どういう意味かは食べてみないとわからない。

 今年の恵方は西南西だそうな。西南西を向いて畏まり、そのまま(包丁を入れない状態)で一本丸々をガブリ。中華まんとセットで、夕食代わりになるか? いっそ合体して「恵方まん」とかを作っても良さそうな(?!) どんな節分になることやら。(^^;

  • こちらもどうぞ...⇒ 関連しそうな話題

第21話 寿司食べ放題 / 第34話 野方 小旅行記 / 第136話 試食生活

 

第177話 小田急線 複々線化(2005.1.16)

 幼少お世話になった鉄道と言えば小田急線に限る。小学校入学前まで経堂で過ごした筆者にとっては、一にも二にも小田急線。遅かろうが何だろうが、それしかないので特に不平不満もなく、乗れれば楽し、の世界である。学生時代にまた経堂に戻ってきた時もお世話になったが、今度はそう飄々ともしていられない。当時もまだ複々線化は実現しておらず(用地は少しずつ増えていたが何しろバブル時代の只中だったし)、今から考えると随分と不便を強いられてきたように思う。目的駅までの到達時間もさることながら、南北の行ったり来たりを阻む踏切での待機時間の長さと言ったら... 住んでいた赤堤界隈から、弦巻の中央図書館、千歳郵便局、東京農大方面などへ自転車で移動する際は本当に足止めを食ったものである。(幼少の時分から複々線化の話は知っていたので、ここまで来てできていないと、諦観・達観の境地、である。)

 当時の運行状況を検証すべく、1990年4月20日発行の「小田急時刻表」創刊号を引っ張り出してみた。

 [成城学園前 7:03発→新宿 7:17着]という、その名の通り、スピーディな急行がある一方、[成城学園前 8:07発→新宿 8:33着]などというノロノロ急行もある。ラッシュ時とは言え、14分 対 26分(その差12分)とは!

 この26分急行は、途中でロマンスカーに抜かれる訳でもないので、頑張った上でのこの速さ。(しかも時刻表上) 実際はもっと遅れることもあっただろうから、30分てなこともあっただろう。当時いかに複線(上下線1本ずつ)の運転でいっぱいいっぱい&玉突き状態になっていたかがわかる。朝夕など、踏切が開くことは極めて稀。よく辛抱したものである。

 優等列車の通過待ちのため、経堂で割を食う各駅停車も多く、例えば上りの新宿行きで10:38着→10:45発などというローカル列車並みの待機をしていたものも見受けられる。千歳船橋から豪徳寺へ向かう人にとっては何とも利便を欠く話である。(経堂ですぐに発車する場合は4分で済むところ、この場合だと[千歳船橋10:36発→豪徳寺10:47着]と、11分かかってしまう。)

 東北沢は未だに通過待ち駅なので、あまり比較にならないかも知れないが、やはり上りの各駅停車で7:05着→7:12発とか、いったいいくつ通過待ちをしたのだろう、という例が見られる。世田谷代田から代々木八幡まで通しで乗る場合など、やはり割を食ってしまう訳だ。

ロマンスカー乗車中、工事中の梅ヶ丘駅(上り方面)を撮影。[2004.8.21](上りホームはまだ地上だった?) そんな不具合から解消される日がついにやって来た。12月11日の土曜日、昭和39年12月の都市計画決定から数えて何と40年の苦節を経て、一応、世田谷代田〜喜多見(6.4km)の複々線化が完成(ダイヤも改正)。先行して複々線化を終えていた喜多見〜和泉多摩川(2.4km)とつながり、末広がり(?)の8.8kmが幅広になった。高架(立体交差)の複々線なので踏切もかなり減って、どうやら30カ所分が廃止。南北の行き来がスムーズになっていると聞く。筆者が利用していた頃にできていれば、と憾んでみても過去のこと。何はともあれ、かつての沿線住民としては感慨深いものがある。

 至近の線路沿い住民の方々の中には喜ばしく思えない向きもあるだろう。だが、乗客や踏切通行客の時間をコストに換算した時、この複々線化が大きく寄与することに異論はないはず。紆余曲折はあったが、この複々線をより有意なものとするために、プラス思考で受け容れ、大いに利用したいものである。(乗客側も線路沿い住民の方々に敬意を表したいもの。より実感のある複々線になることを期待したい。)


  • まずは快速急行

 さて、待望の小田急線複々線乗車デビューは、20日後の12月31日の大晦日。ところが、期せずして雪の大晦日(21年ぶり)になってしまい、電車は動くのか否かを憂慮することに。(首都圏鉄道各線が雪に弱いことは、第9話で紹介の通り。)

 後からニュースで知ったが、高速道路は、一関〜川口(東北道)、東京〜静岡(東名道)が通行止め。東北新幹線も全面運休になってしまったそうな。新宿駅界隈は雪まじり。少々出遅れたが、13:59発の快速急行 藤沢行きに間に合った。定刻に発車した快速急行。複々線区間をどう快走するのか、という期待、だが南新宿、参宮橋、代々木八幡と進むにつれ、雪が激しさを増し、不安も募ってくる。梅ヶ丘の手前からいよいよ複々線に入る。荒天のため、車窓は曇り、高架からの眺めが限られてしまったのが残念だったが、途中、豪徳寺、祖師ヶ谷大蔵、和泉多摩川で3つの各駅停車を抜いて行ったのはわかった。なかなかの貫禄である。成城学園前を通過する際、不思議な小気味よさを覚えるが、これはロマンスカーに乗らないと味わえなかった感覚。どうなることかと思ったら、この快速急行、ロマンスカー以上のスピード感でさっさと同駅を通過してしまった。何か凄いことのように思えた。

 という訳で、大雪の中ではあったが、複々線区間&快速急行はしっかり堪能することができた。このまま、下北沢〜新百合ヶ丘ノンストップの醍醐味を味わえればもっと良かったのだが、そうはいかないところが、やはり小田急流。読売ランド前と百合ヶ丘の間で徐行が始まり、ストップしてしまった。

 最初の停車は踏切の警報誤作動によるもの。少し動いてからまた停まってしまったが、今度は何と停電。何でも小田急相模原〜相武台前の間で架線事故が起きたそうな。

新百合ヶ丘にやっと到着した快速急行。窓も扉も雪が付着。 新宿<=>相模大野 相模大野<=>江ノ島 海老名<=>小田原 でそれぞれ折り返し運転をせざるを得なくなり、新宿からの下り列車は軒並み相模大野でつっかえてしまっていると言う。外は深々と雪が降り続く。もともとローカルな風景が残っている、ここ川崎市多摩区と麻生区の区界にあって、これだけ雪が降ればどこかの北国にでもいるよう。すっかり旅情モードである。だが、密閉された車内で変に暖房がかかっていたりすると、何となく息苦しくもなってきて、悠長なことも言ってられなくなる。早く動かないものか、と案じていたら、上り電車が勢いよく走っていった。程なく運転再開となり、何とか新百合ヶ丘に着いたものの、再出発したのは実に15時。(時刻表通りなら14:20) 新宿〜新百合ヶ丘の所要時間、約1時間、である。

 運行をフレキシブルに変えられるのは、私鉄の強みだろう。(JRではどうなっていることやら。) その後は柿生、鶴川、玉川学園前と各駅に停車。下車する人は少々、乗り込む人は皆無という、これまたローカルな世界を目にすることになった。(この3つの駅で「快速急行 藤沢」を表示した列車が停まることはまずないだろうから、面食らって乗車しなかった人がもしいたとしたら、かえってお気の毒。)

 相模大野までは動く。だがその先がどうなるかについては、相模大野に着くまでは不透明(車掌さんは何度も念押し)だったが、再度快速急行に変わり、あとは順調。相模大野から各駅停車になることも覚悟していたが、何はともあれである。(結果、新宿〜新百合ヶ丘、相模大野〜藤沢は快速急行、新百合ヶ丘〜町田が各駅停車、となった。「区間快速急行(臨時)」といったところか。)

 相模大野で車掌が交代したらしく事情がわかっていない様子。正しくは47分遅れなのに、17分遅れとかアナウンスしている。どうやら、新宿発14:29発(30分後の列車)を間引いて、辻褄を合わせる形にしたようだ。

「快速急行」新登場!は良かったが...雪には勝てなかった。 湘南新宿ライン(最速48分)に対抗すべく、新宿〜藤沢53分がセールスポイントの小田急快速急行だが、この日はさらに+53分で、倍かかってしまった。多摩方面ほどの降雪ではなかったが、藤沢からの列車も大いに乱れ、快速急行、急行ともに運転中止に。ロマンスカーは全線でストップになってしまった。(私鉄でここまで乱れたのは小田急線くらいだったようで。) 2004年は最終日まで波乱含みとなった。


  • お次は区間準急

 複々線乗車体験デビューはこんな感じだったが、今度は実際に複々線化後の駅で降りる機会ができた。

 大阪は枚方市に引っ越した際、今度は京阪電車のお世話になることになった。ここで驚いたのは、京橋〜萱島までの全長11.5kmが1980年に複々線化を終えていたこと。準急と急行はよく知るところだったが、区間急行というのが走っているのは衝撃だった。複々線だと、いろいろなバリエーションが作れることを当時中学2年生だった筆者は関知したのである。第109話も参照)

 小田急線も遅ればせながらの複々線で確かにバリエーションが増えた。西武鉄道ほどではないが、各駅停車から快速急行まで6種類。(特急を入れると7だが、特急だけで6種類あるから、細かく分けると大変なことに。)

区間準急 唐木田行き。梅ヶ丘から先が各駅停車。 1月15日に乗ったのは、その6種類の一つ「区間準急」(京阪電車に似ている)である。新宿駅地下ホームは各駅停車ばかりと思っていたら、この新設準急も地下ホームの発着。14:21発 唐木田行きの区間準急は、そろりそろりと動き出し、急行と同じような鈍いスピードで、代々木上原に到着。代々木上原では、千代田線直通の多摩急行との待ち合わせがあり、多摩急行が先発。何か変な気分である。東北沢〜世田谷代田がまだ複々線になっていないため、代々木上原ではどうしても先発・後発の順序ができてしまうのである。それはそうと、下北沢で町田方面に行こうとする人は、多摩急行 唐木田行き、区間準急 唐木田行きを2本見送ることになり、やはり変。また、仮に代々木上原で多摩急行に乗り換えて、経堂まで行って区間準急を待つ、なんていう先回りができてしまうのも妙な話。要するに複々線になってバリエーションが増えると、それだけヘンテコな設定も増える、ということらしい。ま、せっかく区間準急に乗り合わせたんだから、このまま目的駅まで乗ることにしよう、ということで千歳船橋に着いたのは14:37。16分間の行程となった。(ちなみに先述の1990年時刻表を見ると、始発の各駅停車下り[新宿5:00発→千歳船橋5:18発]となっている。なぁんだ。)

 同じ方向で2つの列車が同時に動く。これは快挙!

 経堂方面に伸びる複々線。この区間の直線は見事。

 この日の東京は最高気温4℃。いつ雪になってもおかしくないような雨模様の寒々とした日だったが、不思議と雪にはならず、時刻表通り区間準急を乗り終えることができた。(どうも小田急線に乗る日は天気が荒れるようで。) ホームに降り立ち、4つ並んだ線路を見る。乗ってきた区間準急が動き出すと、その横を急行列車が結構なスピードで追い越していく。今まではなかったこの光景に、改めて感慨を覚えつつ、歳月の経過を感じ入る筆者だった。すっかり装いを変えた千歳船橋駅だが、かつての面影を挙げるとしたら、改札を出てすぐのところにあった踏切の近辺だろうか。学生時代、何度か待ったをかけられた踏切道だが、それが今は南北を結ぶ広々した道路になっている。駅や線路は変わったが、踏切から見た北側・南側の商店街の感じは、踏切がなくなってもあまり変わらない。何となくホッとしてしまうのは筆者ばかりではないだろう。

 この日は二人で世田谷美術館(「祈りの道〜吉野・熊野・高野の名宝〜」展)に出かけたのだが、あれこれ考えて千歳船橋からバスで往復することにしたのである。バス乗り場も昔のままだったが、バス停に着いて高架に目を遣ると、一つ大きな変化に気が付いた。千歳船橋と祖師ヶ谷大蔵の間は、環八通りが通る都合上、もともと高架になっていた。だが、両駅とも地上駅だったため、環八を跨ぐまでの間は中2階な感じの半高架。高架下をくぐってバス乗り場に通じる道路も、車高対策からか下をわざわざ掘って何とか通すような窮屈な感じのものだった。それが完全な高架になったことで、堂々と水平な道路に、しかもバスが悠々と通れる状態になっていたのである。梅ヶ丘駅行きのバスがくぐって来たのを見た時は、あぁこれが立体交差の効果なんだ、とつくづく実感した。

 帰りは代々木上原で乗り換えて、職場のある神保町まで向かう。新宿まで先着という珍しい(?)各駅停車に乗り合わせたが、この各停が来る前に、さがみ号と急行が走って行ったので、ちょうど乗換不要の谷間に当たったようだ。急行の後はまたロマンスカーという順番だったようで、今度ははこね号が隣を並走している。走りながら通過させるのは確かに効率的。上りの複々線もなかなか劇的だった。

 各停なので世田谷代田、東北沢でも扉が開く。ホームや出入口は昔のままである。下北沢も含め、3駅が時代から取り残されたような状態になっているが、いずれは工事が完成するだろう。その時は筆者幼少時の記憶にある沿線風景のうち、経堂〜代々木上原は完全に別物に置き換わってしまうことになる。めでたく思う気持ちの一方で、寂しさも感じる複々線化である。(世田谷代田〜東北沢は、東京百景の続きを載せることがあれば、今のうちに押さえておいた方がいいかも知れない、と思う。)

  • こちらもどうぞ...⇒ 小田急線が出てくる話題

第41話 優等列車停車の既得権 / 第99話 ビーチクリーンアップ / 第115話 1200駅!

 

第176話 2004年15大ニュース(2005.1.1⇒3)

新年早々、遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます!

 毎年恒例の10大ニュース。2004年分は再び15大ニュースに増量してお届けします。(長文ご容赦)


  • 15.カードのお世話になった

     昨今の各種カードの付加価値アップにすっかり乗せられてしまった筆者。第173話の通り。ずいぶんお世話になったもので。


  • 14.投資信託スタート

     物は試しとばかりに手持ちの預金を投資信託に。環境配慮型投資(エコファンド関係)を優先したいところだったが、堅実に「グローバルソブリンオープン」などを。インターネットで申し込める手軽さから、つい食指が伸びてしまうのだが、グッと抑えて少数少額投資中。


  • 13.1万円の商品券

     2003年に続き、2004年も1件ながら当たり年。妻君が行き損ねていた抽選券の引換を、最終日に行って何気なくトライしてみたら、1等賞が出てきた。(^^)v 池袋サンシャインシティ「アルパスクラッチ&金券バックセール」でのこと。特賞に次ぐものなので、大した額ではないものの1万円はやはり大きい。6月20日に引き当てたが、有効期限は7月31日まで。限られた期間に1万円を使い切るのは結構大変だった。(食事や衣料品など、有意義に使わせてもらいました。)


  • 12.市民がつくる政策調査会

     2004年は、前年に関わっていた「合意形成と教育」検討プロジェクトチームの報告書「市民参加と合意形成手法の構築に向けて」が上がったのに続き、中国と韓国のローカルアジェンダの概況調査を担当することになるなど、例年以上にご縁があった。


  • 11.各種誌面に登場

     市民政調の冊子に加え、荒川クリーンエイド関係で2誌(月刊「地球環境」2004年1月号、「街よ!元気になれ」第3号)で紹介していただいた。高岩寺の豆まき

     2月3日に巣鴨の高岩寺(とげぬき地蔵)で行われた追儺式・豆まきの様子を撮っていたら、豊島新聞社の知人が舞台脇で撮影しにくそうにしていたのを偶然見かけたので、帰宅後に画像ファイルを送って差し上げたら、後日掲載紙(写真提供扱い)になって返礼が届いた。これも誌面登場の一つ?


  • 10.確定申告

     職歴が転々とし、収入系統も複雑になってきたので、2004年から自力で確定申告に臨むことにした。インターネット経由で様式をダウンロード(自動計算付き)できるので、思ったよりも手軽に申告書が仕上がり、申告そのものもすんなり済んでありがたかった。確定申告の要否に関わらず、一年間の収支は自分でマネジメントしたいもの。自覚を新たに2005年も税務署に参じようと思う。


  • 9.旧友、旧交

     中学2年以来の友人との久々の再会、そして大学1年以来の友人とは、ご本人の晴れの場(人前結婚式&パーティー)で再会した。レストランウェディング形式なので、気軽ではあったが、披露宴並みの構成で、スピーチも改まった感じで設定された。筆者もスピーチの栄をいただいたが、ありきたりのトークでは面白くないので、彼と撮った写真などをもとに、PowerPointでスライド化しスピーチに備えた。しかしながら限られた時間内でのPowerPointプレゼンはやはり大変。新郎新婦やご来臨の方々にとって有意義だったのかどうか... 概ね好評はいただけたようだが。

     こうした祝宴の席は、4年ぶり。おめでたいことは続くもので、2004年は1月と6月にもレストランウェディングにお招きいただいた。改めて、おめでとうございます。


  • 8.北区関係団体いろいろ

     11.で記した「街よ!元気になれ」では、北区まちづくり公社の編集員(スタジオ経営)の方と、環境に関する市民向け講座の件では、清水坂公園にある自然ふれあい情報館の方と、その他、1月30日には、総合的な学習の時間「福祉を学ぼう」の授業サポートで「環境ボランティア」について一席いただき、赤羽台中学校に。これらは、2003年11月〜2004年5月の間、「北区NPO・ボランティアぷらざ」に在席していたのがきっかけでお声がかかったもの。だが、当のぷらざそのものにはご縁がなかったようで、今は北区関係の方々との交流はごく僅か。

     荒川クリーンエイドつながりでの北区団体としては、おうじネイチャーゲームの会と春のクリーンエイドを実施した(第164話参照)他、毎年恒例「なつやすみ水辺の楽校」(今回は場所を北区岩淵に移しての開催)では、「北区水辺の会」の方にご協力いただいた。

     「なつやすみ水辺の楽校」は、折りよく、北区NPO・ボランティアぷらざ主催の小学生向け行事「ボランティアきっず」の一環として組み込んでいただけたおかげで、区内小学生に大勢参加してもらえた。

    「ぼらんてぃあきっず in なつやすみ水辺の楽校」レポート(抜粋)


  • 7.CTスキャン

     第170話の後段(余談)に記した通り。皆さんもご注意を。


  • 6.各種展覧会・展示会など

     映画は平年並みに11本を観に行った。(2004年も邦画比率は高く、6本) だが、それにもまして多かったのが、各種展覧・展示の類。美術館や博物館には昔からちょくちょく足を運んでいるが、2004年後半はとにかくドタバタだったにも関わらず、週末など、合間を縫ってよく出かけた。これは新聞販売店などから、各種招待券が入手しやすくなったおかげ。調べてみたら結構な数に上っていた。(主な展覧・展示を掲載)

     2/11:交通博物館−昭和30年代東京近郊私鉄の踏切事情映画会「踏切り警手物語」
     2/19:UNギャラリー−「パレスチナ難民の半世紀」
     3/14:交通博物館−高度経済成長期の通勤輸送映画会「ラッシュ」
     6/30:山脇ギャラリー−「日本ワイルドライフアート協会展」
     8/ 7:銀座松屋−「盲導犬クイールの一生」特別展
     8/28:サントリー美術館−「徳川美術館名品展〜姫君の華麗なる日々」
     8/29:江戸東京博物館−「エルミタージュ美術館展〜エカテリーナ2世の華麗なる遺産」
     9/ 1:六本木ヒルズ−都市未来研究所「スチームボーイ展」/森美術館 etc.
     9/26:国立近代美術館−「琳派展」
    10/23:損保ジャパン東郷青児美術館−「ピカソ展」
    10/24:交通博物館−JR電車100年記念展〜甲武電車から新幹線まで〜、「東海道新幹線開業40周年 新幹線特別映画会」
    10/30:東京都現代美術館−「ピカソ展」「日本の美術、世界の美術−この50年の歩み」
    11/23:東京国立博物館 平成館−「中国国宝展」
    12/26:新宿三越−「2004年報道写真展」

    JR電車100年記念展〜甲武電車から新幹線まで〜 2003年は江戸東京博物館YEAR。2004年は交通博物館通いが多かった。(というのも、現・交通博物館は、2年後には閉館し、大宮近辺に新たに誕生する鉄道博物館に移転する、てなことが報じられたもので。(こちらを参照))


  • 5.国土交通省

     山形河川国道事務所のホームページでも紹介されているが、ゴミ指標化の検討会議に出させていただく機会を得、1/28、3/1の会合に出席。3/1は、国土交通省(合同庁舎3号館)の会議室へ。本省の会議室に立ち入るのは環境省関係では数回あったが、国土交通省で会議メンバーとして参加したのは初めて。何とも僭越な限り。

     荒川クリーンエイド関係でも、荒川下流河川事務所に何度か伺ったり、荒川クリーンエイドの実施マニュアルが同省で話題になっているとの話も受けたりで、例年以上に国土交通省に関わりがあった一年だった。


  • 4.静岡、愛知、岐阜、滋賀、京都、大阪、兵庫、岡山、新潟、富山、石川、福井、福岡、長崎

     関東を除く道府県で足を踏み入れたのはいずれも西寄り。(4月4日にJR水郡線を北上して福島県入りしたのが唯一、東日本系。) 上記の中で青春18きっぷを使って周遊したのは実に8府県。鉄道利用での国内旅行に明け暮れた年だった。10月以降は飛行機を使っての移動も頻繁で、発も着も一回ずつとして数えると伊丹は4回、福岡も4回、羽田の国内便では6回発着している。東奔西走ならぬ東歩西走といった感じ。(飛行機旅行に関しては、第174話の通り。)

     他のまとめとしては、

     ・温泉:近江今津、下田(弓の浜)、五箇山(上梨)、三国温泉、箱根湯本、熱海
     ・ローカル私鉄:日立電鉄[左]、北越急行(ほくほく線)、加越能鉄道(万葉線)[中央]、えちぜん鉄道(福井駅入場のみ、鉄道乗降なし)[右]、西鉄宮地岳線

    日立電鉄(鮎川駅)

    万葉線(新能町駅)

    えちぜん鉄道(福井駅)

     動いた中にも娯楽要素あり、である。

    6/24:六日町〜魚沼丘陵 北陸3県へは「北陸フリーきっぷ」を使用。行き(6/24)は新潟県の魚沼地方を、帰り(6/26)は中越地方を通って来た。特急列車に揺られながら眺めた、広々青々とした水田の風景が心に残る。まさか4カ月後にあのような震災に見舞われるとは。遠方であれど被災地への支援は欠かせない。だが、マスコミで報じられない「日常の被災」(近所のお困りごとや人助け)も並行して取り組みたいものだとつくづく思う。(写真は、六日町から北越急行線に入った後、魚沼丘陵駅へ向かう途中の「はくたか4号」の車窓風景。)

     ちなみに日立電鉄は、4月4日に乗車したが、途中、老朽化した陸橋を通る際、異様に低速度で運転していたので、安全性を確保するのが困難な実態(劣化した鉄道施設を更新・維持するだけの経営が成り立たない)がよくわかった。今年4月1日にいよいよ廃線になってしまうのが惜しまれるが、致し方ないところか。(詳細はこちら


  • 3.NPO掛け持ち専従生活

     頼まれ仕事と言っては申し訳ないが、急遽、2団体兼務で働くことが決まったのは、ネガティブに捉えると「誤算」だった。2つの団体の専従スタッフ2人が同時に抜け、その後を概ね一人で、となると想像以上に大変なこと。こうした兼任スタッフは、いわゆる市民団体ではよくある話なのだが、その筋で名前の通った全国型のNPO法人ではまた勝手が違うようで。

     いろいろと予定がある中を工面しながら、試用期間を自主的に設定して、様子見しながら勤務を始めたが、試用も何もなく、何だかんだで半年が経ってしまった。平日は概ね終電前後。月あたりの勤務時間は2団体合計で、多い月は200時間を超過する。まぁ筆者ペースで事務局を裁量できるよう、大目に見ていただいているので、会社員時代のような不本意な強制力が働かないのがありがたい限りではあるが。(勤務前に朝食を多めに摂り、一段落したところで遅い昼・早い晩(割引ランチ)を食すことで、一日2食ペース。これで適度な体重を維持できているので、これまたありがたいところ。とにかく日中は何かと問合せが入るので、一人事務局状態の時は抜けられないのである。)

     ただ、もともと環境関係、かつ地域・現場志向に軸足を移しつつあった中でのこの勤務状況はツライ面があるのも事実。特に、2003年10大ニュースで第3位・第1位で書いた2つの団体に割く時間がかなり限られ、少なからず影響が出ている点については何と言ったらいいものか。(後述の対馬、韓国、「愛・地球博」関係をはじめ、任意の期間・日時で適宜抜けさせてもらっている点は深謝感謝、である。)

     自称「NPOワーカー」と行きたいところだが、総合性が感じられる一方、「何でもあり」の印象も免れない。作業の性質上、単なる事務局スタッフというよりは、事務局作業の整理・効率化・基盤整備等に力点が向くようになってきた。これは「事務エンジニア」のような位置づけか。とかく軽視されがちな事務局作業だが、一つの専門職的な体系化ができれば、NPOの活動の底上げにもなるのではないか、と思いを巡らせているところである。

     なお、荒川クリーンエイド・フォーラムでは、ホームページの拡充の他、新たにEメールニュースの編集・発行を開始。2003年のクリーンエイド10年目で全面的に見直したが、2004年も引き続き、会場担当者向け実施マニュアルに修正を加えた。川に学ぶ体験活動講師養成講座では第4講を担当。前述の「なつやすみ水辺の楽校」はじめ、主催行事も出るようにし、今のところ全行事に参加。それぞれ楽しませていただいた。ただ、秋のクリーンエイドで参加できたのは一会場のみ。「エコプロダクツ」は、2003年は10年目記念で出展したが、2004年は見送り。時間・工数不足でムリだったのは百も承知だが、もう少しいろいろとできたのではないか、とも思う。


  • 2.「愛・地球博」(地球市民村)ワークショップ

     東アジア環境情報発伝所をいろいろと手伝ってきた経緯から、今度は同所が出展参加することになった「愛・地球博」(地球市民村)も何となくお手伝いすることに。せっかくの機会なので、地球市民村のワークショップにもできる限り、参加。6/4、7/28、9/1、9/15は、博報堂の本社に参じて、いわゆる「業界」の考え方に触れることができ、有意義だった。

     環境ニュース(10/13付)でも書いているが、当初、博覧会の主会場として想定していた、海上の森は、あるがままの自然を実体験する場として見直され、計画を縮小している。開発志向だった旧計画が博覧会国際事務局(BIE)に痛烈に批判されたためだが、そうした経緯があるなら、大量に動員をかけたり、目新しいものをわざわざ遠方から持ってきたり、といった発想は抑制されるはず。単なる観光、賑やかしではなく、お客を育てる場として博覧会が機能するか。これは主催者側の自覚に加え、市民参加プロジェクトが本領を発揮できるかどうかにもかかっていると思う。

     そんな市民参加プロジェクトの目玉の一つである「地球市民村」だけに、博報堂の関わりは重要なのだが、市民団体から何かを学ぼうという気概が感じにくく、歯がゆさを覚えることもあった。ただ、さすがだなぁと思ったのは、例えば以下のような点。(セッション19「運営」総まとめより)

     ・いかに均一性を保つか、いかにスタッフの意識を合わせるか、がポイント。
     ・展示物や配布物が雑然としていると、防犯上もNG。こまめな清掃や整頓も心がけたい。
     ・常に立ち作業・歩き作業になるので、疲労がたまる。一日あたり一人2時間が限度(笑顔を維持できる時間)と考えるのが無難。
     ・入場料を払って来場する以上、老若男女問わず「お客」であることを常時意識したい。(客は、入場料以上の「サービス」を求めてくる。要覚悟。)
     ・スタッフが増えるほど、情報共有が重要になる。日誌、対応メモ、Q&A集などの整備が求められる。
     ・雨天時のカサの置き方、持たせ方は要検討。(フロアレイアウトに影響。)
     などなど。

     市民団体だったら、こう思うだろうけど、こうするのもいいよ、といった感じの「語りかけ調」だったのが、また良かった。地球市民村出展の本番に向けて、こうしたノウハウをどこまで活かせるか...2005年もあわただしくなりそうである。

     2004年前半はまだ余力があったが、後半は掛け持ちワーカーの都合上、なかなか時間が確保できず苦慮の連続。肝心の東アジア環境情報発伝所 環境ニュースの自筆原稿は昨年より少なめで10本どまり。(一例:「アジアに広がる鳥インフルエンザと鶏肉危機」「熱の悪循環が都心を襲う」「「ストップおんだん館」オープン」「人里で歓迎されないクマ〜共生できる方策は?」) 東京モノローグとのタイアップ原稿は第155話第163話程度。環境ネタでの取材が少なかった、ということになる。依頼したものや編集したものを加えると、もっと増えるが、数がどうこうというものでもないので、非力ながらそこそこお手伝いさせていただきました、といったところか。(関係各位にはご迷惑おかけしています。)m(--)m


  • 1.対馬と韓国

     クリーンアップ活動のご縁で、「島ゴミサミット・つしま会議」に参加招請いただいたのは大変ありがたかった。(対馬に関しては、荒川クリーンエイドニュース第171話(おまけ)ををご覧いただきたく。)

     その対馬行きから程なく、今度はもう一足遠く韓国へ。続けての西方紀行となり、10月9日から11月8日までの1カ月は奔走&凝縮の日々。いろいろな意味でインパクトが大きかったので、対馬&韓国を以って、2004年の1位とした。(この1カ月のおかげで常勤職場の作業が滞ってしまったのは確か。今もなお、その反動に見舞われている感じ。自業自得というか。)(^^;

     韓国ツアーについては、ツアーレポートの一部を引用してご紹介する。(会合・会議の報告は省略)

    ■全羅北道ツアー(11/6-7)感想など

     ・通常の観光旅行ではまず行けない地に行くことができ、感無量でした。

     ・偶然かも知れませんが、扶安とセマングムの2大スポットが近接していたため、旅程としては良かったと思います。

     ・干潟に降り立ち、また、干潟を遠望し、と日本でもなかなか経験できない干潟体験ができました。東アジア有数の貴重な干潟がなくなってしまうのは大変残念なことです。実際に現地で感じた分、思いは募ります。

     ・と、海を挟んだ隣国のことを憂い、日本でどうこう、といっても、できることは限られます。日本からは環境ニュースなどを通じて、「失敗事例」を伝えるのがとっかかりでしょうか。

     ・結局は、韓国国民がどう自覚するかでしょうね。干潟周辺の「地域力」「住民力」が試されている、という考え方もできると思います。

     ・ちなみに、群山側の干潟に注ぐ川(名称不明)の河口部分の水質は、荒川下流の平均に似たものでした。(アンモニアは、1.2〜1.5mg/l) 程々の汚れ具合、ということです。ただこれでは、干潟の浄化作用を調べるには及びません。(川が干潟に入る前と後を調べれば、干潟のフィルタ機能が少しはわかると思います。川のみならず、海水を浄化する作用については、計り知れないものがあります。生態系を維持するために必要な作用です。埋め立ててしまっては元も子もありません。)

    セマングム干潟
    (辺山側から遠く防潮堤を望む)

    望海寺から見下ろす干潟
    (満潮時はこの大きさ)

    ■扶安(核廃棄物処理場建設反対運動)の感想

     *扶安とセマングムについての詳細は、こちらを参照。
     *地図はこちらをご覧ください。

     ・市民運動の原点・熱さを感じました。今の韓国を象徴するエネルギーや力を見た気がします。(日本もかつては熱かったはず? 今はこの手の反対運動はあったとしても、血を流す程の衝突はないですし、世論は住民エゴと括ってしまうこともしばしば。日本の社会力の低下を感じます。)

     ・的確な役割分担と重厚な組織力に頭が下がりました。

     ・いったん凍結?ということで、その安堵感からか、住民の方々が温和な表情だったのが印象的でした。(より逞しくなった証しですかね?)

     ・闘う力は生きる力そのもの。生きているという実感が得られる取り組みができるのは、ある意味、幸福なことかも知れません。実害に遭われた方には怒られてしまいそうですが。

     ・日本でも事件や事故があって、地域力が回復する例が多々あるように思います。政府や自治体が未熟だと市民や地域は強くなる、という側面もあります。

     ・扶安からは一時的に一難が去ったとは言え、やはり国全体で考えるための次善の運動につなげたいところ。

     ・もともと扶安の良さを住民がもっと自覚していれば、住民自治が確立され、建設計画も易々とは浮上しなかったかも知れません。地域を甘く見られるスキはなかったか、という点の検証も必要ですかね。
     ⇒つまり、その土地に何か強力なメッセージがあれば、政府も無茶はできないのでは?ということです。

     ・辺山(格浦)の海辺に漂着ゴミが全くなかったのは驚きでした。干潟を含め、扶安周辺にはまだまだ守るべきものがたくさんあるように思います。セマングムの干拓を止めるには、干潟を地域資源として大事に思える人がどれだけいるか、がカギでしょうね。干潟を取り巻く各地(扶安、金堤、群山、沃溝など)の地域力が試されているように感じます。

     対馬で韓国の方とお会いして少しは慣れていたおかげで、この韓国スタディツアーは、抵抗感が少なくて済んだ気がします。韓国の環境市民運動は、全国志向、かつ政府機関連動型(?)の取り組みが多いように感じました。ただ、干拓工事が完了しつつあるセマングム干潟でもそうですが、環境破壊の現場に根ざした地域ベースの市民運動は弱く、まだまだ政府の強行対応の前に、市民の自治・自立が立ち往生しているのが概況のようです。セマングムに近い扶安では、核廃棄物処理場の建設反対に向け、物凄いエネルギーが集まり、発散され、一応中止まで追い込んだものの、処理場計画そのものを止めるだけの運動には昇華していないのが実情です。(次の候補地が出てくれば、そこでまた新たな反対運動が起こるだけ、といった感じ。) 日本が見習うところも多々ありますが、日本の失敗例を伝える(失敗を前向きに捉えてもらう)必要もありそうですね。

     ブームの只中にある韓国。これまでアジアの他国を旅したことがなかったので、初めての韓国&初めてのアジアだったこともあり、感じたこと・考えたことは多々ありましたが、ここでそれらを書き綴るとちょっとした紀行文になってしまいますので、省きます。思いがけず漢字表記が少なくて判読不能な物事が多いこと、アジア共通の言語がないため(お互いの英語が片言だったりすると)会話や談議ができないことなど、韓国初心者にはちと辛(から)かったスタディツアーでした。

...2004年の東京モノローグに掲載した話題は、地域探訪モノが多かったので、それもランクに加えるべきだったのですが、掲載できなかったニュースも多々あったものですから、今回まとめて紹介させていただきました。毎度、手前の話で恐縮ですが、2005年も引き続きご笑覧いただければ幸いです。(ちなみに、このまま順調に行けば来年の今頃は、ひと区切りとなる第200話を迎えることになります。お楽しみに!)

 

  • こちらもどうぞ...⇒ 1年のふりかえりシリーズ

第152話 2003年10大ニュース / 第128話 2002年15大ニュース / 第104話 2001年10大ニュース / 第79話 2000年10大ニュース / 第55話 1999年10大ニュース / 第31話 1998年10大ニュース / 第8話 1997年10大ニュース

 

 


Copyright© 冨田行一<Kouichi Tomita> All Rights Reserved.

ページ先頭に戻る

ご声援用バナー *週に一度のクリック、よろしくお願いします。(^^) バナークリック、毎度ありがとうございます!(市民サイト用)