第177話 小田急線 複々線化(2005.1.16)
幼少お世話になった鉄道と言えば小田急線に限る。小学校入学前まで経堂で過ごした筆者にとっては、一にも二にも小田急線。遅かろうが何だろうが、それしかないので特に不平不満もなく、乗れれば楽し、の世界である。学生時代にまた経堂に戻ってきた時もお世話になったが、今度はそう飄々ともしていられない。当時もまだ複々線化は実現しておらず(用地は少しずつ増えていたが何しろバブル時代の只中だったし)、今から考えると随分と不便を強いられてきたように思う。目的駅までの到達時間もさることながら、南北の行ったり来たりを阻む踏切での待機時間の長さと言ったら... 住んでいた赤堤界隈から、弦巻の中央図書館、千歳郵便局、東京農大方面などへ自転車で移動する際は本当に足止めを食ったものである。(幼少の時分から複々線化の話は知っていたので、ここまで来てできていないと、諦観・達観の境地、である。)
当時の運行状況を検証すべく、1990年4月20日発行の「小田急時刻表」創刊号を引っ張り出してみた。
[成城学園前 7:03発→新宿 7:17着]という、その名の通り、スピーディな急行がある一方、[成城学園前 8:07発→新宿 8:33着]などというノロノロ急行もある。ラッシュ時とは言え、14分 対 26分(その差12分)とは!
この26分急行は、途中でロマンスカーに抜かれる訳でもないので、頑張った上でのこの速さ。(しかも時刻表上) 実際はもっと遅れることもあっただろうから、30分てなこともあっただろう。当時いかに複線(上下線1本ずつ)の運転でいっぱいいっぱい&玉突き状態になっていたかがわかる。朝夕など、踏切が開くことは極めて稀。よく辛抱したものである。
優等列車の通過待ちのため、経堂で割を食う各駅停車も多く、例えば上りの新宿行きで10:38着→10:45発などというローカル列車並みの待機をしていたものも見受けられる。千歳船橋から豪徳寺へ向かう人にとっては何とも利便を欠く話である。(経堂ですぐに発車する場合は4分で済むところ、この場合だと[千歳船橋10:36発→豪徳寺10:47着]と、11分かかってしまう。)
東北沢は未だに通過待ち駅なので、あまり比較にならないかも知れないが、やはり上りの各駅停車で7:05着→7:12発とか、いったいいくつ通過待ちをしたのだろう、という例が見られる。世田谷代田から代々木八幡まで通しで乗る場合など、やはり割を食ってしまう訳だ。
そんな不具合から解消される日がついにやって来た。12月11日の土曜日、昭和39年12月の都市計画決定から数えて何と40年の苦節を経て、一応、世田谷代田〜喜多見(6.4km)の複々線化が完成(ダイヤも改正)。先行して複々線化を終えていた喜多見〜和泉多摩川(2.4km)とつながり、末広がり(?)の8.8kmが幅広になった。高架(立体交差)の複々線なので踏切もかなり減って、どうやら30カ所分が廃止。南北の行き来がスムーズになっていると聞く。筆者が利用していた頃にできていれば、と憾んでみても過去のこと。何はともあれ、かつての沿線住民としては感慨深いものがある。
至近の線路沿い住民の方々の中には喜ばしく思えない向きもあるだろう。だが、乗客や踏切通行客の時間をコストに換算した時、この複々線化が大きく寄与することに異論はないはず。紆余曲折はあったが、この複々線をより有意なものとするために、プラス思考で受け容れ、大いに利用したいものである。(乗客側も線路沿い住民の方々に敬意を表したいもの。より実感のある複々線になることを期待したい。)
さて、待望の小田急線複々線乗車デビューは、20日後の12月31日の大晦日。ところが、期せずして雪の大晦日(21年ぶり)になってしまい、電車は動くのか否かを憂慮することに。(首都圏鉄道各線が雪に弱いことは、第9話で紹介の通り。)
後からニュースで知ったが、高速道路は、一関〜川口(東北道)、東京〜静岡(東名道)が通行止め。東北新幹線も全面運休になってしまったそうな。新宿駅界隈は雪まじり。少々出遅れたが、13:59発の快速急行 藤沢行きに間に合った。定刻に発車した快速急行。複々線区間をどう快走するのか、という期待、だが南新宿、参宮橋、代々木八幡と進むにつれ、雪が激しさを増し、不安も募ってくる。梅ヶ丘の手前からいよいよ複々線に入る。荒天のため、車窓は曇り、高架からの眺めが限られてしまったのが残念だったが、途中、豪徳寺、祖師ヶ谷大蔵、和泉多摩川で3つの各駅停車を抜いて行ったのはわかった。なかなかの貫禄である。成城学園前を通過する際、不思議な小気味よさを覚えるが、これはロマンスカーに乗らないと味わえなかった感覚。どうなることかと思ったら、この快速急行、ロマンスカー以上のスピード感でさっさと同駅を通過してしまった。何か凄いことのように思えた。
という訳で、大雪の中ではあったが、複々線区間&快速急行はしっかり堪能することができた。このまま、下北沢〜新百合ヶ丘ノンストップの醍醐味を味わえればもっと良かったのだが、そうはいかないところが、やはり小田急流。読売ランド前と百合ヶ丘の間で徐行が始まり、ストップしてしまった。
最初の停車は踏切の警報誤作動によるもの。少し動いてからまた停まってしまったが、今度は何と停電。何でも小田急相模原〜相武台前の間で架線事故が起きたそうな。
新宿<=>相模大野 相模大野<=>江ノ島 海老名<=>小田原 でそれぞれ折り返し運転をせざるを得なくなり、新宿からの下り列車は軒並み相模大野でつっかえてしまっていると言う。外は深々と雪が降り続く。もともとローカルな風景が残っている、ここ川崎市多摩区と麻生区の区界にあって、これだけ雪が降ればどこかの北国にでもいるよう。すっかり旅情モードである。だが、密閉された車内で変に暖房がかかっていたりすると、何となく息苦しくもなってきて、悠長なことも言ってられなくなる。早く動かないものか、と案じていたら、上り電車が勢いよく走っていった。程なく運転再開となり、何とか新百合ヶ丘に着いたものの、再出発したのは実に15時。(時刻表通りなら14:20) 新宿〜新百合ヶ丘の所要時間、約1時間、である。
運行をフレキシブルに変えられるのは、私鉄の強みだろう。(JRではどうなっていることやら。) その後は柿生、鶴川、玉川学園前と各駅に停車。下車する人は少々、乗り込む人は皆無という、これまたローカルな世界を目にすることになった。(この3つの駅で「快速急行 藤沢」を表示した列車が停まることはまずないだろうから、面食らって乗車しなかった人がもしいたとしたら、かえってお気の毒。)
相模大野までは動く。だがその先がどうなるかについては、相模大野に着くまでは不透明(車掌さんは何度も念押し)だったが、再度快速急行に変わり、あとは順調。相模大野から各駅停車になることも覚悟していたが、何はともあれである。(結果、新宿〜新百合ヶ丘、相模大野〜藤沢は快速急行、新百合ヶ丘〜町田が各駅停車、となった。「区間快速急行(臨時)」といったところか。)
相模大野で車掌が交代したらしく事情がわかっていない様子。正しくは47分遅れなのに、17分遅れとかアナウンスしている。どうやら、新宿発14:29発(30分後の列車)を間引いて、辻褄を合わせる形にしたようだ。
湘南新宿ライン(最速48分)に対抗すべく、新宿〜藤沢53分がセールスポイントの小田急快速急行だが、この日はさらに+53分で、倍かかってしまった。多摩方面ほどの降雪ではなかったが、藤沢からの列車も大いに乱れ、快速急行、急行ともに運転中止に。ロマンスカーは全線でストップになってしまった。(私鉄でここまで乱れたのは小田急線くらいだったようで。) 2004年は最終日まで波乱含みとなった。
複々線乗車体験デビューはこんな感じだったが、今度は実際に複々線化後の駅で降りる機会ができた。
大阪は枚方市に引っ越した際、今度は京阪電車のお世話になることになった。ここで驚いたのは、京橋〜萱島までの全長11.5kmが1980年に複々線化を終えていたこと。準急と急行はよく知るところだったが、区間急行というのが走っているのは衝撃だった。複々線だと、いろいろなバリエーションが作れることを当時中学2年生だった筆者は関知したのである。(第109話も参照)
小田急線も遅ればせながらの複々線で確かにバリエーションが増えた。西武鉄道ほどではないが、各駅停車から快速急行まで6種類。(特急を入れると7だが、特急だけで6種類あるから、細かく分けると大変なことに。)
1月15日に乗ったのは、その6種類の一つ「区間準急」(京阪電車に似ている)である。新宿駅地下ホームは各駅停車ばかりと思っていたら、この新設準急も地下ホームの発着。14:21発 唐木田行きの区間準急は、そろりそろりと動き出し、急行と同じような鈍いスピードで、代々木上原に到着。代々木上原では、千代田線直通の多摩急行との待ち合わせがあり、多摩急行が先発。何か変な気分である。東北沢〜世田谷代田がまだ複々線になっていないため、代々木上原ではどうしても先発・後発の順序ができてしまうのである。それはそうと、下北沢で町田方面に行こうとする人は、多摩急行 唐木田行き、区間準急 唐木田行きを2本見送ることになり、やはり変。また、仮に代々木上原で多摩急行に乗り換えて、経堂まで行って区間準急を待つ、なんていう先回りができてしまうのも妙な話。要するに複々線になってバリエーションが増えると、それだけヘンテコな設定も増える、ということらしい。ま、せっかく区間準急に乗り合わせたんだから、このまま目的駅まで乗ることにしよう、ということで千歳船橋に着いたのは14:37。16分間の行程となった。(ちなみに先述の1990年時刻表を見ると、始発の各駅停車下り[新宿5:00発→千歳船橋5:18発]となっている。なぁんだ。)
同じ方向で2つの列車が同時に動く。これは快挙! |
経堂方面に伸びる複々線。この区間の直線は見事。 |
この日の東京は最高気温4℃。いつ雪になってもおかしくないような雨模様の寒々とした日だったが、不思議と雪にはならず、時刻表通り区間準急を乗り終えることができた。(どうも小田急線に乗る日は天気が荒れるようで。) ホームに降り立ち、4つ並んだ線路を見る。乗ってきた区間準急が動き出すと、その横を急行列車が結構なスピードで追い越していく。今まではなかったこの光景に、改めて感慨を覚えつつ、歳月の経過を感じ入る筆者だった。すっかり装いを変えた千歳船橋駅だが、かつての面影を挙げるとしたら、改札を出てすぐのところにあった踏切の近辺だろうか。学生時代、何度か待ったをかけられた踏切道だが、それが今は南北を結ぶ広々した道路になっている。駅や線路は変わったが、踏切から見た北側・南側の商店街の感じは、踏切がなくなってもあまり変わらない。何となくホッとしてしまうのは筆者ばかりではないだろう。
この日は二人で世田谷美術館(「祈りの道〜吉野・熊野・高野の名宝〜」展)に出かけたのだが、あれこれ考えて千歳船橋からバスで往復することにしたのである。バス乗り場も昔のままだったが、バス停に着いて高架に目を遣ると、一つ大きな変化に気が付いた。千歳船橋と祖師ヶ谷大蔵の間は、環八通りが通る都合上、もともと高架になっていた。だが、両駅とも地上駅だったため、環八を跨ぐまでの間は中2階な感じの半高架。高架下をくぐってバス乗り場に通じる道路も、車高対策からか下をわざわざ掘って何とか通すような窮屈な感じのものだった。それが完全な高架になったことで、堂々と水平な道路に、しかもバスが悠々と通れる状態になっていたのである。梅ヶ丘駅行きのバスがくぐって来たのを見た時は、あぁこれが立体交差の効果なんだ、とつくづく実感した。
帰りは代々木上原で乗り換えて、職場のある神保町まで向かう。新宿まで先着という珍しい(?)各駅停車に乗り合わせたが、この各停が来る前に、さがみ号と急行が走って行ったので、ちょうど乗換不要の谷間に当たったようだ。急行の後はまたロマンスカーという順番だったようで、今度ははこね号が隣を並走している。走りながら通過させるのは確かに効率的。上りの複々線もなかなか劇的だった。
各停なので世田谷代田、東北沢でも扉が開く。ホームや出入口は昔のままである。下北沢も含め、3駅が時代から取り残されたような状態になっているが、いずれは工事が完成するだろう。その時は筆者幼少時の記憶にある沿線風景のうち、経堂〜代々木上原は完全に別物に置き換わってしまうことになる。めでたく思う気持ちの一方で、寂しさも感じる複々線化である。(世田谷代田〜東北沢は、東京百景の続きを載せることがあれば、今のうちに押さえておいた方がいいかも知れない、と思う。)
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