随筆「東京モノローグ2006」(7−8月期)
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第215話 自転車で23区を走る / 第214話 家電リサイクル法って? / 第213話 路上禁煙を考える / 第212話 PC等リサイクル施設の今

第215話 自転車で23区を走る(2006.8.15)

 東京に戻ってきた1987年。当時は自転車が日常生活に欠かせなかったことは言うまでもないが、その後、どれだけあっちこっち行ったのかは意外と把握できていなかった。ここに住んでいた頃は、こう移動して、とか、あの時はここまで大移動して、とか、断片的には覚えていても、それが具体的にいつどこまで、となると記録帳頼み。最近になって、東京都23区の全てを自転車で通行(どこかしら一部でも走行すれば達成、という安直な目安だが)し得た、つまり未走行区がなくなった、ということに気付き、記念に記録をまとめてみることを思いついたのである。

 記録帳を読み返すと、自転車に乗って初めて越境(1987年度は狛江市在住だったので、初23区)したのは、1987.4.19。世田谷区(成城)に行ったことになっている。狛江から世田谷方面は世田谷通りですぐなのだが、喜多見から東は坂を登らないといけなかったので、実はあまり越境しておらず、若かった割には恥ずかしながら狛江時代の自転車23区入りは、この世田谷のみ。

 翌年1988年4月。筆者故郷、世田谷区経堂界隈に転居してからは、魚が水を得たかの如く、自転車越境移動は朝飯前となる。過去の写真は相当数あるのだが、引っ張り出してスキャンして、となると気が遠くなるので、画像はヌキにして、その経過のみ順を追って表形式にてご紹介することとする。あしからず。

*自転車入りした最初の年月日を掲載。    の欄は23区外だが、ご参考まで。)

経由

目的地
(区の中心部以外)

日付

備考

世田谷

渋谷

 

 

1988

4月10日

井の頭通り経由。約20分。

世田谷

新宿

 

 

1988

4月25日

甲州街道経由。やはり20分程度だったか。

世田谷

杉並

 

 

1988

6月5日

教習所帰りに環七通りを北上して、高円寺〜中野と行ったことになっている。

世田谷

中野

杉並

 

1988

6月5日

世田谷

武蔵野

杉並

吉祥寺

1988

7月3日

明大前から井の頭線に沿うように走っていったが、さすがに吉祥寺は遠かった、というのを思い出す。

世田谷

渋谷

青山、六本木

1988

10月16日

アルバイト先の事務所が六本木にあったためだが、何も自転車で行かなくても、と今は思う。

世田谷

目黒

新宿、渋谷

恵比寿

1988

10月19日

この頃の恵比寿はまだ小さな駅だったことを思い出した。

世田谷

豊島

新宿、中野

目白

1988

11月5日

学習院大学の大学祭を見に行きつつ、早稲田にも。

世田谷

大田

 

田園調布

1989

3月17日

多摩川沿いにサイクリングして、多摩川園〜田園調布〜奥沢〜自由が丘と走る。

世田谷

調布

 

 

1989

5月13日

 

世田谷

千代田

 

 

1989

5月14日

青山通りを走っていたら、あれよあれよで赤坂、永田町、外堀通り、という感じ。

世田谷

中央

千代田

銀座

1989

5月14日

銀座まで行ったはいいが、せいぜい山野楽器に寄った程度だった。

世田谷

千代田

 

飯田橋、御茶ノ水

1989

7月25日

この時は大久保通りから牛込、神楽坂と通って、飯田橋へ。

世田谷

台東

新宿、千代田

上野

1989

8月4日

靖国通り〜秋葉原〜上野公園となっていて、この日、国立博物館に行っている。

世田谷

文京

台東

 

1989

8月4日

その後、谷中まで行って、根津、弥生、小石川、後楽園、飯田橋と続く。谷根千の坂道を自転車で通った訳だ。

世田谷

中央

渋谷、港

晴海

1989

8月12日

東京湾大華火祭の見物&撤収作業、というアルバイトだった。作業は終電後までかかったので、自転車で行ったのは正解だった。自転車(3段変速だったが)で走り込んでいたため、晴海〜経堂は1時間程度で走れたのを憶えている。(道路が空いていたのも好条件)

世田谷

品川

渋谷、港

大森

1989

11月19日

東京国際女子マラソンを沿道で応援する時に使う旗配りのアルバイト。(国立競技場で旗の束を受け取って、第一京浜まで。) 自転車だったので、機動的に配布できたのは良かった。筆者流、自転車マラソンである。

世田谷

三鷹

 

 

1990

8月17日

 

世田谷

豊島

中野

池袋

1990

9月26日

渋谷、新宿はちょくちょく自転車で走っていたが、池袋の自転車デビューは意外と遅かった。

世田谷

新宿、豊島

王子

1990

10月20日

世田谷区<=>北区 はいくらなんでもないだろうと思っていたら、しっかり記録されていて、我ながら仰天。学習院大学、サンシャインシティ経由で明治通りを通って王子へ。駿台学園の天文講座にも行っている。

世田谷

練馬

杉並

富士見台

1991

2月7日

宅配ピザのチラシ配りで練馬区入り。この後、2/28ははるばる大泉学園まで自転車行。

世田谷

川崎市中原区

大田

武蔵小杉

1991

11月16日

 

世田谷

川崎市高津区

川崎市中原区

 

1992

4月18日

 

世田谷

川崎市幸区

川崎市中原区

 

1992

8月8日

 

世田谷

川崎市川崎区

川崎市幸区

川崎

1992

8月8日

 

板橋

 

志村

1996

4月7日

 

川口

 

 

1996

5月19日

サッポロビール埼玉工場へ。第17話のイベントと同じ。

足立

川口

都市農業公園

2000

7月29日

「なつやすみ親子セミナー」イベントのため。

戸田

 

 

2005

10月23日

戸田市側から見た北区(浮間方面)

荒川河川敷を自転車で走って、最も西側に。(下流に向かって撮影した荒川の水面)

千代田

墨田

 

 

2006

5月1日

両国橋から隅田川下流を望む

地図

千代田

江東

墨田

 

2006

5月1日

旅所橋から横十間川下流を望む

地図

千代田

江戸川

江東

 

2006

5月1日

虹の大橋から旧中川を望む

地図

江戸川

葛飾

 

 

2006

5月1日

ここが区界(手前:江戸川区、奥:葛飾区)

荒川

足立

尾竹橋

2006

6月4日

尾竹橋(足立区と荒川区の区界)をくぐり抜ける東京水辺ラインの水上バス
(右側が隅田川下流方面)

地図

23区区分地図(ご参考まで) 経堂を起点としての4年間(1988〜1991年度)で、実に15区。世田谷区を加えて16区。しかし残りの7区を自転車で入るには、やはり転居というきっかけが必要だった。1991.2.7の練馬区入りを最後に、次の板橋区入りを果たすまで、5年以上のブランクがあった、というのは重いものを感じる。現住所の北区に引っ越してきて、晴れて自覚的に板橋区に入ったのが1996.4.7。これでやっと17区。自転車生活自体は、新宿・代々木<=>青山の自転車通勤第43話参照)などで続いていたが、未走行区を走ろう云々という意識はなかったので、ここでまた間隔が空いてしまう。北区〜豊島区〜新宿区〜渋谷区のルートで通勤用自転車を運んだ一大イベントがあったり、自転車通勤の延長(所用)で千代田区・目黒区・中野区・杉並区第46話参照)などがあったりしたが、要するに23区の西側がメインだったのは変わらない。

 次の未踏区、足立区入りは何と2000.7.29になってからである。その後、自転車通勤は青山から田町にシフト(恵比寿<=>田町の自転車通勤は短期間ではあったが、東京百景[第102話]をまとめる上で重要な布石となった)、田町から再び青山にシフト、とウロウロするも、要するに港区周辺は自転車でよく走った。その一方で、23区の北東〜東部はまだまだ疎遠。第148話の通り、北区の施設で働くようになり、自宅<=>王子の自転車通勤の延長で尾久まで足を伸ばすも、この時は単に明治通りを走っただけだったので、境界ギリギリで荒川区入りは果たせず、という有様。(まさか荒川区が最後になるとは、この時は思いも及ばず。)

 足立区から6年弱。2006.5.1は、記念すべき日となった。2006年最初の真夏日、というのも記録的だが、筆者にとってはそれ以上である。神保町勤務時代(2004.6〜2005.6)の職場が、ビル建替に伴い移転せざるを得なくなったというので、引越作業を手伝いに行ったのだが、その際、廃棄される運命にあった自転車を引き取ることを決意。帰途、グリーン・チャリ東京に寄って、タイヤの空気を入れ直して、いざ出発。めざすは荒川クリーンエイドの事務所(江戸川区東小松川)である。真夏のような陽射しの中だったが、カラっとしていて実に爽快。靖国通り〜両国橋〜一之橋通り〜馬車通り〜旧千葉街道〜虹の大橋・大島小松川公園〜新大橋通り〜新船堀橋〜船堀街道と、川を越える度にひと息つきながらゆったり走る。期せずしてこの日一気に、墨田・江東・江戸川を走破できてしまったのである。同事務所の帰りは、自転車で新小岩へ。平和橋通りを何気なく北上していたら、「葛飾区」の標示が出てきてビックリ。新小岩駅は葛飾区、というのをすっかり失念していた。果たして、5月1日の一日だけで、これまで無縁だった23区東部4区の自転車走行を達成。となると残るは荒川区ただ一区。

 だが、この時点でもまだ「23区を自転車で!」というのは意識していなかった。6月4日の「身近な水環境の一斉調査」で尾竹橋での調査を手伝いに行く機会がなければおそらく先延ばしになっていただろう。

 という訳で、その6月4日は、集合時間の9:30に尾竹橋にたどり着くべく、荒川河川敷を自転車で東進(南下?)。荒川マラソンが行われている中、時間をかけて、初めて西新井橋まで。(これまではせいぜい江北橋程度。) 江北橋以西は足立区に入る。(よく考えると、足立区入りもこれで2度目?) 途中、様々な鳥の啼き声を聴き、草の匂いに触れ、はたまた「千住桜木自然地(河岸)再生工事」なる現場も通ったり、いろいろな発見があった。千住桜木バス停が見えたら河川敷から離れ、尾竹橋へ。1987年から実に19年余り。23区自転車入りはここへ来て果たされた。都内をあちこち動き回っている筆者(23区内の鉄道駅は、つくばエクスプレスの青井六町を除き、全駅乗降済みetc.)だが、自転車での移動というのは弱かった。これだけ時間がかかるとはねぇ。

尾久の原公園 水質調査の概況と結果はさておき(⇒詳細、尾竹橋から見る隅田川、尾久の原公園、電化通り...都電から見えない荒川区北部もまた佳いものだなぁと思った次第。尾久の原公園は「ミゾコウジュが満開」との報を得て立ち寄ったが、何となく紫のミゾコウジュ似(?)の植物を早々に見つけたことが裏目に出て、結局観賞できず。(左写真のような感じで開けていたので、湿地らしき箇所まで行けばよかったのだが... また来年のお楽しみ、としよう。) 熊野前からは都電荒川線沿いを走って、明治通りまで。初乗り入れの荒川区だったが、面積が小さいため、初回にして同区の東西軸の半分程度は走ってしまった感じ。感慨深いようなそうでないような...(^^;

 今度は趣向を変えて、山手線各駅の駅前を自転車でどう通ってきたか、でも検証してみるか。いや、それこそ記録をたどるのが大変そうだ。w(--)w

第214話 家電リサイクル法って?(2006.8.1)

 7月は「家電リサイクル法(特定家庭用機器再商品化法)にご縁があったようで、講座に始まり、調査に終わった、そんな感じである。

 7/2、例の消費生活アドバイザーの資格更新講座の一つとして「家電リサイクル法 施行状況と環境問題」を選択。講師は(財)家電リサイクル協会の部長級の方。現場を熟知されている方(大手メーカーからご出向)の話だけに臨場感があり、盛り沢山! 90分はあっと言う間。納得の講座だった。以下、その要点などを雑記する。

・一般廃棄物5,000万t中、60万tが廃家電品。

・街を巡回する無料引取業者は違法行為には当たらないが、あくまで無料回収(リユース)が前提。有料で引き取ろうとする業者がいたら、それは違法。

・東松山にある浜屋は、その筋では著名。粗悪品を送っても途上国では受け付けられないので、きちんと修理した状態で輸出している点、好評なんだとか。

・家電4品目で1,900万台が廃品になるが、再商品化施設(プラント)に戻ってくるのは1,200万台。700万台が海外へ渡っていると推測されるが、粗悪品は日本に戻ってきているはず。それはいったいどこへ?

・再商品化に競争原理を働かせるため、A:既存業者系、B:メーカー投資による新設系、の2つのグループで再商品化プラント(指定引取場所)が運営されている。19のプラントで見学を受け付けているので、せひ見てほしい。

※オススメは、日立系の東京エコリサイクルとか東芝系のテルムなど。第212話の続編として、今度はこのあたりを画策中。

・家電リサイクル法施行後、5年が経過し、これまで5,200万台を回収。リサイクル料金を支払う必要があるのに、これだけ回収できるというのは世界的に快挙なんだそうで。

・エアコンの非金属系部品の有価物として、プラスチックの比率が増え、再商品化率がアップ。再生プラが進化したことの表れ。

・テレビの再商品化率は、国内メーカーがブラウン管を撤退した時期に下がったが、マレーシアやタイなどのブラウン管工場に対し「工業製品」として輸出できるメドが立ったことで再び再商品化率が上がった。(ブラウン管はまだまだ排出されるが、国内では洗浄後ブラウン管の引き取り先がなくなったため、こういうことに。)

・中古品の海外輸出(不正)は国が対応すべき。輸出したとしても、その国への技術支援やプラント設立支援などが必要だろう。

・この5年間で、不法投棄された廃家電品は17万t。回収された家電品の実に1%どまり。不法投棄への対策に力を入れるのは非効率的ではないか。

 この他にも、ヨドバシカメラ・ビックカメラの「福岡事件」、フロンのケミカルリサイクル、リサイクル料の前納・後納の是非、環境配慮設計(DFE)への質的転換、静脈産業の動脈化、ケータイや液晶ディスプレイのリサイクル実態、家電リサイクル法改正時にはパブコメを!... といった話も。PCリサイクルについては、この記事を書くにあたり自分なりに見聞を得たが、これで家電リサイクル法もバッチリ(?!)といったところ。

 さて、調査の方はと言うと、第212話の混成チームの流れで、今度は急遽「家電リサイクル法」に関する街頭意識調査を!と相成った次第。これも何かの思し召し。同法の最新の知見を得た後だったこともあり、招請をお受けした。題して「秋葉原で100人に聞きました」。筆者としてはズバリ、昨年ご紹介した第193話の応用編である。(調査手腕はいざ知らず?)

 概況は、以下の通り。週間予報では曇りだったので、夏場の調査でも大丈夫だろうと踏んでいたのだが、まさかこの日に梅雨明けになろうとは! 暑さ対策等、万全ではなかったが、まぁ晴れ晴れとした中で調査できたのは良かった。

【調査実施日】

 2006年7月30日(日)


【調査場所と時間】

  • T 13:20〜14:00
     まずは、中央通りに架かる総武線のガード下

  • U 15:20〜16:10
     場所を変えつつ、休憩を挟みつつ、再び中央通り(元神田3〜4丁目)へ

 実質90分程度。


【回答数】

 2チームで手分けして、106人から回答を得た。*つまり180分(90分×2チーム)かけて100人あまりという計算。一人に聞くのに約100秒。


【概況】

 今回の調査スタッフはFoE Japanの方々が主力。質問フリップや回答記入用紙等、小道具も用意してもらったので、筆者は専ら当日の陣頭指揮役。急だったこともあり、当日対応しか考えておらず、肝心の調査意図や回答集計結果の扱いについて十分説明できるとは言い難い状態でのスタート。案の定、回答者とのやりとりでは少々手こずってしまった。(説明役(=街頭調査の企画発起人)当人はあいにく所用につき、調査時間帯は不在。何ともアカウンタビリティに不備が残る街頭調査となった。)

 一人は看板持ち 兼 撮影係。残る4人で2チームに分かれて展開。昨年の経験上、ノリの良さそうな人に聞く、にこやかな人をうまく引き止めるのがポイントというのは同じ。コスプレ系の人も対象としては絶好だったりする。新宿での調査(2005.6.5)との比較で言えば、秋葉原は順風モードである。

 晴天の歩行者天国、というのも好条件。自転車を押して歩く人にも協力してもらえる、というのは大きい。フリップを持って立っていると、耳の不自由な方も応じてくれる。テレビの収録?と立ち寄ってくれる方もいらっしゃり、そうした人がまた人を呼ぶ、という面白い現象(連鎖反応)も体感できた。

総武線ガード下での調査の一コマ できるだけ幅広い年代の方々に聞き取るつもりだったが、場所柄を反映してか、結果的には総じて若い男性から得た回答が多くなった。特にストリートパフォーマー系モデルさん(適切な表現が見つからない...ネットアイドルとはまた違うような?)を撮影する取り巻きの近くにいた(いや気付いたら遭遇していた)こともあって、その手の男性諸氏の回答が増えてしまったのである。

 歩行者天国をそうした人だかりがゆっくり動いていく様は、何とも悠長な感じで悪くない。第U部の調査は、秋葉原駅からちょっと距離はあるものの、人波は多い、されど人の流れにゆとりがある、そんな中で実施。午後も深まってくると、しっとりしてくるんだろう。第U部の方がやりやすかったのは確かである。(第T部のガード下は喧騒もあったし、暑熱の盛り、人の動きも盛り、という感じで落ち着いてできなかった。場所は心して選定せねば。)

 今や「秋葉原=家電」でもないのは周知の通り。だが、家電ネタで街の声を聞くとなると、やはりアキバしかないだろう。単純に「家電と言えば何?」なんて問いならやりやすいが、「家電とリサイクル」という観点では切り出しにくい面もなくはない。予め選択肢を用意してある点が、昨年の街頭調査とは違うところで、それなりに円滑に進んだのは良しとしても、ストーリー的にはもうひと工夫必要だったようだ。何はともあれ、以下のような設問(流れ)を準備してもらって実施した。(詳しくは、FoE Japanのこちらのページをご参照ください。)

【アンケート内容】

  • Q1 家電を使わなくなったら、どうやって処分しますか?(複数回答可)

A 販売店にお金を払って引き取ってもらう=26

B 自治体に「粗大ごみ」として出す=37

C 自治体に「燃えないごみ」として出す=6

D 無料回収車に出す=16

E その他=17

 「対象4品目→小売店」「その他の家電品→自治体(粗大ごみ等)」というのが現・家電リサイクル法の想定ルートだが、これがどこまで認識されているかは不明。家電品と聞かれた時に、その人の大まかな処分イメージを問うのが狙い。

 どんな大型家電でも解体(または破砕)して、粗大ごみ扱いではなく、不燃ごみとして出す、というツワモノもいれば、勝手知ったる電器店の廃棄場所にさりげなく放置、なんていう元店員の人も。

 無料回収は「来たら利用する」という人が多かった。「大型テレビはNG」「壊れてても持ってってくれるので助かる」など、実情を反映した答えが聞けたのも成果。物品によっては無料でなかったりするケース(無料なら違法ではないが...)に憤る人もいて、利用経験者はその経験談の豊富さがまた特徴的だった。

 Eのその他回答では、「友人に譲る」「捨てずに保管」など多彩。お金を出してまで引き取ってもらうのはもったいない、というパーツに詳しい方(マニア?)は、とにかく部品レベルに分解するとかしないとか。「親に任せているので詳しく知らない」「買い替えたくても買い替えできないから、長く使う」...そんな答えもあった。


  • Q2 「家電リサイクル法」というものがあるのは知ってますか?

A 知っている=81

B 知らない=25

 家電リサイクル法の存在は、この通り多数が認識しているものの、その制度の詳細となると、怪しくなる。現行法で対象となっている4品目を全て言い当てた人は3名どまりだった。

 知っていると言っても温度差があって、「聞いたことはあるけど...」が多かったようだ。「詳しいことは忘れた」という若い女性もいた。学校で習ったのだろうか?

 マニアっぽい人の中には、PSE法(電器用品安全法)と勘違いしている人もいた。「あ、違うんだ」と、ちょっと自尊心が傷ついてしまったかのような口ぶりだったのがこちらとしては一興だったが、勘違い、大いに結構。春先、PSE法の顛末がマスコミで多く取り上げられたことで、電気製品はリサイクルされるもの?という認識が広まったことがこれでわかった。


  • Q3 家電リサイクル法の対象になる家電は何でしょう?

 正解は以下の4品目。それぞれ複数回答で出た数を付す。

冷蔵庫=29

テレビ=27

エアコン=20

洗濯機=16

 大型家電が対象になることはよくおわかりのようで、概ね冷蔵庫が筆頭に挙がった。テレビは正確にはブラウン管式のみなのだが、大小問わず挙げる人が多かった。エアコンはクーラーという言い方で答える人もチラホラいたが、正解は正解。自分では取り外すことが難しいので、要下取り、つまりリサイクル、という着想のようだ。

 ここまで3つはよく出てくるのだが、4つめとして洗濯機、が出ない人が多かった。自分があまり使わない(特に10代若者)からか、いや、長期使用傾向が強いからか?

 筆者が聞いた中では、PC、電子レンジ、オーディオ機器、電磁調理器も出てきた。4〜5人のグループは聞きやすくていいのだが、次々といろいろな家電の名前が出てくるので、記録が追いつかなかったりもする。(「古今東西!家電の名前ゲーム」になってしまったような?) PCは別として、4品目以外の家電品は法の対象ではない旨伝えると、「もっと対象を広げてもいい」との答えも。

 メーカー批評が飛び出したかと思えば、しっかりした問題認識を持っている人も。特に「オゾン層破壊物質を含む家電は対象ですよね」にはおそれいった。

 と、こんな感じで、秋葉原での時間は過ぎていった。延々と時間をかければいいものではないが、数をこなせばいいというものでもない。回答者一人あたりの所要時間の見極め・見積がカギだろう。「街の声」として貴重なコメントが得られることをしっかり想定して、熱心な方が現れたら、じっくり聞くのも手だと思う。

 秋葉原はやはり個性的な人が多い印象。「個性=主張」と結び付けられるなら、うまくその主張を汲みたいところ。聞けば主張が出てきそうな人は確かに多かったが、今回はそこまでは時間は割けなかった。機会があれば、「あなたの主張、聞かせて」調で調べてみるのも良さそうだ。

 家電リサイクル法は改正にあたって、いま正にパブリックコメント募集の真っ最中。(⇒「家電リサイクル法の見直しに関する意見募集について」)*8/23まで!

 今回の調査結果&皆さんからのコメントを受けて、筆者も一筆出すとしますかね。(^^)

末筆ながら、ご協力いただいた皆様、ありがとうございました!

  • こちらもどうぞ ⇒ 家電品に関する話題

第40話 待機時消費電力 / 第112話 家電品の省エネ性 / 第157話 家電品の省エネ性 2004

 

第213話 路上禁煙を考える(2006.7.15)

 健康増進法、千代田区の生活環境条例...今から約4年前、「受動喫煙防止」を社会的なコンセンサスとして明確にし得たのは、この2つがあってのこと。4年が経過し、特に路上における禁煙を条例化する自治体は増え、23区では、杉並、大田、品川、板橋、中央、世田谷、新宿、足立、渋谷、豊島、台東などが追随。名称や罰則は違えど、路上禁煙を定めた区が大半を占めるに至っている。(ちなみに、2003年5月頃は、こんな状況だった。)

施行年

区名

条例名称

2003

東京都杉並区

杉並区生活安全及び環境美化に関する条例

 

東京都品川区

品川区歩行喫煙および吸い殻・空き缶等の投げ捨ての防止に関する条例

 

東京都目黒区

目黒区ポイ捨てなどのないまちをみんなでつくる条例

2004

東京都中央区

中央区歩きたばこ及びポイ捨てをなくす条例

 

東京都板橋区

エコポリス板橋クリーン条例

 

東京都大田区

清潔で美しい大田区をつくる条例

 

東京都世田谷区

世田谷区ポイ捨て防止等に関する条例

(参考情報⇒「東京の観光:喫煙編」「歩きたばこ禁止条例」)

新宿駅西口でのキャンペーン。PRするにはあまりに地味。(というかセンスが...)

港区は「みなとタバコルール」を呼びかけているが、効果の程は?

あまり知られていないようだが、錦糸町駅(墨田区)でも路上禁煙は呼びかけられている(垂れ幕に注目)

同じく錦糸町駅での「喫煙処」。ここで吸殻を処理せず、そのまま駅近くまで行って、券売機手前でポイ捨てするケースも見受けられる。(それではここの存在意義が...)

 タバコ本体も7月から値上げされ、喫煙できる場所も狭まってくる。都市生活における喫煙は逆風下。しかしながら、北風と太陽の如く、風が強まるほど依怙地になる、ということもある。路上禁煙が指定されていない、または明瞭でないエリアでは、まだまだ喫煙者が大きな顔をしていたりする。隙あらば一服、路上禁煙どこ吹く風、そんな感じである。(喫煙される方、お気を悪くされたら、ご容赦の程を。)(v_v)

 千代田区の当初の指定地区では、確かにポイ捨てや歩きタバコは減ったと見受ける。罰金を徴収される場面がテレビで大きく映し出されたのが奏功したのだろう。だが、そうした場面が放映されることが減り、実際に罰金を科されている現場を目撃することも少なくなってくると、不届き事例が頭をもたげてくる観あり。通勤途中、移動途中、御茶ノ水や麹町の路上禁煙エリア内で、最近でもたまに歩きタバコに出くわす。明らかにそれとわかるエリアでの喫煙! 字が読めないのか、単なる反抗期か、よほどの依存症か、その全てか...区内の生活環境向上のため、と税金を納めている個人・法人にとって、大きな損失である。(そういう場面では、できるだけ厳しい視線を向けるようにしているが、大抵は知らぬ存ぜずでそのまま歩き去られてしまうのがオチ。)

 だが、よくよく調べてみると、指定地区での歩きタバコを助長する要因があることもまた事実なのである。

  1. メインストリートの店先に置いてある灰皿、店の前にある喫煙コーナー

     これは四谷駅から半蔵門方面に向かって、新宿通りを歩いている時に痛感する。建物の出入口に灰皿が置いてあるのは、何も公開型の喫煙コーナーにするためのものではないはず。だが、「どうぞこちらで」と堂々と掲示して、喫煙者を誘う商店(麹町駅付近)もあったりするから、灰皿=解放区、という風潮を助長してしまうのだろう。路上と言えど、区の所有ではない土地・建物との境界付近での喫煙に対しては、条例の及び方が微妙なのは確か。灰だけにグレーなのかも知れないが、路上禁煙にグレーゾーンは作ってほしくない。喫煙可能スポットを設けるにしても、何らかの基準が必要と思われる。
     

  2. 指定地区とハッキリ表示してあるのがメインストリートばかりで、脇道に入ると表示が不明

    路面平板の例(錦華通りにて) 神保町・猿楽町界隈は、一帯が指定地区になっているが、幅が狭い道路が多いことから、ステッカー表示や案内板が十分に展開できず、禁煙地区とわかりにくいのは事実。おまけに歩道上(路面)の表示が塗装によるものだった折りは、早々に不鮮明になってしまって、言い逃れの口実を与えていた。だが、今はこの通り、平板(磁気質タイル)で鮮明に。メインストリートは勿論のこと、脇道を含めて、しっかりこうした表示を広めてもらいたいものである。(歩く目線上にもそれとわかる工夫が欠かせない。)
     ちなみに麹町界隈を歩く時は、上記の民営堂々喫煙スポットを避けるべく、新宿通りから1本、平河町寄りの脇道に入ることが多い。だが、これは自縛行為。向こうから喫煙者、横道からも喫煙者、後ろからもタバコ臭が、なんて事態に見舞われる。実は指定地区は新宿通り以北で、1本ずれると、路上喫煙OKになってしまうのだった。これは非喫煙者にはたまらない。喫煙者は何とかして活路を見出す、というのがよくわかる。しかし、新宿通りを抜けた途端、堰を切ったように吸い出すというのもちょっと...

 こうした要因に加え、千代田区の場合は、全国に先駆けての取り組みだったため、最初から全ての繁華街や駅頭が一斉に指定されていないことがハンディになっているようだ。後から地区を追加する形をとっているが、その後発地区での認知度が低いため、区全体で見るとバラつきが生じ、効果が頭打ちになっているのではないかと。

 秋葉原は、今年3月に新たに対象地区となり、中央通りでの定点観測では相当の効果あり、とされているが、筆者はどうも効果が出ているとは思えない。秋葉原と岩本町の間、つまり昭和通りを歩いていると毎回のように歩行喫煙者に遭遇するし、AKIBAヨドバシの前(向かいは、都バスのロータリー)、特に街路樹の根元部分には、これだけのポイ捨て吸殻が散見される。(ここの街路樹の近くには、ちょっと腰を下ろせるサークル状のシートがあるので、そこで一服する衆が多いのである。)

これが根元を埋める吸殻の実態

その街路樹近くにある案内板など

 大きく路上禁煙の案内板が出ているにも拘らず、それを嘲笑うかのような行為。所詮、アキバ(≠あきらめれ?)ということか。(いっそのこと、滞在型喫煙を招く要素があるエリアには、煙探知機と放水・散水装置をセットしてはどうかと思う。まずは警報、そして30秒以内に消すか、立ち去らないと水が出る、という仕掛けである。水は雨水の循環利用で十分だろう。)

 路上禁煙の包囲網が広がるにつれ、喫煙者を擁護するつもりか、路上喫煙コーナーも増えてきている、というのがまた悩ましい。何もそこまで...というのが正直なところ。それなりに維持費がかかるはずなので、自治体がわざわざ設置するんだとしたら、納税者(非喫煙者)は納得いかないだろう。禁煙したばかりの人は煙の誘惑に弱い。このコーナーがまた目立つところにあったりするので、ついまた一服、という悪弊を招きかねない。負の連鎖要因、つまり逆効果というものだ。

 喫煙者諸氏は、ここぞとばかりに悠々と吸っているが、集団で煙を吐く図は、大気汚染などの公害ドキュメンタリーに出てくる、かつての工業地帯・コンビナートの煙突群のよう。有害物質を体内に取り込みながら、それをまた大気に放出する。まるで荒行をしているよう。よく平気なものだ。

 さて、春(〜初夏)の荒川クリーンエイドの結果をまとめているところだが、タバコの吸殻・フィルターは、現時点で3200近くに上り、堂々のワースト1位。路上で締め出された輩が、河川敷に逃れてスパスパ&ポイ、という連関が想像し得る。河川敷や河川公園は、人が密集する空間ではないが、受動喫煙の害が全くないとは言えないし、逆に少しでもいい空気を吸いに来た人にとっては、迷惑千万だろう。路上に限らず、総じて公共の空間は禁煙にしてほしいものだと思う。(これまで一本たりともタバコに手を出したことのない筆者は、ひたすら除ける、マスクでガードする、団扇であおぐ、など自衛するのが当たり前になっているので、今さらどうこう言うものでもないが。)

  • こちらもどうぞ ⇒ 禁煙に関する話題

第105話 お客の作法など / 第114話 禁煙席 / 第164話 「ちょっと待てよ、と思うこと」2004 / 第189話 公共物のダメージケア

 

第212話 PC等リサイクル施設の今(2006.7.1)

 市場が急拡大している製品は、表向きは華やかだが、廃棄・処分されている量もまた甚大なため、必ずしも時代の華とは言えないこともある。ケータイやPCに代表される電子情報機器についても例外ではなく、ユーザーにとっては使っている間が関心対象であり華。製品ライフサイクルが短いのは必定で、当然、買い替え頻度も高い。新品を買った時点で、これまでの製品はお払い箱。それが流行り廃りというもので、使用後の行く末を気にする人があまりいないのが現実だろう。

 環境月間に相応しく(?)、6月最後の週、月曜が筆者定休日ということもあり、6月26日(月)で日程調整し、使用後の電子機器の処理の実態を追うべく、事業系廃棄物のリサイクル事業大手であるシンシア社のリサイクルセンターを実地見学することにした。

 件の環境ニュースでおなじみの東アジア環境情報発伝所メンバーを中心に、FoE-Japanの方などを含む混成チーム8名で見学に赴く。PCについては、リサイクルの仕組み(PC3R)がより確実になったため、近年の国内メーカー製品に関しては、こうしたリサイクルセンターに集められ、分別・解体され、再利用される、ということは概ね承知していた。だが、ケータイやその他の電子機器・情報装置は?... とにかく百聞は一見に如かず、である。

 JR大森駅で下車するのは実に久しぶり。時間にゆとりがあれば、「アド街ック天国」の大森編の情報を標に、山王方面などに足を向けようとも思っていたが、案の定、時間不足。昼食の時間くらいは見込んでいたが、いざとなるとこれといった店もなく、時間が読めるファストフード店で済ますことにした。おかげで、集合時間の15分前には送迎バスの発着場所に行けそう。さて、と席を立とうと思った矢先に、店内調査員に止められる。何たるタイミング! 新商品を含むクーポン券を利用していたのが目に留まっていたらしい。リサイクルセンター見学会を引率する立場上、早めに集合場所に行っておくに越したことはない。だが、当のファストフードチェーンには、日常的にいろいろと思うところがあるので、こうした機会を逃す手はないし。(ムムム...) 5分なら、ということで引き受ける。だが、あれこれ答えていたら、つい熱が入ってしまい、利用状況など全般的なアンケートのところで時間切れ。肝心の新商品に関するアンケートに答える時間がなくなってしまった。まぁまた大森駅に戻ってくるので、用紙を預かって、ということで何とか切り抜けた。ヤレヤレ。

 駅からほんの数分、13:20に集合場所に到着。集合場所を表示した紙を掲げて待機OK。程なく、参加予定者が集まり、今回のガイド役、シンシア社 社長室の方も送迎バスともども現れた。第141話の築地市場見学の際も遅れて来た某さんが今回も遅刻だったのが、ちょっとしたアクシデントだったが、何とか15分遅れで済み、バスは出発。

八潮車両基地に入線するりんかい線 鈴ヶ森、大井競馬場を経由して、八潮パークタウンを横目に新幹線基地を跨ぐ。大井税関を左折してしばらく行くと、目的地。リサイクルセンターに入る手前で踏切にかかる。ちょうど踏切が鳴り、何が通過するのかと思って見ていると、何と東京臨海高速鉄道(りんかい線)の車両が走って行くではないか。こんなところに車庫があったとは!(ここに駅があれば、シンシアはじめ、付近の商船や物流関係の従業員の通勤には打ってつけだろう。) ちょっと不便な立地だが、都市で出た廃棄物は都市で処理する、というのが同社のスタンスの一つ。事業系に限るとは言え、23区内にこうしたセンターがあるのは、ある意味心強い。

解体後の素材別見本 何だかんだで現地(⇒地図には14時過ぎに到着。会社概要の紹介、リサイクルセンターに隣接されている「R・C(Resources Cycle)センター(焼却中心だが、廃熱回収(サーマルリサイクル)と焼却灰・溶融スラグなどの有効活用(=ゼロエミッション)がウリ)の模型を使った説明などを受け、今回お目当てのリサイクルセンターへ。ここからはヘルメットを着用しての見学。現場感覚たっぷりである。

 1998年3月に設立・開業したリサイクルセンターは、資源循環の時代の流れに即応して、8年経った今となっては稼動状況は益々良好。年間4万台に上る各種機器・装置の分別・解体が行われ、特に情報系機器や小型機器については、その処理の確実さ・精細さから、多くの取引先を有するそうだ。

 デスクトップPC付属の大型モニターが山積みされているのが痛々しい。かつては家庭用PCと言えば、これが主流だったが、今となっては時代の遺物といったところか。これもしっかり分別・再資源化(例:ガラスは種類別に分けてカレット化)されるので、まぁよしとしたいところだが...

HDDは専用の機械で穴を開ける 局舎内装置や汎用コンピュータなどの大型機器も目に付くが、高度な情報を扱う機器ほど、やはり高度な処置が必要ということの裏返し。情報漏洩を防ぐための機能破壊方法も入念で、いわゆる主記憶装置(HDDなど)は、機械的に穿孔処理を施すことになっている。

 手作業をベースにした解体作業は、手間はかかるが、再資源化率を高めるためには不可欠な要素(サーマルリサイクルを除く再資源化率は89%)。いわゆる熟練工の技量を要する作業が求められる。ただし、売り出されるタイミングはほぼ同時期ながら、廃品になるタイミングはバラバラなことが多いのがこうした機器の特徴。種々雑多な新旧製品が流入してくるため、作業手順にバラつきが生じ、混乱が全くないとは言えないそうだ。

 リサイクルしやすい設計が進んだと言われるノート型PCだが、ネジが使われなくなった分、特殊な接着剤を多用する傾向が出て、解体しにくくなっている面もあると言う。こうした作業現場の声は、同社が取り扱うPC製品の主力メーカーに対し、設計・開発段階から反映させることは長年続けられてはいる。製品のライフサイクルが短期化したことで、そうしたフィードバックが活かされなくなっているのだろうか。

 携帯電話機はまず、機能破壊(クラッシュ)をかける。希少金属類を含む部品は外されて、金、銀、白金、パラジウムなどが再利用される訳だが、電話機の筐体の再利用(マテリアルリサイクル)は行っていないそうだ。(植物性プラスチックでできた「エコケータイ」。この筐体の運命やいかに? 製造時の環境負荷が少ないのはわかるが、素材として再度活かされない、というのはちょっと...)

 電子機器に欠かせない基板類については、基板そのものを取り外すところまでを行う。つまり、基板を溶かして希少金属を含む半導体部品等を取り出すといった人体や環境に影響を及ぼす可能性がある作業はここでは行われない。(地方の精錬工場に引き渡され、分解・抽出されるとのこと。)

リサイクルセンター2Fの作業スペース そのため、取り扱う製品が煩雑な割には、作業環境はいたってクリーン。製品分野で大別されたレイアウトに従い、作業台が配備され、スタッフが整然と作業している姿が印象的だった。これが先進事例と言えるなら、他国での分別・解体現場には大いに参考にしてもらいたいし、同社から技術的な支援などが為されれば、いわゆるE-Waste問題の何らかの糸口になるのではないか、とも思う。

まだまだ使えそうな新古品? さて、作業台の傍らには、未使用のLANケーブルやプリンタケーブルなど、PCの同梱品と思われる付属品が新品同様の状態でカーゴに満載されている。こうした製品の末路を見るにつけ、そもそも要らない物を売らずに済ませることも考えておくべきでは?と思う。再資源化を進めるに越したことはないが、矢継ぎ早に市場に投入される新製品に惑わされることなく、今持っているものを購入者がいかに長く大事に使うかも重要。この視点を持ち続けることと再資源化の取り組みがセットになって初めて、循環型社会というものも機能するのではないか、などと考えながら、リサイクルセンターを後にする。

 さすがは混成チーム、熱心な参加者が多く、質問も多種多様。予定終了時刻はもともと定かではなかったが、送迎バスに乗り込んだのは16時をとうに過ぎた頃だった。見学中は、リサイクルセンターのセンター長にも立ち会っていただいたが、息つく間がなかっただろう。(いろいろと即答していただけて、ありがたい限り。) 随分と長居したものだが、その分、現状認識も深まったようで皆さんご満悦の様子。引率者冥利に尽きる、というものである。

 解散前に、大森駅近傍のコーヒーショップでふりかえりを行い、情報の共有と追加質問の整理をする。シンシア社には改めて質問等を送り、その返答をまとめて見学会の記録(兼 E-Waste問題解決に向けた基礎資料?)を作成する予定。我ながら、環境月間らしいアクションだなぁ、と思う。

 


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