随筆「東京モノローグ2015」(5−6月期)
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外出時などの普段使い用に眼鏡(六代目)を新調 第427話 眼鏡三様

5月31日の最高気温、32℃!(@丸井上野店) 第426話 五月の真夏日

駐車場のケヤキは伐採・・・路面の凹凸はなくなった。樹種はツツジに。 第425話 理事会のことW

各行それぞれ・・・「新幹線鉄道開業50周年記念100円クラッド貨幣」 第424話 記念貨幣

第427話 眼鏡三様(2015.6.15)

 受験勉強で目を酷使したのがきっかけで、高校に入る頃にはすっかり近視になっていた筆者。それでもしばらくは眼鏡を使う程ではなかったので、騙し騙し日々過ごしていたが、部活で吹奏楽をやっていた手前、ある時期から譜面が読みにくくなってきて、観念することに。初めて眼鏡のお世話になったのは実に30年前。1985年のことである。

 その初代メガネは、学生時代も引き続き使っていた(と思われる)が、1987年9月某日、新宿にあった「メガネのさくらや」で黒縁のを手に入れてからはそれがメインに。次に常用のメガネを買い換えたのは、社会人2年目、1992年4月6日のことである。

 そのメガネを三代目とすると、その時代は長く、何を隠そう未だに現役である。ただし、メインで使っていたのは、コンタクトレンズにする前(1995年3月某日)まで。コンタクトレンズ生活約15年の間は、就寝中などレンズを外している際は使っていたが、要するに裏方に回っていたのである。

 花粉症発症から何年かが経ち、レンズが目の痒みを助長するようになったこともあって、2010年に再びメガネ生活に戻した際は、「お手頃価格で相応のデザインのメガネ」第320話の14.参照)にしたため、三代目は引き続き裏方。そのお手頃な四代目は、2010年5月4日から使い始めたが、もともと矯正の度合いを低めにしていたため、遠くがよく見えないのが日常化すると、知らず知らずストレスになっていた。

 そんな折、PCメガネなるものが流通し出し、遂にJINSデビューすることになる第368話の10.参照)。買ったのは2012年9月15日、引き取りに行ったのはその1週間後だった。常用メガネとしては五代目に当たる。四代目はこの時点で、お蔵入りとなった。

(上)四代目:お手頃メガネ

(下)五代目:PCメガネ

同じ黒縁でもデザインは大違い...

 裏方に回り、頻度が落ちたとは言っても、長年使っていればあちこちとメンテが必要になるのは物の定め。何とか持ちこたえている感じの三代目だったが、2010年3月にパッド(鼻あて)、2013年11月に先セル(耳あて)を某店のサービスで直してもらえたことで、すっかりイイ感じに。もともとよく見えるメガネだったので、徐々に出番が増えることになる。

三代目は、このサービスで復活

耳に当たる部分「先セル」を新品同様に仕立ててもらえた

 一方、五代目のPCメガネは、PC作業には向いても、日常使用では厳しい面があることがわかり、大いに悩むことに。かくして、先セルが直った三代目は、2014年にはすっかり普段使いに復帰。今度は、PCメガネが裏方に回ることになる。

 次に動きがあったのは、2014年8月30日。第408話に書いた地下歩道散策の日である。散策を終え、東京から上野に出て、JINSに向かい、PCメガネのフレームはそのままで、レンズを新しいものに交換。出たばかりのPCメガネ用新レンズである。これまでのPCメガネと違い、違和感はなく、PC作業では特にその効果を実感した次第。職場にいる間は、普段使いも可能な感じになり、ずっと楽になった。

 という訳で、職場ではこの新・PCメガネ、昼休みや外出時、自宅では三代目という日々が約9か月続くのだった。本題の「眼鏡三様」生活は、6月6日から。この日、新たな一本が加わり、三様になったのである。

 実は三代目を普段使いするようになってから、そのデザインの陳腐さが気になるようになり、せめて外出用は、イマドキのメガネにしたいという思いが強くなっていた。5月31日に店頭でチェックし、そのデザイン性に感じ入った筆者は、同じものをネットショップで見つけて、購入。5月末までは3割引というちょっとした特典があって、それに乗っかったという訳である。いいタイミングだったと思う。

 現物で撮らせてもらい、ネットショップで品番などを検索。買ったのはこれ

こちらがその六代目

 よりお安く買うことができたフレーム(レンズ交換券つき)を手に、再び上野のJINSに向かい、新調したのが6月6日。(この新メガネ、フレームで数えるなら、六代目ということになるので、あくまで偶然だが、6づくしである。) 三代目と比べると、レンズの上下幅が狭いため、それに合わせて視界も狭まった観が多少あるが、重要なのは度数。店員さんの配慮もあり、三代目と同じ度にしたため、よく見え、外で使う分には実に快適である。普段使いモードにして1週間が経つが、すっかり順応した。

(上)三代目:かれこれ23年メガネ

(下)六代目:6月6日新調メガネ

同じ度数でも大違い...

 かくして現在は、職場:新・PCメガネ(フレームは五代目)、昼休み、外出時など普段使い:六代目、自宅用:三代目と相成った。メガネを使い出した頃には、思いも寄らないこの展開。とにかく3本とも大事に使っていこうと思う。

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第426話 五月の真夏日(2015.6.1)

5/31、weathernewsの最高気温・最低気温(東京は32℃−21℃) 五月は新緑の季節。本来なら爽やかな日々が続くところ、東京では下旬になって真夏日になる日が複数・・・5月31日は三度目の真夏日となる最高気温32.2℃を記録した。しかもこの気温、東京都心部では5月の気温としては観測史上最高(1876年以降)というオマケつき。木々も驚いていることだろう。

 26日(火)は、30.9℃(晴)、27日(水)は、30.2℃(晴後一時薄曇)だった。30日(土)は、予報では30℃超だったが、結果的には29.6℃。日中の天気は、晴後時々薄曇だった。真夏日になってもおかしくなかったが、その一歩手前。対して、31日の予報は「曇」(+にわか雨)で、予想最高気温は20℃台後半と出ていた。見事に外れたことになる。

 5/30は、神保町へ。神保町交差点の気温表示は、31.2℃を示していた。

 神田すずらん通りでは、第29回「神田すずらんまつり」が開催。屋台の出店もあり、品によっては煙が上がる。夏祭りの様相である。

 こうも暑くなるとわかっていれば、外出は控えめにしただろうが、知らぬが何とかで、つい炎天に晒されることに。午前中は、国立博物館の特別展「鳥獣戯画」を観に行くべく上野に出かけ、強い日差しの中、上野公園を行ったり来たり。日陰を選びながら歩いていたが、それなりに堪えた。

 肝心の特別展の方は、この通りの長時間待ちで見送った。11時時点で少なくとも屋外で160分ということは、日の当たる当たらないを問わず、暑い最中をひたすら耐え忍ぶ恰好になる訳で、それこそ戯画の図である。こういうのは、日を改めるに限る。

 TDLでもここまで長い待ち時間はない? 「鳥獣戯画」の甲巻に辿り着くまで実に5時間40分(160+180分)...

 国立博物館付近の木々は、青々というよりは暑苦しい印象

 アトレ上野にある某タンメン店で昼食をとった後、丸井が見える場所に出て、おなじみの電光を見遣ると実に「32℃」(13時過ぎ)。30℃を超えているだろうことは体感的にわかっていたので、この時は「32℃、どうりで」と納得する方が先行していたが、本来なら「えっ、5月なのに32℃!」となるべき場面だろう。驚くも何もなかったというのは、暑い中でも冷静だったということか、単に鈍いだけのことか...

丸井の電光表示、32℃!

 今となっては珍しい上野駅5番線からの始発列車。空調効果を保つため、扉は「閉」モードだった。乗る時は自分でボタンを押して開扉する。真夏日ならではの対応?

 この後は、13:30上野始発でひと駅乗って、尾久へ。駅近くのミニストップで、アイスコーヒーで涼をとってから、とある物件を見学に行くなどしたが、真夏日の過ごし方としては、果たしてどうだったのだろう、と今は思う。

 尾久を出たのは14:20。暑さはピークだったと思われる。短時間であっても、空調の利いた列車に揺られていれば、それはそれで暑さ対策にはなる。出かけないに越したことはなかったかも知れないが、とりあえず熱中症になることもなく、無事に過ごせたのだからよしとしよう。暑さはこれからが本番。体を慣らす上ではいい日和となった五月の末日である。

・・・

 ちなみに、2014年は5月31日に31.6℃、2010年は5月21日に30.9℃を記録。2005〜2009年と、2011〜2013年の5月は、東京では真夏日はなかった。2004年に遡ると、何と5月11日・30日・31日が真夏日。5月に真夏日が3日あったのは、11年ぶりということになる。

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第425話 理事会のことW(2015.5.16)

 管理組合理事会の2巡目のお役に就いた件は、第406話に記した通り。今期の活動期間としては11か月余りが経った訳だが、長かったような短かったような...である。定期総会は6月28日(日)に開催することが決まったので、任期はあとひと月ほど。今は総会向けの議案のリストアップ、「第1号議案」としての活動報告のまとめ、改定が必要な規則や様式の議案化などを進めているところである。

 当初は新築でも、年数が経てば改修や更新を必要とする箇所が多々出てくる。想定外のものもいろいろあったが、目に付く箇所はひととおり対処し、次の理事会に申し送る事項は極力減らすことができた(と筆者は思う)。今期では前期からの申し送りが多かったことから、それらを進める上でのベースとなる実態調査をアンケート形式でまず実施。これまで単発的に行われていた自転車の台数やペットの飼育状況などの調査を統合し、返って来た用紙は戸別台帳として保管できるようにした。加えて、共用部分などで気になる点の記入欄も設け、広く声を集めた。

 寄せられた意見は、筆者が以前から気になっていたもの、他の理事も課題と考えていたことも含まれ、それらを可能な限り解決していくこと=今期の取り組みの柱という形になった。申し送り事項との抱き合わせで、一体的に取り組んだものも多く、今はそれらが概ね収束。一年前と比べると随所で改善が進んだと思う。

 以下、活動報告のまとめとして、取り急ぎ箇条書きにした(案)の一部をご紹介する。(この他に、運営面での取り組みとして、会計、書記、行事などの報告事項もあるが、ここでは割愛)


1.駐車場・バイク置場

・ケヤキ(4本)の根上がりに対する工事を検討。伐採・伐根を実施。伐根した箇所は、舗装工事を行い、透水性舗装に変更。
・ケヤキに代わり、ツツジを補植。
・バイク置場の指定場所変更。
・バイク置場でのバイク転倒防止策として、板を設置。ボール遊び等への注意書きを掲示。
・来客用バイク置場を試行的に設け、運用開始(事前予約制)。

 ケヤキは結局、伐採することになった。もともと駐車場には不向きだったこと、樹液や落葉がクルマに与える影響が大きかったこと、そして、根元の地盤が固く、根が本来の形に伸びず、ケヤキ自体に負荷がかかっていたことなどを勘案しての決行。写真は「伐根」にあたって、路盤にカッターを入れる作業を撮った一枚。今は路面の凹凸もなくなり、景観上もスッキリした。

2.駐輪場

・自転車の所有・駐輪台数を把握。駐輪場の配置見直しを検討。
・機械式駐輪場を改修。屋根やラックを修理したほか、不良ラック、余剰ラックを撤去。余剰ラックは防災用品倉庫で保管。
・来客用駐輪場を新たに設定。
・平置き駐輪場を「東」「西」の2つに区分。エリアのみを指定し、エリア内で自由に駐輪できるよう運用変更。
・自転車貼付用のステッカーを更新し、機械式・平置きの指定を明確化。

3.プレイロット

・歩道の樹木の根上がり対策工事を実施(伐根、養生のみ)。
・劣化した看板類を更新。

 こちらの樹木は、伐採はせず、一部の「根切り」のみで済んだ。以前は歩きにくい箇所があったが、今はフラットに。

4.ごみ置場

・粗大ごみの出し方等、掲示。必要に応じて注意喚起。
・金属ごみの資源ごみ回収開始にあわせた対応。可燃・不燃・金属などのレイアウトを明確化。
・チラシ類のリサイクル運用開始(再開)。
・ペットボトル用ネットの補充。

 管理組合だよりは、専ら筆者の担当。昨年10月に発行した第4号2枚目では、ごみ置場内のレイアウトを大きく載せた。(今月は第10号を発行予定)

5.防災用品倉庫

・不要になった針金類を金属ごみ(資源ごみ)として処分。
・備品のチェック・棚卸など。

6.集会室

・集会室倉庫・書庫の片付け。不要書類の処分(シュレッダ処理、またはリサイクル)。
・備品のチェック・棚卸など。

7.エントランス周り

・共用インターホンを更新。
・エレベーターホール前にAEDを設置。AED講習会を実施。
・エントランス前の駐輪対策として、プランターを設置。

エントランスのインターホンは、モニター付きに

取り付け直後のAED

8.フロントオフィス(管理人室)

・シュレッダを導入。キーボックスを買い替え。
・コピー機を更新し、カラー複合機を導入。

9.その他

・各住戸インターホン更新。
・マンション外周のチェック、要改修箇所のリストアップ。
・リストアップ箇所およびアンケート意見での要望などを踏まえ、看板類(各種注意掲示)の更新、1階共用廊下(通用口)の外扉の改修、破損した庭園灯の撤去などを実施。
・上記のうち、運用の変更があったものについては、関連する規則類を改定(総会議案として提示した上で、議決)。AEDなど新たに設けたものについては、使用規則を制定(同じく総会議案扱い)。申請書などの様式類も変更・新設。


 これらは言うなれば、施設・設備関係の取り組みを場所別にまとめたもの。こうして見てみると、マンションというのはいろいろな要素があり、それらを良好に維持するには一定の労力が必要ということがよくわかる。とりあえずやるだけのことはやった観はあるが、総会までの間に取り組むべきこと(例:夏場の害虫対策etc.)はまだ出てくる可能性はある。引き続き、心残りのないようチェック、対応しようと思う。

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第23話 理事会のこと / 第38話 理事会のことU / 第406話 理事会のことV

 

第424話 記念貨幣(2015.5.2)

 記念貨幣というものに興味がない訳ではないが、引き換えに行く機会がないことにはどうしようもないため、それなりの種類が出ている割には、筆者の手元にあるのはさほど多くなかったりする。どれくらいあるのか定かではなかったので、ざっと集めてみたところ、

沖縄国際海洋博覧会記念100円白銅貨幣 昭和50年

<表>守礼の門、穏やかな波
<裏>シンボルマーク、左右にマスコットマーク

天皇陛下御即位記念500円白銅貨幣 平成2年(左)

<表>特別御料儀装車
<裏>菊花紋章と束帯の紋様

沖縄復帰20周年記念500円白銅貨幣 平成4年(右)

<表>首里城正殿
<裏>昇龍

関西国際空港開港記念500円白銅貨幣 平成6年(左下)

<表>関西国際空港俯瞰図と飛行機
<裏>地図と祝意を表すリボン

長野オリンピック冬季競技大会記念(第2次)500円白銅貨幣 平成9年(右下)

<表>ボブスレー
<裏>らいちょう(長野県の県鳥)

2002FIFAワールドカップTM 記念500円ニッケル黄銅貨幣(3タイプ1セット) 平成14年

 の6種類が出てきた。多くもなく少なくもない感じ。ただ、2002年のワールドカップの記念貨幣を手にして以降は、ご縁がなかったことがわかってしまった。これはちょっと驚きである。

 さて、鉄道関係の仕事をしている以上、鉄道系の記念貨幣が発行されるとあれば、それを逃す手はもちろんない。

 東海道新幹線開業から50年という節目を受け、「新幹線鉄道開業50周年記念100円クラッド貨幣」が発行され、4月22日に各金融機関での引き換えが始まった。財務省の最初のリリースが出たのは2014年4月25日。その後、図柄だ枚数だでリリースがその都度出て、肝心の引換方法についての案内が出たのはさる3月13日のことである。引換日は4月22日・・・予告から発行までほぼ一年。気の長い話だと思う。

平成26年4月25日

新幹線鉄道開業50周年記念貨幣を発行します

平成26年9月30日

新幹線鉄道開業50周年記念貨幣の図柄等を決定しました

平成26年10月10日

新幹線鉄道開業50周年記念貨幣(千円銀貨幣)の販売要領が公表されました

平成26年11月12日

貨幣選別機・包装機等の動作確認等を目的とするサンプル閲覧を実施します

平成27年1月23日

新幹線鉄道開業50周年記念貨幣の発行枚数を決定しました

平成27年3月13日

新幹線鉄道開業50周年記念百円貨幣の引換えを平成27年4月22日に開始します

 東海道新幹線の周年記念であれば、2014年に発行するのが筋だと思うが、2015年にしたのは、北陸新幹線の金沢開業を待って、ということなのだろう。東海道、山陽、東北、上越、北陸の本州5路線が今回のラインアップ。表のデザインは、各路線を走る新幹線車両で、裏面は共通で、0系新幹線車両の正面デザインになっている(100円で100系という手もあったと思うが、あくまで0系)。特に新幹線車両のファンにとっては、必携の貨幣と言えるだろう。

 筆者は、22日朝に赤羽駅東口で銀行めぐりを敢行。5種類1セットとして、1人2セット(1,000円)までということなので、より多く集めるには金融機関が固まっている一帯で、ハシゴするに限る。この日は巡った順番がよかったようで、1行につき2セットずつ、計6セットを引き換えることができた。どこかで順序を違えていたら、4セット、下手すると2セットどまりだった可能性は高い。22日は冴えていた、ということにしておこう。

 最初に並んだのは、みずほ銀行だった。8:40頃だったが、思ったほどの人数は居らず、ひと安心。各50枚ということなので、1人2セットをきっちり引き換えると、先着25人までということになる。筆者はひと桁のうちに入ったので余裕があり、9時の引換開始から数分後には、2セット10枚を手にできた。みずほ銀行では、予め10枚1袋のセットを組んでいて、とにかく円滑かつ迅速。これが奏功し、次の三井住友銀行では、33番目に入ることができた。三井住友は、みずほよりも多い各75枚。同じパターンで皆が引き換えると、37〜38人で終了となる。滑り込みのような状態だったが、引き換えられれば言うことなし。ここでは、5枚1袋を2つという形での引き換えだった。

 残るは、三菱東京UFJである。まだ9時台早々だったので、可能性はある?と見込んでとにかく2階の窓口へ。拾得したキャッシュカードを昨年10月に届けに行った時もそうだったので一抹の不安はあったが、案の定この日も同じ。基本的に接客がなっていないのである。まだあるというのを承知していながら、「さて?」と小馬鹿にしたように窓口の年配男性行員は仰る。まだあるということを一応確認し、両替申込云々の用紙と番号札を渡された。加えて、「記入台でどうぞ」と来た。みずほ、三井住友とは明らかに異なる対応ぶり。行列はなくとも、人の多い待合室さながらの光景がそこには広がることになる。希望者は、用紙に必要事項を書き、窓口に持って行き、引き換えたい額(千円札など)を渡す。客が待っている間、何人かの女性行員が奥の方でひたすら記念貨幣の仕分けをしていて、一定数の袋詰めが済むと窓口に持って来て、準備が整い次第、番号を呼ぶというのが当店での流れだった。いい意味でオーソドックスだが、これは単に予め準備していなかっただけの話。待つこと20分、ようやく引き換えることができた(図柄の確認サービス?!つき)。MUFJに先に来ていたら、みずほ、三井住友どころではなかったことは確か。客の時間を大事にできない店は、いつかはツケが来る。そのあたり、重々心してほしいものだと思う。

 何はともあれ、現物を手にした以上は、しかと観賞したいもの。車両の立体感がある程度出せるのが貨幣の強みだが、その大きさ故、重厚な感じがあまりないのが残念ではある。あとはせいぜい車両のキラキラ感といったところか。実際の車両の輝きには勝てないものの、100円でそれが楽しめるならお安いものだと思う。

 硬貨としてもちろん使えるが、筆者がこれを市中に出す予定はなし。一部は家族に配るとして、残りはホルダーなどに入れて保管することになるだろう。

 いつになるかは全く以って不明だが、次にこうした記念貨幣を手にすることがあれば、またご紹介しようと思う。

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