随筆「東京モノローグ2016」(3−4月期)
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 第447話 四月の満開

 第446話 同一住所、20年

 第445話 大阪&兵庫2days

 第444話 IC運賃444円区間

第447話 四月の満開(2016.4.16)

 例年以上に開花が早く、昨年比でも2日先行だった今年の桜。開花してからは、適度な花冷えがあったりで、満開日は昨年よりも2日遅れの3月31日。つまり、満開の桜を4月にじっくり楽しめるというパターンになった。ただし、4月1日〜5日はあいにくの雨模様。幸い大降りではなかったため、逆に長く持ったようだ。年度が変わり、気分が改まったところで、桜の満開状態が続くというのは悪くない。幸先(または「幸咲」)いい感じである。

 今回は、そんな4月の桜をダイジェストでご紹介する。


  • 4月2日(土)、3日(日)

 4月最初の週末と、満開の桜が重なったのはよかったが、天気がパッとしなかったのはやはり残念なところ。とりあえず、近年の恒例行事となっている「千代田のさくらまつり」に今年も乗じて、2日と3日の両日とも、丸の内シャトル「さくら祭り号」に揺られ、花見に行った。(左写真は、大手町の「東京サンケイビル」停留所で撮った「さくら祭り号」)

 2日は、「秋葉原和泉橋船着き場前」から「さくら祭り号」に乗り、「神保町新世界前」までまず乗車。ランチパスポート掲載店の蕎麦屋に寄ってから、九段の満開の桜を見物した。帰りは、再び「神保町新世界前」まで出てから、「秋葉原和泉橋船着き場前」へ。丸の内シャトルの延長運転区間(秋葉原〜日本橋〜大手町〜竹橋〜九段下〜神保町〜秋葉原の一周)を完乗することになった。

昭和館の2階ひろばからの眺め

 アップで撮ると、一部はまだ開いていないことがわかる。「限りなく満開」というべきか。

 3日は、シャトルには乗っても、九段方面はパス。花見というよりは、有楽町界隈に用があったので、それを優先したのだが、その後に皇居近くを通ったことで、思わぬ展開に。この日は、「皇居乾通り一般公開」の最終日ということで、坂下門に向かう人の波ができていて、その流れに乗った(乗れた?)という次第。公式発表では77,350に上る人が来場したということだったが、それほどの数が来たようには思わなかった。思ったよりも円滑に入場でき、桜の通り抜けを快く楽しむことができた。(坂下門から入り、乾門を出る一方通行・・・30分余りだった。)

 

 坂下門に向かう人波。列に入って、セキュリティチェックを経て、この位置に来るまで10分余りだった。

 坂下門に入る手前(進行方向左)、お濠端の桜。水鏡に映る桜もまた風流。

 乾通りの中間地点にある「門長屋」の前のソメイヨシノ。板塀を背景にしているためか古風な趣がある。

 道灌濠というのがあって、その水面に向かって競うように枝を伸ばす桜が見られた。太い枝にはサギがとまっている。都心とは思えない光景である。

 ズームで道灌濠の桜を撮る。背景の野山は、江戸期から続く原風景の観あり。

 出口の乾門近く(進行方向右)にある乾濠と、お濠端のソメイヨシノ。奥の桜は、お濠に向けて枝を下ろしていて、趣深い。右奥の橋は、北桔橋。「きたはねばし」と読む。

  • 4月4日(月)

 都営三田線の神保町駅の上、白山通りの歩道に並ぶ桜も満開。昼休みに撮った。後方の高層ビルは、東京パークタワー。

↑ こちらは同じ桜を4/15に別の角度から撮ったもの。全部散ってしまったものと思いきや、二つ三つ花がまだ残っていて大いに驚く。

  • 4月6日(水)

 この日ようやく青空の中での花見ができた。昼休みに九段に向かい、昭和館へ。2日と同じ構図で撮る。満開が続いているのがわかる。

 翌日は雨とわかっていたので、6日の夜は王子で下車し、JR線を跨ぐ「飛鳥山下跨線人道橋」へ。飛鳥山公園の夜桜を少しばかり観賞する。今シーズンの佳い見納めになった。


  • その他

 前話の文末で紹介した近所の桜のもう一本(早咲きでない方)の桜はこんな感じ。2日の夜、満開。

 こちらは赤羽と東十条の間にある区の高齢者施設にある桜の木々。4/9時点でまだ満開が続いていた。いわゆる「長持ち桜」なのだと思う。

 

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第446話 同一住所、20年(2016.4.1)

 現在の住所地に引っ越してきたのが、1996年3月27日(水)のこと。つまり、まる20年が経った。同一住所で暮らした年数が長かった例としては、生後6か月から小学校入学前までの約6年というのがあったが、2002年の春の時点でそれを塗り替え、以降はずっと記録を更新。とうとう20年である。

 引っ越してきた日の夜は、細君と近所のデニーズで軽くお祝いなどしたが、そのデニーズはとうになくなり、その後にできた某回転寿司店も最近リニューアルしたところ。それだけ長い年数が経過したということだろう。

 20年というのは、年数もさることながら、その間にいろいろなものを手に入れて、それらをストックしていくとその物量もまた凄いことになってくる。古いものから少しずつ片付けていたつもりだが、今なお全貌も把握できないような有様。(第431話の取り組みは、ほんの一端)

 何につけ、紙系の資料が多いのだが、大まかなジャンルに分ければ、

鉄道
旅先ネタ
地図・案内図
営業案内、チラシ(開店・閉店など)
街ネタ、生活ネタ
美術館・博物館
自治体発行物

 といった具合で、これらが何となく固まっている状態。検索性は決していいとは言えず、取り出すのにはそれなりの労を要する。

 過去の仕事関係では、「環境」と「市民活動」の2大ジャンルがあり、かなり減らしたものの、なお混沌としている。(環境系云々が自室の環境を損ねているとしたら、それこそ本末転倒である。)

 加えて、雑学的な資料(東京モノローグ用など)や、催し物などのパンフレットの類、新聞の切り抜き(主に90年代)なんかもあって、自分でも呆れるばかり。箱に入れてそのままというのもチラホラあるので、とにかく一度総合的に棚卸をした上で、整理なり処分なり進める必要がありそうだ。

 広いスペースに展開して一気にやるか、仕分ける棚などを確保してコツコツやるか、代行サービス的なものを頼むか、はたまたその全てか... 20年という節目にあたり、その策を模索する今日この頃である。

  • 余談

    1.親元を離れたのが1987年春のこと。以後、賃貸暮らしの間は家賃、現住所になってからは住宅ローンということで、気付けば主たる住居費に相当するものとは長いつきあいになっていた。この3月を以って、そのローンの方はおかげ様で完済の運びとなり、住居費が大きく浮くことに。住宅に関係する出費(定期的に引き落とされるもの)としては、管理費、固定資産税、都市計画税で済むことになる。(そうは言っても、決して悠々という訳ではない...)

    2.この20年で、自宅周辺で変化したものを挙げるなら、それはもういくらでも。逆に変わっていないものも少なくなく、図書館(中のレイアウトも含め)、児童公園、町工場、そして某団地にある早咲きの桜の木などが挙げられる。その桜を含めた一帯は、ちょっとした植物園のようになっていて、とにかく手入れが行き届いているのがポイント。桜が早く咲くのは、その手入れの良さの表れだろうと思っている。今年もまた一足早く咲き始め、3/27時点でほぼ満開(写真は、3/26午後撮影)。毎年観賞させてもらっているので、かれこれ21回目ということになる。すでに散り始めているが、週末に改めて観に行こうと思う。

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第445話 大阪&兵庫2days(2016.3.16)

 東京モノローグ、久々の東京エリア外ネタ。今回は、大阪&兵庫2daysの旅についてお届けする。

 思い立ったが何とやらで、プランを立て、手配をしたのが3月2日。旅行日は、その翌週3月11日〜12日(1泊2日)である。筆者単独での旅ゆえ、鉄道メイン&乗り降り三昧のいつものパターン。即ち、グルメ、レジャー等は二の次、三の次ということになる。

 今回の旅は、テーマがいくつかあり、それをどこまでこなせるかがポイント、かつお楽しみ。紀行スタイルで綴るとまた大変なことになるので、そのテーマに沿って、概況+写真の形式で紹介することにした。ご高覧ご笑覧のほどを。(駅ごとの詳しいレポートは、乗り降り記録ブログ「駅ログ」に順次掲載する予定。2〜3日に1回ペースで載せていくとおそらく2か月ほどかかる見込み。こちらは気長にひとつ。)


1.つい最近役目を終えた駅舎

 南海本線の浜寺公園駅は、1907年に建てられた木造駅舎(東京駅丸の内駅舎を設計した辰野金吾博士の事務所が設計したことで名高い)が長らくランドマーク的な役割を担っていたが、「南海本線(堺市)連続立体交差事業」を受けて、移築することに(駅舎としてではなく、玄関として→参考PDF。その木造駅舎は、1月27日(水)の終電後に閉鎖され、翌日からは仮駅舎が使われるようになった。その二つの駅舎の様子を見に行った。現エキの時に訪ねていれば、と改めて思う。

 浜寺公園駅に来る前には、同じ南海本線の住吉大社駅から、阪堺電気軌道の住吉公園電停跡などを眼下に見ることができた。住吉公園電停はこの通り、住吉大社駅に隣接していた訳だが、2014年のダイヤ変更で、この停留場を発着する本数が大幅に減り、おそらく利用者ももともと減少していたことも手伝って、廃止に。廃止になったのは、住吉公園電停を含め、隣の住吉電停までの約200メートルの区間。この区間での運転、1月30日(土)が最終日となった。(→参考

 フェンスで囲まれ、立ち入ることができなくなってしまった浜寺公園駅の旧駅舎。どのように移築されるのか、大いに気になるところ。

 廃線区間の様子。線路はまだ残っているが、いずれ撤去されることだろう。左奥へ行くと住吉電停方面に出る。旧住吉公園電停は、右側に進んだ先。

 1990年5月のことなので、今となっては昔話だが、初めての阪堺電軌で、上町線全区間(天王寺駅前〜住吉公園)を「乗り鉄」した。その後はご縁がなかったが、とにかくその時に乗っておいてよかったと思う。


2.ICカード@阪堺電気軌道

 2daysの旅ということで、今回もまた「スルッとKANSAI 2dayチケット」のお世話になった。南海電車はもちろん自在だが、阪堺電軌はあいにくと対象外。とにかくどこかしらで乗ってみようということで、南海の住ノ江駅で降り、東に歩いて安立町電停から阪堺電軌阪堺線に乗り、終点の浜寺駅前電停まで行くことにした。(浜寺公園駅は、そのごく近所) 距離によらず、1乗車210円なので、100円玉2枚、10円玉1枚をキープして臨んだが、その必要はなく・・・Suicaでピピッで済んでしまった。便利になったものだ。(写真は、浜寺駅前到着時の車内の様子)


3.黒のラピート、紫の500系

 南海で、特急ラピート「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」号(2015.11.21〜2016.5.8)が走れば、JR西日本では、エヴァンゲリオン新幹線「500TYPE EVA」(2015.11.7〜)が疾駆する。車両の特徴的なフォルムを活かして、その世界観を表現するというのは、なかなかのアイデアだと思う。色をベースにそれぞれを言い表すなら、「のラピート」と「の500系」。ラピートは、大まかな時刻は承知していたが、出たとこ勝負。幸運にも浜寺公園駅で遭遇できた。500系EVAは、対象列車がわかっていたので、姫路駅でキャッチ。そこに行かないと見られない車両を間近にできるというのは、テンションが上がるものである。(乗車するに越したことはないが...)

4.JR西、2つのミニ支線

 JR西日本管内には、幹線の駅から支線が出て、その支線には終端駅が一つのみという例が、大阪府と兵庫県に1路線ずつある。都市部ゆえ、その終端駅には他社線からもアクセスできるのがまたポイント。だが、そのアクセス性が裏目となり、ついつい後回しに。今回は意を決して、その支線乗車を組み入れた。

 3/11はJR阪和線の支線「羽衣線」、3/12はJR山陽本線(JR神戸線)の支線「和田岬線」である。羽衣線は、東羽衣〜鳳(約1.7km)、和田岬線は、和田岬〜兵庫(約2.7km)のいずれも短距離路線。どちらも終端の方から乗った。東羽衣駅は、南海本線の羽衣駅から少々、和田岬駅は、神戸市営地下鉄海岸線の和田岬駅(地上出口)からすぐ、というアクセスだった。

東羽衣駅と103系

和田岬駅と103系

 和田岬駅には券売機や改札はなく、兵庫駅に和田岬線専用の精算機と自動改札機(構内改札)があった。なかなか合理的である。

 車両は両線とも、懐かしの国鉄型「103系」だった。羽衣線の3両編成というのも手厚い印象を受けたが、和田岬線の103系は何と6両編成。編成だけ見れば、立派な幹線である。


5.南海高野線、山陽電気鉄道の主な駅めぐり

 南海本線については、出張の際などに乗り降りを敢行。優等列車が停まる駅を中心に、訪ねるべき駅は概ね訪ねてきた。一方、南海高野線の方はこれがサッパリ。とりあえず河内長野よりも手前の範囲で、優等列車停車駅を押さえるべく、3/11は高野線のプチ旅に興じた。

 3/12は、山陽電気鉄道。特急には阪神系と山陽系など、複数のパターンがあり、停車駅も一部では千鳥式になっていたりするが、どの特急も必ず停まる駅というのも無論あるので、それをメインに訪ねることにした。これまで山陽電鉄で下車した駅と言えば、板宿、須磨寺、須磨浦公園、山陽明石、山陽姫路の5駅のみ。今回は少なくとも10駅は上積みしようと意気込んで臨んだ。結果はまずまず。おかげで沿線の見聞も深まった。

 南海特急停車駅「金剛」(ここでの下車=大阪狭山市初上陸)

 山陽電鉄の特急停車駅「高砂」(ここでの下車=初の兵庫県高砂市入り)

6.御堂筋線、全駅達成

 大阪市営地下鉄の大動脈と言える御堂筋線。初めて乗ったのは、1982年春に遡る。大阪在住時にはもちろん数多く利用したが、利用区間が限られていたこともあり、まだ見ぬ駅の乗り降りとなると至ってスローペース。出張時などに少しずつ増やすという感じだった。3/11、南海高野線の後、中百舌鳥(南海)=なかもず(御堂筋線)の乗り換えで、残る2駅を訪ねることにし、無事達成。暗くなりかけていたが、駅周辺を探索することができた。

 御堂筋線の未乗降駅、ラストは「北花田」。駅に着いたのは18:23。

 大阪市営地下鉄全体では100駅ある(南港ポートタウン線は除く)。未乗降は残り21駅になった。


7.初めての能勢電鉄

 「スルッとKANSAI」は、2dayチケットを中心にこれまで何度となく利用していたが、対象でありながら乗れない鉄道会社というのがあるもので、ずっと課題になっていた。御堂筋線の後は、何が何でも行くと決め、梅田に出て阪急に乗り換え、その路線をめざした。能勢電鉄である。ラッシュ時間帯だったので、都合よく「日生エクスプレス」(特急)に乗ることができ、一気に能勢電鉄入り。通常だと、川西能勢口で乗り換えるところ、直通である。初めての能勢電鉄(通称「のせでん」)という実感は薄くなるが、こういう入り方は決して悪くない。かくして、能勢電鉄で初めて利用した駅は、川西能勢口ではなく、山下になった。すでに暗くなっていたので、より山間にある区間(山下〜日生中央、山下〜妙見口)については、次の機会にとっておくことにした。

(梅田19:17発→山下19:53着)

この日は山下で折り返し

8.「さくらの阪急電車 リラックマ号」

 タイムリーなことに、阪急の3路線で「さくらの阪急電車 リラックマ号」が3/10に運行を開始。各線1編成ずつなので、簡単にはお目にかかれないと思っていたが、3/11は川西能勢口〜十三で、3/12は神戸三宮〜十三でそれぞれ乗ることができ、リラックマワールドを楽しませてもらった。「まぁごゆるりと」なんて言われると、そんな気分になるもので、一度乗ると降りたくなくなってしまうから不思議なもの。ただし、3/12に乗った方は特急だったこともあり、ごゆっくりな感じは全くなかった。

宝塚線リラックマ号(車内)

 神戸線リラックマ号(左)と、ダイヤ改正ヘッドマーク車両(右)(@神戸三宮駅)

9.トワイライトエクスプレス!

 今回の旅のテーマで、最も大きかったのが「トワイライトエクスプレス」。あの深緑の電気機関車と客車を見送ることができる機会もいよいよ終わり...ということで、3/12大阪発の「特別なトワイライトエクスプレス」(山陰コース)に照準を合わせてスケジュールを組み、大阪&兵庫2daysと相成った。大阪駅の4番線にその姿を見せたのは9:41過ぎ。発車時刻は10:05ということだったので、わりと長い時間、見物&撮影することができた。発車シーンは動画で撮りながら、終始堪能。想像していた以上に感動的だった。

大阪駅入線時の様子

この客車も見納め

 トワイライトエクスプレスを待つまでの間は、さまざまな特急列車を見送った。特急「スーパーはくと」も近くで見るのは初めてだった。(大阪9:24発、倉吉行き)

 この後、阪神・山陽の直通特急で、終点の山陽姫路に向かい、姫路駅で再びトワイライトエクスプレスを迎える筈だったが、途中で何らかのトラブルがあったようで、遅延(遅れ時間不明)。午後の乗り降り旅のプラン上、来るまで待つ余裕はなく、姫路でのトワイライトは見送り(違う意味で)となった。

 ちなみに、「特別なトワイライトエクスプレス」のラストランは、往路(大阪発)が3/19、復路(下関発)が3/21。さぞ盛り上がることだろう。


10.姫路駅入場券

 姫路駅では、12:10発の「こだま741号」(エヴァンゲリオン新幹線)、12:13〜15(着発予定)の「特別なトワイライトエクスプレス」を続けて見物することにしていた。新幹線と在来線の両方のホームに入る必要がある訳だが、入場券1枚で行けるのか、それとも... 結果は1枚(140円)で、両方入場可。普通入場券を新幹線の自動改札に入れ、それがきちんと出てきた時はちょっとした感慨を覚えた。


11.山陽電気鉄道、神戸市営地下鉄、それぞれ西の端まで

 3/12は、山陽電鉄三昧。本線は何度か乗ったが、網干線は初乗車。その終点の山陽網干も初めてだったので新鮮だった。これで山陽電鉄全区間「完乗」となったが、「スルッとKANSAI」利用エリアの最西端駅下車というのも果たせた。感無量である。

 西の端へ行くというテーマは、神戸市営地下鉄にもあてはまる。この日、西神・山手線の「西神」の方(新長田以西)の路線に乗り、西の終点、西神中央へ板宿〜西神中央は初乗車)。途中、名谷でも降りたので、正式な路線区分である西神線(新長田〜名谷)、西神延伸線(名谷〜西神中央)を順に乗車したことになる。これで、神戸市営地下鉄についても「完乗」となった(完無量)。


12.子午線が通る駅

 今回の山陽電鉄の乗り降りでは、特急停車駅の他に、「子午線が通る駅」に行くというのもテーマに設定。事前に調べて臨んだ訳ではなく、もしかしたら、という程度だったが、ホームに降り立ってみたら、ドンピシャだった。ホーム上を子午線(東経135度線)が通り、その線が明示されている駅というのはここだけだろう。

 山陽明石駅の東隣、人丸前駅である。(副駅名で「子午線」と入れてもいいくらい)


13.車庫がある駅をめぐる

 仕事上、鉄道各社のリリースに接していると、どの会社のどの車庫では定例的にイベントがあるというのがだいたい頭に入ってくる。乗り降り旅でもその車庫駅(または最寄駅)を意識するようになるため、優先度も増す。結果、南海本線の住ノ江、南海高野線の千代田、能勢電鉄の平野、山陽電鉄の東二見、神戸市営地下鉄の名谷で下車。肝心の車庫、車両基地の様子は撮れたり撮れなかったり... トピック的なのを挙げるなら、山陽電鉄の東二見車両基地か。デビューを控えた新型車両6000系(→参考を運よく収めることができた。

6000系@東二見車両基地

名谷車両基地(西神・山手線の車両基地)も圧巻

・・・

 3/11、新大阪に着いてから乗った路線を順に並べると、御堂筋線、阪急京都線、御堂筋線、四つ橋線、南海本線、阪堺電気軌道阪堺線、南海本線、JR羽衣線・阪和線、南海高野線、御堂筋線、阪急宝塚線、能勢電鉄妙見線、阪急宝塚線となる。

 3/12、大阪駅でトワイライトエクスプレスを見送った後に乗った路線は、阪神本線、山陽電気鉄道(本線・網干線)、JR神戸線、神戸市営地下鉄(西神山手線・海岸線)、JR和田岬線、阪神神戸高速線、阪急神戸線...といった具合。

 JRや阪堺電軌については、その通りの運賃で乗ったが、それ以外の「スルッとKANSAI」対象路線については、実際はいくら分を乗ったのか、見当がつかない(別途EXCELで集計し、振り返ってみるつもり)。とにかくよく乗り、よく降りたものだと思う。(通算の乗降駅数は、3099になった。)

  • おまけ

 東海道新幹線指定席での車内改札は3/25が最終日。このシーンもそろそろ見納めになる。(→参考PDF

 今回の宿泊先は、十三にある大規模ホテルだった。阪急を軸に動く場合は、大変便利なのが十三。賢い選択だったと思う。

 

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第444話 IC運賃444円区間(2016.3.1)

 東京モノローグ、「444」話目。過去の例に倣えば、444号、444km、4-4-4など、4にちなんだよもやま話ということになるが、4を並べてあれこれやるのもどうかと思い、今回はパターンを変えて、「444円」。と言ってもいろいろあるので、ここは一つ鉄道ネタで、と思い立ち、例を探すことにした。

 ある日、神保町駅(都営三田線)の「都営線経由東京メトロ連絡きっぷ運賃表」を見ていたら、きっぷとICカードの運賃早見欄に「444円」があるのを発見。だが、神保町は地下鉄網では中心の方に位置するため、終端の地下鉄駅に行ってもせいぜい350円(きっぷの場合)で、450円に該当する駅はない。神保町では当該駅はなくとも、表記がある以上、実在はする。450円となると、メトロか都営の端に位置する駅から、その逆(都営かメトロ)の端の方の駅をめざせば、おそらく出てくるということだろう。で、別の日に地元の赤羽岩淵駅で同様の運賃表(都営線連絡きっぷversion)を眺めてみると、その450円が一駅だけ見つかった。三田線の端、西高島平である。不思議なことに、新宿線の端(本八幡)、浅草線の端(西馬込)、大江戸線の端(光が丘)は、いずれも440円なので、この西高島平の450円は、お導きのようなもの。かくして、444にちなんだ話題として、この450円(IC運賃444円)区間を使わせてもらうことにした。安直だが、実際にその金額を払うという点で、気持ちは入っている。

「都営線経由東京メトロ連絡きっぷ運賃表」@神保町駅

※神保町駅は半蔵門線にもあるので、そっちを使った方が安い場合は連絡運賃が非表示になっている。

「都営線連絡きっぷ運賃表」@赤羽岩淵駅

 2/28、所用で東京駅に来た足で、まずは西高島平をめざす。乗ったのは、大手町10:54発→西高島平11:29着。西高島平駅で下車するのは、1989年3月31日に当時の都営地下鉄(浅草線、三田線、新宿線)の全駅乗降を達成した日以来、実に27年ぶり。都営地下鉄で最後に残った駅がこの西高島平だったので、感慨深いものがある。

 

 西高島平駅の「都営線経由東京メトロ連絡きっぷ運賃表」。赤羽岩淵基準だと450円は一例のみだったが、西高島平だと対象駅が増える。(綾瀬、葛西、恵比寿、荻窪、小竹向原など)

 444円の旅は、Suicaのオートチャージでスタート。(残額599円に3,000円のチャージで、3,599円・・・ゴールで3,155円になればいいことになる。)

 当時は駆け足だったため、今回は駅の周辺を散策しつつ、30分ほど過ごしてから、その444円の旅に出ることにした。所要時間をわかりやすくする意味もあり、乗ったのは12時台最初の12:03発(日吉行き急行)。車内広告の交換作業を横目に、先頭車に乗る。発車ブザーと発車メロディーの鳴る中、列車は時刻通り、出発した。

 次の新高島平までは、先頭車はほぼ貸切状態(筆者のほかに乗客1名)。高島平では、すでに一部が混み出し、次の西台でそれなりに降車。西台は、ホームの端に出入口があるため、車両先頭からゾロゾロ降りる感じで、少し空く。

発車前のホームは閑散

日吉行きに乗って、春日まで

新高島平までは貸切に近い状態

 高島平に着く手前、進行方向左には「志村車両検修場」(車庫)が一望できる

 空いたところで、いわゆる「前面展望」を見たり、撮ったりに興じる。西台〜蓮根〜志村三丁目〜志村坂上の区間は、右カーブ、駅、左カーブ、駅・・・と、交互にカーブを描いて進むため、その状況をしかとチェックしようという話である。カーブの途中には駅はなく、曲がり終えると駅が出てくるというのが今回よくわかった。カーブに加え、高架区間ゆえの眺望が楽しめるのもまたいい。が、そんな前面展望タイムは5分ほど。志村三丁目を出ると、地上区間でのカーブの終わりとともに高度を下げ、トンネルに入る。程なく、坂の下にある「志村坂上」駅に着く。

@まずは蓮根駅に向かう右カーブ

A続いて志村三丁目駅に向かう左カーブ

B志村坂上駅に向け、トンネルへ(次に地上に出るのは、目黒駅を過ぎてから)

 この日、三田線に乗った区間はここにある通り(16駅で28分)

 日曜の昼間だが、乗客は決して少なくない。板橋本町では立ち客が増え、西巣鴨では先頭車の中央部は混雑状態。巣鴨でようやく「下車 > 乗車」となり少し減るが、千石、白山で徐々に増えてきて、車内全体が多客な感じに。乗り換えのため、こちらは次の春日で降りる訳だが、その混雑は大方が降車の流れになり、それに押されるようにホームに出ることになった。時刻表では、到着時刻12:31。春日では、この降り乗りを考慮してか、発車時刻は12:32である。この時の写真だが、あいにくいいのが撮れなかった。それだけ人出が多かったのである。

 帰宅時にJRがコケると、振替で神保町や水道橋から三田線に乗り、春日で下車し、後楽園から南北線で帰るということがたまにある。その春日→後楽園の乗り換えでは、「改札通過サービス」というのも使えるため、その都度利用している。勝手知ったるサービスではあるが、振替時は定期券を係員に提示して通っているので、改札でピピッとやるのは今回が初。これで、連絡きっぷ(IC運賃)444円の適用はきちんとされるのか...ゆっくりとタッチし、表示を見る。319円=純粋に三田線のIC運賃の表示だった。次にメトロを出る際、赤羽岩淵で125円と出ないと、444円が成立しないことになる。果たして?

 メトロへの案内、距離は出ていてもどうも不備な印象を受ける。「外に出ずに乗り換えをされるお客様は、改札通過サービスがご利用になれます。大江戸線ホームを進み、奥(飯田橋寄り)の階段を下へお進みください。」というのがどこかにあればいいのだが...

 大江戸線ホームの上にある連絡通路(B3F相当)。この矢印が示すのは、地上に出る改札の方で、これに従うと、一度都営の改札を出て、外を歩き、という不便な乗り換えに誘導されてしまう。要注意である。「のりかえ専用改札口」(改札通過サービス)へは、左の階段を下り、ホームを進む。

 大江戸線ホーム(B4F相当)を歩いて行くと、「のりかえ専用階段」が現われる。南北線は、ここを経由して、下へ下へ向かった方が断然スピーディー。丸の内線は下がって上がってになるので、使わない方がいいかも知れない。

 傾斜と深度のある階段を下りると、「のりかえ専用改札口」に出る。B5F相当の深さ。

「改札通過サービス」無事クリア。このサービスが始まったのは、2013年3月16日。(PDF→リリース立体図

 写真を撮りながらの移動だったこともあり、三田線ホームから南北線ホームまでは6〜7分を要した。さっさと移動すれば、5分くらいだから、12:37発の浦和美園行きに間に合ったかも知れない。今回乗ったのはその次の12:43発(鳩ヶ谷行き)。ここでも先頭車に乗り、ゆったりと過ごす。乗客の数は、すぐに数えられる程度(十数人)で、増減もあまりなし。赤羽岩淵は、13:01着、13:02発だった。西高島平を出て、ほぼ1時間。乗車時間は、28分+18分で46分。運賃を時間で割ると、概ね1分あたり10円ということになる。

 南北線の後楽園駅ホームは、B6F相当の深さにある。一度地上に出てしまうと、ここまで下りてくるのはなかなか大変。

 時刻通り、赤羽岩淵に到着。ここでは乗務員の交代があるため、停車時間(1分)が確保されている。

 さて、赤羽岩淵での改札での表示はどうなったかと言うと、この通り、引去額、きちんと125円だった。

 444円を実証できたのはいいが、その肝心の「444」を記録することは叶わなかった。都営とメトロを乗り継いでの話のため、履歴上、319と125に分かれてしまうのである。これは不覚だった。(外はいい天気だった。)

 今回の営業キロは、15.2km(西高島平〜春日)+9.9km(後楽園〜赤羽岩淵)=25.1km。春日→後楽園の乗り換え移動を含めれば25.3kmの道程である。地図上、西高島平→赤羽岩淵(両駅間)の直線距離を測ってみると、約7km。地下鉄での移動がいかに大回りかがわかる。

 ちなみに、赤羽駅西口から西高島平駅へは、通常の路線バスでは直通はないが、深夜バスの便(赤73)はある。こちらは、約11kmの距離を40分で走る。運賃は、深夜バスなので通常の倍(現金440円、IC432円)。都営・メトロの連絡きっぷと比べ、10円ほど安い(大差はない)。

 赤羽と高島平は決して遠くないが、公共交通機関だとそれなりの運賃がかかる位置関係ということになる。

...そんなよもやま情報を得た今回の444円紀行であった。

  • 余談

 赤羽岩淵駅の改札内コンコースの端には、「岩淵文庫」なる書棚があり、筆者も何度となく本を寄贈させてもらっていた。この文庫、残念ながら2月末で廃止に。今はこの場所で工事(詳細不明)が始まっている。

 

  • こちらもどうぞ...⇒ 111、222、333など

第111話 111よもやま話 / 第123話 123よもやま話 / 第222話 222よもやま話 / 第333話 333よもやま話

 

 

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