第308話 約8年ぶりの献血(2010.7.1)
1988年の誕生日に行ったのが最初で、その後は年に3度ペースで200mlに協力させていただいた。趣味という訳ではなかったが、同じ会場で続けてということがなく、最初の新宿の次は、世田谷区民会館、大学の献血会、馬事公苑(リサイクルフェア)、羽根木公園(梅まつり)、再び大学と続き、常設の会場に戻ってきたのはこの次の新宿までない。8回目は、1990年の2/14、広尾の「赤十字血液中央センター」に出向き、いつものように200mlに協力し、日が日だったのでティラミスチョコをいただき、ご満悦だった(若かりし)筆者である。今でこそ、アイスクリームが当たり前になっていたりするが、当時は飲み物オンリー(しかも一杯?)だったので、回を重ねる中で学習し、こういうのに狙いをつけて献血するようになっていたのがわかる。同年2回目、通算9回目は、新宿東口に停まっていた献血バスで、初の400mlにチャレンジ。当時の「献血手帳」は、200mlで1回のカウントとなるため、回数の割には手帳が更新されるペースはゆっくりだった。が、400mlだと2回分である。この時、通算回数で10回となり、晴れて手帳更新。銀バッジと賞状などもいただいた。
こういうのでハズミがつく場合もあるが、この頃から400ml献血が力説されるようになり、逆に引き気味に。1992年からは基本400mlで臨むには臨んだが、年3回から2回に減った。(それでも総量では上…200×3 < 400×2 である)
11回目以降は、この記録の通り。
真新しい都庁の献血ルームで400、職場(武蔵小杉)での献血会で400と経て、新しモノ好きの筆者は1992年10月に渋谷で血漿、1993年1月に有楽町で血小板と新ジャンル(成分献血)にもトライ。この新ジャンル、その負荷加減からか200ml3回分相当で、これで一気に通算20回を達成し、金バッジ等々をいただいたのだった。
そして、21回目以降は、
1993年
5/5 久々の新宿で「400mlキャンペーン」に乗じて協力、9/17 職場
1994年
1/15 出張明けで午前中は猊鼻渓を観光し、帰京後、池袋西武の献血ルームで400、7/7 午前休暇日、有楽町で献血してから出社
1995年
1/4 できたて(1994年12月開業)の練馬高野台駅を見に行くついでに、池袋西武で400。めでたく通算30回となり、金色特別バッジとテレホンカード等をいただく
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といった具合。東京モノローグを始める前は、ちょくちょく献血に行っていた訳だが、30回を達成し、ひと区切りついたこともあり、1994/8/25に職場での献血会に参加してからはブランク状態になる。この時すでに400で2回分というカウントはなくなっていたことから、協力意欲が少し萎えた、というのもあったようだ。
(参考:左から、銀章、金章、金色特別社員章)
という訳で、この次は通算33回目ではなく、32回目となる。2002/8/12、実に久々に新宿西口を訪れるも、久々過ぎたのがよくなかったようで、筆者の献血手帳はここで二重登録状態に。かつての献血手帳の番号体系(献血者コード)が4−6−1の桁区切りだったのに対し、この時の手帳は、2−8の10桁。11桁時代の手帳を持参していれば問題なかったのだろうが、かつての献血歴を引き継ぎ損なってしまったのだった。
そんなこんなでまたしても長期ブランク期間に入る。これまで献血話が出てこなかったのは、単にご縁がなくなってしまったから、ただそれだけのことである。
とは言え、近年の献血ルームでのサービス向上は噂には聞いていたので、とにかく一度行ってみようとは思っていた。5月の日曜、ひょんなことから有楽町の献血ルームを見物する機会があり、事前シミュレーションができたこと、そして大事にしていた献血手帳一式が最近になって出てきたことから、一念発起して出かけることにした。めざすは比較的新しい一室、「アキバ献血ルーム」である。(今は予めイベント情報などがホームページで確認できるのでありがたい。木曜の午前中が良さそうだ、ということで、6/24にした。)
有楽町で多少は頭に入れておいたつもりだったが、約8年ぶりの献血は、新鮮だったり手間だったり、思うところ多々だった。
以下、かつての状況と比較しながら綴ってみようと思う。他の献血ルームでは多少違う点もあるかも知れないが、アキバではこうだった、ということでご参考まで。(ホームページでの案内は、この通り。アドレス中、'current'というのがあるが、これは「流れ」を直訳したせい。言わずもがな、こういう時の「流れ」は'flow'だろう。血液に関する話だけに、流れはよくしてもらいたいものである。)
1.受付
献血手帳があれば、本人確認も何もなく、簡単なQ&Aの後、さっさと問診に移ったものだが、今はいい意味で厳重になっている。今回新たに「献血カード」を発行してもらったので、今後はカードを提示し、暗証番号を入れればそれですぐに手続きに移れるが、筆者のような久々献血者は、初期設定がいろいろと必要。献血手帳の履歴を移行し、暗証番号を設定し、各種郵送物の送付是非確認等があった。献血に際しての予備的な質問としては、重要事項関連の他、「朝食を摂った時間」「睡眠時間」もある。これらを経て、ようやく受付OKという感じ。意外と時間を要する。200ではなく400で、というのを強く推奨されるのもこの場面。自ずとやりとり(問答?)が多くなる。(とりあえず二重登録状態が解消されたのは何よりだった。11桁手帳からは履歴、10桁手帳からは住所等の最新情報、双方がリンクし、献血カードに取り込まれた格好である。)
2.ロッカー
そう言えば、以前はロッカーとかなかったような... 美術館などと同じ、百円硬貨を入れて施錠し、使用後にまた硬貨が戻るロッカーがあり、この段階で荷物を預けることができる。
3.電子問診票
受付後はすぐに医師による問診(兼「y/n」チェック)、というのが記憶している手順。今は受付をすると問診票が出力され、それをタッチパネル式の問診機(というのかどうか?)にセットしてから、パネル操作すると、yes
or noがマーク(印字)&出力されるようになっている。これに署名し、医師の問診へと進む。
4.待機(飲み物+血圧)
面接式問診の前に少々待機時間がある。かつては、この時点で飲み物をいただくことはなかったが、今は飲める。まずはアクエリアスで潤す。血圧はセルフ測定で、確かこの待ち時間に測った(と思う)。
5.医師による問診
献血者が少ない場合は、すぐにお呼びがかかると思うが、この日は先客が少なからずいたので、何分か待ってからの問診となった。タッチパネルでうっかり「no」にしてしまったが、海外滞在とは、旅行を含んでいた(住んだことがある、しか見ていなかった)。そうした訂正を含め、問診が行われる。一人にかける時間が長くなるのは当然のことだろう。
6.血液比重等測定
血圧はこの時の待ち時間だったかも知れないが、少し待ってからいよいよ適性検査とも言える採血による測定となる。8年ぶりというのを重々承知いただき、慎重にやってもらえた。測定採血用は利き腕、本番用は利き腕ではない方、というのは昔と同じ。これは正に「腕に覚えあり」だったので、スムーズだった。ただし、血液比重の結果(適否)が出るまで、また時間が生じる。
7.飲み物
「久々リスク」を緩和するためか、この待ち時間でも飲み物を勧めていただいた。これはかつてはなかったことである。2杯目は、CCレモンにした。
8.献血
ここから先は大きな変更はないと思われる。消毒が念入りになったこと、目を通しておくべき注意事項(献血後のお願いetc.)が充実し、こと細かになったこと、くらいだろうか。それでもブランクの長さは誤魔化せず、うっかり肘を上げそうになり、注意喚起されたり、途中、顔色が悪くなっていたようで、余計な心配をさせてしまったり、すんなりとは行かなかった。目安としては10分だったが、腕時計で見た限り、10:38開始、10:50終了、といったところ。それなりに時間がかかっていた。(-_-)
いま一つペースが上がらなかったのは、消毒していよいよ献血、という時にお隣の献血が終わり、間延び状態になった(要・再消毒)こと、注意書きの中に、献血後の電車を待つ場所の注意まで書いてあって恐々としてしまったこと、もありそうだ。太めの針と脅かされていた割には、全く痛みは感じず、吸引時の機械の振動が針に来ることもなかったのは、せめてもの救いである。
経験者の割には初心者のような状態だったことは、献血終了後、その場で測った血圧の値にも表れた。手首での測定、というのもあるようだが、最低血圧90! 普段は70前後というのを考えると、どうにもおかしい。改めて測ったら平常値に戻っていたので、献血を終えた後も緊張状態が続いていたようだ。
こうなると立って歩けるのかどうかが懸念されるが、何事もなく、むしろ拍子抜け〜となる。注意書きには、転倒リスクを避けるため、「すぐにしゃがむ可し」などとあったが、今回は要らぬ心配となった。この調子なら、また定期的に来れそうだ。
9.休憩(採血番号テープ回収、献血カード返却、飲み物)
水分補給は入念に、とのことだったので、コーヒー系を飲み比べすることにした。まず「牛乳屋さんの珈琲」を美味しくいただいていると、係の人がやって来て、採血番号を打った紙テープを外してくれる。(このテープ、いつ巻いてくれたのかいま一つ覚えていない。)(^^; その採血番号のシールを貼った確認書とともに、「献血カード」もこの時に渡される。木曜午前中の献血者は、「A・MOKU協力者」ということで、プレゼント(この日はハンドソープ)もいただけるが、「次回は○月○日以降OK」といったご案内も漏れなくついてくる。「協力者は顧客」といった意識が昔よりもかなり向上していることを大いに実感した。
(献血手帳に比べ、献血カードは小さめ。カード裏面には、2−8桁の番号、氏名、回数、直近3回分の記録、次回献血可能日が印字。)
今後はカード一枚あればいい、という説明とともに、「これまでの手帳は処分してもいい」とも仰る。わからないでもないが、筆者としては「そんな〜」である。「いえ、きちんととっておきます!」と断言させてもらった。これで少々強気になり、しばらく居座ることになるのだった。ありがた迷惑とはこのことか?
10.止血ベルト返却
飲み物を合計4杯いただいたところで、利き腕でない方に巻きついていた止血ベルトを外す。これでロッカーから荷物を引き上げれば、通常はおしまい。だが、せっかくのイベントデーである。易々と帰る訳にはいかない。
11.木曜イベント
アキバ献血ルームでは、木曜の10〜13時、「ハンドヒーリング」なるものを無料で受けることができる。献血をする前にこれを受けると検査値が良くなりそうだが、終わってから受けるのはそれはそれで理に適っている。時折、温度を感じたり、反射的(非自発的)な姿勢矯正があったり、少なからず効果を感じることができた。ありがたや×2である。
12.再休憩
どうぞごゆっくり〜と言われていたので、お言葉に甘えて長々とくつろがせてもらった。ここアキバは、コミックなどが豊富なのが特長。ごゆっくりできる環境が整っているのである。あいにくコミック派ではないので、パラパラとやってたのは10分程度。それでも、かれこれ2時間近くが経っていた。過去との比較で言うと、「長時間滞在ができるようになった」というのが最たる変化かも知れない。
かくして、新式の手順をクリアするとともに、長年のブランクは解消された。サービスの向上をあまり享受してこなかったという点ではもったいなかったが、今後はホームページ等チェックの上、せっせと出かけようと思う。
さて、7月からの1カ月間は、献血キャンペーン「愛の血液助け合い運動」がある。こういうのに乗じると何かしらいいことがありそうだが、筆者は最短で8月下旬以降(成分献血)なので、さすがにNG。秋になったら、アキバにあるもう一つ「akiba:F献血ルーム」に行くか、リニューアル後の有楽町に行くか、になるだろう。大いなる発見があったら、またレポートしようと思う。
・指し示す方向が...
秋葉原駅電気街口を出ると、工事中の壁の前で、献血ルームの案内板を持って立っている人がいる(いない時もある)。アキバ献血ルームは改札を出て右に進むのだが、この表示の通りだと、左に行くことになってしまう。よほど指摘して差し上げようと思ったが、ツッコミを期待してあえてそうしている可能性もあると思い、看過することにした。だが、よくよく考えたら「akiba:F」は左方向。決して間違いではなかったようだ。
・新しく血をつくる意義
まとまった量の血液を体外に出す、というのは文字通り読むと怖い気もするが、新しい血液を作り出そうと体が動く(+血液がリフレッシュされる)、という点で意義は大。仮に輸血で使われるにも、同じ人物からのまとまった量、という方がリスクが抑えられるため、いいんだとか。400ml献血が推奨される所以である。(こういう話をもっとホームページ等でアピールすればいいのに、と思う。)
・正午前は待機ゼロ
午前中に行くといい、というのが浸透しているせいか、正午前になったら、待機する人がいなくなってしまった。つまり待合の場には筆者がいるばかり。結果、帰り際には受付の方々、ヒーリングの先生、皆々に声をかけつつ、一礼して出ることに。変な気分だった。 |
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