第289話 京成線1988〜2009(2009.9.15)
東京生まれの筆者だが、少なくとも10才になる前までにご縁がなかった私鉄が一つあって、それが京成線だった。総武線から並走するのを見たり、京浜急行に乗った際、乗り入れで走っている車両を見た程度で、京成線の駅で乗り降りしたことはなかったのである(と記憶している)。
京成線に乗車したのは東京に戻ってきてからのことで、記録帳に従えば昭和63年(1988年)の2月23日、京成上野から博物館動物園(1997年営業休止、2004年廃止)までの一駅、というのが最初。その後、9月10日には新三河島〜町屋、関屋〜青砥、立石〜曳舟、9月13日に金町〜柴又、高砂〜市川真間、中山〜船橋、新津田沼〜千葉中央、1989年6月11日は金町〜堀切菖蒲園、20年前になるが9月5日は、JRとの乗り換えがしやすい駅を狙って、新千葉、千葉、幕張本郷、津田沼、東中山、八幡、国府台、小岩、お花茶屋、千住大橋ととにかく乗り降りした。東京の私鉄にしては洗練されていない感じがよく、それは街々にも表れていた。いい意味でローカル観があり、飽きることがなかったのを憶えている。(当時はまだ自動改札はなく、切符を買っては渡し、の繰り返し。それもまた妙味ではあった。)
1991年3月19日には、成田〜成田空港(旧 成田空港駅は東成田に)が新たに開業し、その日に出かけたりもした。3月31日は北総鉄道が延伸し、高砂から千葉ニュータウン中央がつながったが、この日もいそいそと京成線に乗り、その新線区間まで足を運んだ。八広(旧 荒川)で降りて周辺を探索したのもこの道中でのことである。(→参考)
成田空港ターミナル乗り入れ記念乗車券(下半分) |
北総開発鉄道線相互乗り入れ開始記念乗車券(見開き) |
1991年はちょっとした京成YEARだった訳だが、それからはどうだろう。千葉急行が京成千原線になったとか、東成田の先に芝山鉄道が開業したとか、ボチボチか。筆者的には第128話(8.参照)にあるように、一日乗車券ツアーを堪能したりもしたが、やはりそれ以降はスカイライナーのお世話になる程度で疎遠になっていたのは確か。何かがないと乗ることがないのが京成線だったのである。
平成7年7月7日には、777編成にちなんだ記念乗車券が出た |
京成千原線 学園前駅の外観はこんな感じ(7年前) |
ちなみにその一日乗車券の旅は、2002年8月26日のことで、かれこれ7年前。新たに乗降した駅のラストは江戸川駅になるが、それ以来、京成線に乗ることはあっても新たに下車した駅が皆無というのはいくら何でも、と思ってしまう。(純粋に京成電鉄の駅でカウントすると、64駅中53駅が乗り降り済み。残る11駅は、菅野、鬼越、海神、大久保、実籾、志津、大佐倉、西登戸、みどり台、大森台、おゆみ野である。全駅達成は近いのか遠いのか?)
そんな京成線だが、今年2009年は会社創立100周年。記念日にあたる6月30日は火曜日だったが、とにかく都合を付けて記念行事&記念列車に臨むことにした。こうした情報を見つけてしまっては行くしかないのである。これを機に筆者の京成参りは始まった。
第268話に書いた通り、京成上野駅に出向いた際、京成パンダのストラップを買い求めたりはしたが、いわゆるオリジナルグッズはその程度。6月30日に新たに手にすることができたのは、創立100周年記念オリジナルシャープペンシル! 10時頃、改札口で配られ始めたのだが、筆者はちょうどその始めのタイミングに居合わせていたので難なくゲットできたのであった。(シリアル番号が振ってあったら、おそらく1桁だったろうと思う。)
赤と青を強調した「京成らいん」9月号の表紙に、ストラップとシャープペンシルを並べて撮影 |
ジョージアエメラルドマウンテン190g缶、MAXコーヒー250g缶、いずれも売り切れ! |
グッズとしては、パズル型キーホルダーというのもあったが、上野駅コンコースの自販機ではその対象商品はすでに売れ切れ。そもそも買うともれなくついてくる、という訳ではなかったので見送ることにした。
あとは記念乗車券(京成上野〜京成金町 310円)があればOK。コンコースの特設売場では「全駅記念入場券」なるものも同時発売されていたが、お値段何と10,000円! とてもとても、である。それでも結構な列ができていたのは京成ファンの底堅さの表れだろう。(仮に売れ残っていたら、「鉄道の日フェスティバル」(10/10・11@日比谷公園)で再登場するものと思われる。) なお、10,000円に比べればぐっとお安い感じがするが、「100周年ワイン」(6,300円)の方はサッパリだったようだ。
記念列車の出発までは時間があったので、他の用事を済ませてから再度上野へ。今度は駅の中に入っていないといけないので、日暮里で乗車し、上野をめざすことにする。出発式は14時なので、その前に... かくして13:50頃からカメラを構えることになるのだった。
2番線ホーム、14時ちょうど発のスカイライナー27号が出た数分後のこと。記念列車(青電塗装車両)が入線してくるとホームはたちまち騒然となる。「離れてください!」のアナウンスとともに、どよめきと歓声が続く。が、何しろ4両編成なので、気付いたら停車&開扉、という状態。乗り込む客が多くないのは、車両を撮ったり、行先表示を撮ったり、が大勢のためで、セレモニーどころではない? とりあえず青電が着いてから取締役運輸部長らの挨拶は始まった。
上野発金町行き、というのは通常ダイヤで走っているので珍しくないのだが、この記念列車は別格。金町行き「特急」なのである。その表示を撮らずして記念日も何もないだろう、というのがこの時の皆々の気分だったに違いない。
少なからず挨拶が聞こえる位置にいながらも、筆者も同様に車両の内や外をうろうろ。満員になったら、と思うと気が気ではなかったが、思ったほど乗客は多くなく、混乱もなし。いつしか発車時刻になり、予定通り14:19に出発となった。
車内天井には古式ゆかしい扇風機。シートの感触も昔ならでは。博物館動物園駅の遺構を通過した折には、タイムスリップ感を覚えることになる。昭和の雰囲気を楽しみたい向きにもお誂えだと思う。
特急なので、日暮里の次の停車駅は青砥。青砥、高砂に急ぐ客はいるだろうから、それなりに乗客は増えるだろうと思ったら、これが極めて少数だった。客が少ないからではないだろうけど、音、揺れともに案外小さく、往年の走りを楽しむように列車はまったりと進んでいく。と、千住大橋で減速し、一旦停止。何事かと思ったら、後続の成田空港行き特急を先に通すと言う。特急に抜かれる特急というのはまた不思議な設定だが、これも記念列車ならではか。乗り込もうとする女性客はいたが、あいにく扉は閉ざされたまま。静かに数分が経過し、14:32、再び緩やかに走り出す。そうか、空港特急に抜かれることがわかっていたので、日暮里から乗る客がいなかった訳だ。そんなことを考えていたら、関屋を過ぎ、荒川越えとともに加速。適度な揺れ心地が逆に速度を感じさせるのだった。
青砥ではケータイを向ける人々が増え、高砂では撮影者も乗客も増。金町線に入ると、柴又、金町と向かうにつれ、沿線の見物人は増えに増える。踏切はどこも物珍しそうに見送る人垣。「撮り鉄」の方々もとにかく多かった。今日が復刻運転初日とあらば、詰めかけるのはわからないでもないが、それにしても!である。
本線の踏切安全確認とかで少々の遅れはあったが、ほぼ定刻に終点の金町に到着。レトロムードな小旅行はこうして終了となる。時間にして30分弱だった。
金町駅改札を通る人は少なく、一様にホームに残っている。青電にまた乗って戻れればなぁ、という思いも皆一緒か。ホームのすぐ先の踏切がなかなか鳴らず、発車がもたついたのはそんな余念が引き止めたせいだろうか。やがて「回送」青電は今来た線路をゆっくり力強く引き返すのだった。
その後、ごく普通の高砂行きで柴又へ。柴又下車後は徒歩で北総鉄道の新柴又へ向かうことにした筆者である。そう、すんなり帰らないのが筆者流なのだ。
さて、青に続く「往年の列車カラー」は赤。真っ赤ではないのだが、とにかく「赤電」と称される。
これが走り出すのは8月下旬から、というのが創立100周年記念サイトでのご案内。実に漠然としていて具体的な情報は見つからない。辛うじて赤電の試運転開始の報は得たので、とにかく待つことにした。となると、初日は24か25か...
とにかく前々から撮影スポットとして考えていた西日暮里五丁目交差点陸橋に出向くことにした。すると、狙いとしてはよかったようで、早々に青電に遭遇。6月30日は車中だったので、車外のシーンはこれが初めて。なかなかの感動モノではあった。
これで勢いづけばよかったのだが、その後はパッタリ。京成の本線ではあるのだが、日中はそれほど本数が多い訳ではないので、時間的空白が増えてしまう。同じ場所で粘っていると虚無感が漂ってくるので、気分転換がてら藍染川西通りを新三河島方面へ向かうことにした。車窓からの眺めでなじみがあり、その鄙びた感じが佳いのがこの一帯。が、いざ下界を歩いてみると何ともせまこましていて、どこか危なっかしい印象も。京成線の高架を支える橋脚が古びた観があるのも事実で、その危なっかしさを高めている?(と言ったら言い過ぎか) 途中、JR貨物線の日暮里八丁目3号踏切に差し掛かるが、そこは見上げると京成線という好ロケーションになる。この際、橋脚がどうこうは不問とし、待機することにした。
貨物線はこの先、田端、尾久へと続く |
こちらは日暮里八丁目2号踏切 |
いい角度で列車は通るが、赤電は来ない。そうこうするうちにまず遮断することがないと思われていた貨物線の踏切が何度となく動き、貨物列車や電気機関車が通って行く。その線路の田端方向を見遣れば、遮断のバーがない踏切があって、そこを貨物専門と思われる「撮り鉄」の皆さんが熱心に撮影に励んでいる。京成電車には目もくれない様がおかしくもあり、同時に感心させられた次第。結局、赤電どころではなかったのだが、その道の撮影スポットを発見できたのは収穫だった。
帰ってから調べてみたら、8月24日になってようやく、このような感じでアナウンスされていて、図らずも赤電の運行初日に出かけていたことがわかった。が、「通常ダイヤにて運用」と書かれているだけでは狙いの定めようがない。こうなったら、沿線ブロガー頼みだ。「鉄道コム」などをチェックしてわかったのは、日暮里界隈で見るには朝か夕方ということ、4両編成が基本となる区間なら日中に遭遇できること...大雑把なレベルではあるが、おかげで大筋をつかむことはできた。
18時台の日暮里は、金町行きが5本出る。着いたのが遅れたため、18:20・30・42・49の4つを見送るにとどまったが、いずれもnot赤電。朝は、日暮里9時過ぎ発(877)が赤電、とのブログ記事が出てきたので、待ち構えてみたのだが、これが何故かハズレ。
再度、18時台最初の09発(1873)に間に合うように日暮里をめざすも、あいにく上野駅で足止め(非常停止ボタン作動?)を食らいNG。これが赤電らしいことがあとでわかったものだから、余計に口惜しい。(18:20以降では出てこない訳である。)
平日の通勤途上では、赤電にお目にかかることは難しいようだ。ならば週末、とにかく金町線に行けば、青か赤がどこかで往復している?ということにして、9月12日、あえて乗車することを決めた。日暮里の乗換改札(JR<=>京成)では、PASMOのオートチャージが使えないとやらで、思わぬ冷や水を浴びるが、13:40に何とか高砂に到着。4番線に金町行きが入ってくるのを待っていたが... あいにく青でも赤でもなくやはり空振り。同駅車庫(検車区)に赤電が待機しているのを見つけられたのがせめてものお慰みである。(一応、動画↓)
という訳で、走っている赤電にはこの日も縁がなかったのだが、すごすごと帰ってしまっては能がない。高砂から上野に戻る途中、関屋で降りることにした。何を隠そう、9月12日の「アド街ック天国」は、ズバリ「京成関屋」(牛田・堀切・関屋と併記するならわかるが、堂々「京成関屋」の一点張り)。ホーム上から雰囲気だけでも予習しておこう、というちょっとした思いつきである。
この予習が奏功したか、当夜の「京成関屋」編はすっかりハマってしまった。笑いあり、涙あり、なかなかの出来だったと思う。川と鉄道に囲まれている街だけに、いい流れがあり、それを番組がうまく汲んで紹介したため、だろう。いわゆる「住みたい街」ランキングは固定観念(オシャレ、グルメetc.)に誘導されている観があるが、関屋のような街が今回のように情感込めて取り上げられることが増えれば、「住みたい」の観念も変わってくるものと思われる。
「京成関屋」だった割には、京成100周年の話が出なかったのが惜しまれる。2007年の年末には「京成線タウン
in Tokyo Best50」という一大特集が放映されているし、そのうち「八広」(と思っていたら「柴又」に変更?)に出没するようだから、大目に見るとするか。
次回はちゃんと関屋の改札を通って街(特に柳原界隈)を探訪するか、とも思う訳だが、カラー列車が走っている間はそっち優先になりそうだ。今回は紹介できなかったが、「ファイアーオレンジ」という威勢のいい、されどちょっと物騒な編成が「9月中旬」にお目見えする。青、赤、ファイアー! 同じ日にうまく収められればいいのだが。ま、気長に一つ。(確実に見物するなら、幕張本郷辺りが良さそうだが、ちょっと遠いのが難。逆に都内でしっかり見届けられれば、その方が価値はありそうである。)
1.京成線を撮るなら
JRの駅からすぐにアクセスできるのは、都内で言うなら日暮里か金町か。(上野も近いが、地下なので撮影するには入場しないといけない。)
ただ、金町は本数が少ないので、やはり日暮里ということになる。日暮里では、常磐線ホームからだとお隣なのでよく見える。難点は常磐線の上野行きが入ってくると隠れてしまうこと。改札を出て撮影するのであれば、北口から横断歩道を渡った橋の歩道がオススメ。橋の名は「下御隠殿橋(しもごいんでんばし)」という。
常磐線ホームからスカイライナーを撮影(今なら記念ロゴマーク付き) |
下御隠殿橋は、「フレッシュひたち」など、常磐線特急を撮るにも最適 |
走り抜けるシーンを撮るなら、前述の通り、西日暮里下車、日暮里舎人ライナーの駅へ続く「西日暮里五丁目交差点陸橋」がいいと思う。
陸橋から日暮里方面(下の道路は尾久橋通り) |
陸橋から三河島方面(下の道路は道灌山通り) |
やや古いが、鉄道路線は変わらず。西日暮里はさまざまな列車(新幹線から貨物まで)を見たい人には打ってつけ。 |
高砂まで行けばいろいろな車両(京成・都営・京急・北総・芝山)にお目にかかれる。行先も実に多彩。 |
2.2010年度に向けて
2009年度ならぬ2010年度の話ではあるが、100周年記念事業に当たる。「成田新高速鉄道」の開業がいよいよ現実味を帯びてきた。下御隠殿橋からも新しい線路(→参考)がよく見えるが、これは本線の高速化の一環。高砂駅でも金町線を高架化する工事が進んでいて、これまた同じ。日暮里〜成田空港間を36分で結ぶためのテコ入れが進んでいる訳だ。古びた橋脚も直していくんだと思うが、日暮里〜青砥のウネウネは如何ともしがたく、この区間に限ってはスピードアップは望めそうもない。
東京ローカルな感覚あふれる区間だけに下手な工事はしてほしくないが、千住大橋のような待避駅を増やすといった改良は必要かも知れない。待避機会が増えれば、また以前のように急行(廃止前の急行停車駅は町屋・千住大橋・堀切菖蒲園)を走らせることもできるだろう。それなりの街が多い割には優等列車がないのは不自然、されど快速や急行など種別を増やせば新型スカイライナーの足かせになりかねない。やはり難しい?
3.100周年つながり
京成電鉄が創立100周年なら、山手線は命名100周年。その周年記念の編成が9月7日から走り出している。ただし、こちらは1編成のみ。山手線の駅で1時間待っていれば巡り合えるはずだが、そう易々とはお目にかかれまい...と思っていたら、いやいやどうして。その12日の京成線ミニ旅の後、上野駅でバッタリである。走り込んできた時のインパクトは絶大だった。
京浜東北線が快速運転している時間帯だったので先回りして、田端で撮り直すという手もあったが、乗車するのも悪くないと思い、そのまま田端まで。途中どの駅でもケータイで撮影する人を見かけた。なかなか好評のようである。
復刻調ラッピング電車ということだが、その色がチョコレート色ということもあり、ズバリ「チョコレートは明治」の全面広告編成になっている点、要注意。(走っていると溶けてしまいそう?) この編成、名前は何故か「ぶどう色2号」。阪急電車も似たような色だが、あちらはマルーン(maroon:#800000)。マルーンに似たチョコ色のぶどう色、と言って通じるかどうか、だ。
京成線は青、赤、ファイアーオレンジ、山手線はぶどう色。秋らしく、色とりどりの電車が走る。簡単に出会えないのが悩ましいところだが、その分見つけた(または乗車できた)時の喜びは大きいと思う。
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