新宿丸井5館(当時)の合同INFORMATION。地図は南北が逆なので、ちょっとわかりにくいかも知れないが、新宿三丁目交差点に3つ、というのは圧巻。総合案内の電話番号は、03-354-0101である。-3354-になっていないところに時代を感じる。
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左パンフレット(全8ページ)を開くと、INTERIOR館とTECHNO館のフロア案内が出てくる。モノであふれていた世相を反映しているように思う。YOUNG・FASHION・MEN'Sの各館の同様の案内はパンフ見開き(p.4〜5)に載っているが、テナント社のロゴばかりで、筆者としてはチンプンカンプン。こうしたファッション関係と無縁なのは今も昔も変わらないが、店舗の案内についてはせっせと集めていた。自分で言うのも何だが、妙な若者である。
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EPOのコンサートはこの時が初めて。筆者が拝聴したのは12/23のX'MAS
Editionの方だったので、1988年ネタとは言えないかも知れないが、TOURとしては一連だったので、一応。20年前はこうしたコンサート、\3,000が相場だった。
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行動記録帳によると、2/20に池袋のビックカメラに足を運んだことになっているので、おそらくその時に入手したものと思われる。今は、「池袋東口総合館」という名称になっているが、当時はここが東口本店。各フロアの見出し品目にご注目あれ。(ちなみにこの日の筆者は、カセットテープとフィルムを買っている。いにしえ〜)
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3/13にダイヤの大改正があったものの、東京駅発の新幹線は改正してもこんな程度。のぞみ号は走ってないし、1時間あたり最大9本というのは寂しい印象すら受ける。今はここにある通り、最大14本になることがある。過密と言えばそれまでだが、この20年での新幹線の進化はやはりスゴイ。
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その大改正時の時刻表の概要(発売予告)がこれ。津軽海峡線開業とあるが、裏を返せば「青函連絡船廃止」である。実際、このチラシの裏面はその雄姿の写真とともに「さよなら青函連絡船」と付されている。永久保存版のような一枚。
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東京ドームで、中日 vs
阪急を観戦。一回表、阪急の攻撃。先頭打者にいきなりヒットを打たれていたのをよく覚えている。その勢いのまま、中日は見事敗戦。以来、ドームにはあまりいい印象を持っていない。
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で、このトーナメントのスポンサーがサッポロビールだったので、このような宣伝付きの「ラッキーカード」が配られることになる。ラッキーナンバー当選の際は、このWOW6種セットがもらえた訳だが、こうしてカードがあるということは...言わずもがな、である。
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4月1日というのが紛らわしいが、エイプリルフールではなく、真面目にカレーチャリティーは行われていた。このチラシを手にして、実際に渋谷店までは行ったものの、残念ながらご縁がなかった筆者である。(大行列ができていて見送った記憶がある。)
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4/15は新学期初日。午後は空いていたので、フラリと東京駅まで行って、この美術展を鑑賞した。ステーションギャラリーが開館したのが20年前というのは、ちょっと意外な気もする。(もっと前からあったような...) ちなみに現在は休館中。(→参考情報)
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かつては展示場と言えば晴海だった。何かの伝手でチケットをもらっていたので、とりあえず出かけた筆者だったが、これが大ヒット。こうした催しに行くと、試供品や景品の類がわんさともらえることを覚えてしまったのである。(そういう時代だっただけ、と今は思う。)
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今とあまり変わらない気もするが、何となく物価高な折り、これは快挙だったんだと思う。4/10にしっかり渋谷某所の吉野家に行ったことが記録されている。(奇しくも、2008年9月1日、いくつかのチェーンでは、これと逆のことが行われている。牛丼値上げ、どこまで波及するのやら。)
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第256話でも紹介したが、当時のJR新宿駅新南口付近には貨物ターミナル跡地というのがあって、時々妙なイベントが行われていた。この「NICS
SUPER FAIR」もその一つ。ソウルオリンピックが開かれる年だったが、韓国はまだ新興国扱いで、NICs(=Newly
Industrializing Countries)と言えば韓国、という時代。そんな韓国製品を中心とした安売り市だったのだが... 今、見るとそれほど安いとは思えなかったりする。
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チラシの裏面(上半分)はこんな感じ。さすがに食品は安い?!
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およそご縁がなさそうなチケットだが、上記のNICSフェアで新宿に行った際、東口のステーションスクエアでこの優待券をゲット。有明の森に行くことになった。何かと無料で配られるものが多かったのがこの頃。
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価格は不明だが、商品の雰囲気はわかる。ファミリーマート新ブランドを紹介するハガキがこれ。裏面には「品質が、FMです。」という意味不明なコピーも。(今ではすっかりファミマで通っているが、FMと呼ばれていた時代があったのかどうなのか。)
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新宿伊勢丹の新館にある美術館での展覧会。1920−30年代のニューヨークの夢と未来というけれど、昔は昔。さらに20年が経ったとなれば、大昔である。この時の展示品、今となってはさらに高値になっているものと思われる。 |
これも伊勢丹美術館。左上に「東京朝日」創刊100周年記念とある。(ということは今年で120年!) このチラシを飾っておくので満足したか、記録帳に入場・鑑賞したことは記されていなかった。 |
東京での朝日新聞100周年と連動させる意図もあったのだろう。AERAはこの年の5月に創刊され、今日に至っている。 |
これだけで大百貨店の観を受ける西武百貨店 池袋店。「主婦のつくった店内案内」にしては、と思うかも知れないが、中を開けて出てくる各階詳細が正に出色の出来となっている。色別のゾーニング(赤・青・緑)などが付されてあって、わかりやすい。(そこそこカラフルな店内案内パンフが作れたのは、当時のデパートが潤っていたことの証し?) |
今となっては古めかしい感じのする観戦チケット。衛星放送(BS)が始まって1・2年といった時期、この「NEC パラボーラ」の帯は新鮮味があった。 |
いわゆる「英語劇」である。当時はまだ受験英語の延長で何とか聞き取れたように思うが、今は怪しい。(^^; 7/24の最終日に観劇。 |
今は汐留ならぬ「海風留」でヒートアイランド現象の一因と目されるビル群が立ち並んでいるが、20年前はまだ貨物駅跡地だった。広大なスペースを広々と使ったイベントが時々開かれていて、この「サマー・フェスティバル」もやたら広漠としていたのを覚えている。ただ、チラシの陽気さに反して、初日7/22はあいにく薄曇りの変な天気。プロコル・ハルムの「青い影」が大音量でかかっていて、夏らしくない哀愁が漂っていたのが印象的だった。
【参考画像】 首都高速都心環状線の後方、左から銀座郵便局、朝日新聞社、三井造船(推定)。今こうした景観を望むことは不可能。汐留はただ広かった。 |
左のような景気の良さそうなチラシもあれば、このように地味なのもある。今見ると、正しく昭和の香りが感じられる一枚(見開き中央を抜粋)である。ただ、こうした催しの方が息が長いもので、今年も同じ時期に開催されている。(→参考情報) |
丸井渋谷店(本館・ヤング館)の案内は、リフィル式。これも当時ならでは、か。裏面はこんな感じで、★ナイトスポット、(D)ディスコなんてのがご親切にマーキング(ただし、チョー抽象的)してあるところがいかにもバブル? 終電情報もどこか空しく映る。 |
この頃の達郎氏は、まだ2年6カ月という「短周期」でアルバムを出していた。それでも筆者としては待望の一枚に違いなく、まだかまだかと待っていたら、何と発売日延期に! 予告では10/10だったが、10/19が発売初日となった。新宿の新星堂にて予約特典つきで購入。(この中の一曲「蒼氓」については、ちょっとした思い入れがあります。→こちらをご参照ください。) |
表紙には、11/3(木)グランドオープンとなっているが、裏の日付は10/28になっていた。おそらくリニューアルの予告を兼ねた案内だったものと思われる。(現在のフロアガイドはこちら) |
こっちは聖蹟桜ヶ丘の京王百貨店のフロアガイド。(拡げると、A館・B館・C館の一大マップになってしまうので、表紙と裏表紙のみ) 多摩動物公園が30周年というので、そのついでに寄り道して入手。フロアガイドは11月付。出かけたのは12/10のことなので、割と出来立てだったことになる。 |
12/4、新宿〜原宿〜渋谷と自転車で駆け回った日に立ち寄ったのがこの不思議なイベント。これと同じような実機がいくつも展示されていた訳だが、残念ながらあまり記憶にない。当時は、どのメーカーも潤っていたので、こういうのも当たり前。受け手としても感覚がマヒしていたんだと思う。
【参考画像】 これがその日の写真。都庁がまだ建っていないので、初台方面が白々と広くなっている。 |
一年の締めくくりはやはりこれ。報道写真展と言えば新宿・小田急、というのがしばらく続いていたので、年末=新宿というのも恒例行事だった。(会場だった小田急グランドギャラリーがなくなるということで、2001年からは、新宿三越へ移るもそれも2004年まで。歳末新宿は、これでひと区切り。2005年からは日本橋三越で開かれるようになり、とりあえず落ち着いたようである。) |