随筆「東京モノローグ2011」(11−12月期)
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特に生保は長い社名が目に付くようになった。が、上には上が…第342話 長〜い社名 文京区関口3丁目では邸宅街に遭遇第343話 初探訪十一景
北京国際空港 ターミナル3 Automated People Mover第340話 乗り物の秋 台風15号がもたらした大雨で、ゴルフ場も水没!第341話 川を視る、川に学ぶ

第343話 初探訪十一景(2011.12.15)

 2011年も残すところ2週間余り。全体的な一年のまとめは毎年恒例の「○○大ニュース」に委ねることとして、今回はその前座というか、ちょっとした行動記録を通して2011年を振り返ってみることを思いついた。23区内を隈なく巡るのは難しい。だが、コツコツやっていれば少しずつ減っていくのもまた事実。行ってそうで行ってなかった場所というのがあるとすると、今年はそれを結構クリアしていった一年だったように思う。2011にちなんで11カ所。感覚的には「東京百景」に近いが、必ずしも美景という訳ではない。あるがままの小景といったところである。お気楽にひとつご高覧の程を。


1/20 高島通り

 東武練馬の駅前に「板橋SATY」(今はイオン)(→地図があって、自転車で行けなくもないことがわかっていたので、この日、夕方に出かけた。行きは東武東上線沿い(言わば丘の上)だったが、帰りは下。SATYの脇からすぐに麓に下りることができ、不動通りというのに出る。この通り沿い、つまり板橋区徳丸・西台の辺りは、地理的には近くてもなかなか来ることがなかった。赤塚公園通り、高島通りと経て環八へ。写真はその途中で撮ったものだが、不覚にも詳細不明。


2/18 新小川町

 茗荷谷に近い茗台中学校で行う授業の打合せの帰り、丸の内線を跨ぐ道を歩き、今井坂というのを下り、文京区水道、そして新宿区新小川町を通った。この界隈、神田川沿いを歩くことはあっても、その奥の路地に入るのは初。初めてなのにどこか懐かしい感じがあり、その感覚が新鮮だった。道中で見かけたこうした印刷工場が、この辺りの特色をよく表している。


4/29 十条仲原

 十条仲通りや十条銀座に来ることはあっても、その路地裏に分け入ることはなかった。この日は、町名で云うところの十条仲原を極めることにし、あてずっぽうに散策。昭和の香りと言っていいものかわからないが、そんな街角に出た。十条の懐の深さを感じる。


6/10 安藤坂

 この日の行程は、第331話の通りだが、初めて訪れた場所ということで一つ挙げるなら、ここ。安藤坂(安藤飛騨守が由来)である。文京区教育センターに入る手前で撮った。(→地図


6/22 増上寺

 芝は増上寺。本堂から東側の広々したところは何度か来ていても、その裏手にある四菩薩像や徳川家霊廟などは訪ねたことがなかった。裏に回る途中で撮ったのがこれ。


9/26 駒込神明町

 この日も中学校での打合せで、本駒込に足を運んだ。田端から動坂下に出て、不忍通りを少々北上し、神明車庫跡公園へ。そこから目的地である第九中学校に向かう途中が旧・駒込神明町(写真にその表記あり)である。江戸の切絵図に「東都駒込辺絵図」という一篇があり、その端に辛うじて神明宮(現在の天祖神社)というのが目に入る。地名はそこから来ている。


10/1 梶原踏切

 北区在住であっても、案外と未知の界隈というのがあって、ようやく来れたのが尾久と上中里の間のエリア。中里貝塚の見学地があった上中里2丁目の田端寄りの方は行ったことがあっても、同じ2丁目の王子側がこれまでご縁がなく、この日、荒川電車営業所での「荒川線の日 2011」記念イベント会場から、都民の日で入園無料になる旧古河庭園までを歩いて移動することにし、未知から既知に。梶原踏切(→地図〜上中里中央商店会〜車坂跨線人道橋〜蝉坂のルートを辿った。写真はそのとっかかりに当たる東北本線 梶原踏切(尾久駅方面)を撮ったものである。


10/3 関口

 椿山荘の隣に関口台町小学校というのがあって、そこでの授業の見学に行った帰り、文京区関口の奥の方をめざしていたところ、こんな邸宅が建ち並ぶ一角に出る。関口3丁目はもっと奥まで広がっていたのだが、方向感覚が狂い、南へ。そのおかげでこういった写真が撮ることができたのだが、護国寺に向かうには遠回りだった。


11/26 鶯谷(元三島神社)

 山手線の駅の中で、下手をすると最も乗り降りが少ないのが鶯谷である。この日は「三の酉」につき、鷲神社に行ってどうこうというのが多少念頭にあって、やって来た訳だが、当の神社が結構離れていることを着いてから認識。大きな熊手を持ったご婦人方を見かけたりはするも、自身が行って買って、という気は起きず、南口から北口まで歩くにとどめた。電車から眺めていると、どことなく怪しげな空気漂う一帯だが、果たして実際に歩いてみるとやはり奇々怪々で、しかし、ノスタルジックな雰囲気もあって、悪い気はしなかった。北口のそばにあるのがこうした飲食店で、鶯谷ならではのムードを醸し出している訳だが、店の上にはまさかの元三島神社!である。やはり怪しいというほかあるまい。


11/29 大和郷

 東大前駅の近くに第六中学校というのがあって、そこで授業の打合せをして帰途に。この辺からJR駅に向かうのには、文京区のコミュニティバス「Bーぐる」を使う手がある。少々時間はかかるが、そのルートが趣深く、20分はあっという間。向丘一丁目から本駒込六丁目まで乗って、駒込ではなく巣鴨に向かう。江戸の切絵図「巣鴨辺絵図」で見ると、「加州矦」(かしゅうこう?)とある。今は大和郷と称される邸宅街を巡るためである。その存在を知ってから10年は経つ。やっと来ることができた訳だが、この時はほんの一部。続きは、12/13に引き継がれる。


12/13 白山通り

 9/26は打合せ、12/12と12/13が本番である。第九中学校で家庭科の授業を担当させてもらい、1年生:フードマイレージ、2年生:エアコンをテーマに、3クラス×2学年(総勢180人超)、合計6時限分を電子黒板で実施。授業が済んだら、ゆったりと周遊するつもりで、その2日は自転車で当地まで来た。(自宅から第九中学校まで、ゆっくり走って40分ほどかかる)

 第325話では、「3.根津〜団子坂〜本郷通り〜駒込駅」で書いた通りで、とにかく徒歩でこの辺りは来ているのだが、吉祥寺や南谷寺(目赤不動尊)の境内に入ったのはこの日が初めて。白山上から白山下を通り、京華通り商店会(→地図を経由して白山通りへ。白山下から春日までの白山通りは以前「Bーぐる」で通っているが、白山下から北側の白山通りはおそらく初。写真は白山通りが旧白山通りと合流する手前(原町歩道橋付近)で撮ったものである。

 自転車だと自在に動ける分いい。ただ、つい寄り道し過ぎて、肝心の大和郷に着いた頃にはすっかり暗くなってしまった。感度のいい写真が撮れなかったので、いずれまたトライしようと思う。


 ご覧の通り、文京区絡みが多くなっている一年でもあった。来年もポツポツ授業があるので、可能な限り自転車で行くことにして、さらにあちこち巡ってみようと今から考えている。(大塚6丁目、白山2丁目、小日向2丁目が有力候補)

★次回は、「○○大ニュース」をお届けします。(○○がいくつになるのかも見どころ?)

  • こちらもどうぞ...⇒ 都内周遊関係(主に徒歩・自転車)

第132話 立会川、ボラちゃんレポート / 第146話 同潤会アパート / 第215話 自転車で23区を走る / 第237話 07年07月07日〜川の日の過ごし方(文花、向島、浅草) / 第246話 246号線(青山通り) / 第298話 春日通りを往く(佐竹商店街〜炭団坂) / 第312話 ツボ押しするなら公園で

 

第342話 長〜い社名(2011.12.1)

 第320話の13.で少し触れたが、いわゆる保険の見直しというのをやってみて1.5年が経った。もともと社名が長いところのに変えたのだが、二つのうち一つはいつの間にやらどっかとくっついて(さらに長くなりそうなところをうまく抑えて)、「長いけど妙な社名」になってしまった。見直したからには、お荷物になるような会社と一緒になってほしくなかったりするのだが、保険会社自身も見直ししてそうなったとするなら、受け止めざるを得ないだろう。保険料控除証明書を眺めつつ、どこか腑に落ちないものを感じる今日この頃である。

 そんな折に目にしたのが、いわゆる来店型保険サービスショップの店頭でのこうした案内標示。ここにあるのはその一部ゆえ、保険会社全体となればおそらくもっと複雑怪奇な社名が存在するに違いない。そう思って調べてみることにしたのが今回の小話である。

 例えば、生命保険会社の「新旧社名一覧」というのがあり、同様に損害保険会社も「新旧社名一覧」があり、それらを見ればその経緯とともにその社名の長短がわかる訳だが、少々物足りない。保険業界がこうなら、金融機関も似たようなものだろう。そもそも三菱+東京+UFJの合成社名の典型例を有するのが銀行である。銀行を含め、とにかく一気に社名の字数を調べてみるのが面白そうだ、と相成った。

 引っかかったのは金融庁のホームページで、ご丁寧に「免許・許可・登録等を受けている業者一覧」という形で、公開されている。ここにあるEXCELファイルをACCESSに取り込んで分析してみることにした。対象とその件数は表の通りである。(基本的に株式会社など、「○○会社」がメインの業態を選び、所在地が日本にある会社のみを抽出した。)

銀行持株会社 16
都市銀行 5
信託銀行 18
地方銀行 64
第二地方銀行 43
その他銀行 17
金融商品取引業者 2213
保険持株会社 9
生命保険会社 45
損害保険会社 50

*重複は2社(ソニーフィナンシャルホールディングス株式会社、日本郵政株式会社|保険持株会社と銀行持株会社の両方)、社名が全く同じものが金融商品取引業者の中に3社。

 字数をカウントするのはクエリでLen関数を使えば一発である。この際なので、○○会社を含む正式社名で数えてみたら、こんな結果になった。

社名字数

社名

業態

本店等所在地

61

ジ・ユナイテッド・キングドム・ミューチュアル・スティーム・シップ・アシュアランス・アソシエーション(バミューダ)リミテッド

損害保険

東京都港区海岸2−1−16 鈴与浜松町ビル8F

52

ミュンヘナー・リュックフェルシッヘルングス・ゲゼルシャフト・アクツィエンゲゼルシャフト・イン・ミュンヘン

損害保険

東京都千代田区永田町2−11−1

50

エイチディーアイ−ゲーリング・インドゥストゥリー・フェアジッヒャルング・アクツィーエンゲゼルシャフト

損害保険

東京都千代田区三番町2番地 三番町KSビル7F

44

ウエリントン・インターナショナル・マネージメント・カンパニー・ピーティーイー・リミテッド

金融商品取引業者

東京都千代田区大手町1−1−2 りそな・マルハビル17階

42

Millennium Capital Management Asia Limited

金融商品取引業者

東京都港区赤坂9−7−1

41

AMP Capital Investors Property Japan 株式会社

金融商品取引業者

東京都千代田区大手町1−5−1 大手町ファーストスクエア イーストタワー4F

41

ザ・ブリタニヤ・スティーム・シップ・インシュアランス・アソシエーション・リミテッド

損害保険

東京都港区芝3−5−1

39

Fidelity Management&Research(Japan)Inc.

金融商品取引業者

東京都港区虎ノ門4−1−17 神谷町プライムプレイス

39

コンパニー・フランセーズ・ダシュランス・プール・ル・コメルス・エクステリュール

損害保険

東京都港区虎ノ門1−2−8 虎ノ門琴平タワー5F

39

ユーラー・ヘルメス・クレジットフェアズイヘルングス・アクテイエンゲゼルシャフト

損害保険

東京都中央区京橋1−8−7 京橋日殖ビル7F

38

アクサ・リアル・エステート・インベストメント・マネジャーズ・ジャパン株式会社

金融商品取引業者

東京都港区白金1−17−3 NBFプラチナタワー14階

38

アメリカン ファミリー ライフ アシュアランス カンパニー オブ コロンバス

生命保険

東京都新宿区西新宿2−1−1 新宿三井ビル

36

CB Richard Ellis Investors Japan株式会社

金融商品取引業者

東京都港区虎ノ門4−3−1 城山トラストタワー33階

36

Pareto Investment Management Limited

金融商品取引業者

東京都千代田区丸の内1−8−3 丸の内トラストタワー本館12階

36

Quality Capital Management Asia 株式会社

金融商品取引業者

東京都品川区西五反田1−11−1 AiOS五反田駅前ビル10F1011号

35

アライアンス・バーンスタイン・ルクセンブルグ・エス・エイ・アール・エル

金融商品取引業者

東京都千代田区丸の内1−8−3 丸の内トラストタワー本館

35

クッシュマン・アンド・ウェイクフィールド・アセットマネジメント株式会社

金融商品取引業者

東京都千代田区永田町2−11−1

35

コンコード インターナショナル インベストメンツ グループ エル・ピー

金融商品取引業者

東京都港区虎ノ門1−1−16 虎ノ門中央ビル

35

シービー・リチャード・エリス・インベスターズ・ホールディングス株式会社

金融商品取引業者

東京都港区虎ノ門4−3−1 城山トラストタワー

35

バークレイズ・キャピタル・ファンド・ソリューションズ・ジャパン株式会社

金融商品取引業者

東京都港区六本木6−10−1

35

有限会社Samanta−bhadra Capital Research

金融商品取引業者

神奈川県大和市中央林間2−13−9 トウトアームスT−302

34

Noonday Asset Management Japan合同会社

金融商品取引業者

東京都港区虎ノ門5−11−2 オランダヒルズ森タワー

34

OPTIMAL FUND MANAGEMENT JAPAN 株式会社

金融商品取引業者

東京都港区南青山6−2−9 KSビルディング

34

Pioneer Global Investments Limited

金融商品取引業者

東京都千代田区大手町1−5−1 大手町ファーストスクエアイーストタワー4階

34

アトランティス・インベストメント・リサーチ・コーポレーション株式会社

金融商品取引業者

東京都港区浜松町1−30−5 浜松町スクエアStudio1805

34

インベスコ・グローバル・リアルエステート・アジアパシフィック・インク

金融商品取引業者

東京都港区赤坂1−12−32

33

Mercury Capital Advisors Asia,LLC

金融商品取引業者

東京都千代田区丸の内1−11−1 パシフィック・センチュリー・プレイス8階

33

アール・ビー・エス・セキュリティーズ・ジャパン・リミテッド(証券)

金融商品取引業者

東京都千代田区丸の内1−6−2 新丸の内センタービル

33

アトランティック・インベストメント・マネジメント・ジャパン有限会社

金融商品取引業者

東京都千代田区丸の内1−5−1 新丸の内ビルディング10階

33

ブルーベイ・アセット・マネジメント・インターナショナル・リミテッド

金融商品取引業者

東京都港区虎ノ門5−11−2 オランダヒルズ森タワー18階

33

プルデンシャル・リアルエステート・インベスターズ・ジャパン株式会社

金融商品取引業者

東京都港区南麻布3−20−1 麻布グリーンテラス5階

33

マウンテン・パシフィック・インベストメント・アドバイザーズ株式会社

金融商品取引業者

東京都千代田区内幸町1−1−1 帝国ホテル本館602

32

Vermilion Capital Management株式会社

金融商品取引業者

東京都港区赤坂1−7−1

32

エイチ・エス・ビー・シー・セキュリティーズ・ジャパン・リミテッド

金融商品取引業者

東京都中央区日本橋3−11−1

32

セキュアード・キャピタル・インベストメント・マネジメント株式会社

金融商品取引業者

東京都港区虎ノ門4−1−28

32

プルデンシャル・インベストメント・マネジメント・ジャパン株式会社

金融商品取引業者

東京都千代田区永田町2−13−10 プルデンシャルタワー

32

マッコーリー・キャピタル・セキュリティーズ・ジャパン・リミテッド

金融商品取引業者

東京都千代田区紀尾井町4−1 ニューオータニガーデンコート

32

ロベコ・インスティチューショナル・アセット・マネジメントB.V.

金融商品取引業者

東京都千代田区大手町1−7−2 サンケイビル16階

32

株式会社Magne-Max Capital Management

金融商品取引業者

大阪府大阪市西区江戸堀1−22−4

32

有限会社ケイ・アンド・パートナーズ・ルネッサンスコンサルティング

金融商品取引業者

埼玉県久喜市久喜北1−2−2

31

Clsa Capital Partners Japan株式会社

金融商品取引業者

東京都港区東新橋1-9-2 汐留住友ビル14階

31

Intertrust Private Partners株式会社

金融商品取引業者

東京都港区六本木6−2−7

31

Mapletree Investments Japan株式会社

金融商品取引業者

東京都港区六本木4−8−6

31

Tullett Prebon (Europe) Limited

金融商品取引業者

東京都港区赤坂2−17−7 赤坂溜池タワー4階

31

シー・アイ・ビー・シー・ワールド・マーケッツ(ジャパン)インク

金融商品取引業者

東京都千代田区内幸町2−2−3 日比谷国際ビル8階

31

ソシエテジェネラルセキュリティーズノースパシフィックリミテッド

金融商品取引業者

東京都港区赤坂1−12−32 アーク森ビル

31

レリゲア・グローバル・アセット・マネジメント・ジャパン株式会社

金融商品取引業者

東京都千代田区丸の内1−11−1

31

株式会社Asia Private Equity Capital

金融商品取引業者

東京都渋谷区桜丘町27−2 第二シバビル3階

31

株式会社K−TREASURE ASSET MANAGEMENT

金融商品取引業者

東京都渋谷区千駄ヶ谷3−5−7

31

東急リアル・エステート・インベストメント・マネジメント株式会社

金融商品取引業者

東京都渋谷区道玄坂1−12−1

31

チューリッヒ・ライフ・インシュアランス・カンパニー・リミテッド

生命保険

東京都新宿区信濃町35 信濃町煉瓦館

31

ザ・ニュー・インディア・アシュアランス・カンパニー・リミテッド

損害保険

東京都新宿区西新宿1−24−1 エステック情報ビル22階

 

 新宿野村ビルの一例(さ行 <-> た・な行の違いにご注目)

 字数31字の「ザ・ニューインディア〜」は、上記の通り西新宿のエステック情報ビルにある。ただし、ここでの表記は至ってシンプル…「ニューインディア保険会社」だった。

 Googleで「長い社名」と入れて検索すると、この会社がかつては長かったことを示すページがいくつか出てくる。残念ながら長かった部分をアルファベットで略してしまったため、今は長くはない。最長としてよく出てくるのは、ここ。カッコも入れて55字である。だが、それを凌ぐ、または匹敵する会社が結構出てくるんだから驚いた。ひとまず金融庁筋ではあるが、この表、多少はお役に立つかも知れない。

 31字以上の分で52社。驚くのは社名部分に漢字がつくのが東急リアル・エステート…がやっとのことで、他はひたすらカナか英字ということだろう。平仮名がつく社名では、27字の「みずほグローバルオルタナティブインベストメンツ株式会社」がこの後、数十社隔てて出てくるといった状況。国際的とかグローバルとか云う分には聞こえはいいが、ただならぬものを感じる。生保・損保の社名をどうこう言っている場合ではないことがこれでわかった。(ちなみに保険会社の和製社名の最長は、「損保ジャパン・ディー・アイ・ワイ生命保険株式会社」(24字))

 所在地から社名を見るには、こうした「上場企業情報サイト」が良さそうだが、これは自分の目で確かめに行く時(+その市区やその付近に用事がある時)に有効と考える。ただ、近くに来てもすぐに見つかる保証はないから、根気が要りそうな話であることには違いない。

 出展社情報が事前にわかる催しをチェックして、そこに長い社名を見つけたら、会場で当日確認するという手もある。12月と言えば「エコプロダクツ」があるので、とりあえず今回(2011)の出展社から拾ってみたら、

エーシーシステムサービス (AC System Service K.K)
銀泉リスクソリューションズ (Ginsen Risk Solutions co.,ltd)
JX日鉱日石エネルギー (JX Nippon Oil&Energy Corporation)
ニューウェル・ラバーメイド・ジャパン (Newell Rubbermaid Japan Ltd.)
フィリップスエレクトロニクスジャパン (Philips Electronics Japan, Ltd.)
マイクロボード・テクノロジー (MICROBOARDS INC.)
三菱エンジニアリングプラスチックス (Mitsubishi Engineering-Plastics Corporation)

 といった具合。正式社名にすると、より長くなるだろう。何が目的だかよくわからなくなってくるが、会期中、一応確かめてみようと思う。

 不動産関係も長い社名が多そうだが、

旭化成不動産レジデンス、エヌ・ティ・ティ都市開発、ジェイアール西日本不動産開発、住友林業ホームサービス、藤和不動産流通サービス、ピタットハウスネットワーク、三菱地所リアルエステートサービス、三菱UFJ不動産販売...

 見覚えのあるのが部分的に含まれている分で言うと、このあたりか。(正式社名にするとこれより長くなる訳だが、やはり金融系の比ではない。)

 都市銀行で最長の「株式会社みずほコーポレート銀行」をはじめ、東京海上日動や三菱UFJ信託の社屋がある丸の内一丁目界隈。丸ビルや新丸ビルは、中に入れば、長い社名にお目にかかれる。大手町側は大手町ファーストスクエアに長いのがチラホラ。

 東京海上日動ビルディング(新館)は、割とひっそりした感じ。実はここに入っているのは、「東京海上ホールディングス株式会社」「東京海上日動火災保険株式会社」くらいだった。(東京海上系の生保2社は、大崎と銀座にある)

 持株会社ができ、それを示す「ホールディングス」が社名に加わることでただでさえ字数が増えている。持株会社以外での長い社名はできれば勘弁してほしいところだが、これを文化と捉えれば話は変わる。他の業界・業種はどうだろう? 何かしら特徴とか傾向とかがわかれば一興ではある。引き続き探りつつ、できる限り実地検証もしようと思う。

  • こちらもどうぞ...⇒ 社名に関する話題

第108話 社名表記 / 第203話 グランドステージと東横イン

 

第341話 川を視る、川に学ぶ(2011.11.15)

 河川の氾濫は、日本でも時として起こり、2011年も台風12号(Talas)の影響で紀伊半島の各河川が増水し、大水害をもたらした他、「平成23年7月新潟・福島豪雨」然り、台風15号(Roke)でも河川どうこうはあまり聞かなかったが、やはり増水は生じた。タイのそれは、かれこれ4カ月に及ぶ長期のもので、日本においては想像を絶するものだが、光景としては日本も同じ。直接的に目にしている人も多いだろう。洪水と言うと大げさに聞こえるが、決して遠い話ではないのである。

 8/26の豪雨も凄かったが、その1週間後の台風もまた壮絶だった

 長く滞留した分、大雨被害も大きくなった台風12号

 台風15号は、9/21に首都圏を直撃!(最大風速50m/sはただならぬ値)

明治43年の大洪水被災地域図(「濁浪の海と化す」パンフレットより) 今でこそゆったりとやっている荒川にしてもかつてはその名の通り、荒ぶる川だった訳で、今から101年前、つまり1910年は大洪水をもたらしている。荒川流域では8月8〜10日に豪雨があったとされ、堤防の決壊などにより、東京府下の洪水被害者のうち特に救助を要する者232,500人(流域被災者は約150万人)という未曾有の規模だった。全国的には、北上川、阿武隈川、利根川、荒川、多摩川、信濃川、富士川が特に大きな被害を招き、山崩れなどによる犠牲者を含め、全国で1,300人超の死者・行方不明者が出た。赤羽岩淵辺りからの下流、今は隅田川となっている川が当時は荒川。その流れを付け替えるべく、放水路(現在の荒川)の建設が始まって今年が100周年に当たる。大きな水害が多い2011年が、こうした節目に当たるというのは因縁というか、巡り合わせというか…いま一度気を引き締めよ、ということかも知れない。

荒川知水資料館1階にて そういう年である以上、地元の資料館には足を運ばなくてはなるまい。11/13まで「東日本大震災パネル展」というのも併設されていると知り、その前日、11/12に久々に荒川知水資料館を訪れ、主に「明治43年の大洪水と荒川放水路」に関する展示を見てきた。パネルも上々なら、そのパンフレットも同じく上出来で、しかもその一部はPDFで公開されているんだから大したものだと思う。

 PDFにはないが、その1910年にセーヌ川も氾濫していて、パリが大変だったというのを知ったのはいい意味で収穫だった。当たり年のようなものだろうか? ハレー彗星が地球に接近した年というのがまた妙な符合を感じさせるが、両国の川の氾濫はあくまで多雨が原因である。

 「観光名所が次々浸水」「日本との意外な共通点」など

 震災の時もこうした記事は多く見られた。昔も今も変わらないことがわかる。(→拡大PDF

 このパネル見本にある「都新聞」の記事抜粋(シーン別のパネル7枚)もインパクトがあった。中でも感銘を受けたのは「人の情けが希望を生む。」の一枚。ここに顕れるエピソードは、きっと万国共通だろう。タイでも同じような美談があり、同じように救われている、そう願う。

*(こんなイベントも)「天明以来ノ大惨事−明治43年水害と岩淵」(@北区飛鳥山博物館)

 さて、日常的に荒川を見、かつ接している一市民としては、その水位や流れを気にすること多々だが、傍観者としてではなく、時には「河川利用者」として、というのがあってもいいだろうと考え、実は9月から「歩く&走る」の場として利用させてもらってきた。9月はなかなかの頻度で2日に1度、10月は3日に1度とペースダウンするもとりあえず続け、合計20回。調子のいい時は約3km(推定25分)、とにかく続けて小走りすることができたといった具合。筆者としては珍しく、スポーツの秋モードに入ってきたところで、中国行きが2回続くことになり、その準備だ何だでここのところ休止中、早くも1カ月走っていないことに気付いたところである。

 当初は朝早くに走ったり歩いたり(左に見えるカーブが荒川(下流方面))

 暴風雨台風15号が去り、9/22は快晴。河川敷のゴルフ場は、見事水没。(奥の水色が荒川)

 9月半ばから、夜の方が走りやすいことを知り、それに順応しつつあったが、気温が下がってくると億劫になるというのもある。もっとも、11月にしては寒くない日が続いていたのは確かで、実はあまり言い訳にならない。日本にいなかったのは、10/24〜27(北京)、11/5〜8(広州)だから、10/28〜11/4の間は厳しいとしても、その前後は何とかなった可能性はある。どうも気分が乗らないのは、バンコクが水浸しになったのを見て以降、川の見方が変わったせいもあるかも知れない。安易に「利用」などと言ってはいけない側面が河川にはある。やはり畏敬の念を以って、接さないといけないだろう、と。

 水害を多く見受ける年だからこそ川をしっかり見る、または視る、というのがあっても良さそうだ。だが、最高気温が20℃を超えることは、どうやら今日辺りからなくなってきそうである。夜に走るとなれば、下手すると1ケタ台ってことも有り得る。再開したいのは山々(この場合、川々?)なのだが...


[参考]中国の都市河川(北京と広州)

 北京市朝陽区を流れる北小河。下水処理が整っていない地区では生活排水が流入し、白濁が見られる。(この辺りではあえて高低差を設け、攪拌させることで浄化していると云う)

 広州市の体育中心の近くを流れる河川(おそらく天河)。護岸があるが、蛇行がそのまま保たれ、自然地も残っている。

 

第340話 乗り物の秋(2011.11.1)

 前回が鉄道中心の振り返りとすると、今回は鉄道もなくはないが、それ以外の乗り物の振り返り、と言った方がいいだろう。ディオンヌ・ワーウィックの往年の曲に「汽車と船と飛行機 (Trains And Boats And Planes)」というのがあるが、汽車をクルマと置き換えるとちょうどいいくらいの勢いである。短期間で様々なタイプの乗り物にご縁があるというのはそうそうない。

 しかも周年行事に関係するのが多かったというのがまた特別。ここのところ同じような組み立ての話が続くが、そんな訳で週末2回を含む8日間での乗り物記録を綴ることにする。


10月22日(土)

 10月11日に鳩ヶ谷市が川口市と合併し、大・川口市になった(人口ランキングでは姫路市を抜いて全国25位に)。かつての鳩ヶ谷市の駅(鳩ヶ谷・南鳩ヶ谷)周辺がどうなったのかが気になったこともあり、埼玉高速鉄道の乗り降りに興じることにした。都合よく、埼玉高速鉄道は開業10周年。それを記念する一日乗車券は出るは、この日は車両基地見学会も開催されるは・・・こういうのは逃せないのである。

 出遅れた感はあったが、十分に車両見学はできたし、謎の「モーターカー」に乗ることもできた。今思うと、このモーターカーが呼び水になって、いろいろな乗り物にご縁ができたような気もする。何事も弾みというのがある。保線作業用の特殊車両(機械)だが、車両を引っ張るのもモーターカーの役目。要するに引っ張られてしまった、という訳である。

 街角の表示ではまだ「鳩ヶ谷市某」というのが残っていたが、この手の案内標示はさすがに迅速。鳩ヶ谷市本町は「川口市鳩ヶ谷本町」になった。(鳩ヶ谷駅 出口3にて)


10月23日(日)

 住所で言うなら品川区東八潮になる。船の科学館を中心としたウォーターフロントを会場とする「Port of Tokyoフェスティバル」というのがあり、出かけた。単にイベントがあるだけではわざわざ足を運ぶものでもないが、セグウェイを使った「臨海副都心魅力再発見ツアー」というのに見事当たってしまったものだから、「これは!」と相成った次第。何せ22・23日の2日間で、計6回。各回の定員は6人なので、仮に申込が合計で300人くらいあったとするとその競争率は8倍超。何倍だったのかは訊かなかったが、相当数だったことは間違いない。(ちなみに各種クルーズ船に乗せてもらえる体験乗船会の方はハズレだった。こっちの方がかなり定員に余裕があった筈なのだが...)

 体験乗船は「落選」

 折り返しの台場公園でひと休みしていたら、Red Bullのお姉さん方がちょうどやってきて、Energy Drinkをいただいた。差し入れのお礼に体験試乗してもらった時の写真がこれ。短時間でマスターするあたり、さすがRed Bullである。

 セグウェイは筆者二度目だが、この時のようなロングランは初めて。船の科学館〜潮風公園〜お台場海浜公園〜台場公園と結構な距離を片道約20分で往復、講習時間を含め、トータル約80分という長丁場だった。随分と楽しませてもらったが、体験モニターのような扱いにつきこれが無料。ありがたい話である。

 セグウェイツアーというのは異色ではあるが、港の景観を楽しむという点では大いにフェスティバルに即したものと言えるだろう。だが、やはり主役は船。クルーズ船は叶わなかったが、停泊している船を見学できるのもこの催しのメリットである。東京港開港70周年を記念した開催なので、例年以上に力が入っていたのかも知れないが、南極観測船「宗谷」、新浚渫船「海竜」(→PDF)、練習船「日本丸」の3つが揃い踏み。じっくり「乗船」できた。

 「宗谷」の船内はかなり年季が入っていた

 逆に「海竜」は進水前(中はピカピカだった)

 赤いアームを海底に下ろし、掃除機のようにして海底を浚渫する(後方は日本丸)

 あいにく帆は張られなかったが、「日本丸」というだけあって、立派かつ美装

 ← いただいた「海竜」の絵葉書から引用

 往きは都バス。帰りは無料の東京ベイシャトルで大回りしてアクアシティお台場に出てから、ゆりかもめ。JRを除くと、バス×2、軌道(新交通システム)×1、船×3、そしてセグウェイ×1、というのがこの日の乗り物記録である。


10月24日(月)

 第310話で、あれこれ書いた「アクセス特急」だが、ようやくこの日、乗車する機会を得た。北総線に入ると、とにかく速い! さすがは特急と唸っていたが、それは成田湯川までの話。成田湯川ではまずスカイライナーの通過待ち(12:34−37)があり、その先はこれまで通り単線になってしまうため、空港第2ビルにすぐに着かない。この時は上り列車の交換待ちで5分ほど停車。せっかくのスカイアクセス線だが、アクセス特急に乗っている以上は、この憂き目に遭う。それでも青砥から50分余りで成田空港に着く、というのはやはり速いと思う。

 通過待ち合わせ中に撮影(@成田湯川)

 15:15発、CA926便

 さて、なぜ成田空港かと言えば、渡航するためである。これまでは誰かしら同伴者がいたが、今回は単独。しかも初めての中国(訪問国の数としては11番目)! 初めての国に一人で、というちょっとした度胸試しの旅となった。これで航空機(中国国際航空)が出てきたので、早くも「クルマと船と飛行機」が実現となった。

 北京国際空港で驚かされるのは、第3ターミナルの長大さである。出口に向かうにはターミナル内を往復する「APM」と称する新交通システムのような車両に乗らないといけない。案内標示に導かれるまま、これに乗るとその速さに仰け反ることになる。走る仕組みは日暮里・舎人ライナーに似ている。APMは言わば同ライナーの特急版である。

 "Automated People Mover" 略してAPM

 なかなかスタイリッシュな機場快軌

 空港から市内(というか市街地)に出るには、快速地下鉄(機場快軌)がいい。双方向ではなく、反時計回りのような一方通行路線なので、知らないと当惑するだろうが、乗ってしまえば楽なものである。苦労するのは釣札が出ないばかりに言うことを聞かない券売機だろう。(この時は結局窓口で購入した。) 25元で買った快軌専用カードは入場時はタッチ式、出場時は挿入式(改札で自動回収→リユース)というものだった。市内の地下鉄も同じ理屈。よくできている。

 中国元での初めての買い物は機場快軌の乗車券(これは領収書) 券売機で買っていたら、こういうのはもらえなかった訳だから、結果オーライである。

 地下鉄2号線車内。吊り革の広告は何と(意訳)「エコ移動」! 記事では見ていたが、実物は初めて。(→参考

 宿泊先は、王府井にまぁまぁ近い灯市口駅の目の前。快軌で終点の東直門に着いて、2号線〜5号線と乗り継いで同駅へ。自力でホテルまで来れたのは我ながら上出来だが、地下鉄のおかげであることは言うまでもない。


10月25・26日(火・水)

 なぜ北京?については、この記事をご覧いただくとして、この2日間は、5号線〜2号線で灯市口〜鼓楼大街、10号線〜5号線で北土城〜灯市口、初日の逆ルート(5〜2号線)で東直門に出てから13号線で望京西、最後は5号線のみで大屯路東〜灯市口と合計4回、地下鉄のお世話になった。かつては定期券も多く出ていたが、基本的に廃止され、今はどこまで乗っても一律で2元(約25円)という実にシンプルな仕組みになった。4回分で100円。旅行者にとってもありがたい。

 地下鉄がこの料金なので、タクシーが割高に思えてしまうが、日本に比べれば安い安い。25・26で1回ずつ乗ったが、それぞれ10km弱乗って、18元と19元。3人で乗ったので、一人80円しないくらいである。これには恐れ入った。

 この駅から鼓楼北橋〜鼓楼外大街〜青年湖南街と歩いて、自然之友へ

 地下鉄13号線は、東直門を出ると地上を走る。汚染がひどい川の一つ、北小河沿いを歩いていたら、地下鉄が通過。(望京西駅の北側)

 10/25、安徳里北街から健翔橋付近までタクシーに乗車。レシートが渡されるのは良好だが、この時は50元渡して、お釣りが32元だった。2元(18−16元)はいったいどこへ?


10月27日(木)

千葉交通バス(成田湯川駅〜(吾妻経由)〜JR成田駅西口) 成田到着後は、再びアクセス特急で一路、青砥へ...とは行かないのが筆者の流儀である。こういう時でないと来れない駅がある。ズバリ成田湯川である。成田空港からだと500円。高いと思えなくもないが、23区の東端、新柴又からだと880円というのを考えれば安いもの。とりあえず下車し、折りよく入ってきた千葉交通バスに揺られ、JR成田駅へ。成田からは快速でひたすら帰路、である。


10月28・29日(金・土)

 中国に行って来たのが嘘のような平凡な2日間。電車と自転車程度である。


10月30日(日)

 周年ということで言うなら、日本橋架橋百年祭にちなんだ催しあり、あとは恒例の「中央区まるごとミュージアム」あり、とにかく京橋・日本橋を軸に、中央区の北半分をグルグル巡った一日だった。

 第316話に記した通り、2010のまるごとでは苦労させられた江戸バスだが、二度目となれば、多少は弁えもできるもので、今回は輪を掛けるような乗り方ができた。「北循環」のみだったが、八重洲通り西(5)〜本石町一丁目(8)〜堀留町一丁目(13)、人形町駅(24)〜八重洲通り東(4)〜本石町一丁目(8)〜八重洲通り東(4)〜東京駅八重洲北口(6)と都合6回乗車。いつもは1回100円のバスが、まるごとデーは無料なので、乗らなきゃ某の世界である。ただし、本石町一丁目で17:34に乗った一本は、実に30分の間、着席できなかった。大回りで浜町、水天宮前を結ぶのが北循環の特徴だが、その大回りのところまではしっかり乗る客が多かった、つまり地域の足として機能していることがわかった。(無料だから、ということではなさそうだった。)

 まるごとミュージアム限定の急行バス。人形町から乗ろうと思ったが、あいにく満員だったので、再び江戸バスに乗ることにした。もともと堀留町一丁目から人形町駅は歩いて移動可能。小伝馬町(14)、浜町駅(17)、箱崎町(21)と大回りしてくるので、同じ江戸バスに再び人形町駅で乗ることができるのである。

 北循環は、新川二丁目(28)と桜橋(29)の間に、八重洲通り東(4)が挟まる。そのまま乗ると中央区役所まで行ってしまうので、途中で東京駅に向かう場合のショートカット乗換停留所として、(4)が来る仕掛け。この時は、14:58着−15:04発(写真)。

 やや天候不順だったが、バスの合間には船にも乗った。常盤橋防災船着場から、「日本橋周遊ルート」に乗船。江戸橋をくぐって戻ってくる20分である。この日に限って言えば、「バスと船」である。


 この8日間、電車を除く乗り物記録(回数)をまとめると、有料バス×2、無料バス×7、タクシー×2、船×4(停泊乗船含む)、新交通システム的な車両×4、飛行機×2、そしてモーターカー×1、セグウェイ×1... 行楽の秋、乗り物の秋、ということにしておこう。

 

 

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