第374話 下北沢改め、「地下北沢」(2013.4.2)
2012年8月19日、京王線で一大変化が起きた。国領、布田、調布の3駅の地下化である。続いて、前回の第373話の通り、東急東横線渋谷駅も地下駅に。で、今度は小田急線である。東北沢、下北沢、世田谷代田の3駅が3月23日、遂に地下になってしまった。東北沢〜和泉多摩川の約10.4kmを対象とする複々線化事業*の一環だが、同事業が都市整備計画に認定された1987年12月を起点とすると実に25年余りを経て、実現したことになる。ただし、あくまで地下化であって、地下区間の複々線化はまだしばらく先。東北沢〜世田谷代田(事業区間は代々木上原〜梅ヶ丘)が上り2線、下り2線になり、地上区間の跡地の整備も終えてやっと複々線化事業は完成する。小田急のリリースでは、「複々線化は2017年度、事業完了は2018年度を目指します」(→PDF)とのこと。30年に及ぶ事業なのである。
*1997年6月に喜多見〜和泉多摩川の複々線化が完成した後、2004年12月には梅ヶ丘〜和泉多摩川が複々線となり、代々木上原〜梅ヶ丘の工事が残っていた。(第177話参照)
さて、このところの地下化でどのくらいの人数が影響を受けている(=新たに地下駅利用者になった)かと言うと、各社の2011年度の統計(1日の平均乗降客数→京王、東急、小田急)によれば、国領(37,508)、布田(15,379)、調布(113,423)で、合計166,310人、東横線渋谷駅は、実に420,163人、そして、今回の小田急3駅は、東北沢(6,222)、下北沢(130,794)、世田谷代田(8,133)で、合計145,149人...
京王井の頭線の下北沢駅は、127,124人なので、小田急の分と足して半分にしたところで、同じようなものなので、7駅合計で約73万人となる。数字としては決して小さくない。いろいろな声が聞こえてくるのもごもっともだと思う。
地下化とは即ち、地上での様々なシーンがなくなることを指す。下北沢に関しては、第243話のラストでも紹介した通り、ちょっとした思い入れがあるので、「あの眺めが見られなくなる…」というのは大きい。正式なリリース「2013年3月23日初電から東北沢、下北沢、世田谷代田の3駅を地下化します」(→PDF)が1月末日に出たのを受け、その翌日、2月1日の朝に見納め・撮り納めに向かった。今となってはどれも過去形だが、画像をもとに振り返ってみるとしよう。
8時40分、上りホームにはちょうど「F-TrainU」が。地上駅の下北沢は、ホーム・線路・ホーム・線路の順で並んでいたため、こうした撮影ができた。 |
下りホームからは空が見えた。これが何につけよかった。 |
一瞬どこにいるのかがわからなくなるのが小田急線下北沢。下に写っている人は全て上りホームにいる。(下りホームから撮影) |
階段を上がると、改札 |
ホーム端で撮影する人はこの時はまだいなかった。踏切は「開かずの踏切」で名高い「東北沢6号踏切」 |
主要工事の概要と工事範囲 |
小田急線から井の頭線にすぐにアクセス! お互い地上駅だからこそ、である。 |
この位置合いで、井の頭線をよく見上げた |
「ホーム・線路・ホーム・線路」の図(上りホームにて撮影) |
・・・2月1日は、下北沢の駅ナカの話。東北沢と世田谷代田の中と外、そして、下北沢の外については、地下化の3日前、3月20日に訪ねることにした。そして、地下化された後の乗車体験は、ようやく先日、3月30日である。ここからは、地下化の前と後の話を中心に、昔話などを交えて綴ろうと思う。
梅ヶ丘から新宿方面に向かう時、環七の手前くらいまでは築堤のような感じで多少高さがあった。が、その後は東北沢を過ぎるまで、ただひたすら地面を走る感じで、とにかく純然たる地上区間だった。その区間、特に世田谷代田を過ぎてからの線路沿いの道路がなくなる辺り、雑多な感じと生活感が出てくる辺り、そして大小の踏切、人波...それがとにかくよかった。小さい頃から何につけ憶えていた景色がこの区間で、「街の顔」と言えるものが感じられた一帯だったように思う。
走行中の扉越しに動画でも何でも、もっと早くに記録しておくべきだったと思うが、今は沿線住民ではないので、易々とは行かない。気付いた時にはところどころ工事用の壁に閉ざされ、かつての車窓の一部は見えない状態になっていた、という話。時すでに遅し、である。これは駅舎についても同様で、3月20日に東北沢で降り立った際は、撮り納めも何もなかった。かつてのこじんまりした、いい意味での小駅の佇まいはなく、仮設というか臨時というか、いかにも工事中の無粋な駅舎になっていたのである。
新宿から準急に乗って経堂に帰る時などは、東北沢で各停を抜くのがちょっとした楽しみで、よく眺めていた。逆に各停に乗っていて、後から来る急行よりも先に各停が先に新宿に着く(=下北沢での乗換不要)、という場合に東北沢で待っていると、ロマンスカーが通過していって、ヤキモキすることがよくあった。そう、東北沢は中央の2線が通過線、両脇が待避線で、ホームはその待避線にある「相対式」(二面)で長年やってきた駅である。それがいつの間にやら島式(一面)になっていて、通過も何もない状態になっているんだから、「嗚呼…」である。
一時は、代々木上原の二面4線(複々線)がそのまま東北沢の待避線・通過線につながり、代々木上原〜東北沢は複々線になっていた時期があったが、それが地下化工事の本格化とともになくなり、東北沢はごく普通の駅になってしまっていた。撮り納めをするなら、相対式だった頃、または東北沢での待避&通過シーンが見られた頃、ということになる。いやはや。
東北沢下りホーム。かつてはこの左側に相対式ホームがあり、中央は通過線だった。 |
駅名標も仮。島式なので、1番・2番が隣接。このホームに降り立つことは今はできない。 |
ともかく、降りた以上は外に出て、廃止になる踏切を含め、地上区間をひととおり見に行くのが筋である。ルートは、東北沢2号踏切〜茶沢通り〜東北沢4号踏切〜あずま通り〜東北沢5号踏切〜下北沢一番街〜東北沢6号踏切〜下北沢駅といった具合。線路沿いの道はないので、踏切の音を近くに遠くに聞きながらのブラリ旅である。踏切に来れば、急いで渡ることもなく、とにかく構え、列車が来たらとにかく撮る、の繰り返し。東北沢〜下北沢、シグザグでも1kmほどの道程だが、約30分かけて歩いた。
いかにも仮駅舎風の東北沢駅(北口) |
東北沢2号踏切から下北沢方面。街の景色を壁が阻む。 |
東北沢2号踏切にて。ホーム端には撮影者がチラホラ。 |
線路沿いに道はなく、下北沢までは進んで曲がっての繰り返し。概ねこの地図に従う感じで、4号・5号・6号の踏切を横断。 |
この先は東北沢4号踏切。地下化すれば「踏切あり」の道路標識もなくなる。 |
三軒茶屋と東北沢を結ぶ茶沢通りも踏切対象だった(4号踏切にて) |
その昔、下北沢と東北沢の間は線路ギリギリまで建て込んでいた。工事は不可能と思われるレベルだったが、いつしか線路両脇にはスペースが確保され、こんな状態に。(4号踏切から東北沢方面) |
同じく4号踏切にて。左が一番街、右が茶沢通り。それぞれに遮断機が付いていて、思わず目を疑う。これも今となっては過去の話。 |
経堂で暮らしていたこともあり、電車でも自転車でもとにかく出没する機会が多かったのが下北沢。地上駅についても、当然ながら思い入れはある。が、下北沢で最も印象に残っているのは、北口を出て東へ数分歩いた先、東北沢4号または5号の踏切に近い場所にあった歌の教室だろう。経堂時代ではなく、常磐線直通の千代田線で延々と来ては帰り...という時期。おそらく数十回は通った。先生はエト邦枝さん、生徒は母である。この日、踏切や一番街などを通りつつ、ふと思い出した。もちろんその数以上に駅にはお世話になっている訳だが、筆者にとっての下北沢は「歌の街」。そうした一面を車窓から見ることはもうできない。
東北沢5号踏切にて、下りロマンスカー(VSE)を見送る。こうした迫力あるシーン、下北沢ではもう撮れない。 |
こうした光景が車窓から見えるのが下北沢だった、と思う。(歌の教室はここから近い場所にあった) |
下北沢駅東側にある「東北沢6号踏切」。名物踏切である。 |
同じく6号踏切にて。このロマンスカー「MSE」は、もともとは千代田線直通用につき、地下を走っている方が絵になるかも知れないが、地上でのシーンがやはり貴重。 |
井の頭線と小田急線の交差シーンも見納め |
世田谷代田方面へ続く線路も見納め |
今度は上りのMSEと遭遇。こうして見ると実に窮屈そう。 |
せっかく出てきたので、地元の方と会うことにした。もともと下北沢に所縁があり、今は北沢三丁目住民という知人のK.A.さんである。13時に、地上2階部分の小田急下北沢駅改札で待ち合わせることにして、その後、駅周辺を案内してもらった。
下北沢2号踏切から下北沢方面。構造物で覆われ、車窓から家並を見ることはすでにできなくなっていた。 |
代沢三差路に出て、さらに足を延ばして、森巖寺へ。桜はすでに見頃。 |
再び6号踏切へ。ホームも踏切も混雑中。 |
そして遮断機が開くとこの通り |
北口の「駅前食品市場」はどこも店じまい |
2階改札に通じる北口の階段。辛うじて往時を偲ばせる。 |
新しい北口改札を出ると、こんな感じの景色になる。みずほの壁面が立ちはだかる図である。いずれ何らかの宣伝等で埋められることになるだろう。 |
16時過ぎには三度、6号踏切へ。遮断中は本当に人の流れが滞り、あれよあれよで大混雑となる。で、踏切が開くとその混雑がそのまま動き、多くが撮影者になるため、動きはあっても鈍い感じ。そうこうしているうちにまた遮断されてしまうため、自力で棒を上げたり、押したりで何とも凄まじいことに。とにかくこれが下北沢の日常だったのである。K.A.さん曰く、踏切は街のネック、これが解消されるのは悲願...ごもっともである。そして、こんな話も聞いた。
若者の街として通っている下北沢だが、実際に若者が暮らすエリアは駅からは遠方。駅付近の住宅地に暮らす住民は昔からの定住者で、高齢化が進む。多くの若者は来街者であって、街を生活面で支えるには至らない。「住む人と来る人の間に隔たりがある」、そんな実態がある。踏切がなくなることで、南北の往来は活発になるだろうが、世代間の交流がないままでは下北沢の将来は・・・ということだった。駅前再開発=活性化、という短絡的な発想ではなく、こうした社会的背景を踏まえた何かが必要なのは確かである。「まちおこし」+「人おこし」である。
ホーム東端でカメラを構える人が常に何人か... |
遮断中も悠々・・・これが日常 |
さて、下北沢から世田谷代田へは再び単独での散策。下北沢駅南口から歩き出し、遠回りで下北沢3号踏切などに来てから、何とか線路沿いを進み、世田谷代田駅の南口に着いた時点で30分。あとは世田谷代田1号踏切や環七に架かる宮上陸橋などを見届け、ローカル感の残る北口へ。駅舎がかつての姿をとどめていないのは東北沢と同じだが、駅周辺の「変わらなさ」にどこか救われる筆者だった。仮にここから地上駅が姿を消すと、逆に「東京ローカル」的な景色が広がる可能性もある。余計な開発はせず、今そこにある木々などは何とか残してもらいたいと強く思う。
下北沢3号踏切にて。千代田線車両を都内の踏切で撮ることはもうできない。 |
3号踏切から2号踏切を眺める。筆者お気に入りの沿線風景はこの辺り。 |
世田谷代田駅の東側。この辺りも用地を確保するのは難しかったと思う。 |
鬱蒼とした観のあった世田谷代田駅だが、スッキリというか、ガランとした感じに |
同じ跨線橋から新宿方面を望む。列車の走行シーンはもう見られないが、橋がある限り、この展望は継続。 |
かつては地上改札だったが、階段ができ、橋上に改札があるスタイルに。今は地下駅である。 |
世田谷代田1号踏切から、梅ヶ丘方面。 |
ちょっと場所を変えると、この通り。線路に沿う道路(赤堤通り)が続く。宮上陸橋の下は環七通り。 |
世田谷代田駅北口付近。代々木上原が高架駅になる前から、この辺はずっとこんな雰囲気だったと記憶している。 |
地上駅からの乗り納めは世田谷代田で、と相成った |
かくして、この日、3月20日は東北沢1号・3号以外、7カ所の踏切を見物し、電車の行ったり来たりを見送ることができた。ひととおり撮ってみると、実に様々な車両が行き交っていることがわかる。いわゆる撮り鉄の方々にとって、こうしたシーンが撮れなくなるのは痛手かも知れない。
地下化により、9箇所の踏切がなくなり、代々木八幡駅西側の踏切から先(下り方面)、約13kmにわたり、踏切レスとなった小田急線。次に踏切が出てくるのは多摩川を越え、向ヶ丘遊園駅の東側ということになる。これは何を意味するか。一つは「都内の踏切で千代田線車両が通るシーンを撮ることができなくなった」というのがある。やはり何か大きいものを感じてしまう。
ここでおさらいを兼ねて、概略など。地下線への切り替えは、代々木上原〜梅ヶ丘間約2.2kmが対象。その工事は3月22日(金)の終電後に行われ、23日以降、無事供用開始となった。下り列車は代々木上原から地下線に入り、東北沢・下北沢・世田谷代田の地下駅を経て、梅ヶ丘から高架&複々線を走る。3つの地下駅では、改札の位置が変わり、下北沢駅ではこれまではご縁のなかった「エキナカエレベーター」が新たに設置された。駅名はこの際「地下北沢」にしてもよさそうだが、変更なし。下にある下北沢は小田急、という覚え方になるだろう。
地下化区間断面図(→参考「東北沢駅・下北沢駅・世田谷代田駅が地下ホームに!」)
各駅停車のみ停車する東北沢と世田谷代田は急行線に仮設のホームを設置(緩行線ができるまでの暫定措置)
東北沢は急行線・緩行線は並行、下北沢と世田谷代田は地下3階が急行線、地下2階が緩行線という二層構造
つまり下北沢は、緩行線(上)、急行線(下)という分かれ方になるため、工事完成後は同一方向での「緩<=>急」乗り換えはできなくなる
世田谷代田は当面、地下3階の仮ホームを使い、仮の階段と仮のエレベーターを使って上下移動することになる
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3月30日、新・下北沢のレポートは、画像メイン。至って簡略だが、ご了承いただきたく。(実はデジカメのちょっとした設定ミスで、いつものようにバシバシ撮れなかったもので...)(^^;
下北沢の下り地下ホーム(=下×3)。急行も各停も今は全て地下3階の急行線を使う。 |
この日は多摩急行で下北沢入り。(地下化後も「3.23地下化」のヘッドマークつき) |
地下3階から地下2階に向かうエスカレーター。時に強風が吹く。 |
地上1階に出ると、「見上げると井の頭線」がまだ残っていた! ただし、小田急線との交差はもう見られない。 |
井の頭線への乗り換えも、引き続き「改札レス」状態。いずれ連絡改札ができるものと思われる。 |
通過列車は最徐行だが、警備員は厳戒モード。なかなか手厚い。 |
梅ヶ丘まで試しに行ってみたら、途中から複々線になる配線はそのまま。これが全て複々線になった時が完成。 |
千代田線からの直通列車に乗ると、代々木上原で一旦地上に出て、再び地下に入ることになるため、地下鉄の一部のような格好になる。ちょうど丸の内線で、四ツ谷で外に出るようなのと同じ感覚である。「下北沢? 東京メトロの?」などとならないよう、しっかりPRしてほしいものである。
以上、下北沢改め、「地下北沢」についてのあれこれをお届けしました。
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第41話 優等列車停車の既得権 / 第109話 私鉄特急 / 第177話 小田急線 複々線化 / 第187話 23区内のカーブ駅 / 「続・東京百景」・・・#018 南新宿の空と小田急線と(2008.02.23)/#066 マインズタワー、サザンタワーなど(南新宿駅にて)(2006.09.03) |
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