随筆「東京モノローグ2013」(3−4月期)
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「歩道ガーデン」の例。行き過ぎると通行の妨げになる場合も 第375話 商業地の歩道における「べからず」七選〜「べからず集」part17

改札のある2階通路からは、井の頭線と小田急線の交差を見ることができた 第374話 下北沢改め、「地下北沢」

地上区間を走る東急東横線(2012.7.29撮影) 第373話 東横線渋谷駅とその南

2/20(水)の朝は、火事のあった「神田やぶそば」へ 第372話 2月第4週、平日の朝

第375話 商業地の歩道における「べからず」七選(2013.4.15)

 3月は鉄道系大型イベントが続き、当モノローグもその一部、「渋谷&下北沢」ネタでついつい長文に。この辺でひと息、というところで、ちょうど15話ごとの「べからず集」に当たった訳だが、今回は一つお気楽な感じで行ってみようと思う。街を歩いていて出くわす、「?」や「!」の一例。特に商業地区での歩道(と区分されている箇所)における「べからず」七選(店側に何とかしてほしいもの)である。


7.私的植栽

 本来は公共空間であるはずの歩道の植え込み部分が、その軒先の店主の意向で、独特な植栽に転じてしまっているのを時に見かける。歩道幅が広い場合ならまだ許されようが、手狭な歩道で、それを過剰にやられるとどうなるか。鬱蒼としてきて、窮屈な感じになり、どうにもいただけない。緑化という点ではひと役買うのかも知れないが、「そこにあるべき緑」かどうかをまず考えてほしいものだと思う。

 植栽がどうにも不自然な例。自転車の通行云々以前にまずはサッパリやってほしいところ。

 こちらは花に関する注意書き付き。「折らない、盗らない…」はわかるが、その前にこの花はどなたの?

 鬱蒼とした感じはないが、どう見ても庭先! そんな場所もある

 店が仕掛けた緑の上には、店の看板類がちゃっかり...

6.景観毀損

 歩道を侵食するまでに至らずとも、造作物や掲示物(または不適切な色遣い)の濫用で、その場の景観を損ねるケースも多々ある。そこを通る人が不快に感じないもの・・・そんな自主的な基準でもあれば、随分と変わってくるだろう。

 オレンジと黄色で何となく色調が揃っているが、美観とは言い難い(@御徒町某所)

5.通行妨害人

あくまでイメージ 秋葉原駅電気街口を出て、方角的に南→西と進んで行くと、アートショップ系の勧誘員がチョロチョロしているのに出くわす。車道部分にクルマが来ることがないため、歩道上でやられても避けられるからいいものの、仮に歩道を塞ぐような形でこれをやられたらと思うと、空恐ろしい。

 店先の歩道の狭さを逆手にとって、通行を妨げるような行為に及ぶ店員も往々。直接的な妨げとまでは行かずとも、一角にちょっとしたステージを組んで、マイクパフォーマンスを展開する店もある。通路を狭めている点に加え、大ボリュームで耳障りという点からも、十分妨害と言える。

 歩道パフォーマンスの例

 入試シーズンになると、キャンパス周辺の歩道で見られるのがこうしたシーン。一つの店頭でこれと同じような状況になったら、一大事である。

4.占拠

 上野と御徒町の間、線路の東側(アメ横の逆)は、ちょっとしたカオス状態になっている。車道と歩道とが一応分かれてはいるが、クルマがまず通らないため、歩道が店の一部と化している箇所が随所に見受けられる。いいのだろうか?

 歩道は傘売場

 歩道は雑貨店

 通称「靴歩道」

 こちらは秋葉原某所。自販機の存在意義が問われる。

3.バックヤードまたはゴミヤード

 これも一種の占拠状態だが、恒常的でない分、あまり厳しく問われないのだろう。それらの多くは店側ではなく、車道側に積まれることが多く、歩道の機能を損ねないように多少なりとも工夫している観はあるのだが、消火栓、公衆電話などを塞ぐようなケースもままある。考え物である。

 あまりに露骨なので、Googleのストリートビューでも記録されているのでは?と思って見てみたら案の定だった、という一例。2010年2月、場所は赤羽駅西口(赤羽1丁目9番地)である。積み具合は今でも相変わらず。

2.喫煙助長

 四ツ谷下車で半蔵門の某事務所に週1で通っていた際、麹町四丁目交差点近くの某タバコ店の前を通ると、かなりの確率で煙害に遭っていた。他の道路だと歩道が狭いとか、平気で歩きタバコをする輩が多いとかがあり、一時的な煙で済むその歩道(新宿通り沿い)にしていたのだが、さすがに途中から別の道に変更した。そもそも何が不可ないと言えば、その店がごくわずかな空きスペース(店舗隣り)を喫煙コーナーとして開放しているからで、到底、その狭隘な中では複数の愛煙家が収まる筈もなく、歩道にはみ出してモクモクとなってしまう訳である。歩道では吸わないよう云々と申し訳程度の注意書きは出ていたが、効力なし。「路上喫煙」を店が助長! そう見られても無理はない。

 これと同じような場所が三崎町二丁目の歩道にもある。モクモクしている際は、車道にクルマが来ないことを確認し、遠回り。歩道は歩かない。

 麹町三丁目「喫煙歩道」

 こちら三崎町のタバコ店(左)。もうすぐ吸えるとあって、早々とタバコをくわえる人の姿も。(皮肉にも、右の建物は、健康増進系「グローバル治療院」)

1.フラッシュ(光害)

 第330話では、浪費電力の例として電光掲示物の類を紹介したが、より強力な浪費、かつ、目に有害な電飾というのが街中には存在する。

 日中にビカビカやることはさすがにないが、暗くなるとそれは威力を発揮し、道行く人を「光撃」する。ある朝、その正体を探るべく、品名等をチェックしてみた。

ゼノンフラッシュライト「FLASHBOY」(→参考

 だそうだ。夕晩はその前を通らないに限る訳だが、その光源近くの店で買い物や食事をしたい場合もあるから、どうにも避けられない。店としてはとにかく目立ちたい一心で、こうしたフラッシュを使うのだろうが、眩し過ぎて近寄れないとなれば、明らかに逆効果(逆光果とも云う)。

 光害だけでも問題だが、こうした物体はえてして複数の要素を兼ね備えているもので、通行の邪魔にもなるし、そのセンスの低さから、街景を乱すもとにもなる。通りがかる度に悩まされていたが、ふと思うところあって、その差込を何となく緩めてみることにした。パッと見は何ら変わらない。そして、夜。いつもの閃光がない。大成功である。

 かくして、2月下旬から3月上旬にかけ、ランプは「付いているが、点いていない」状態が続き、随分と通りやすくなった。が、ある3月の夜、そのランプは再びフラッシュを発するようになっていた。「緩めの一手」がバレてしまった以上、次の手を考えないといけない。袋でも被せるか、いやここはやはり然るべき部署に通報すべきか...

 などと思案していたら、3月13日になった。そう、春の大嵐の日である。夜、試しに通ってみる。眩しくない! 近くに行って確かめてみると、風で飛ばされたか、FLASHBOYをくっつけていた忌まわしい部分が見事消滅していたのである。

 諸悪の"光源"…FLASHBOY

 黄色い箱部分ともども今はなく、フラッシュにつながっていた電線が剥き出しに

 3/13の強風は、道路標識を倒すほど。(職場近所で撮影。この後、通りかかったお巡りさんに知らせたところ、その日のうちに復元!)

 フラッシュを復活させたりするからだ...そう思ったのは筆者ばかりではあるまい。

 この歩道を何の苦もなく歩けるようになって、1カ月が経った。今となっては思い出話である。


・・・その他の例

 歩道障害物の典型例。強風時は要注意。

 これも「べからず」系だが、道路使用許可を持っている場合はその限りではない...

 歩道がスッキリしている好例「神田すずらん通り

 以上、「べからず集」(part17)でした。

  • こちらもどうぞ...⇒ 路上系いろいろ

第103話 頭上注意 / 第189話 公共物のダメージケア / 第213話 路上禁煙を考える / 第246話 246号線(青山通り) / 第305話 左折か左拙か

 

第374話 下北沢改め、「地下北沢」(2013.4.2)

地上駅時代の下北沢駅下りホームにて(2013.2.1) 2012年8月19日、京王線で一大変化が起きた。国領、布田、調布の3駅の地下化である。続いて、前回の第373話の通り、東急東横線渋谷駅も地下駅に。で、今度は小田急線である。東北沢、下北沢、世田谷代田の3駅が3月23日、遂に地下になってしまった。東北沢〜和泉多摩川の約10.4kmを対象とする複々線化事業の一環だが、同事業が都市整備計画に認定された1987年12月を起点とすると実に25年余りを経て、実現したことになる。ただし、あくまで地下化であって、地下区間の複々線化はまだしばらく先。東北沢〜世田谷代田(事業区間は代々木上原〜梅ヶ丘)が上り2線、下り2線になり、地上区間の跡地の整備も終えてやっと複々線化事業は完成する。小田急のリリースでは、「複々線化は2017年度、事業完了は2018年度を目指します」(→PDFとのこと。30年に及ぶ事業なのである。

*1997年6月に喜多見〜和泉多摩川の複々線化が完成した後、2004年12月には梅ヶ丘〜和泉多摩川が複々線となり、代々木上原〜梅ヶ丘の工事が残っていた。(第177話参照)

 さて、このところの地下化でどのくらいの人数が影響を受けている(=新たに地下駅利用者になった)かと言うと、各社の2011年度の統計(1日の平均乗降客数→京王東急小田急によれば、国領(37,508)、布田(15,379)、調布(113,423)で、合計166,310人、東横線渋谷駅は、実に420,163人、そして、今回の小田急3駅は、東北沢(6,222)、下北沢(130,794)、世田谷代田(8,133)で、合計145,149人...

 京王井の頭線の下北沢駅は、127,124人なので、小田急の分と足して半分にしたところで、同じようなものなので、7駅合計で約73万人となる。数字としては決して小さくない。いろいろな声が聞こえてくるのもごもっともだと思う。

 地下化とは即ち、地上での様々なシーンがなくなることを指す。下北沢に関しては、第243話のラストでも紹介した通り、ちょっとした思い入れがあるので、「あの眺めが見られなくなる…」というのは大きい。正式なリリース「2013年3月23日初電から東北沢、下北沢、世田谷代田の3駅を地下化します」(→PDFが1月末日に出たのを受け、その翌日、2月1日の朝に見納め・撮り納めに向かった。今となってはどれも過去形だが、画像をもとに振り返ってみるとしよう。

 8時40分、上りホームにはちょうど「F-TrainU」が。地上駅の下北沢は、ホーム・線路・ホーム・線路の順で並んでいたため、こうした撮影ができた。

 下りホームからは空が見えた。これが何につけよかった。

 一瞬どこにいるのかがわからなくなるのが小田急線下北沢。下に写っている人は全て上りホームにいる。(下りホームから撮影)

 階段を上がると、改札

 ホーム端で撮影する人はこの時はまだいなかった。踏切は「開かずの踏切」で名高い「東北沢6号踏切」

 主要工事の概要と工事範囲

 小田急線から井の頭線にすぐにアクセス! お互い地上駅だからこそ、である。

 この位置合いで、井の頭線をよく見上げた

 「ホーム・線路・ホーム・線路」の図(上りホームにて撮影)

・・・2月1日は、下北沢の駅ナカの話。東北沢と世田谷代田の中と外、そして、下北沢の外については、地下化の3日前、3月20日に訪ねることにした。そして、地下化された後の乗車体験は、ようやく先日、3月30日である。ここからは、地下化の前と後の話を中心に、昔話などを交えて綴ろうと思う。


  • 3月20日:東北沢〜世田谷代田

 梅ヶ丘から新宿方面に向かう時、環七の手前くらいまでは築堤のような感じで多少高さがあった。が、その後は東北沢を過ぎるまで、ただひたすら地面を走る感じで、とにかく純然たる地上区間だった。その区間、特に世田谷代田を過ぎてからの線路沿いの道路がなくなる辺り、雑多な感じと生活感が出てくる辺り、そして大小の踏切、人波...それがとにかくよかった。小さい頃から何につけ憶えていた景色がこの区間で、「街の顔」と言えるものが感じられた一帯だったように思う。

 走行中の扉越しに動画でも何でも、もっと早くに記録しておくべきだったと思うが、今は沿線住民ではないので、易々とは行かない。気付いた時にはところどころ工事用の壁に閉ざされ、かつての車窓の一部は見えない状態になっていた、という話。時すでに遅し、である。これは駅舎についても同様で、3月20日に東北沢で降り立った際は、撮り納めも何もなかった。かつてのこじんまりした、いい意味での小駅の佇まいはなく、仮設というか臨時というか、いかにも工事中の無粋な駅舎になっていたのである。

 新宿から準急に乗って経堂に帰る時などは、東北沢で各停を抜くのがちょっとした楽しみで、よく眺めていた。逆に各停に乗っていて、後から来る急行よりも先に各停が先に新宿に着く(=下北沢での乗換不要)、という場合に東北沢で待っていると、ロマンスカーが通過していって、ヤキモキすることがよくあった。そう、東北沢は中央の2線が通過線、両脇が待避線で、ホームはその待避線にある「相対式」(二面)で長年やってきた駅である。それがいつの間にやら島式(一面)になっていて、通過も何もない状態になっているんだから、「嗚呼…」である。

 一時は、代々木上原の二面4線(複々線)がそのまま東北沢の待避線・通過線につながり、代々木上原〜東北沢は複々線になっていた時期があったが、それが地下化工事の本格化とともになくなり、東北沢はごく普通の駅になってしまっていた。撮り納めをするなら、相対式だった頃、または東北沢での待避&通過シーンが見られた頃、ということになる。いやはや。

 東北沢下りホーム。かつてはこの左側に相対式ホームがあり、中央は通過線だった。

 駅名標も仮。島式なので、1番・2番が隣接。このホームに降り立つことは今はできない。

 ともかく、降りた以上は外に出て、廃止になる踏切を含め、地上区間をひととおり見に行くのが筋である。ルートは、東北沢2号踏切〜茶沢通り〜東北沢4号踏切〜あずま通り〜東北沢5号踏切〜下北沢一番街〜東北沢6号踏切〜下北沢駅といった具合。線路沿いの道はないので、踏切の音を近くに遠くに聞きながらのブラリ旅である。踏切に来れば、急いで渡ることもなく、とにかく構え、列車が来たらとにかく撮る、の繰り返し。東北沢〜下北沢、シグザグでも1kmほどの道程だが、約30分かけて歩いた。

 いかにも仮駅舎風の東北沢駅(北口)

 東北沢2号踏切から下北沢方面。街の景色を壁が阻む。

 東北沢2号踏切にて。ホーム端には撮影者がチラホラ。

 線路沿いに道はなく、下北沢までは進んで曲がっての繰り返し。概ねこの地図に従う感じで、4号・5号・6号の踏切を横断。

 この先は東北沢4号踏切。地下化すれば「踏切あり」の道路標識もなくなる。

 三軒茶屋と東北沢を結ぶ茶沢通りも踏切対象だった(4号踏切にて)

 その昔、下北沢と東北沢の間は線路ギリギリまで建て込んでいた。工事は不可能と思われるレベルだったが、いつしか線路両脇にはスペースが確保され、こんな状態に。(4号踏切から東北沢方面)

 同じく4号踏切にて。左が一番街、右が茶沢通り。それぞれに遮断機が付いていて、思わず目を疑う。これも今となっては過去の話。

 経堂で暮らしていたこともあり、電車でも自転車でもとにかく出没する機会が多かったのが下北沢。地上駅についても、当然ながら思い入れはある。が、下北沢で最も印象に残っているのは、北口を出て東へ数分歩いた先、東北沢4号または5号の踏切に近い場所にあった歌の教室だろう。経堂時代ではなく、常磐線直通の千代田線で延々と来ては帰り...という時期。おそらく数十回は通った。先生はエト邦枝さん、生徒は母である。この日、踏切や一番街などを通りつつ、ふと思い出した。もちろんその数以上に駅にはお世話になっている訳だが、筆者にとっての下北沢は「歌の街」。そうした一面を車窓から見ることはもうできない。

 東北沢5号踏切にて、下りロマンスカー(VSE)を見送る。こうした迫力あるシーン、下北沢ではもう撮れない。

 こうした光景が車窓から見えるのが下北沢だった、と思う。(歌の教室はここから近い場所にあった)

 下北沢駅東側にある「東北沢6号踏切」。名物踏切である。

 同じく6号踏切にて。このロマンスカー「MSE」は、もともとは千代田線直通用につき、地下を走っている方が絵になるかも知れないが、地上でのシーンがやはり貴重。

 井の頭線と小田急線の交差シーンも見納め

 世田谷代田方面へ続く線路も見納め

 今度は上りのMSEと遭遇。こうして見ると実に窮屈そう。

 せっかく出てきたので、地元の方と会うことにした。もともと下北沢に所縁があり、今は北沢三丁目住民という知人のK.A.さんである。13時に、地上2階部分の小田急下北沢駅改札で待ち合わせることにして、その後、駅周辺を案内してもらった。

 下北沢2号踏切から下北沢方面。構造物で覆われ、車窓から家並を見ることはすでにできなくなっていた。

 代沢三差路に出て、さらに足を延ばして、森巖寺へ。桜はすでに見頃。

 再び6号踏切へ。ホームも踏切も混雑中。

 そして遮断機が開くとこの通り

 北口の「駅前食品市場」はどこも店じまい

 2階改札に通じる北口の階段。辛うじて往時を偲ばせる。

 新しい北口改札を出ると、こんな感じの景色になる。みずほの壁面が立ちはだかる図である。いずれ何らかの宣伝等で埋められることになるだろう。

 16時過ぎには三度、6号踏切へ。遮断中は本当に人の流れが滞り、あれよあれよで大混雑となる。で、踏切が開くとその混雑がそのまま動き、多くが撮影者になるため、動きはあっても鈍い感じ。そうこうしているうちにまた遮断されてしまうため、自力で棒を上げたり、押したりで何とも凄まじいことに。とにかくこれが下北沢の日常だったのである。K.A.さん曰く、踏切は街のネック、これが解消されるのは悲願...ごもっともである。そして、こんな話も聞いた。

 若者の街として通っている下北沢だが、実際に若者が暮らすエリアは駅からは遠方。駅付近の住宅地に暮らす住民は昔からの定住者で、高齢化が進む。多くの若者は来街者であって、街を生活面で支えるには至らない。「住む人と来る人の間に隔たりがある」、そんな実態がある。踏切がなくなることで、南北の往来は活発になるだろうが、世代間の交流がないままでは下北沢の将来は・・・ということだった。駅前再開発=活性化、という短絡的な発想ではなく、こうした社会的背景を踏まえた何かが必要なのは確かである。「まちおこし」+「人おこし」である。

 ホーム東端でカメラを構える人が常に何人か...

 遮断中も悠々・・・これが日常

 さて、下北沢から世田谷代田へは再び単独での散策。下北沢駅南口から歩き出し、遠回りで下北沢3号踏切などに来てから、何とか線路沿いを進み、世田谷代田駅の南口に着いた時点で30分。あとは世田谷代田1号踏切や環七に架かる宮上陸橋などを見届け、ローカル感の残る北口へ。駅舎がかつての姿をとどめていないのは東北沢と同じだが、駅周辺の「変わらなさ」にどこか救われる筆者だった。仮にここから地上駅が姿を消すと、逆に「東京ローカル」的な景色が広がる可能性もある。余計な開発はせず、今そこにある木々などは何とか残してもらいたいと強く思う。

 下北沢3号踏切にて。千代田線車両を都内の踏切で撮ることはもうできない。

 3号踏切から2号踏切を眺める。筆者お気に入りの沿線風景はこの辺り。

 世田谷代田駅の東側。この辺りも用地を確保するのは難しかったと思う。

 鬱蒼とした観のあった世田谷代田駅だが、スッキリというか、ガランとした感じに

 同じ跨線橋から新宿方面を望む。列車の走行シーンはもう見られないが、橋がある限り、この展望は継続。

 かつては地上改札だったが、階段ができ、橋上に改札があるスタイルに。今は地下駅である。

 世田谷代田1号踏切から、梅ヶ丘方面。

 ちょっと場所を変えると、この通り。線路に沿う道路(赤堤通り)が続く。宮上陸橋の下は環七通り。

 世田谷代田駅北口付近。代々木上原が高架駅になる前から、この辺はずっとこんな雰囲気だったと記憶している。

 地上駅からの乗り納めは世田谷代田で、と相成った

 かくして、この日、3月20日は東北沢1号・3号以外、7カ所の踏切を見物し、電車の行ったり来たりを見送ることができた。ひととおり撮ってみると、実に様々な車両が行き交っていることがわかる。いわゆる撮り鉄の方々にとって、こうしたシーンが撮れなくなるのは痛手かも知れない。


  • 地下化について

 地下化により、9箇所の踏切がなくなり、代々木八幡駅西側の踏切から先(下り方面)、約13kmにわたり、踏切レスとなった小田急線。次に踏切が出てくるのは多摩川を越え、向ヶ丘遊園駅の東側ということになる。これは何を意味するか。一つは「都内の踏切で千代田線車両が通るシーンを撮ることができなくなった」というのがある。やはり何か大きいものを感じてしまう。

 ここでおさらいを兼ねて、概略など。地下線への切り替えは、代々木上原〜梅ヶ丘間約2.2kmが対象。その工事は3月22日(金)の終電後に行われ、23日以降、無事供用開始となった。下り列車は代々木上原から地下線に入り、東北沢・下北沢・世田谷代田の地下駅を経て、梅ヶ丘から高架&複々線を走る。3つの地下駅では、改札の位置が変わり、下北沢駅ではこれまではご縁のなかった「エキナカエレベーター」が新たに設置された。駅名はこの際「地下北沢」にしてもよさそうだが、変更なし。下にある下北沢は小田急、という覚え方になるだろう。

 地下化区間断面図(→参考「東北沢駅・下北沢駅・世田谷代田駅が地下ホームに!」)

各駅停車のみ停車する東北沢と世田谷代田は急行線に仮設のホームを設置(緩行線ができるまでの暫定措置)

東北沢は急行線・緩行線は並行、下北沢と世田谷代田は地下3階が急行線、地下2階が緩行線という二層構造

つまり下北沢は、緩行線(上)、急行線(下)という分かれ方になるため、工事完成後は同一方向での「緩<=>急」乗り換えはできなくなる

世田谷代田は当面、地下3階の仮ホームを使い、仮の階段と仮のエレベーターを使って上下移動することになる

 3月30日、新・下北沢のレポートは、画像メイン。至って簡略だが、ご了承いただきたく。(実はデジカメのちょっとした設定ミスで、いつものようにバシバシ撮れなかったもので...)(^^;

 北沢のり地ホーム(=下×3)。急行も各停も今は全て地下3階の急行線を使う。

 この日は多摩急行で下北沢入り。(地下化後も「3.23地下化」のヘッドマークつき)

 地下3階から地下2階に向かうエスカレーター。時に強風が吹く。

 地上1階に出ると、「見上げると井の頭線」がまだ残っていた! ただし、小田急線との交差はもう見られない。

 井の頭線への乗り換えも、引き続き「改札レス」状態。いずれ連絡改札ができるものと思われる。

 通過列車は最徐行だが、警備員は厳戒モード。なかなか手厚い。

 梅ヶ丘まで試しに行ってみたら、途中から複々線になる配線はそのまま。これが全て複々線になった時が完成。

 千代田線からの直通列車に乗ると、代々木上原で一旦地上に出て、再び地下に入ることになるため、地下鉄の一部のような格好になる。ちょうど丸の内線で、四ツ谷で外に出るようなのと同じ感覚である。「下北沢? 東京メトロの?」などとならないよう、しっかりPRしてほしいものである。

 以上、下北沢改め、「地下北沢」についてのあれこれをお届けしました。

  • こちらもどうぞ...⇒ 小田急線が出てくる話題・画像

第41話 優等列車停車の既得権 / 第109話 私鉄特急 / 第177話 小田急線 複々線化 / 第187話 23区内のカーブ駅 / 「続・東京百景」・・・#018 南新宿の空と小田急線と(2008.02.23)#066 マインズタワー、サザンタワーなど(南新宿駅にて)(2006.09.03)

 

第373話 東横線渋谷駅とその南(2013.3.17)

3/15、上野19時発 651系「スーパーひたち53号」。この車両をここで見られるのは15日まで。 東京モノローグの定期更新日とできることなら重なってほしくないイベントがある。年に一度のJR系一大イベント「ダイヤ改正」である。今回の改正日は3月16日なので、「いつも通り15日に掲載すれば、改正前の話で済むではないか」というのはある。だが、むしろ前日の方がインパクトは大きく、「○○系車両が最終運転」「○○駅は今日限り」といった件があり、それを追うとなると時間がないのは明白。まず間に合わない。ならばいっそ、ダイヤ改正ネタで一筆とやれば良さそうだが、一筆ではまず済まないので、テーマを絞る必要がある。「上越新幹線200系」(→動画か「秋田新幹線E6系」か、はたまた「常磐線特急」か。東京近郊としてエリアを拡げれば「浦和駅」「武蔵野線」も入ってくる。さらに今回は、JRのみならず、東武・西武・東京メトロ・東急・横浜高速の5社による「相互直通運転開始」が同じ日にあったものだから、なおのこと。九段下のホームが変わる(半蔵門線と都営新宿線の壁がなくなるetc.)、メトロと都営の連絡駅が増える(秋葉原<=>岩本町)というのも16日から。十分ネタになるものが、この日に重なったがために見送らざるを得ないという現実。嗚呼、三月十六日…である。(掲載は遅れ、十七日)_| ̄|○

今回のネタ資料もこの通り。準備万端?! JR系でもよかったが、引退する車両について書くには、駅で見た・撮ったのレベルではどうしようもない。最終日に乗って、レポートすることに意義がある。・・・ということで今回は「5社直通化」。幸い、書きためていた記事ネタがあるので、それを活用し、仕立て直すことにした。ただ、すでに16日になってしまっているため、「○○が始まる」は「始まった」だし、「○○になる」は「なった」としないといけない。その辺が曖昧ではあるが、毎度の駄文ということでひとつご笑覧・ご高覧の程を。


1.直通化と地下化

 2013年なのだから、「13号線」にスポットが当たるのは当然のことではある。知る人ぞ知る、13号線=副都心線である。渋谷駅を介して、遂に東急東横線とつながる・・・これが3月13日であれば、より印象的だったが、3日後の16日ということになった。日に日に報道が増え、JRのダイヤ改正関係以上にニュースになっていたように思う。

 3月16日、東京急行電鉄東横線と東京メトロ副都心線の相互直通運転が始まり、もともと副都心線に乗り入れていた西武池袋線、東武東上線、東横線に乗り入れていた「みなとみらい線」との行ったり来たりが始まる。これら5社が一斉にダイヤ改正を行うというのも一大事。運転区間、列車種別、編成などがとにかく変わる。車両もより多様になり、行先に戸惑うケースも増えるだろう。利用者にとってわかりやすいガイダンスや表示が求められるのは言うまでもない。

 東横線の代官山駅と渋谷駅も変わる。渋谷駅は地上2階から地下5階に移る。大移動である。渋谷駅での乗り換えは大きく変わり、東横線から田園都市線への乗り換えが改札通過不要になる上、明治神宮前駅で千代田線、新宿三丁目駅で丸ノ内線など、東横線からメトロ各線との乗り換えが便利になる。副都心線は、開業当初から東武東上線・西武池袋線との直通で、並行する山手線などのバイパス役を担ってきた訳だが、東横線とつながることで、より広域な鉄道ネットワークを支える路線となる。東京メトロ単独で、全線約195kmだが、相互乗り入れ区間も足すと何と約536kmになるんだとか。東北新幹線だと、大宮〜いわて沼宮内に相当する。

 直通化によって設定される列車の運転区間は、東武東上線の森林公園〜みなとみらい線の元町・中華街(88.6km)や西武池袋線の飯能〜元町・中華街(80.5km)など。日中は、最速種別どうしの組合せで、東横線「特急」+副都心線「急行」が1時間に4本、そのうち2本は西武池袋線に直通して、西武線内の優等列車としては上位の「快速急行」に。元町・中華街〜飯能は最速で95分。どれほどの需要があるかは不明だが、「飯」から「中華」が一本というのは何だか凄い印象を受ける。ちなみにこの「直通快速急行」、これまで快速急行と無縁だった練馬に停まる。池袋発着の快速急行はこれまで通り練馬は通過。何ともややこしい。

2階の正面口改札を出て、左階段を上がれば山手線、真っ直ぐ進んで階段を上がれば銀座線。好アクセスだった。 こういう一大変化があると、大概はいいことしか伝わってこないが、そうでないこともいくつかある。すでに声が上がっていると思われるが、渋谷駅でのマイナス面を筆者なりに挙げてみると、

・JRと東急東横線との乗り換えは不便に
・東横線利用者が銀座線の始発に乗りたい場合も不便に
・自由が丘から下北沢に向かう場合など、京王井の頭線への乗り換えも大変に
・東横線から新玉川線(中目黒から池尻大橋など)の乗り換えは、東横改札を一度出て、地下の改札に向かう形だったが、この乗換時間「30分以内」が、渋谷駅での回遊性を持たせていた。改札の出入りを伴う乗り換えがなくなれば、回遊性も減る。三軒茶屋から代官山など、逆もまた同じ。
・何より、渋谷駅の外に出るまでが大変に
・・・

 東横線〜新玉川線の連絡用はオレンジ色。切符の取り忘れがしばしば見られた。(忘れたというよりは、要らないのに出てきた、というのがここでは正しい)

 券売機の上部にある路線図。東横線渋谷と田園都市線渋谷とに分かれていたが、3/16からは一体に。

 そもそもこの話、どこが発端かというと、実は比較的最近。第262話にも書いた通り、副都心線がまず急ごしらえの観があり、それと東横線がつながるというのも降って湧いたようなところがある。「東京13号線」として、東池袋(当時)〜渋谷の新設が盛り込まれた1985年の運輸政策審議会答申には両線の直通化は含まれていなかった。2000年の答申でようやく出てくるが、正式に決まったのは2002年初め。副都心線の工事が始まったのが2001年6月のことだから、「直通化決定→工事開始」という流れになっていないのがポイント。どう調整したかは不明だが、副都心線だけの駅であれば、渋谷駅はよりシンプルな構造だった筈で、兎に角途中から直通化前提の設計になり、2面4線に。ただし、2008年6月に副都心線が開業すると、同駅では中央の2線は使わず、両端の2線のみの運用に。島式のホーム2つを横断するためにブリッジが設けられていたのは記憶に新しい。そのブリッジがなくなり、中央の2線はそれぞれ上り(池袋方面=5番線)・下り(横浜方面=4番線)に当てられ、4番線は渋谷駅折返し列車用としても使われる。もともとの3番線はそのまま、旧4番線は新6番線になった。ちなみに1番線・2番線は、新玉川線・半蔵門線の渋谷駅で使われている。

 奥は池袋方面。左が5番線(上り)、右が4番線(下り)になる。

 3/6の16時頃、5番線で撮影。駅員総出でホームの安全確認か何かの訓練をしていた。奥は横浜方面。

 3/15までは3・4番線ともに「上り」。西武池袋線、東武東上線の行先表示は、3/16以降、5・6番線になる。

 東横線地上駅は、1〜4番線だった

 一部で渋谷発着の列車はあるが、構造的には途中駅になる。東急の二つの渋谷駅がターミナル(終端)ではなくなる、というのは重い。3月15日で幕を閉じた地上駅としての東横線渋谷駅は、路線のターミナル駅として1927年から85年の歴史を刻んできた。東急は地上の顔とも言える駅をその歴史とともに失ってしまった、という訳である。

 90年代後半、正確に記すと、1996年7月17日〜1998年12月15日までの間、筆者はJR<=>東急の乗り換えで東横線渋谷駅を日々使っていた。今となっては昔話なので、思っていたほど寂寥感のようなものはなかったりするが、いずれ解体され、跡地とかが現れるようになると急に寂しくなったりするのだと思う。

 首都高速が駅舎屋根を貫く。駅解体後は道路がスッキリと出る形になるが、道が駅を追い出すような感じでどうもいただけない。

 雑居ビルが建て込む中を東横線車両がすり抜ける。このトレインビューももう見られない。

 東横線の新・渋谷駅は、地下5階の深さである。横浜方面の列車は、ここから明治通りの下を進み、ローソン「渋谷三丁目明治通り店」近くで、東横線高架区間の下を行く。かつては跨いでいた山手線・埼京線の地下を通り、代官山駅付近で地上に出る。代官山駅がどういう状態になったのかは、いずれ行ってみてのお楽しみ、と今は考えている。地下化の工事区間は約1.4km。地下化に伴い、地上駅舎の他、高架構造物、JR線を越える橋、踏切1か所などがなくなる。キレイサッパリと言われればそれまでだが、惜しいものは惜しい。私鉄の路線が山手線を越えて、同線の内側に入ってくるというのはちょっとした醍醐味である。それが一つなくなるのは至極残念だ。

 高架から眺める渋谷の南側の景色が見えなくなることもまた然り。どこか雑然としたこの界隈の風景を見て、渋谷に来る時の昂揚感・ドキドキ感を楽しんでいた人も少なくないだろう。そうしたものが失せてしまう。それがまた惜しい。

 渋谷「南」エリア、東横線地下化前の地図(抜粋)

 工事区間概略図

 この辺りから地下線は高架区間下を離れ、明治通りの下へ

 東横線渋谷駅ペーパークラフト(これが置いてある定期券売場もいずれ閉鎖に)

 渋谷から代官山に向かう途中、車内からの眺め(渋谷方面)。もう見られない。

 渋谷1号踏切も15日で見納めに


2.名残鉄

 3月15日の深夜は、一部区間が運休し、代行バスも走らせる念の入れようで「地下化切替工事」(→参考は行われた。渋谷着の最終列車(急行)は16日の0時49分着、渋谷発の最終列車(各停)は、0時44分発。「地上を走る東横線」の乗り納め・撮り納めのお客は相当数だったことだろう。かれこれ9年前になるが、第154話での地上区間廃止(横浜〜桜木町)の時と同様、なくなるものを惜しむ、心に刻む、そうした方々が詰めかけたのは想像に難くない。

 各停「桜木町」行き@渋谷駅(2004.1.30)

 この日の渋谷駅も撮影者は多かった(行先表示はいずれも「桜木町」)

 特に3月に入ってからは、ブログや動画も大賑わいだった。仕事柄、これらをチェックしては、これで前日(または前夜祭?)に行こうものなら大変なことになると考え、夜の渋谷駅&最終列車等は見送ることに。フォトギャラリー(by 鉄道コム)を見て、唸っているところである。

 15日は仕事で、「東横線・副都心線相互直通運転開始記念」の記者会見&記念式典に首を突っ込ませてもらえた。渋谷駅にも一応顔は出せた。今回はそれで十分である。(→式典に関する記事:「猪瀬都知事『東急と西武がつながるなんて…』−相直記念式典であいさつ」)

 地上駅最終日、女性撮影者も多く見られた

 東急百貨店東横店(東館)も78年の歴史に幕を下ろす

 催しはヒカリエホールで開催。ヒカリエ9階から見下ろすとこんな具合で駅の構成がよくわかる。

 相直記念品は、チョコとマカロン

 銀座線車内から見た渋谷駅東口。あと何年かするとまた景色が変わる。

 カマボコ屋根からの電車の発着が見られるのはこの日限り

 正面口改札は2階で、南口改札は1階。12時前だったが、警備員は早々と中へ。

 改めて最終日の正面口改札へ。人・人・人である。警備員の声もかき消されそうな賑わいだった。

 渋谷駅の南方面に用がある時は、何かにつけ「地上を走る東横線区間」に足を延ばし、高架部分を見たり、見上げたりしていたが、やはりきちんと見に行かねば、というのはあった。気が早い筆者は昨夏、7月29日に見納め散策に出た。第358話の後段、「渋谷・代官山」のくだりである。放射線を測定しながら、というオプションつきだったが、行ける時に行っておくもので、今となっては夏の佳い思い出である。

 以下、簡単にご紹介する。

 明治通りと六本木通りの交差点での看板。「平成24年度の開通をめざします」は見事実現。

 夏空と東横線。高架部分の劣化は確かに見てわかるレベルのものだったが、地上を走るこの構図がなくなるというのはやはり惜しい。

 猿楽橋の歩道から恵比寿側を望む。湘南新宿ライン、山手線、東横線を同時に収められる場所は貴重だった。

 代官山駅は、この下にホームを造っているとのことだったが、これだとどうもよくわからない。

 カマボコ屋根の内側

 7/29、15時の渋谷駅。昨夏はまだ閑散としていた。

 「名残鉄」というのがあるとすれば、名残に関する情報を整理しておくのもその一環になるだろうか。

3/15発売「東横線渋谷駅 記念きっぷ」(\1,000)を買い求める人たちの長〜い列。改札前からヒカリエ前まで行って、折り返しが改札近くまで 直通運転開始に向け、東横線渋谷駅では「カウントダウンモニュメント」が設置されたほか、3月からはオリジナルベルメロディが導入。東横線渋谷駅85年の歴史を振り返るメモリアル写真集は8日、「記念きっぷ」は15日に、そして16日には、東武・西武・東急・東京メトロ各社から記念乗車券(→PDFが発売とあれやこれや。記念グッズも各社から出ている。収集家の方々も目を回しているに違いない。

(参考情報)

渋谷つながるプロジェクト

副都心線・東横線が乗り入れ・相互直通運転「つながって5!」

新渋谷駅の乗り換え時間を検証−相直運転開始まであと2日

渋谷駅の変遷(前編)

渋谷駅の変遷(後編) 地上の東急東横線渋谷駅、85年の歴史に幕


3.その先の渋谷

 地上駅の方は今は入れないが、3/22〜24は、「TOYOKO LINE SHIBUYA Station Park 〜『ありがとう』と『さよなら』の3日間〜」(→PDFというのがあって、120円で入れる。この催しの後(3/26〜5/6)は、大規模イベントスペース「SHIBUYA ekiato(エキアト)」として再オープン。再開発工事が始まるのはそれが終わってから、ということになる。駅舎の姿はまだしばらく見られる訳だ。

 4社8路線が同じ駅名「渋谷」で、概ね500メートルの範囲に集結していった結果、渋谷駅の構造は複雑化し、各線相互の乗り換えも不便になっていた。東横線渋谷駅が地下に移ることで、かえって不便になる乗り換えが出てくるのも事実だが、地上駅や高架部分の跡地を軸にした再開発が可能となり、人の流れも再構築できる、ということなのだろう。(これに、相鉄・JR直通線、相鉄・東急直通線の利用者も加わる)

東横店東館は3/31まで。行っておくなら今のうち。 渋谷駅中心地区基盤整備方針(→PDFが示す計画では、JR東日本、東京メトロの渋谷駅と一体で進める「渋谷駅街区」、東横線地上区間跡地での「渋谷駅南街区」などの工事が予定されている。埼京線・湘南新宿ラインのホームの移設(山手線ホーム隣へ)、東京メトロ銀座線のホームの島式化と移設(東口交通広場上へ)、東急百貨店東横店の解体と新たな高層ビル(東棟:地上46階、中央棟:地上10階、西棟:地上13階)の建設なども記されている。1/23付の東急のリリース「渋谷駅周辺地区における都市計画の提案について」では、南街区に関して、「地上33階、高さ180メートルの高層複合施設」「渋谷三丁目地域の玄関口として、東急線、東京メトロ線、JR線の駅出入口と連携」という大がかりな話の他に、「東横線に隣接して流れる二級河川渋谷川は、地域の貴重な自然資源であるにも関わらず、水量も緑も少なく、街の賑わいから隔離された存在となっています。本プロジェクトによる渋谷川の再生とは、清流復活水の活用により渋谷川に水流を取り戻すほか、川沿いの緑の遊歩道、賑わいの広場を整備することなどにより、都市における水辺の賑わいと潤いの空間を取り戻すものです」との一段があり、大いに目を引く。今はこんな具合の渋谷川だが、かつてはこの絵図に描かれるような「小川」であり、即ち「春の小川」のモデルでもあった。どう再生されるのか、楽しみである。

 八幡橋から見た渋谷川

 戦前の渋谷駅周辺(大岡昇平イラストより)

 第373話なので、渋谷のミナミ(373)の話で、と思っていたが、この通り収拾がつかない感じに。「南街区」、大いに気になるが、JRの渋谷駅新南口がどうなるのかも関心事。中長期的に様子を見て、何かあったらレポートしようと思う。

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第109話 私鉄特急 / 第134話 半蔵門線 / 第162話 横浜週末(みなとみらい編) / 第275話 平成元年 其の一 / 第288話 クールなCOOL BIZトレイン

 

第372話 2月第4週、平日の朝(2013.3.2)

 食器洗い、洗濯、洗髪...早く起きれば余裕を以ってこなすことができ、早々と出勤できる。が、早い時間帯に乗る電車がネックになり、早く行く気が失せてしまう場合がある。筆者の場合、朝の埼京線がネックであることはこれまでも書いた通りで、同線が安全運行、またはある程度快適に乗れる時間帯まで待つことがいつしか多くなっていた。待つということは、起きる時間が遅くなるのを意味し、早く起きたとしても無為に過ごす時間が増えることを示す。何とももったいない過ごし方をしていたものだと今は思う。

2/4(月)の朝、赤羽駅での埼京線の表示はこの通り(こういうことがあるので、まず朝は乗れない) ネックというのは、変な混み方だったり、駅と駅の間でのノロノロだったり、である。とにかく相応の覚悟がないと乗れないのが朝の埼京線。逆に、埼京線に頼らなければ、自分なりの時間帯で動ける訳で、赤羽まで歩くのを日課にしてかれこれ3カ月が経つ。赤羽から先は比較的スムーズだし、乗車時の不安要素も少ない。ネックとなる部分を省いたら、一定のリズムが出てきたという今日この頃である。

 自宅ですること、出勤途中ですること、とにかく朝すべき諸事を決めておいて、「○曜日は△△」とやるのも十分アリ。2月の第4週は、その前段というか、ペースがつかめてきたことに加え、ネタ的にもいろいろとあったので、今回まとめてみることにした。些事かつ私事で恐縮だが、ひとつご笑覧の程を。


  • 2月18日(月)

 第289話の中の「6月30日レポート」に書いた京成の「青電」(3356編成)がこの日で営業運転終了となった。見に行くとしたら朝しかなかったので、早起きするつもりが見事失敗。7時台早々に日暮里に行くというのはちとハードルが高かった。それでも、早いことには変わりなかったので、ゆとりを以って、例のMの「月曜無料サービス」にありつく。この日は「ハッシュポテト」が0円だった。

2/18の朝9時頃、銀座線の上野駅改札口付近 と、ここまではよかったが、頼みの赤羽から先がダメだった。事故の影響で、上り列車がまずノロノロ、上野からは振替の銀座線に乗ろうにもこの混みようで断念。結局、御徒町から再びJRに乗り直し、何とか10時前に職場に辿り着いたのだった。予定通り、「青電」を見送る時間に動いていたらまた違ったと思うが、何はともあれ「埼京線レス」で早めに動いていたのが利いた朝だった。


  • 2月19日(火)

 定期的な経過観察で病院に行く場合、検査→診察を同じ日にやってもらうと、「外来迅速検体検査加算」というのがかかる。明細がしっかり出るようになって、これを知り、試しに迅速ではないパターンにしてもらった最初がこの日。出勤前に採血、というのも妙な感じだが、赤羽に向かう途中に病院はあるため、都合はいい。

 結果を踏まえての診察日は23日(土)。中3日も空けば、じっくり結果も出してもらえるというもの。これまでは、検査〜診察の間は、確実に1時間余りを要していたので、それをカットできるというのもありがたい。気になる料金の方はと言うと、「迅速」がない分、安くなってはいるが、診察がない場合でも「外来診療料」はかかるということで、点数にして20点のプラスだった。(加算がなくなった分の点数減は50、外来診療料は70) 1点≒3円なので、60円アップである。時間を浮かせられることを考えれば、安い?


  • 2月20日(水)

 19日夜のニュースで、「神田やぶそば」が焼けてしまったことを知り、この日は朝、出勤途中に寄り道して現地へ行くことに決めた。秋葉原で降り、万世橋を渡り、神田やけ…もとい「やぶそば」へ。当然のことながら店を囲む道路途中から立入禁止状態になっていて、近寄れない。何とかこんな具合で撮ってはみたが、詳しいことはわからず。一つハッキリしているのは、やぶそばを象徴する往年の建屋は残っていた、ということ。(ひと安心と言っていいのか、どうなのか...)

 工事中の旧万世橋駅赤レンガ遺構、中央線、JR神田万世橋ビルを経て、やぶそばへ

 やぶそば前。この赤いのとは別に消防車も待機していた。

 後方建物の損壊が目立つ

 外観は大丈夫そうでも中は傷んでいる可能性大(再建は困難?)

 帰りは、神保町〜小川町〜淡路町と歩くことになる。道路上の立入禁止は解かれていたが、店の周囲はもちろん警戒モードで撮影もままならず... 近づくことはできたので、朝にはわからなかった焦げ臭さを感じる。火事の恐さを心に刻みつつも、早期の営業再開を祈るのだった。

 警戒というよりは、交通整理がメインだった

 漏電が原因だったということだが、この時はまだまだ調査中のようで、消防隊員もチラホラ。

 昨年7月、放射線を測定しに淡路町界隈を訪れた際の一枚。藪蕎麦の前は、0.13μSv/h(毎時マイクロシーベルト)で、やや高め。この時に行っておけば...という思いはある。(第283話のどこかに平成元年3月31日の「やぶそば」ネタが出てくる。実はそれきり行ってなかったのである。)


  • 2月21日(木)

 この日は、まず家事などをしてからの出勤。余裕はあったはずだが、職場の打刻記録は9時59分だった。

 ちなみに夜は、京王線の新宿駅などへ。翌日22日にダイヤ改正(→参考を控えていたため、変わってしまう前に押さえておきたいあれこれを見たり、撮ったりである。

 「準特急 京王八王子」は、この日が見納め

 「準特急」の表示が出る平日の最終日でもあった

 赤線は「特急」。分倍河原と北野に赤線がかかっていない路線図もこの日限り。(2/22以降は特急停車駅に)


  • 2月22日(金)

 在住の区では回収してもらえない某資源系のゴミ?!を出せる場所が通勤ルート上にある。西神田コスモス館である。朝、ここのストックヤード(英文では、Recyclable Waste Separation Facility)に立ち寄り、無事搬入(&スッキリ)。頻度は概ね、2〜3週間に1度である。


 10時きっかりに出社しなくてもいいことになってはいるものの、2/18〜22の週は10時かその前に出社することができた。で、翌2/25の週も引き続き、10時超えはなし。決まった時刻に出社できるなら、それに越したことはない。朝は埼京線レスに限る、という話である。

赤羽への道中、東に向かうとこの陽射し!・・・ 冬の晴れた朝、太陽は低い位置から照るため、早い時間帯ほど陽射しは強烈。東向き、つまり太陽に向かって歩くとなれば、光線の中を進むような感じになり、眩しいことこの上ない。出発時間を遅くすれば日が少しは高くなるので、幾分和らぐが、それではわざわざ埼京線を省く意味がない。乗車可能な時間帯と重なるからだ。

 早い時間に動く・歩くというのは難儀な点もあったりする訳だが、埼京線リスクに比べれば何のことはない。眼鏡の上から着用できるゴーグル状のサングラスをかければ、楽に歩ける。(怪しい感じに見られてしまうという別のリスクはあるが)(^^;

 だが、日射は何とかなっても、これからは花粉が本格化するし、さらには巷で話題の「大気汚染粒子」も案じないといけない。(3/2更新の予測では、3/5の朝が要注意) 朝型の日課なり、ペースなりができてくるのはいいが、外を長く歩く「道」(流儀とするなら「歩道」?)は、容易いものではないのである。ともかく三月もこの調子で"朝歩き"を続けようと思う。

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